花に嵐 24

 豊臣から書状が届いたのは孫市が米沢の地を踏んでからしばらく経ってからだった。話では、伊達の別動隊を追う動きは緩んでいるらしい。
 戦があったのが夏で、今は秋。
 花は落ちた。陽射しは日々緩やかになっている。
 雑賀孫市は秀吉の親友だ。その彼が、どういう理由で伊達と手を組み、別動隊として動き、三成狙撃に至ったのか。
 兼続には、それがわからない。
「…どうした、兼続」
 問うてきたのは景勝だった。
「景勝様」
 兼続は毘沙門天の像を前に一人、黙りこくっていた。昔、二人が知る人もそうしていたことがある。戦の前、戦のあと、人々に請われて戦へ向かう前。
 そうして、毘沙門天の前に座して動かず、ただ見つめ続けることがあった。
 何をしているのかと問うことは出来なかった。神聖な空気がそこにある。そう思ったからだ。だが、その人ももういない。
「…親友を裏切るというのは、どんな気持ちなのかと」
 孫市と秀吉が親密だったというのは、昔からよく聞く話だった。
 実際、豊臣側に雑賀衆が協力した戦もある。
「…そうまでして動こうという魅力が伊達政宗にあったのだろう」
 景勝は冷静だ。ほとんど変わらない無表情の中で、冷静に自分が捕えた男について分析している。
 そうだ。あまりにも「伊達の別動隊」の行動と、伊達政宗自ら―――本隊そのものが囮になってまで豊臣に動揺を呼ぶその方法。それらに気をとられすぎて、忘れがちだったが。
「そもそも、私にはあの男をそうまで重要な任につかせる気がしれぬ」
 景勝自身にも思うところがあったのだろう。今日の景勝はどことなく饒舌だった。「あの男」とは孫市のことだ。伊達の別動隊とは言うが、実際のところ伊達軍に組み込まれた存在とは言い難い。彼らは傭兵で、金さえあればどこへでも行く。
「しかし本隊を危険に晒すのは感心せぬ」
 動揺が与えられたところで、自分たちが立て直す間に敵にもその猶予を与えてしまうではないか。景勝はそれに憤りを感じているらしい。そして、それ以外にも感じるところがあるようだった。
「我らは、少しばかり伊達に踊らされたのではないか」
「…景勝様も、そう思われますか」
 どこまでが伊達の望む結果だっただろうか。
 数の力は圧倒的。戦えば負ける相手に正面から腰を据え、家康が動かぬことを読んでいたのか。
 その上で、伊達討伐に力を貸すだろう上杉のことも数に数えていたのか。
 動かぬ戦に痺れを切らして、秀吉が増援を送るだろうことも?
「伊達の別動隊…雑賀は、もともと石田三成を狙う為に動いたのではないかもしれませぬ」
「……豊臣が動かなければ上杉か」
「左様…。おそらくその時は、私が標的になったのでしょう」
 そして上杉が万が一動かなければ家康か。
 あの戦は、万全に万全を期したはずのものだった。家康は共に伊達を討たぬかと上杉に持ちかける。伊達と上杉は代がかわってからこっち、一度もきちんとした決着がついていない。北の地で二国が相争っているような状態だった。
 だから上杉は渡りに船とばかりにそれを受け入れる。
 数の力は圧倒的。それでも戦を望むならば、伊達の先を読む力もさしたるほどのこともない、と上杉は考える。
―――どこまでがあの男の掌のうちだったのか。
「雑賀の頭領がこの地に現れたのも予定調和な気がするな」
 上杉が外交の手段に捕えた男を切り札とするのも、その為に秀吉に差し出すこともしないことも。
 実のところ、上杉は今難しい立場にいる。紙一重のところで均衡を保っている。秀吉が本腰をあげて上杉を、そして伊達を飲み込もうとすれば出来るのだ。それくらい、力の差はあるはずだ。
 だがそれをしない。
 理由は、兼続の脳裏にうっすらと浮かんでいる。真田家の時のようなことが、また起こるのかもしれない。その時標的になるのは誰か。消去法で考えていけば、わかることだ。
 今はとにかく、伊達の動きに注視するのみ。
 今、はっきりしているのはただ一つ。
「…あの男の生死は我々が握っております」
「だが殺さぬよ」
 そうだ。殺せば奥州がまた騒がしくなる。それに勝手に処断などしてみれば、豊臣の怒りにも触れるだろう。今でさえ、戦にならぬのが不思議なくらいなのだから。
 景勝も兼続も、それから自然に黙り込んだ。そうすれば、そこには不思議な気配がたちこめたような気がした。毘沙門天の像から感じる、神聖な気配。
 昔、謙信がここに座し、何も言わず見つめていたことがある。
「……我らは、やるべきことをやるだけだ。…義によって」
「はい」
 景勝の言葉に、兼続は神妙に頷いた。


 その頃、慶次と孫市は差向いで酒を呑んでいた。とはいえ、酒が進んでいるのは慶次だけで、孫市は相変わらず居心地の悪さを感じているのがわかる。
「つまらないねぇ、何を気にしてんだい」
 慶次の言葉に、孫市はあからさまに眉間に皺を寄せた。
「歓迎されてないからな」
「伊達の別動隊」
 今や天下をとらんという勢いの豊臣に雑賀衆は狙われている。今は手勢はすべてばらばらに動いているらしい。季節も移ろい、豊臣の捜索の手は緩んできているらしいが、怒りは決して消えはしないだろう。
「…あんたがよく決心したもんだ」
「………」
「なんで伊達についた?」
 慶次は率直に聞いてくる。孫市はそれに対して、うまく返答することは出来なかった。
「おかげで天下はまた動乱の気配だな」
「…上杉も天下獲りに出たからな」
 孫市からすれば、悪い冗談だとしか言えないような兼続のあの目。野心に溢れる男が見せるような鋭い眼光だった。
 孫市は、そういう目を真正面から見つめるのが苦手だった。
 皮肉っぽく呟けば、慶次がにやりと笑う。
「義によって、だそうだぜ」
「…俺にゃ志ってもんはわからねぇよ」
「ま、俺にもわからんよ」
 慶次は気軽に言う。だが孫市は吐いて捨てたい気分だった。
「あいつらは育ちがいい。だから、志で生きようとする」
「じゃああんたはどうだい?」
「…俺は、志なんてないね」
「伊達についた理由はなんだい?」
「…さぁな」
 話す気になれず―――いや、話せる気がせず、孫市は曖昧にはぐらかした。過去、雑賀衆は壊滅の危機にあったことがある。信長の怒りを買い、見せしめとばかりに抵抗できない里の者たちが襲われた。
 天下を狙い、その中でまるで虫けらでも蹴散らすように、雑賀の里は踏みにじられた。
「…わかんねぇよ」
 あの時、孫市は心の底から思った。
 何が天下だ。
 天下を獲るために、こんな犠牲が必要ならば、自分はどこまでも抵抗してやろう。
 許せるはずがない、とも。
 その時の怒りが、いつまでも腹の底でわだかまっている。
 もう昔のことだ。わかっている。だが理性でそう割り切っていても、感情はいつまでたっても追い付かない。
 孫市はようやく盃をあけた。慶次が酒を注ごうとするが、それを断って立ち上がる。
 怒りはいつだって自分の中にあり、それが原動力になり、突き動かす。
 その怒りがいつまでも腹の底にあるような人間は、大切なところで判断を誤って、後悔するのかもしれない。
今回のことが、「誤った」行動だったのか。それは孫市にもまだ判断できない。
 ただ、親友に対する複雑な感情がねじ曲がってとった行動だった。そう思う。それは正しいのか。自分の行動の一つで、天下が騒然となる。
 ぞっとするような事実の重さに、孫市は舌打ちしながらその場を去った。


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