天上の 14 |
ふと、三成の視界を遮るものがあった。 顔を上げて周囲を見渡す。何か妙な気配があった。まるで自分の周りにだけ、靄がかかったような、そんな気配だ。 「………」 鉄扇を、握りしめなおした。 気がつけば先ほどまで近くにいたはずの左近の姿も見えない。 どういうことだ、と三成は警戒を強めた。慎重に、辺りを見渡す。 人の気配はない。だというのに、何かがいる気配は、ある。 獣の類か、とも思うが、それともまた、異なる。 何が起こっているのか。何故いつもそば近くに控えているはずの左近すらいないのか。 それでようやく、気づく。 いつも自分は一人のような感覚があった。戦うにしても、いつも一人。 だが違うのだ。本当はいつも、誰かしらがそばにいた。 兼続しかり、左近しかり、そして幸村しかり。 「左近、どこにいる」 声を上げても、左近からの返事はない。気配もない。 そもそもここに人はいるのか、生きているものはあるのか。何もかも踏みにじられて、何もかもが息絶えた世界ではないのか。 そんな錯覚が、三成の中で弾けていた。 ふと。 その視界の中で、人影を見た。 赤い色の鎧。それが、雨にぬかるんだ地面の泥に塗れている。 心臓が高鳴るのがわかった。 気がつけば三成の足元には無数の死体があった。慌てて足をどけて、地面に広がるその無数の死体を見つめた。 そこに破れ、踏まれて泥まみれになっている旗がある。 武田信玄の言葉として名高い、言葉だ。そしてその横に倒れるのは、武田菱をつけた男。 ここは。 「……まさか」 思わず呟いた。だって、そんなまさか。 「…ゆ…ゆき、むら!」 ここは、この地は、間違いようがない。向こうに見える馬防柵、その後ろに控える鉄砲隊。 倒れ伏す戦国最強と謳われた、武田の騎馬隊の無残な姿。 いるのか、ここに。あいつが、闇を抱える前の、幸村が。 「…っ」 酷い戦だったと聞いている。 時折幸村が、酷く暗い目をして遠くを見る、その原因になった戦だと。 どうして自分がここにいるのか、何が自分の身に起こっているのか、疑問はたくさんある。 しかしここがあの地だとすれば、このどこかに幸村がいて、戦っているはずなのだ。 「ゆきむら…っ」 その瞬間。 ざぁ、と視界が晴れた。三成の見つめるその先に、確かにいる。 馬上にあり、今まさに鉄砲隊に向かっていこうとしている。 額当はあの六文銭。 幸村だ。 間違いようがない。しかし届かない。彼は、無謀にも鉄砲隊の銃口の待ち構える先へ走り出そうとしている。 たくさんの者たちの、死臭がする。 「だめだ、幸村、そっちへ行くな!」 馬の蹄の音が地響きになって全てを遮った。三成一人の声は到底どこにも届かない。手を伸ばしても、届かない。騎馬隊は三成の身体をすり抜けて、駆けていく。 何故、死ににいくのだ。 呆然と三成はその先を見つめる。次々と倒れる騎馬隊。崩れていく戦国最強の名。時代が、彼らを古いものと決めた。 よろりと三成は歩き出した。幸村のもとへ行かなければ。そう思って、おそるおそる足を踏み出す。 彼は死ななかった。だから三成たちと出会った。 だから、助けなければ。 「ゆき、」 いた。 ずっと向こう、地に倒れ伏している。恐ろしかった。 そう思っていると、突如逞しい軍馬に乗った男が駆け出してきた。馬の勢いもさることながら、その男の後を追うように銃弾が戦場を飛び交っているのにも関わらず、馬も、そして男もそれに怯まない。 無謀以外のなにものでもない。 息を呑んでそれを見つめていれば、男が地面に手を伸ばした。 幸村の赤い甲冑が、彼の十文字の槍が、男の大きな手に拾われて戦場を駆けていく。 一人取り残されて、三成は呆然と彼らの消えた先を見つめた。 ふと気がつけば、自分は死んだ者たちの連なる場所に取り残されて、あの二人はどこかに行っている。 足元を見た。おびただしい血が泥にまみれている。一歩足をひけば、ぐちゃりと嫌な音がして、ぬかるんだ土が三成の足を捉えた。 そう、まるで逃がさないぞと言うように。 おまえは、死ぬ人間だ、と。 「…ッ」 死ぬのは、誰だ。
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