花に嵐2




 捕えられた幸村は決して無傷とは言えなかった。
 三成が予想したよりもずっと幸村は抵抗したし、その分三成も本気になるよりなかった。
 特に太股のあたりの傷は酷い。痛みをこらえる幸村はほとんど敵を前にした獣のような眼光で秀吉と、その横に控える三成を見据えた。
 三成にとって、幸村から敵そのものだという目で見据えられるのは、腹の中から冷えるような感覚があった。内側から、じりじりと凍えていくような感覚だ。
 何故ああも幸村が冷たい目でこちらを睨めつけるのか、それが三成にはわからない。
(…幸村…)
 あのうららかな春の日に。
 真田家は潰えた。血筋が断たれたわけではないが、もうこの乱世に台頭してくることもない。
 そして幸村は豊臣に仕えることとなった。しかし脚の傷は深い。しばらくは出仕も難しいだろうし、戦に出ることも無理だろう。
 春の陽気は少しずつ少しずつ、勢いを増している。
 このまま時が経てば、何もかもが勢いを増す夏が来る。
 その日、三成ははじめて幸村の元に訪れた。本当は毎日でもここに来て、幸村の笑顔を見つめていたいとそう思っていたが、天下の統一まであと一歩という豊臣において、さほどに暇をしていられる余裕はなかった。
「幸村」
 脚の怪我はどうなったのか、何か不便なことはないのか、そういうことを聞きたくて―――いや、ただもう我慢が出来ないほどに幸村に、ただ逢いたくて。
 返事も待たずに襖を開ければ、酷く暗い目をした幸村がそこにいた。
 締め切った部屋はどんよりとした空気が篭っている。
「…ゆき、むら」
「御用がおありなら、使いの者をくださればお伺いいたしましたものを」
 居住まいを正した幸村が、まだ傷のふさがりきっていない状態で、客分を迎え入れるように座した。それを見て、三成の中で何かが警告を出す。おかしい、と。
「…そんなことをする必要は、ない」
「恐れ多いことでございます」
 なんだこれは。
 いや、ある程度考えていたことだ。幸村を捕縛した際、彼は酷く荒々しい目でこちらを睨みつけていた。いかにも敵に向けられる、屈服などしないという目だった。
 何かあるだろうとは思っていた。だから、こういう態度に出られることも、予想しなかったわけではない。
 が、それなのに三成は冷水を浴びせられたような衝撃があった。
 頭で考えていたそれよりも、本物の幸村の言動に。
「幸村」
「して、御用の向きは」
「…っ、幸村!」
 三成は声を荒げ、幸村の二の腕を強く掴んだ。見た目よりも力のある三成が、力の加減も忘れるほど強く強く、それこそ握りつぶそうとしていると錯覚するほどきつく、掴む。
 そうやって、間近で覗き込む幸村の目はやはり酷く暗いままだった。
「何故だ。何故、そんな…!」
「…何か、お気に召さない点がございましたか」
「……っ」
 冷えた目をした幸村など、誰が見たいものか。
 三成は、ただもう言葉が言葉として浮かばずに口を動かすだけで、うまく息継ぎの出来ない魚のようだった。
 ただ、もう逃がさないように強く二の腕を掴んで、それしか出来ない。
「………」
 やり方を、ただ間違えたというのか。戦をし、正々堂々と勝負をしたうえで幸村を手に入れれば、彼は納得してくれるだろうとそう思っていたのに。
(そんな…)
 ではどうすればよかったのか。
 言葉に出来ず、ただどうしようもなく打ちひしがれて項垂れていれば、幸村がそっと三成の手に自分のそれを重ねた。やんわりと、掴む力を和らげて、その手から逃げる。
「…申し訳ありません」
 そう言うと、三成との距離をとって、幸村は頭を垂れる。
「今は、何も言うべき言葉はありませぬ」
 だから出ていってくれ、と懇願する幸村に、三成は追い討ちをかけられたかのように黙り込んだ。それからようやく、立ち上がる。足に力がこもらず、よろりと身体が傾いだ。襖に手をかけて、なんとか体勢を立て直す。
「すまん…」
 声が震えていたかもしれない。
 三成はどうにか部屋を出た。幸村に逢いたかった。あの時きつく睨まれて、身体の芯から冷えるような感覚に、ずっと苛まれていた。
 だから、怪我もだいぶ良くなったろう頃にこうして来たのだ。
 だけれども、そのほんの幾日かの間に、幸村の態度は凝り固まり、死んだ魚のような目で、冷たい言葉を吐くようになっていた。
 そんなもの、誰が望むものか。誰が喜ぶものか。
 一緒にいたいだけなのに。
(どうすれば…)
 見上げた空は彼の心も知らないで、透き通るような青が目に眩しい。
 どうしよう、どうすれば。
 幸村は眩暈がするのをどうにか抑えて、よろよろと廊下を歩いていく。
 他にもしなければいけないことはたくさんある。だというのに、もうそれ以上が考えれない。
「殿!」
 だがそんな状態でも、時間は待ってくれない。
「…左近」
「農民の一揆が。…どうしました、顔色が優れませんな」
「…なんでもない。それで、どうした」
「大殿がお呼びですよ」
「………」
 農民の一揆は出来れば大事にはしたくなかった。彼らは毎日を必死に生きているのだ。その苦しみも、三成にはわかる。
「…少し、待て」
「は」
「すぐ行く」
「はい」
 幸村がどんなに暗い目でこちらを見据えようとも、時間は待ってくれない。やるべきことは多すぎて、頭の中は幸村ばかりでそれしか見えないのに、そんな風に何か一つに執心してばかりでもいられない。
 自分がここにいる理由はなんだ。秀吉のためだ。
 そのために、この頭を使わねば。
 だけれども。
 あの時、真田を倒しましょう、と秀吉に提言した時。
 自分の中、たしかに自分の欲しいものがそこにあった。
 それを手にするべく、動いた。
 幸村はおそらく、こんな自分を知らなかっただろう。唐突に、友から裏切られた、と。そう思っている。
(…そうだ、幸村。おれは)
 三成は顔を上げた。一つ大きく息を吐く。
 暖かな陽光が、三成の肺の中深くまで染み込むようだ。
(俺は、もうとっくにおまえの気持ちなんて裏切っている)
 だってほら、こんなに、想う気持ちはどろどろと醜いのだ。


 秀吉の下に参じれば、難しい顔をした彼が困ったように俯いていた。
 俯いて、眠っているように見えるが、おそらくは何か考えごとをしているのだろう。何の真似かとたずねれば、信長がよくそうしていたという。信長は実際眠っていることもあったらしいから、人間の底の深さは計り知れない。
「真田を遣わそうと思うてな」
「…は?」
 ようやく口を開いた秀吉が言った言葉に、三成は思わず意味がわからず間抜けにぽかんとするばかりだった。
「幸村を、遣わす。どうじゃ、三成」
「…待ってください。幸村はまだ怪我が」
「大した怪我でもなかろう。それにさしたる戦でもない」
 一揆の鎮圧などさしたる戦ではない、と。
 秀吉の言葉をそのままの意味に受け取って、三成は困惑した。秀吉はもとの身分が低い。そのためか今までも農民の暴動はほとんど武力での制圧はしなかった。
 なのに、今この時に幸村を遣うなど。
「…秀吉様らしくない。農民の一揆を武で鎮圧しようなどと」
「三成。わしゃ幸村を信じたいんじゃ」
「…どういう、意味ですか」
「どうにもあの日のあの目がいかんなぁ。あやつは今わしに仕えておるが、一度も出仕はしておらん。まだ、戦っとるんじゃないか?」
「………」
 何と。
 とは、秀吉は言わなかった。三成も答えない。
「わしは、わしのもとに集まってきよった者を疑いとうない。だからな、試す」
「…試すなど、必要は…!!」
「必要ないか?」
「当然です!」
「なぜそういい切れる。おまえさんはあの目を見て心の臓が冷えんかったか」
「……幸村、は…そんな、不義の者では」
 秀吉の言う通り、捕縛した際の幸村の暴れようと、その時の彼の眼光は本当に恐ろしかった。手負いの獣の目だと思った。だから、三成は言葉尻が弱々しくなる。
「そうじゃな。それは、知っとる」
「ならば、」
「だからこそ、じゃよ。三成」
 秀吉の言葉に、三成は拳を握り締めるしかなかった。
「やり方は、幸村に任せる」
「……は」
「幸村がどうするか、わしはそれを見たい」
 武を見せつける形でもいい。金をつかって鎮圧するのでもいい。
「よいな、三成」
「……はい」
 三成は俯いて、頷くしかなかった。
 その結果を見て、秀吉が幸村をどうするつもりかはわからない。
 同盟国だった真田を、その期限が切れた瞬間に倒した。
 幸村を捕縛して、豊臣に降らせた。
 幸村を手に入れるなら、戦がいいと思ったのだ。それが最善の策だと思った。
 欲しかった。幸村が。手段など選べない。
 だが、武で手に入れた彼の、その心だけが、ここにない。

 その心こそが欲しいのに。




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あれっなんか長引きそうな…(またかよ)。にしても三成視点の話が多いのでワンパタもいいとこですねハッハッハッ。いいのいいの、幸村が好きな三成が好きなの私(爆)←ぶっちゃけた