うちの殿が真田の次男坊に懸想してるのかって? ええ、そりゃあまぁ見ての通り、でしょう。 そんなこと言うが野暮ってモンですよ。 ですがねェ、ありゃ、殿の一方通行ってヤツでして。 真田の坊ちゃんはと言えば、これまた全くそんな自覚がない。 困ったもんですね。 傍から見たら一目瞭然だってのに。 ああいうの何ていうんですか、餓鬼? まあ歳若いから純情ってのもあるんでしょうが、あれはもう天然ですね。 あそこまで鈍だと殿が可哀想と言うか……いえいえ、そんなこと殿に言ったりなんかしませんよ。 言ったらアンタ、首が飛びますって。クワバラクワバラ……。 そうそう。 そういえば、こんなことがありましてねェ。
その日、石田三成は珍しく普段の雑務から離れ客人を持て成していた。 とはいっても正式な客人ではない。 正式な客人ではないが……左近にとってはそれ以上に気を遣う客人ではあるのだ。 相手は何といってもあの真田幸村だ。 確かに真田といえば彼の父である昌幸は僅かな兵で徳川から城を守ったりと、音にも聞く智将ではある。 幸村自身も勇猛果敢な武将と謂われている男だ。 だが。 こうして左近がピリピリと神経を張り詰め逐一客人の動向を窺うほどの客ではない。 寧ろこんな事をしなくても幸村は怒る男ではないし、左近は幸村が武田家に仕えていた頃から知る仲でもある。 昨今では三成によく会いに来るせいか左近とも気楽に言葉を交わすようになっていた。 そう気楽に、だ。 本来ならば、それで構わない。 だが、そこに一抹の「想い」が――左近にはお構いなしに――入ってくるから話は別物に変わるのだ。 左近は茶を出す頃合を計るため気配を殺し、そっと三成と幸村のいる部屋に近づいた。 中からはポツポツとではあるが和んだ雰囲気で談話をする二人の声が聞こえてくる。 左近は会話がどの程度進行してどれほどで途切れそうになるかを見極めるが為、聞き耳をたてた。 すると、如何だろう。 今まで和気藹々と話す二人から、ちょっと妙な空気が流れ始める。 「ぁ、あの幸村……その、今宵は……」 「はい? 今宵、何かあるのでしょうか?」 「いっ、否特に何もないのだがな! ……その泊まって……」 「泊まる? よいのですか!」 「い、いいのか!? そ、そうか。でで、ではその俺と……」 「丁度慶次殿と後ほど会おうという話になっていたのですが……その私、遊郭に泊まるのはどうも苦手でして」 「は?」 「こちらに来る前に偶然お会いしたのです。いやぁ、偶然ってあるんですね。それで、遊郭にでもどうだい、と言われまして。私はそういったところは苦手ですのでと一度はお断わりしたのですが、どうしてもと言うことでしたので女を呼ばない泊まらないという約束で承諾したのです。これから城下に下りて宿でも探そうかと思っていたところなのですよ」 ……たぶん、包み隠さず全てを悪気無く笑顔で言っているに違いない。 左近はゾッとして真っ青になった。 まず第一に、慶次が幸村がここに来る前に会ったという事が問題だ。 三成は前田慶次に対してあまりいい感情を抱いていない。 それから幸村がこちらに来ることはお忍びということでもないから誰が知っていても構わないのだが。 だが。 (待ち伏せしたな、あの傾者め……) そして第二に。 遊郭だ。 元々潔癖な帰来がある三成にとって遊郭と言う世界はもう、論外。 好んで行くヤツの気が知れない、外道だ。と左近はどれだけ嫌味を言われたことか……。 そんなところに幸村は誘われ、仕方なしとはいえ行くと言うのだ。 しかも遊郭だと言うのに女は呼ばねェ、泊まらねェときたら……何するんだ?と言う話だ。 まさか男二人でこのご時勢に密談、謀反なんて事もなくはないだろうが、あの堅物の幸村と御家だ何だということに一切無頓着な前田慶次だ。ありえない。寧ろありえるとしたらもっと別のことだろう。 (まぁその、床は幾らでもあるわけですし) 人払いを頼めばそれこそ……だ。 き、危険すぎる……。 三成がそんな妄想を膨らまさないわけがない。 なんせ幸村に関しては、その本人が一番そういった事を狙っているのだから。 きっと心の中で善からぬ妄想の嵐が吹き荒れているに違いない。嗚呼、違いない。 「……はは。そうか。それ、ソレハヨカッタナ幸村」 殿、笑顔が引き攣ってますよ! と左近は見えもしないのにそっと心の中で突っ込みを入れた。 「はい! あ、三成殿。私、ちょっと厠へ……」 「ああははは、どうぞどうぞ」 動揺のためか怒りのためか三成の言動は変だ。 だがそれに気付いていないのか幸村はあくまで朗らか。つくづく鈍な男だ。 嗚呼殿、やっぱり怒ってるんですね! でもそれについての怒りをぶつけられるのはいつも俺の役目ですよね!? と左近は切ない気持ちを抱いたまま、開かれようとする襖から素早く移動し、厠へ向かう廊下の曲がり角で幸村を待ち伏せた。
くるり、と角を姿勢よく曲がる幸村の前にムクッと巨体が現れた。 勿論、左近だ。 突然現れた左近にぶつかりそうになり幸村は「わっ」と小さく悲鳴をあげ、後ずさった。 体格では幸村も負けてはいないが、左近の方がいくらか上背があるため、自然と幸村が左近を見上げる形となる。 「ああ驚いた。左近殿ですか。お怪我はありませんか」 気の抜けたような台詞に左近は「ええ、何処も」とつい、口をついて出たが先程の三成の言動を思い出し頭を振るう。 「ええ、怪我はしてませんよ。してないんですけどね、これからする予定というかされるというか」 そうブツブツと言い始める。 「ええ?な、何か危険なお役目でもあるのですか?」 幸村は怪訝そうな瞳で首を傾げる。 左近は数瞬ほど固まった。 幸村のその仕草がまた……大の男とは思えぬほど、可愛いかった……。 困ったことにこの真田幸村と言う男、時折こういう仕草を誰彼構わず見せる。 まさに色気の垂れ流し、だ。 しかも幸村本人にそんな気のないところがまた、始末に悪い。 そういった「趣味」のない左近でさえそう思うのだ。 本当に自覚がなさ過ぎる、と思う。 (自覚がない……そうか、ならば思い知らせてやればいいのか) 不意に、そんな悪い考えが過ぎった。 だが今四の五の言っている暇はない。 この後待ち受けるのは……いびりだ。折檻だ。職権濫用だ。 それだけは勘弁だ。 「ああそうですよ。そうなんです。俺には大事な使命が待ってましてね……幸村、アンタを信用して言うが……これからすることは他言無用。アンタは何も聞かなかった見なかった、そう、出来ますね?」 いきなりそんな事を捲くし立てられ幸村は一瞬、キョトンと目を丸くしたが、元来素直な性格のためか左近を信用してか、 「はい! 勿論です。この真田幸村も武士の端くれです。ご命令は必ずや成し遂げます!」 と息巻いた。 左近はいよいよ「しめしめ」と笑うのだった。 「そうか、悪いな。お前さんならそう言ってくれると思ったよ。それじゃあ……」 グイと幸村の両肩を掴み、息が掛かるほどの距離まで顔を近づけた。 「え……あ、の?」 「アンタね、もうちょっと殿のこと気遣ってやってくださいよ。怒られんのは俺なんですから」 堪ったもんじゃない、と溜息を……耳に吹きかけてやる。 「……! っあ……ぅ」 たぶんそんな事をされるとは思っていなかったのだろう。幸村の口からは思わず、と言うように甘い吐息が漏れた。そうした本人が一番驚いているようだし、頬を染め動揺している。 お前、武士のクセにその軟弱さは何だ! と叱ってやりたい。嗚呼叱ってやりたい、叱ってやりたいとも……。 だがそれは左近の言い訳だ。叱ってやりたいと思うよりももっとからかってみたいという出来心が何処かで疼いていた。 非常にまずいような気がする。 「あ、あ、あの、左近殿?その、三成殿に気遣うとは、その……」 おずおずと訊ねてくる幸村は、上目遣いに困惑したような表情を作る。頬はまだ少し赤いままだ。 こん畜生、この期に及んでまだそんなことを抜かすか! 左近は何かによって理性が吹き飛ぶようなそんな恐ろしい感覚に見舞われる。 だがここで言わねば男が廃る、ええいままよ、とばかりに掴んだ幸村の肩を更にグイと引き寄せた。 「……こうゆうことですよ。アンタは非常に鈍いんです。鈍すぎだ。うちの殿がどれだけアンタのその色気にやられてるか、気付いてないでしょ。確かにうちの殿は奥手でそういう色事に関しちゃからっきしですけどね、気付かなすぎるアンタも悪い」 「い、色気?私はそんなつもりは……」 「いーや。アンタが意識しなくとも出てるんですよ。そうゆうのは。もっと自分がどうゆう男か意識しなさいって。そうゆう表情とか、誰彼構わず振りまいてると仕舞いにゃ襲われるぞ」 例えば今ですね、そう言って左近は幸村の耳朶を甘噛みする。 「ひゃっ!」 「ほらほら、ちったぁ抵抗しろよ。ったく」 幸村はジタバタと左近の腕の中でもがくが左近の身体が更に密着するだけで何の効果もきたしていなかった。 「な! 何をするんですか左近殿。こんなことをして許されると……」 ふうん、と意味深な視線を送ると、 「そういいますか。そのわりにゃぁ本気で抵抗してないような気がしますけど」 「あ、当たり前です! それこそ友のよしみです!! 本気でしていいならとっくに……」 「本気でしときなさいよ。じゃないと……」 幸村はドン、と音をたてて廊下の柱に身体を固定され、頬を乱雑につかまれ顔を上向かされた。 本気で襲いますよ、と左近は声色を下げて囁き――口を吸う。 「んっう……はぁ……っ」 最初は緩い動作で舌を差し入れ、それから激しく口内を掻き回す。暫くすると、抵抗していた身体が次第に弛緩し喘ぎにも似た吐息が漏れ始めた。 左近は幸村の口内を十分に堪能すると、ゆっくりと唇を離してやった。 幸村の濡れた唇が日の光に晒され艶めくように輝いていた。 それはやっぱり男心をくすぐるもので、左近は「ああ、もう一回してぇなぁ」などと不謹慎にも思う。 だがそれも束の間。 次第に幸村の目元は潤んでいき、大粒の涙が溢れ出していった。 「ええ! おい、泣くなよ。初めてでもあるまい」 「ひ、酷いです。そりゃ初めてではありませんが……男からこんな屈辱を受けるとは……」 「えええ。ちょっと待て。お前、武田にいた時、そのう……あの助平親……いや、信玄公から何もされなかったのかよ」 「お、御館様が私に何をするというのですか!」 正直、驚いた。 信玄と言えば色事に目がなくその昔は側室が三十人いるとも謂われ、小姓の幾人かもお手つきがいると聞いていたため、容姿の悪くない幸村もてっきりあのオッサンから「そっち」の洗礼は受けていると踏んでいたのだが……。 (あ、あのオッサンが手出してないとはご、誤算だった) と、いうことは……もしかして……まさか……。 「あの、幸村さん? もしかして男とこんなことすんの初めて……」 「当然です!」 うわ。やっぱり。やっぱり殿も手出してなかったんですね! 左近は心の中で激しく動揺した。 (まずい。まず過ぎるだろ俺……殿より先に手出して……如何する俺!) まあでも、しちゃったものは仕方ないし、そう腹を括ると顎をしゃくり不敵に笑った。 「いやまあねェ、でもこれでアンタもちっとは守備固める気になったでしょ。まあうちの殿の前では甘くしといて頂きたいですが」 「み、三成殿に何の関係が……」 「だってアンタ、殿に好きだって言われたでしょ」 「はい。それが何か?」 「アンタも殿がお好きで?」 「それは勿論」 「ついでに言っときますが殿の好きは今俺がしたみたいなことしたい、というのが含まれてます」 「え……」 「……本気で気付いてなかったんですね……」 左近は暗澹たる気持ちを隠せず、ガクッと肩を落とした。 「もう、いいです。兎に角、今すぐ戻って殿に、今夜は三成殿から離れません! とでもいって来い」 「な、な、な! 何故そんな事を! そもそも私は今夜は慶次殿と……」 「いいから! つべこべ言ってるともう一回するぞ」 幸村は青褪め、及び腰になる。 「さあ、行った行った。慶次には俺から上手く言っといてやるから。今夜は一歩も外に出るんじゃないぞ」 腑に落ちない、という顔をしながらも左近に背中を押され渋々ともと来た廊下を歩き出した。 左近はその背に向かって、 「あ。何なら今度床の鍛錬も付き合ってやりますよ」 そうニヤニヤ笑いながらいってやった。 幸村は耳まで真っ赤にした顔を振り向かせ、 「結構です!」 と、駆け足で三成の下へ逃げ帰っていった。
何てねェ。 我ながら大人気ないとは思ったんですけどね、まあその、据え膳喰わねばってヤツですよ。 まあこれでアイツもちっとは学習したと思いますしね。 ああ、そんなわけで今夜はこっちにゃ来れないってことで……。 まあまあ、祝ってやってくださいよ。 曲がりなりにも色事のイの字も出てこないような野暮なうちの殿と、堅物で天然の幸村が多少なりとも惚れあってるわけですし。 目ェ瞑ってやってください。 そこんところ、慶次殿にも宜しく伝えて……と。 ところで。 そういや、何でアンタがこちらにいらっしゃるんです? 兼続殿……。
「ほう。それを私に聞くかね」 しんと静まり返った座敷にその男の低いが張りのある声はよく響いた。 他所の座敷から漏れ聞こえる三味線やらお囃子の声が遠く聞こえてくる。 左近は傾けた銚子を止めると、眼前にいる男を注視した。 酌を受け、酒を一口啜る直江兼続は目線だけを島左近に向ける。 その様は異様な妖気が漂ってくるようで、左近は一瞬気圧された。 だが兼続はすぐにそんな妖気を引っ込め、いつも通りの笑顔を左近に向けると口を開く。 「いやはや。そなたの軍略も大した事はないな」 そう、ざっくり斬りつけてくる。 通常であればこんな事を言われて黙っている左近ではないのだが、この時ばかりは……本能が黙れと囁いていた。 「慶次が何故ここにいないかだって? それはな、彼奴は当て馬だったからさ。私が幸村を遊郭などに誘えば幸村が私に間違った印象を持つかもしれない。それは困る。だが遊び馴れた慶次であれば幸村も不審がる事はなかろう。それでここまで呼び出して、慶次は私用が出来てこれなくなっただのといって私がここに現れる算段だったのだが、な」 一気に捲くし立てると、兼続はそこで顔を上げにっこりと笑顔を作った。だがその目は笑っていない。笑っていないどころか……目が据わってこめかみが引き攣っている。 非常に、マズイ気がする。 左近はじり、と後ずさった。 まるで蛇に睨まれた蛙の心境だ。 逃げたい。否、逃げなきゃまずい。本能が逃げろと囁いている! だが、動けない。 何故!? 「成程。それで貴殿がここに来たと言うわけか。ん? 如何した。青褪めた顔をして。まさか身体が動かないとでも?」 「な、何故それを……」 嫌な汗が額から吹き出る。左近はそれをふき取ることも出来ずただ狼狽た。 この身体の痺れるような感覚はまさか……。 「そうだろうなぁ。よもや私が来る前にやり始めてるとは思わなかったしな」 兼続は止める間もなかったな、と空になった銚子の中の一本を振る。 「ま、まさか一服盛った、のか……」 「人聞きの悪い。何もそなたに盛ったわけではないぞ。幸村に飲ませる筈だったものだ。そもそも毒見もせずガバガバとやり始める貴殿も悪い」 互い様だ、兼続はそういうと鼻を鳴らして笑った。 怖い、怖すぎるこの男……その笑顔の裏にこんな顔を隠し持っていたなんて……! 「なぁに心配することはない。ただの痺れ薬さ。そのうち良くなる……がその前に、貴殿の処遇を如何するかな」 「な……どうするつも、りだ……」 「さて。貴殿曰く、据え膳喰わねば……というらしいしな。如何料理しようか?」 膳を跳ね除けにじり寄り、左近に顔を近づけて笑う兼続は……壮絶に恐ろしい。 左近は全身の毛穴から汗が噴出してくる感覚に思わず震えた。 これは薬だけのせいではない。 ……恐らく今置かれている環境――貞操の危機に震えが来ているのだ。 「さあ、愉しませて貰おうか」 「ひぃ! お、お助け!!」 情けなくも半泣きになりながら叫び声を上げる左近に兼続は笑いながら容赦なく近づいてくる。 左近の脳裏には「あの時幸村にあんな事謂わなけりゃ」だとか「何でこんな展開に!」だとか「兼続って幸村のことが……!」と思考が走馬灯のように走り抜けていった。 だが今更何もかも遅いのだ。 左近の目は悔し涙に目の前が霞んでいった。 今宵の夜は、長く辛いものになりそうだ。 どっとはらい。
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