幸村は、ふと自分が見覚えのある城にいることに気がついた。 上田城だ。 そうだ。ここで徳川秀忠の足止めをしたのだ。父、昌幸と共に。 今頃、兼続たちも戦っているだろう。そして、三成も。 家康の戦力を分断して―――。 「無駄よ」 「…っ誰だ!?」 知った声。振り返るとそこに、知らない女が立っていた。 「…誰だ」 「妲己よ。覚えておいてね」 「…妲己?」 どこかで聞いたような。いや、確かに知っているような―――。 「三成さんは、負けるわ」 「…っ何を!」 「そうよねぇ、三成さん」 「…!?み、三成殿!?」 何故ここに、と幸村が驚いた様子で三成を凝視する。そこにいるのは確かに三成本人だった。 その表情は、酷く憔悴していて、幸村のよく知る、自信家の三成は見る影もない。 「…どうされたのです、三成殿」 「負けるからよ」 「…黙れ、妲己」 「…はぁい。遠呂智様」 「…っ俺は遠呂智ではない!」 「だって遠呂智様の力、使ってるじゃない。遠呂智様みたいに。だったら、きっと次はあなたが遠呂智様なんだわ」 「やめろ。勝手なことを言うな」 「三成殿、一体どういうことですか」 「…なんでもない」 「それに…どうしてここに」 「…幸村」 三成は今にも泣き出しそうだ。そんな弱い表情、はじめて見る。幸村は心臓が高鳴るのを感じた。 途端に、三成が強く幸村を抱きしめる。 「…っ」 唐突に抱きすくめられた幸村は、息を詰めた。しかし、抵抗はしない。されるがままに三成の腕の中におさまっている。 「幸村…っ」 「は、はい」 「…俺は…っ」 「………」 言いたいことがある。言わねばならないことがある。言わないまま、永遠の別れにしたくない。 「…俺は、幸村。言わねばならないことが…ある」 「…三成殿」 「関が原で、勝つことが出来たら、必ず言う」 負けるかもしれないけれど。 それでも。あの世界がなくなれば、戻るのは間違いない。関が原だ。 だから、祈りを込めて、約束をする。 すると幸村は腕の中でわずかに笑ったようだった。 「…ならば、聞きにいきます」 「…え?」 「三成殿、そう言ってよくはぐらかしてしまいますから。必ず、聞きに行きます」 「…幸村」 「はい」 「…わかった。待っている」 「ええ。…信じていてください。…私も、必ず三成殿が言わねばならないことを、言ってくれると信じていますから」 「…ああ」 ―――ああ。 幸村。信じたい。 「…信じている」 腕の中、幸村は笑って頷いた。 言いたい。言いたいことがあるのだ。 言えるまで、待っているから。 ―――だから。
趙雲ははたと気づくと立派な城の前にいた。 ものものしい気配だ―――戦をしているのか。 「…なんじゃ、何をしておる」 「うわっ」 呆然としていた趙雲の横に立ったのは、政宗だった。厳しい表情をしている。 「な、なんで…いや、なんで私はここに」 「最後の仕上げじゃ、趙雲」 政宗は視線を逸らさない。じっと城の天守を見つめている。そこに一体、何があるというのか。趙雲も自然と、その視線を追いかけた。 「は…」 「あの城じゃ、あの城の天守閣に、ある」 「…何がですか?」 「炎槍素箋鳴」 その名前は、あの牢の中で聞いた名だった。幸村の、槍の名前。 ―――遠呂智を打ち破るという。 「…あそこに」 何故だか、それを疑わしいと思う心はなかった。 そして自分が、どうしてここにいるのかという疑問は、もうなかった。いるべくしてここにいる。そんな気がするのだ。 幸村を助けるために。そして―――他の誰かのために。 「ワシはあそこには行けん」 「…何故です?」 「馬鹿め、ワシは幸村とは敵同士じゃ」 「…そうなのですか」 「そうじゃ。ワシは幸村ほど自由に生きれん。ワシには奥州を守る義務がある。だからじゃ」 「……政宗殿」 「渡してくれぬか、幸村に」 苦笑する政宗に、趙雲は口ごもるしかなかった。 「……」 「ワシは…あやつの、死ぬ姿も、他の何もかも、もう見たくないのじゃ」 この人は。 幸村の死ぬところを知っていて―――そしてそれを見たくなかったのか。 だから、あの世界に、幸村が生きている世界に希望を見出したのか。 「…わかりました」 趙雲は走った。周囲はあちこち武装されていて、詰めている雑兵の数も多い。ぼんやりしていれば戦が始まってしまう。 趙雲は、一つ深呼吸をした。周囲をよく見渡す。風が吹いている。 そして。 じゃり、と足場をならす。城の周辺を固めていた雑兵が、趙雲の存在に気づく。 「―――趙子龍、参る」
騒ぎが起こっている。幸村は何事か、と腰を浮かせた。 どうやら賊か何かが乱入してきたようだ。戦を前に、一体どんな命知らずだ、と幸村が騒ぎの方へ足を向ければ。 「幸村様!」 途端に、誰かが危ない、と叫んだ。 気がつけば、その目の前に、知っているような気がする男がいた。 自分とほぼ同じくらいの背。異国のもののような装束。長い黒髪を、後ろに一つにして結んでいる。その、整った顔立ちを幸村は知っている気がした。 「…あなたは…」 「幸村殿。…あなたに、渡すものがあってここまで来た」 「…何?」 そう言って差し出したのは、赤い槍だった。炎のような、強い力を宿したそれを目の前の男が差し出している。 それの名を、幸村は何故か知っていた。 ―――炎槍素箋鳴。 「……あなたは」 「私は、趙子龍」 その名に、幸村は既視感を覚えた。 「…ちょううん、どの?」 「はい」 名を呼べば、酷く嬉しそうにその男が―――趙雲が微笑む。 「…え?なぜ私はあなたの名前を…」 知らないはず。いや、でもよく知っている気がする。何故だろう。 「細かいことはいい。…受け取ってくれぬか」 「…は、い」 炎槍素箋鳴を受け取ると、幸村は心臓が高鳴るのを感じた。 何か大切なことを思い出せそうな、そんな気がする。 「幸村殿、信じてほしい」 「……」 「私とあなたは似ていると、三成殿が言っていた。だから、あなたにも出来る」 「…なに、を。三成殿、とは…」 三成の名が出たことに驚いて、幸村は酷く困惑した。当然だ。三成は、関が原で敗北し、とうに処刑されていたのだ。 「あなたを、待っている人ですよ」 「…どういう意味ですか!三成殿は…もう、」 「あなたを信じる人を信じてほしい」 「…趙雲殿」 「三成殿も、兼続殿も…慶次殿も政宗殿も。それにくのいち殿も。皆、あなたを信じています」 「………」 知っている名。その名が、趙雲の口から紡がれることに、幸村は言いようのない気持ちにさせられていた。ああ、そうだ。知っているのだこの人は。 「遠呂智を倒してください。その槍で。終わらせましょう、全て」 ―――遠呂智。 笑った趙雲が、ゆらり、と陽炎のように揺らめく。 幸村は息を呑んだ。 「待ってください!趙雲殿、まだ…っ」 「あなたが挫けそうになったら、思い出してほしい。共に、戦いましょう」 その言葉が最後だった。 ぐらり、と世界が傾いだ。 途端に、見えるのはあらゆる光景、あらゆる場面。その一枚絵。 趙雲の姿は、もうなかった。 幸村は、槍を握る。そして、顔を上げた。 ―――待っている人がいる。 その槍で、その中の一枚を貫いた。途端に、世界が変わる。 城の中から、外へ。めまぐるしく変わる世界。馬に乗り、幸村はある場所へ向かっていた。背後には、真田の旗印の六文銭をはためかせて。 (関が原…!) 気がついた。 向かうは関が原。三成の援軍として、なんとしてもこの行軍を成功させ、間に合わせる。 幸村は、手綱を強く掴んだ。そして馬の腹を蹴る。 急げ。間に合わせろ。三成の、待つあの場所へ。 ―――共に、戦いましょう。 趙雲の言葉が蘇る。 そうだ。自分は一人ではない。だから必ず間に合う。 間に合わせてみせる―――!
三成は、劣勢の続く報の中、じっと援軍が来るのを待っていた。 幸村が来る、と。 そう言った。 言わなければならない言葉がある。 何と言えばいいだろう。ありがとう、か。それともすまなかった、だろうか。 いや、そんなものではない。そんな言葉たちでは、自分の気持ちのひとかけらも伝えられない。そうではなくて―――。 「幸村…」 ふと空を見上げた。だいぶ陽射しが西に傾いている。赤い太陽が、その色がまるで幸村の鎧のように思えた。 (だが…耐えられるか) 三成は拳を強く握った。今の戦況では、あとどれほど耐えられるか。三成にはわからない。 だが、来ると言っていた。そして、聞くのだと言っていた。 それを、信じたい。 三成は歯を食いしばった。言いたい言葉がある。だから。 言わせてほしい。 そんな三成の耳に、届く声―――。
「三成殿―ッ!!」 「…っ幸村…っ」 「報告します!真田の援軍が到着…!」 「知っている!」 三成は叫ぶと、本陣を飛び出した。 そして、戦場の真ん中に、あの赤い鎧を見る。 生きている。 (当然だ) だがそれが酷く嬉しくて。そしてその目で、また幸村を見つめることが出来て。 耐え切れずに名を呼んだ。 「幸村…っ!」 「三成殿…!」 待っていた。焦がれるほどに。 「間に合って、よかった…!…とても、たくさんの方に助けていただいた気がします…」 「…あぁ」 ああ。 三成は大きく息を吸い込んだ。そうすると見える、空の色。茜の空。 あの大きな太陽。 全てに、感謝したい気持ちだった。全てが愛おしいものに見える。世界はこんな色だったろうか。こんなに鮮やかだったろうか。こんなに。 嬉しいものだったろうか―――。 (遠呂智。おまえもこれを…この気持ちを知れば、変わったかもしれん) 遠呂智。 蛇の毒は人の欲。 だけれども、そんなものどうでもよくなるほどに。 今、三成は清々しい気持ちだった。隣に幸村がいるという、それだけで。 「…返してやる、妲己」 そんな哀しい力はもういらない。 そう呟いただけだったが、身が軽くなったような気がした。 「…行くぞ、幸村。一気に巻き返す…!」 「はい!」 ただの人の力。それだけで十分だ。 ―――それだけで、運命を覆すことだって出来るのだ。 幸村の槍が一閃し、周囲の敵を薙ぎ払う。炎のような力を感じる。 それが酷く頼もしくて、三成は満面の笑みを浮かべた。幸村がそれを見て、驚いたように頬を染める。 全てが終わったら、言おう。 好きだと。 愛していると。 この世界の全てと、そして。 幸村。 何にもかえられない、あの空に浮かぶ、眩しい光のように。 世界が変わっても、この想いは変わらない。 いつかあの太陽が落ちても、この心は変わらない、と。
いつか太陽に落ちてゆく日々
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