とりこ |
夕刻前の弱い陽の光を、厚い雲が遮った。障子一面に影が差し、閉めきった室内は薄暗く沈む。 背後に回された両腕は自由を失っている。戒める縄は、力を込めても緩む様子はない。 きつければ言ってくれ、と、控えめな気遣いの言葉に苦笑を漏らし、幸村は縄をかけられた己の体を見下ろした。 「おかしな事を言いますね。きつく縛らねば意味がない、でしょう?」 「……そうだな」 答えた声の調子は平坦で、けれどその奥に少しばかり動揺の色を伺わせる。なぜ今更動揺など見せるのかと、考えれば少し可笑しくもあった。息だけで密かに笑えば、俯いた幸村の髪が僅かに揺れる。 「虜囚の、辱めを受けようとは……」 漏らされた呟きに僅かに目を瞠った後、幸村を見下ろす三成の口元が緩く弧を描く。 その、薄暗い空間に、唐突にすうと光が通った。 「……お二方。何してんのか聞いてもいいですかね」 声もかけずに引き開けられた戸口に、嫌そうな様を隠しもせずに立っていたのは、大量の紙束を抱えた左近である。 「これは左近殿。お恥ずかしいところを」 後ろ手に縛られたまま恥じた様子で会釈する幸村と対照的に、三成は口元を開いた扇に隠して視線を逸らす。音にされなかった盛大な舌打ちの気配を無視して、左近は抱えた紙の束を書院の床にどさりと下ろした。 「なに、政務を放り出して遊んでいた殿がこの通り平気な顔をしているんですから。真田殿が恥じる事はありませんよ」 政務に集中している時の三成は、声をかけても生返事であることが多い。機嫌が悪い時などは煩いと怒鳴られる事すらある。だから書院に限っては許可もなく入室するのが常となっていたのだが、今日ばかりは左近はその習慣を後悔した。 三成に頼まれた膨大な量の資料を苦労して探し集めて、持ってきてみれば出迎えたのは労いではなく、緊縛もどきの光景である。 志に惹かれたとはいえ早まったかもしれないと、ここ最近、主が幸村に懸想するようになってからというもの時折脳裏を過ぎるようになった後悔を、溜息に変えて書類と一緒に床へと落とした。 「あの、ご政務の邪魔をして申し訳ありません。頼まれて茶を持って参りまして、直ぐに下がるつもりだったのですが」 「構わん幸村。引き留めたのは俺だ」 「ほほう。茶を運んで下さった真田殿が、何がどうなると殿に縛られる羽目になるんでしょうねえ」 嫌味たっぷりに言ってやるが、三成はしれっとした顔で開き直っている。 「なに、幸村にな。息抜きがてら、敵将を捕らえた時の練習台になって欲しいと俺が頼んだのだ。いざという時に要領がわからず、手間取って逃げられたでは話にならぬだろう」 それは今ここで息抜きにするようなことなんですか。 っていうかあなた単に真田殿を縛ってみたかっただけでしょう。 と、突っ込みたい気持ちはぐっと我慢の左近である。口にすれば後が怖い。 「虜囚がどうたらってのは何です?」 指摘に、幸村は首を傾げて照れ隠しのように笑みを零す。 「いえ、雰囲気が出るかなと思いまして」 「さすがだ、幸村」 何がどうさすがなのかと。 脱力してその場に崩れたい気持ちになりながら、左近は頭をひとつ振ると気を取り直した。 「それじゃあ殿、資料はここに置きましたから……」 「わかっている」 この場に長居しても無駄に疲労感が蓄積するばかりで意味がない。さっさと退散するに限ると左近は障子に手をかけ、しかし閉じる前に釘を差すことは忘れない。 「ああ、練習だか何だかも結構ですが政務の方もお忘れなく。それと、あまり真田殿に迷惑をかけるのは感心しませんよ」 「全くその通りだ! 感心しないぞ三成!!」 左近の手で閉じかけた障子が、すぱんと豪快な音を立てて再び開かれた。 と同時に、室内へと飛び込んできた護符が、どういった仕掛けでか整然と宙を舞う。腕の一振りでそれらを従えた闖入者は毅然と顔を上げ、強い視線と声をもって高らかに宣言した。 「そのような愛のない縛り方など、例え幸村が許したとてこの直江山城が許しはしない!」 壁に耳あり障子に目あり、義と愛の不在に仕置き人直江兼続ありである。 「兼続殿!?」 「兼続お前、上杉に戻っていた筈では」 それも確か昨日兼続からの文を受け取ったばかりで、そこにはしばらく越後から動けそうにないと書かれていた。慌てて文箱をあけて文を確認する三成だが、やはり記憶に相違はない。 「愚問! 義と愛の前には距離や理由など無に等しいのだ!」 「わけのわからないことを言うな。理由はともかくとして距離を無視するのは非常識ではないのか」 「非常識はお前だ、三成! よって俺が愛のある縛り方というものを教えてやろうというのだ。なに、遠慮することはないぞ」 つかつかと室内に踏み込んだ兼続は、幸村を戒める縄を手早く解くと、乱暴に丸めて忌まわしいものであるかのように部屋の外へと放り投げる。 そこへ、放物線を描いてどこぞへと飛んで行く縄を目で追いながら、金の髪の大男が、廊下の角を曲がってのっそりと現れた。 「何だい何だい、縛るだとか何だとか物騒だねえ……」 頭を掻いて縄の消えた方向を眺め、室内をひょいと覗き、そして慶次は廊下に視線を戻してしゃがみ込む。 「ところであんた、何してるんだい?」 慶次の視線の先ではすっかり存在を忘れ去られている左近が、廊下から室内へかけて俯せに倒れ、この上なく邪魔な物体と成り果てていた。 「わかりませんか」 「わからないねえ」 「あなたのとこのアレに蹴倒されて踏まれたんですよ……」 恨みがましく訴える左近に、慶次は豪快にはっはと笑う。 「そりゃすまなかったねえ、あのお人は目的のもの以外は目に入らない節があるもんで。代わりに詫びと言っちゃ何だが、これ、食うかい?」 担いでいた袋から大きな饅頭を取り出して目の前に示され、左近は痛む体を引きずって起き上がった。饅頭に釣られたわけではないが、いつまでも伸びているのも情けなく、そんな些細な気遣いでさえあの仕打ちの後には心に染みるのがまた情けない。 「頼む兼続帰ってくれ。真剣に邪魔だ」 室内では渋面の三成が兼続へ向けてぴしりと扇子を突き付けているが、そんなものに兼続を止める効果などありはしない。兼続はどこからともなく縄の束を取り出し、それを高く掲げると幸村と三成の二人へ示して見せた。 「いいか、まず使うのはこの業務用麻縄!」 「業務用……とは、何の業務なのでしょうか兼続殿」 「こだわるな。職業に貴賤はないのだ、幸村」 「答えになっていないぞ兼続」 「三成も安心しろ。この麻縄ならば馬油でなめしてあるから質は柔らかく、素肌に巻いたとしても皮膚は傷まぬ」 素肌、との発言に、一瞬にして何かを想像してしまったらしい三成が口元を、正確には鼻を押さえて顔を背ける。 「そして色もこの通り赤いものを選んできた。赤は幸村に似合うだろう」 「いえ、私は練習台になっていただけで、実際に縛るのは敵将です」 そう言う幸村は、あくまで練習だという三成の言葉を信じている。鼻を押さえて何かを堪えていた三成は今度は良心の痛みに胸を押さえて俯き、そんな室内の様子を廊下に座り込んだ二人は饅頭片手に観覧している。 「あれだねえ、幸村は生真面目でいけないね」 「まったく同感ですね」 「ところで俺ぁ渋い茶が怖いんだが」 「そんな事言っても駄目ですよ」 すげなく断られた慶次は室内を見回すと、幸村が運んで来たきり存在を忘れられていた茶を見つけ、嬉々として奪って廊下に戻ると一息に飲み干す。それを見た左近は億劫そうに立ちあがり、結局自分の茶と、慶次のための二杯目を運んできて再び廊下に腰を下ろし、何もわざわざこんなところへ戻ってくる事はなかったんじゃないかと茶を口につけたところで思い至った。 けれど今からでも逃げておいた方がと考えた矢先に、まるで思考を読んだかのように目の前に新しい饅頭が差し出される。 「どうだい、もうひとつ食うかい?」 「んじゃまあ、ありがたく……」 「ふむ。詳しい事情はわからんが、今縛るのは幸村なのだろう?」 「それはそうですが」 「これ、美味いだろう」 「なかなかですね。どこの店のです?」 「兼続お前、事情がわからないのなら口を出さねば良いとは思わないのか」 「何を言う。友が愛のない真似をしているのを目の当たりにして見過ごせるわけがなかろう」 「それが貰いもんでな、わからねえんだ。今度会った時に聞いておくさ」 「いえ、ですからこれは敵を捕縛したときの練習で」 「といっても私もあまり種類は知らぬのでな。幸村、菱縄縛りと亀甲縛りのどちらが良いか選んでくれ」 さらりと言われた言葉に室内の二人は揃って固まり、廊下では左近が啜っていた茶を吹き出した。動じていないのはおおらかに笑っている慶次のみである。 「いやあ、予想通りだねえ」 「予想してたなら止めようとか思わなかったんですか……」 「あれを止められるのは、謙信公か景勝さんくらいのもんじゃないかい?」 「待ってください! 兼続殿は何か勘違いをしておられます」 声をあげた幸村の肩を、兼続の両手が力強く掴んだ。無駄に澄んだ視線が幸村の目をまっすぐに射る。 「聞いてくれ幸村。私は、友として、友情をもって、三成に愛のある縛り方というものを教えねばならんのだ。……お前ならばわかってくれるな?」 強調される友情という言葉と兼続の真摯な瞳に覗き込まれ、幸村がたじろいた。 「兼続殿……」 「待て幸村、流されるな!」 兼続の洗脳光線を阻むように、両手を広げた三成が、幸村と兼続の間に割って入る。 「如何にお前が知音とはいえ、俺の目の黒いうちは幸村にそのような不埒な真似はさせん! どうしても縛りたいと言うのならば、代わりに」 「三成殿!?」 慌てた幸村は立ちはだかる三成の腕を掴むが、三成は頑として動かない。 「おやめください三成殿! 三成殿が私などの身代わりになって縄を受ける必要はありません!」 「いいのだ幸村。お前の代わりに受ける辱めならば俺はどんなことでも耐えてみせる」 「辱めなどであるものか! 私は愛を教えてやろうと」 「かーっ、身を呈した友情か! 痺れるねえ」 「ま、あんなこと言ってますけどね、ちょっと見たいと思ったに違いないですようちの殿は」 声を潜めたにもかかわらず、次の瞬間、力任せに投げられた扇の一撃が左近の側頭部を襲った。注意一秒怪我一生。言った言葉は取り消せない。 短く悲鳴を上げて崩れる左近を見遣り、三成は小さく鼻を鳴らす。 「代わりに、左近を縛れば良いのだ」 「ふむ。私はそれでも構わんが」 「だ……大丈夫ですか左近殿!?」 「ああすまぬ左近、手が滑った」 昏倒した左近の襟首を掴んで起こし、兼続が目を丸くしている幸村を振り向く。 「そういえば菱縄縛りと亀甲縛り、どちらが良いかまだ聞いていなかったな」 「え、しかしその、私にはどちらもよくわからないのですが」 「なに、大差ない縛り方だ。直感で選んでくれて構わない」 構わないと兼続は言うが、選んで、そして犠牲になるのは左近である。止めなければと考えを巡らせようとした幸村の脳裏に、信玄との会話に横入りされ続けた武田での日々が蘇った。 結論:まあいいか。 幸村は口元に手を当てて、少しの思案の後に顔を上げる。 「菱縄、……ではないでしょうか」 言葉を受けて、兼続が頷いた。 「菱縄縛りも亀甲縛りも見た目が美しい緊縛方法だ。よく似ているので間違われ易いが、亀甲縛りでは六角形になる部分が、菱縄縛りでは名前の通り菱形になる」 「ふん、信じられんな」 「では試してみるぞ」 「……って、何言ってんですかあんた方!」 「三成、押さえていてくれないか。まずこのように結び目を作ってだな」 正気付いた左近が抵抗するが、成人男性を片手で持ち上げる三成の尋常ならざる腕力に敵うはずもない。 それを面白そうに眺めていた慶次は饅頭に齧り付くと椀を持ち上げ、口に運ぼうとして中身がなくなっていることに気付き、部屋の入口で所在なさげに座っている幸村へとそれを示した。 「すまねえ幸村。俺ぁ茶がもう一杯欲しいんだが」 「わかりました。持って参ります」 笑みを浮かべながら立ちあがろうとして幸村は、ふと、床に付いた片手の手首を目に入れてぎくりとした。そこに残るのは赤く擦れた、三成に縛られた縄の痕。改めて見ればえも言われぬ羞恥に襲われる。 「悪いねえ。お前さんの分も持って来な。饅頭はまだまだあるぜ」 慶次の言葉に顔を伏せてひとつ頷き、喧噪を背後に歩き出す幸村の顔が僅かばかり赤くなっていた事に、気付くことができた者は一人としていなかった。 |
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ふじーさんからいただきましたぁぁぁ!!! オンリーで新刊出せたら三幸ね★という約束を取り交わしていたのです!!!!! ちょっもう最高だよアンタァァァ流石だ藤井ィィィ(落ち着いて) 左近の報われなさ最高です。兼続のマイウェイっぷり最高です。慶次のマイペースっぷりも最高です。三成と幸村がほんのり両思いじゃないかぁぁぁってとこも最高ですアアアア。顔赤くしてる幸村を私がしばりたい!!(爆) ありがとう!!ありがとう藤井さんんん!! さてそのオンリーの時の約束では、私も兼続をあげねばならんわけですが!どうしよ! |