天上の 15




 人の数だけ、たくさんの思いがあって、たとえばこの戦、この中の何人が本当に戦を望んでいるだろうか。
「望んで戦をする奴なんていないだろう?」
 孫市は、小高い丘の上、ぼんやりとそこに立っていた。背後には、数人の気配。そして実際、ここにいる誰もが戦などは望んでいなかった。
「俺は、傭兵だからな。金さえ貰えばどこにだってつく。戦があるから成り立つ稼業ってやつだ。…でも」
 それでも、戦を望んでいるわけではない。人が踏み荒らした土。ぬかるんだ泥。死の腐臭。冷たくなった骸たち。あらゆるものが戦で失われる。
 そんなものを、誰が望んでいるものか。
 霧に覆われて今は見えないが、この霧が晴れればこの地にはたくさんの旗印がひしめいているだろう。見えなくとも感じる、濃い人の気配。
「それでも、戦なんてしたくない」
 孫市の言葉に頷く気配があった。立ち込める霧は濃い。おそらくは三成たちも、この霧には苦戦させられるだろう。まるで彼らの行く先を暗示するかのように。
「本当に行くのか?」
 それまで黙っていた気配のひとつが頷いた。そして、口を開く。
「ああ」
 強い意志のある言葉だった。
「こんなとこまで付き合っておいてなんだが、おまえが出ていきゃ、こじれると思うぜ。俺は」
「だとしても、放っておくわけにもいかんじゃろ」
 そう、生きている限り。足掻くのも、もがくのも、生きているからこそ出来ること。やらないで後悔などはしたくない。だから今、ここに立っている。
 舞台は関が原。戦の気配でむせ返るような場所だ。
「戦は破壊じゃ。その破壊の上、何かを成そうとする。じゃからワシも、そうするまでよ!」
 そう、だから。
 死んだ人間が蘇る、なんて奇跡が起こる。

 

 上田城での示威篭城は、昌幸の策がことごとく当たり、徳川方はすっかり戦意を削がれ、勝利はあっさりと転がってきた。
 あっさりとはいえ戦である。負傷者も決して少なくはない。が、地形も策の内と全てを計算し柔軟な対応をしていった昌幸の策。死んだ仲間はおそらく思った以上に少ないはずだった。
 幸村は槍を握り、周囲を見渡した。部隊長である者たちは、走りまわり後処理をこなしている。兵の中には戦の緊張による疲労からか動けない者たちも多かった。
 幸村が率いた隊の人間は、皆負傷は少なかった。幸村本人も多少の傷を受けていたが、この程度では怪我のうちに入らない。
 今頃、三成たちはどうしているだろう。関が原で、戦っているだろうか。兼続は、どうしているだろう。二人の策は、成っただろうか。
 兼続から聞いた、大返しの策は決して楽なものでも、簡単なものでもない。
 まず戦の後、すぐに兵士たちを連れて戻るためにひた走るなどそう簡単に決断できない。歩兵はどうする?馬の数は?戦の後の疲労しきった彼らを、またそうやって無理強いするのは、あまりにも。
「……」
 どうするべきか。
 気がつくと十文字の槍をきつく握り締めていた。気持ちはもう決まっている。自分ひとりのことならば、今すぐにでも走り出す。
「幸村」
「…父上」
 いつの間にかすぐ傍まで来ていた父、昌幸は人の食えない顔で笑った。
「馬を用意した」
「……」
「行け」
「し、しかし」
「行って真田の意地を見せてこい。あの狸に息子は来ないが真田は来るというところを、見せてやるのだ」
 昌幸の言葉は穏やかだった。しかしそれが本気であることがわかる。昌幸とて西軍に与する武将の一人。東軍につかない理由は、彼にもある。
「父上は」
「ん」
「狸がお嫌いでしたね」
「どうせ化かされるなら狐の方が楽しめる」
 二人はお互い、心置きなく笑いあった。悲壮感はない。
 周囲の兵士たちは、真田の親子が笑いあうのを遠巻きに見ている。
「参ります」
「土産を期待しているぞ」
 父の言葉を背にして、幸村は声を上げた。

「今より関が原へ狸の首を獲りにいくぞ!」

 一瞬シンとした周囲が、幸村の声に湧き上がるような勝鬨をあげた。
 奇跡は待っているものではない。起こすものだ。昔、秀吉がそうしたように、この一瞬に全てを賭ける。

 

 

 ぐ、と小さく呻いた。そのうめき声に兼続を振り返れば、伊達政宗と斬り結んでいて劣勢だ。利き腕を浅く斬られたようだった。
「兼続!」
 慶次が勢い任せに数人の刀を押し返して一閃した。ブン、と空を切る音と共にその数人が吹き飛ぶ。その反動でさらに後ろに控えていた雑兵たちも転がった。
 兼続の元に駆け寄ろうとすれば、政宗がすかさず右手一本で兼続の宝剣を遮りながらの状態で、左手に握った銃が慶次の足元を狙った。
「二人掛かりか、情けないことじゃな、兼続!」
「く…ッ、山犬め…!」
 政宗の戦いぶりはこの地にあって異常なほどだった。関が原に行くよりも、ここで上杉軍を殲滅することを命じられたことに余程の不服でもあるのか。それとも元々仲の悪かった二人が、ついに対決する場を迎えたということか。とにかく厄介な相手だった。兼続も政宗相手になると頭に血が昇りやすい。
 慶次は舌打ちしながら政宗の放つ銃弾から逃げた。転がるようにその軌道から逸れると、それにあわせて口笛を吹いた。ピィ、と短く高く。途端に、慶次に向かって地の揺れるような馬蹄が響く。普通の馬よりも大きく無骨な松風が、戦の喧騒に恐れる様子もなくまっすぐ慶次に向かってきた。
 その直線上には、兼続と政宗が斬り合っている。先に気づいたのは政宗だった。反射的に身体が松風を避けるために間合いをとる。
 松風は、それは見事に兼続を避け、政宗との間合いを作って慶次のもとに辿りついた。
「悪いな、松風。最高だぜ」
 己の馬のたてがみを撫で、その恐れのない走りを褒めてやれば、慶次の言葉の意味を汲み取ったように一啼きする。飛び乗ると、すぐに尻を蹴った。
 走り出した松風は大きな身体に似合わず、すぐさま速力を上げて、兼続へ迫る。
 己の腕を庇う兼続を勢いよく拾い上げ、ひた走った。
「…ッ慶次!」
 政宗の悔しげな声が聞こえた。しかしすでに背後に遠い。
 ある程度まで走ると、そこで兼続をおろした。
「…すまん、慶次」
「別にかまわんさ」
 兼続が熱い男なのは知っている。が、政宗を相手にするとその熱さが過剰になる。嫌う相手とはそんなものだろうか。
「腕はどうだい、まだ戦えるか」
「無論だ。皆を無駄死にさせるわけにはいかない!」
 兼続が家康に叩きつけた書状は、結局家康に届いたのか。
 よくはわからないが、この長谷堂城には家康の姿はなく、かわりに現れたのは最上と伊達の軍だった。最上も伊達も、その猛攻は凄まじい。
 負けるような戦ではないが、兼続はこの後さらに、関が原へ向かおうとしていることも、慶次は知っている。
 この怪我では無理だろうが。
「手当てはきっちりしとくもんだぜ。戦いたいならな」
「しかし」
「焦りなさんな。兼続、あんたの愛する上杉の兵士はそんなに弱くねぇだろ?」
「…そうだな、その通りだ」
 今頃、関が原はどうなっているだろうか。
 戦場から少し離れて、はじめて三成たちのことを思い出した。
 別れ際、慶次は三成と話した。まともに話をしたのはおそらくあれがはじめてだ。今までは、場の中にはいても、いつも遠いところにいた。
 兼続を決して殺すなと言われた。
(殺させねぇさ)
 慶次は妙な高揚感があるのを感じていた。それは、おそらく今までずっと、無意識のうちに避けていたことをやっているからだ。
 誰かの為の戦い、というやつを。
 いつも戦うことが好きで、自分自身のために戦っていた。
 過去、長篠で幸村を助けるために織田の馬防柵を飛び越えた時も、上杉に仕官したての頃に、村を守った時も、それらは全て自分のためだった。
 しかし今は、厳密に違う。
(悪かねぇ)
 そう、まるで。

 幸村みたいな戦い方をしている。

 そう思った。



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