天上の 3




 あれ以来、自然と目が幸村を追うようになった。
 例えば次の来るべき戦に備えて、兼続と話している時。庭先から聞こえてくる武器のぶつかりあう音と掛け声。それの片方が幸村だと知るや、自然とそちらに目がいく。
 しかも話はそこでぶつ切り状態になってしまう。兼続などは、三成がおかしいと薄々感じ始めているようでもあった。
 何故だか知らないが、それを知られてはまずい気がして出来るだけ気を引き締めようとしているのだが、それでも。
 例えば左近の声では仕事の手は止まらない。兼続でも止まらない。しかし幸村だと、それまで組み立てていた理論が足元から崩れさるような感覚があって、思考回路が止まってしまう。
 今はとりあえず自分の居室にいた。数日前とかわらず、仕事は山とある。あまり他人を信用出来ない性質だから、首をしめるような形で仕事が増える。
 が、今はその状況はありがたかった。
 ものを考えるのならば、この部屋が一番だ。静かだし、親しい者は三成がここに閉じこもっている時はあまり顔を出さない。ましてやいがみあっている者は絶対ここに踏み込んでこないから、三成にとっては最高の場所でもあった。
「…幸村…か」
 戦で見せる鬼神の如き働きと、平時に見せる笑顔の落差。
 左近との打ち合いで見せた目の、焔のような気配。
 勇猛果敢な者はたくさんいる。人それぞれ腕の見せ所は皆違い、それぞれ戦以外ではやはり大人しい者もいるし、煩い者もいる。
 幸村の場合は落差の激しさがやけに目について、そのどちらもが、三成に妙に鮮烈な印象を残す。
「…幸村」
 何がどうなっているのか。
 数日前に幸村がこの部屋を訪れた日もおかしかった。
 このままでは仕事に支障を来す。何とか気を引き締めねばならない。
 しかし困ったことに、三成にはその方法が思いつかなかった。三成にしてみれば、そんなことあってはならない。
自分が果たすべきことは、何があってもこなさなければ。
 そう思う心がさらに三成をがんじがらめにする。
 一体本当に、どうしてこんなに幸村のことばかり考えて苦しまなければならないのか。
「理不尽だ、くそっ幸村め…」
 舌打ちして罵ると、じわりと自分の中を蝕むような感覚に襲われた。
 しかしとにかくこの状態から脱したい。どうにかして平時の自分に戻りたい。あの幸村を知る前の自分に戻ろう。
 きっと、心を無にして乱さず、鎮めれば。
 だが、三成の思う通りにはならなかった。忘れようとすればするほど幸村のあの目が自分を追い詰める。
 目を閉じて視界を閉ざしても、幸村のことを思い出す。まるで熱病にも浮かされたようだ。
「幸村がどうかしましたか」
 突然声をかけられて、三成は慌てて振り返った。左近だ。あまりに最近仕事の進展が遅いので、左近からも訝しがられていた。
「さ、左近か。驚かすな」
「一応声はかけたつもりですけどね。どうやら殿は、幸村のことで頭が一杯のご様子で」
「な、何をつまらないことを」
 思わず上擦りかけた声を、どうにか抑えた。左近はこういう時の駆け引きが上手い。三成などはしょっちゅう引っかかってしまう。しかし今はとにかく、意地でもそんなところは見せたくなかった。
「一日篭って、はかどっていないようですが」
「…いまいち調子に乗れないだけだ。左近が心配せずとも、全てこなす」
「別にそこらへんの心配はしてませんがね。それよりも、殿の様子がおかしいと兼続殿に相談されまして」
「………」
 やはり気づいていたか、と三成は内心舌打ちする。隠し事の出来ない性分である以上、特に人の心の機微に聡い兼続などにはすぐにこちらの様子の異変に気づくだろう。そして実際気づいた。
 どことなく後ろめたい気持ちになるのは何故だろうか。
「ここに来てみれば、幸村幸村とうわごとのように呟かれていたもので。どうしました、左近でよければ相談に乗りますが?」
 こういう時に人の良い笑みは浮かべないのが左近だ。どことなく嫌な予感のする人の悪い笑みを浮かべて様子を窺う。しかし三成は淡白に答えた。
「別に、何もない」
「そうですか、そいつは良かった。てっきり殿は幸村に懸想でもしたかと思いましたよ」
 その言葉に、三成は思わず思考回路が止まった。
 懸想している?
(俺が)
(幸村に?)
「―――…馬鹿なことを言うな。冗談でも質が悪い」
「そいつは失礼しました。詫びに後で酒でも持ってきましょう」
「…いや、いい。酒など飲んでは支障が出る」
 三成は、何とか普通に受け答えながら、しかし頭の中ではぐるぐると同じことばかりを考えていた。
 左近の言葉と、幸村のことが交互に思い出されて、そのたびに否定して回る。そんな馬鹿なことがあるか。幸村は男で、自分よりも強い。立派な武士だ。だのにそんな彼に対して、懸想しているなどと。奴とは友情を誓った相手で、それ以上ではない。
 なのに。
 たしかに何度でも何度でも、感情が溢れそうになるほど幸村のことを考えている。
 幸村をどうしたいと思っているのか、そう考えると奇妙なことに何かが待ったをかける。
 たとえば、もしも本当に幸村に懸想していたとして。
 では自分は幸村に対して、女にするようなことをしたいと思っているのか。
 肌が柔らかいわけでもない、女のような細くて小さな身体ではない。男を誘うような香りがするわけでもない。着飾っているわけでも、なんでもない。
 ただ目に印象的な赤備えの鎧。日に焼けた肌。自分と同じ、肌の硬さ。
 そんな奴を。
 左近が出ていったのを意識の外で聞いた気がした。しかしそれにすら気を回せないほどに、三成は追い詰められた先で出た結論に、言葉を失っていた。

 幸村に、触れてみたい。

 あの目。実際戦っていたわけでもないのにごく近い位置で見たような錯覚に襲われた戦いの目。あの薄暗い闇を感じた瞳を、ごく近いところから見てみたい。触れてみたい。たとえば幸村は、そう告げたらどう言うだろうか。
否定されて拒絶されて、今までのように慕ってくることはないのだろうか。
 それは嫌だった。でも、あの目が、自分を追い詰める。

 触れたい。どうしてあんな目をするのか、それ以外にどんな顔をするのか、もっとたくさん、幸村の全てを。
 これが懸想でなくて何と言うのだ。
 転がり落ちた結論は、しかし結局解決に至るものではなかった。
 まだもう少しの間、何も出来ない日々が続きそうだ。



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進展が遅いですがそれでこそ三幸ということで…(笑)