あなたのために、時を跳ぶ 2




 翌日。
 幸村の熱が下がらず、また悪化している気配に、石田はすっかりお手上げ状態となって助っ人を呼んだ。それが直江だ。
 事の敬意を簡単に説明してやれば、真っ先に直江が結論を出した。
「そりゃあおまえが悪い」
「俺のせいか!?」
「おまえのせい以外にないだろう…。やれやれ、やはりおまえに任せるべきではなかったかな」
「わかっているなら助けろ…」
「まさかここまでお約束的に悪化しているとは思わないだろう」
 直江の言うことももっともだ。
 無理やり寝かせつけたら今度は本格的に熱が上がりはじめて、改めて石田は己のベッドが他人に使用されていることを知り、そして無理をさせていたのかもしれないことを知る。
「ほら、おかゆをつくってみた。これなら口に合うあわないもないと思うんだが」
 石田が用意したレトルトは、匂いがきつかったり、口にあわなかったりした。一口食べてすいません、と俯く幸村に、石田は己の無力感しか味わえなかった。
 だから直江が作ってくれたおかゆはそれはありがたかったのだが。
「…俺が食べさせるのか」
「おまえのせいだろうが」
 直江の態度は実に厳しい。しかも部屋は現在普段よりも格段に温度を上げてある。幸村の体調に気をつかって、直江が温度を上げたのだった。そういうことにまったく気がきかないあたりが石田らしい、と直江に苦笑された。島だったらどれだけこっぴどく言われていたことか。
「じゃあもう行くぞ。今日は一日面倒を見ていてやれ!錠剤の半分は愛だからな、その半分くらい補ってやれ。おまえが」
「意味不明だ!」
 慌しく出ていった直江を見送って、ため息まじりに石田は振り返った。
 手には直江がつくったおかゆの入ったお椀。
 白い米の真ん中には、これもまた直江が持参した梅干が、堂々と鎮座していた。
「…おい、幸村」
「……申し訳ありません」
 今までの会話は聞こえていたことだろう。たいして広くもない部屋だ。
「食欲はあるか。食べれるなら…」
「わざわざ、作っていただいてありがとうございます…」
 消え入りそうな声で幸村はゆるゆると身体を起こした。
 熱が身体に巻いている状態なのだろう。立ち上がるだけで辛そうに見える。
 幸村の前にお椀を置いてみる。が、一人で食べられそうにはとても見えない。かといってじゃあどうすればいいんだ、と石田は固まったような状態で幸村を睨むばかりだ。
「置いておいてください。…いただきますので」
 石田は途方に暮れた。看病と言われたら、どんなことをしてやればいいのかさっぱりわからない。とりあえず買ってきた錠剤を用意して、あとは水を。そうしたら、もう後は何をするべきなのかわからない。
「…早く食べろ。そうしたら、薬を」
 だから思わず急かすような言葉を並べてしまう。
 そうじゃなくて、とは思うのだが、いかんせん言葉に不自由だ。
 幸村は直江がつくった粥を口に運んだ。幸村の為に冷房の温度はいつもより高めに設定している。テレビは幸村が嫌がる気がしてつけていない。本でも読めばいいのかもしれないが、今はちょうど読みさしの本もない。 やはりそうなると幸村を睨むように見つめるしかなくなってしまう。
「…おいしいです」
 消え入りそうな、掠れた声の幸村に、石田はそうか、と仏頂面で頷いた。昨日から今日にかけて、彼がつくった(といっても電子レンジを使うものばかりだ)ものは全て幸村の口には合わなかった。
 こんなものでよかったのか、と憮然として俯く。
 誰かの看病をすることなど一度もなかったし、ましてや誰かのために料理をすることもこれまでの人生で一度もなかった。直江に言わせればレシピなんぞネットでも検索しろと叱咤されそうだったが。
 とにかく、そういう些細な事も気づけない程度には石田は混乱していたし、幸村は憔悴していた、と思う。
 半分くらいを残して、幸村はもういいです、と言った。
 やはり味や何かが彼のいたところと違う為か、それとも熱のせいか。
「これを、二錠だな。水と一緒に飲め」
 キンキンに冷えたペットボトルの水を差し出せば、幸村はまたありがとうございます、と消え入りそうな声で言った。
 錠剤を水で流し込んだのを確認すると、ふと幸村が顔を上げた。
 もうずっと申し訳なさそうな顔をしていて、一体何が彼をそうさせているのかがわからない。
「あの、…がっこう、には行かないのですか」
「……別にいい。ノートは島に借りればいいし、適当にやる」
「ですが…その、私のせいではないかと」
 その言葉に、石田はムッとして幸村に毛布をかぶせた。さっさと寝ろ、とばかりの態度に幸村は言葉を失ってもぞもぞと布団に横たわる。やはりどこか居心地が悪そうだ。
「…俺がいけないんだから、いいんだ」
「……そんな」
「いいんだ!」
「は、はいっ」
 思わずきつく怒鳴りつければ、幸村は布団の中でびくりと肩を震わせた。
 それにしても本当にこの男が、こんな風に熱を出して普通のベッドに横たわるこの男が、あの戦国武将の真田幸村だとでも言うのだろうか。
 日本史はあまり詳しくないが、それでも真田幸村という名前は知っている。
 何をしたんだったかはあまり詳しくはないが、たしか何かの戦で徳川家康の首に一番迫った武将だ。
 石田の知識の中にある真田幸村といったらその程度だ。
「…おまえ、本当に真田幸村なのか?」
「…はい」
 部屋の片隅に追いやられた彼が着ていた物々しい鎧をちらりと見遣る。
 あの鎧についた傷の一つ一つが、彼が本物であることを訴えているように思えた。そして幸村の肌についた傷の一つ一つにも。
 冷房に体調を崩し、テレビを嫌がり、夜に煌々と明かりのつくのを居心地悪そうにする。食べ物はほとんど今の味では受け入れられない。
 部屋の中の時計のリズムを、彼の耳は雑音ととらえて神経を詰めるような。
 こんな奴が現代にいたら、やはり浮いてしまうものだ。
 当初はよく出来たなりきりかと思っていたのだが、今ではもうそれも否定せざるをえなかった。
「そうか…」
「信じて、いただけますか」
「………」
 ほとんど無感情に幸村にかけてやった毛布を剥いだ。それからTシャツをめくって、彼のわき腹にある傷を見つける。
「な、な…!?」
 思いがけない事をされて、幸村は困惑している。やってみてから石田自身も何やってるんだという自己ツッコミをしてしまうほど唐突だった。
「その傷が」
「……」
「嘘には思えんしな」
 それからまた、ばたばたと毛布をかけてやった。幸村は何故だか少し安堵したようで、今まで力ない笑みばかり浮かべていたのに、どことなく元気になったように見えた。
「……か、買い物にいってくる!」
「はい」
 こんな真夏の昼日中、外に飛び出すのなんて普段ならばごめんなのだが。
 しかし、部屋にいるにはいたたまれなかった。
 慌てて飛び出して、ドアを閉めた瞬間に気づく。
「あ」
 財布がない。
 思わずアパートの廊下の手すりに寄りかかって、深いため息をこぼした。ああ、もう本当に最悪だ。何考えてるんだ、と頭を抱える。じんわり滲む汗の不快さにも気づかないくらい、動揺していた。



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