灰の言葉




 大阪城はかつて、秀吉の天下を世に知らしめるためにつくられた城だ。ありとあらゆる贅を尽くしたその城は、焼失してしまった信長の城を越えるものでなければならない、と、秀吉は美しく大きな城を作った。
 その城に、昔はなかったものがそこにある。
(…真田丸、か)
 そこで監禁されているはずの孫堅と、家康配下の者を助けに行くのに同行した左近は、噂には聞いていたその大筒で防備を固めた「なかったはずのもの」に感慨深い思いを抱いた。
「どうした?」
 そんな左近に声をかけてきたのは、周瑜だった。三成に負けずとも劣らぬ美貌の男だ。いるところにはいるものだなと初めて見た時は驚いたものだった。
―――それはともかく、左近は周瑜に曖昧に笑って先を促した。

 それから紆余曲折、ようやく孫家が揃い踏みして、遠呂智に挑み、勝ったのは少し前のことだ。
 遠呂智を倒しても世界は元に戻らなかった。相変わらずこの世界は閉塞していて息苦しいまま、今も続いている。
 息苦しい理由は、左近にはとうにわかっている。
「大阪城へ行く?」
 何故だ、と問う周瑜に、左近は適当なことを言ってその場を切り抜けようとして、やめた。
「…あそこに、左近の知るものではないものがあったんで」
「……どういうことだ?」
「俺の知る限り、大阪城にあんな大筒の構えはなかった。言っちゃなんですがね、大阪城ってのは、天下が誰の手に在るものか、それを世に示すための城だったんです。小田原城なんて目じゃないくらい、堅牢に造られた…」
 なのに、あの城はあんなにも攻撃的になっていた。
 名前がまた気になっていけない。「真田丸」、いかにもそれが真田の策で造れたと言わんばかりだ。
「もう一度、見ておきたいんですよ」
「…そうか…」
 周瑜のどことなく気落ちした様子に、左近は内心首を傾げた。確かに孫一家にはずいぶん厚遇されている。周瑜からもそれは同じで、信頼はされている気がしていた。が、ここを出ると言ったくらいでそんな風に気落ちされるほど近づいてもいないと思う。
「…左近、頼みがあるのだが」
「左近にですか。なんでしょう」
「私もついていっていいだろうか?」
「―――は?」
 思わず、驚いてぽかん、としてしまったのは、左近のせいではないと思う。


 出立の日は孫策には知らせずに行く、と言われて左近は疑念を深めた。
 別に二人の仲は悪くないし、むしろいつも通りだ。普段は二人が別々にいるところを探す方がよほど面倒、というくらいつかず離れずいるように思ったのだが。
「いいんですか?」
「別に永の別れというわけではないだろう?」
 周瑜の言うことは最もだ。いたずらっぽく微笑まれて、左近も断りようがない。
「まぁ…それはそうですが」
 ならば余計に、わざわざ教えずに出る必要もないだろうに、周瑜は頑なだ。
(孫策殿に知られたくない話でも、あるってのかね)
 二人の間に隠し事などなさそうだと思うほど二人は酷く仲がいい。例えば左近が知る限りだと、三成と兼続も仲は良かったが、これほどまでではなかった。長いつきあいの賜物というやつだろうか。
「行こう。ここでぐずぐずしていても始まらない」
「…わかりましたよ」
 孫家が居を構えていたのは長久手の城だ。そこから大阪城は、馬でいけばさほどかからない。
 その道中、周瑜は常に左近に質問を繰り返していた。
「君は我々のところへ来る前はどこにいたのだ?」
「まぁ、あちこちを転々と。必要とされればそこにいましたよ」
 周瑜の妻である小喬のところにいたりもしたのだが、九州での思い出は最終的には捕縛されてしまった、というその一点に尽きる。ここまで人が思い通りに動いてくれない戦もはじめてで、久しぶりに世を儚む気持ちにもなったものだった。
「元の主は何も言わなかったのか?」
「殿はわかりずらい人ですが、はっきりした人ですからね。左近が必要ならば声をかけてきます。が、それがなかった以上は必要なかったってことでしょうな」
「……割り切っているのだな」
「そうですな」
 左近と三成の関係は簡潔に語ろうとしても難しい。少しのつきあいで三成という人がどれだけ敵を作りやすいか、それを理解するのはたやすかったし、かといってそれで彼の元から去ろうとは思ったことはなかった。
 必要とされれば彼の元にも出向いただろうと思う。が、三成は三成で、考えた上で行動していた。彼の元には最後まで、親しかった友人は一人もいなかったのだ。それを考えるに、彼が仲間に頼らずにこの世界をどうにかしたかったという気持ちが伝わってくる。
 無茶をしなければいいんですがね、と思ったものだったが。
「見えてきたな」
「………」
 周瑜の言葉に、左近は遠くに見えてきた城をじっと見つめた。
 遠呂智が現れる前、左近は関が原にいた。霧に囲まれて、今後を占っていた。
 例えば今横にいるこの男だったら、どう言って止めるだろうか。自分の主の無謀な戦を。
「…家康が酒の席で言っていたが」
「はい?」
「君と家康は、敵同士だったのだろう?」
 ああ、そういえばそんな話をしていたな、と左近は肩を竦めた。遠呂智を倒して、皆の口が軽くなっていた時のことだ。
「ええ、まぁ」
「よく共闘しようと思ったな」
 言われるだろうなと思った通りのことを聞かれて、左近は肩を竦めた。苦い笑みも零れる。
「俺自身は別に何とも思っておりませんからな。あの時代で、左近の仕える人の敵だった。だから敵だったというだけです」
「そんなに軽いものか?」
「敵は誰か、ですよ。あの時は徳川家康が敵で、少し前までは遠呂智が敵だった、というそれだけです」
 ―――それに、たとえばこんなところで家康を狙ったところで意味がない。
 三成は暗殺を嫌う。島津や左近が提案した策は却下されていた。だから、ここで共闘しようとも、命を狙いはしない。そんなことをしても、三成の求める「義」とやらは遠くなるばかりだからだ。
 だがそんなことは知らない周瑜は、ほう、とため息をついた。
「…君は実に…凄い男だな。呂蒙や太史慈が気に入るのもわかる」
「…はぁ、どうも。あんたはどうなのかって、聞いてもいいですかね」
「…私、か…」
「ええ」
 視線は真っ直ぐ大阪城へ向いている。今はあそこには誰もいないはずだった。
「君は頼りに出来る。いい奴だ」
「美周郎殿に言われると嬉しいですな」
 そしてその城にある、大筒。左近が知る大阪城にはなかったもの。
 周瑜はそれを指さした。
「…左近、あれは何だと思う?」
 その、意味は。
「真田、ってやつを知ってますかね」
「ああ、知っている。孫策と幾度か蜀の人々には世話になったからな。彼らと一緒にいた」
「らしいですな」
 幸村がしばらくは一族と共に独立して動いていたのは知っている。
 誰かに寄りかかっていないと生きていけないのだと思っていた彼は、案外そんなことはなかったらしい。立派に遠呂智軍を蹴散らしたりしていると聞いていた。
「趙雲によく似た、青年だと思ったが」
「……あの大筒の名前が奴の名前にちなんでいるようで…怖い話ですよ」
「…あの大筒が?」
「ええ。そして左近はあれを知らない。…どういう意味か、あんたならわかるんじゃないですか?」
 しばしの沈黙。
 周瑜は言うべきか、躊躇ったように見えた。
「…君が死んだあとに出来たということか?」
「ええ、まぁそうなんでしょう。そしてあれを造らなきゃならん理由があった。…戦でしょうが」
「…戦」
「戦以外で大筒なんて作りませんからな」
「…そうか。…しかし、それは」
 それは。
 あの城は、秀吉の天下を世に知らしめるために造られた。
 そこに大筒が出来る、そのわけは。しかも、秀吉とは直接の関係がない、彼の名がある、というのは。
「左近は左近の死ぬ場所も死に方も知らんのですがね。あれが、ある程度は教えてくれている」
「……」
「あの城は豊臣のもんですから、あそこに造る必要があったってことは、豊臣方が攻め込まれているということです。そして防衛した。それが真田丸だ。そして俺が知る限り、ここに来る前の戦。あれが関係しているんでしょうな」
 負けるのか勝てるのか、知らないが。
 だが、あんなものがこの城にある以上、答えは言わずもがな、決定事項だ。
「…左近」
「はい」
「…君は孫策のことを知っているか?」
 唐突な周瑜の言葉に、左近は頷く。周瑜たちは本来、左近にとっては書物の中の人物だ。それ以上になるはずがなかった。だから。
「知ってますね」
「…彼は…元の世界では長く生きない」
―――そういう意味でも。
「……」
「私はこの世界が出来て、私の望みを叶えられたのではと思ったよ」
 そう言った周瑜の表情は酷く切ないものだった。よほど強く願ったのだろう。孫策の生を。そうでなけば出来ない顔だ。
「じゃあどうして遠呂智軍につかなかったんです」
「…遠呂智が孫策じゃないからさ」
 苦く笑う。そうやっていえるほど、命を懸けてもいい相手だと、周瑜はずっと思っているのだろう。だが、元の世界では孫策は早くに死んでしまう。周瑜はそれを知っている時代から来た。
 だが孫策は知らない。知らないから、笑っている。いや、知っていても笑っているかもしれないが。
「簡潔ですな。周瑜殿も、わかってるんでしょ」
「ああ、わかっている。こんなのは…」
「こんなのは」
「…こんなのは、私の夢でもなんでもない」
「…なら、迷う必要なんてないんじゃないですか?それとも、不安になっちまいましたか。戻らないことに」
「そうかもしれない」
「…ま、人間ですからね」
 左近が肩を竦めた。
 遠呂智を倒して、余裕ができてしまった。戦う日々がおわり、平穏が手元に残り、そうして気がつく。この世界の異常さに。
「ああ。それに左近、君もだろう」
「俺ですか?」
「君も、あの大筒に、その名に…その為にわざわざもう一度ここへ来ることを考えるほど、思うところがあるのだろう」
 左近の視線の先には、大筒があった。孫堅を助け出すために忍び込んだこの城は、相変わらず城内の庭に美しい桜があり、それが変わらず咲き続けているのに、あんな物騒なものがあるのかと思うと、哀しくなったりもしたものだった。あれを造らねばならなかった幸村は、どんな思いでいたことか。
「…まぁ。…これがここにあって、そいつの名前がついている、って知った時は…聞きに行けばどうなったか知ることも出来るのか、と思いましてね」
「聞きに行く…か、なるほど」
「ただ、まぁ思い直しました」
「何故だ?」
「遠呂智は殿じゃあないですし、幸村が遠呂智でもない」
―――そうだ。
 結局遠呂智は遠呂智以外でも何でもなかった。遠呂智は遠呂智で、それ以外でもそれ以下でもなかった。恐怖の対象。怒りの対象。負の象徴。
 世界をかえてしまえる力なんて、誰も持っていない。
「…ああ」
「さっきのあんたの言葉に、納得しちまったもんで。そちらは、どうです」
「…ああ。わかってる」
「なら、戻りましょうか。孫策殿が待ってますよ」
「ああ」


 戻ってくると、出迎えがあった。呂蒙だ。慌ててこちらに走り寄ってくるのを見て、左近も周瑜も顔を見合わせる。
「どうしました」
「どうしましたもこうしましたもない!おまえらが二人ともいない、と孫策様が…」
 言うや否や、どたどたと荒々しい足音が響いてきた。
「周瑜!!」
「ああ、孫策」
「てっめぇ!!遠乗り行くなら俺も誘えよ!!酷いじゃねぇか自分ばっかり!」
 呂蒙がそういうことにしておいてくれたらしい。それ以上は誤魔化しようがなかったのだろう。
「………すまない」
「孫策殿、左近が誘ったんですよ」
 言った途端、孫策が力強く声をあげた。とはいえ、あまり本気ではなさそうだったが。
「左近、テメェも俺を誘えよ!」
「どうもすいませんね」
「で?どこ行ってきたんだよ周瑜!」
「…桜の綺麗なところだ」
「今度連れてけよ!」
 そう言って笑う孫策に、周瑜は少し辛そうに笑った。
 これからこの世界がどうなるのかを知る者はいない。けれどこの世界が続く限り、孫策は生きている。そして、この世界がなくなると同時に、そんな淡い夢のような世界も消えうせる。
 それを、いいと思えるのか。思えないのか。
 それでも、答えは決まっているのだ。

―――遠呂智は孫策じゃない。

 それさえわかっていれば、迷うことなんかない。
 ないのだけれども。





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本編に左近が出てこないのは、彼は彼で断金組の方のいざこざに巻き込まれていたから、ということにしてありました。なので、こちらはおそらく似たような事件が起こっていたのだと思います。
それはそれで書いてみたい気持ちもありますが、どうだろう…(笑)