ゆきのひのはなし 3 兼続編




 幸村はぼんやりと一人、雪の中に佇んでいた。あともう少しすればきっと、幸村の上に雪が白く積もり始める。放っておけば雪だるまの出来あがりだ。
 何をするでもなく足跡のない雪の上を眺めていた幸村は、人の気配を感じて振り返った。
「風邪をひくぞ」
 微笑む兼続は幸村と同じく雪の冷たさも空気の鋭さも知らぬ素振りだ。二人の吐く息は白いが、苦笑しながら近寄ってくる兼続はまったくもってその寒さにこたえた様子がなかった。
「兼続殿こそ」
「私は寒いのには慣れているからな」
 言いながら、足許の雪をさらうと軽く握って幸村に投げてきた。肩のあたりにぶつかったそれを見て、幸村も同じように雪玉を作って兼続へ投げつける。
「お、やるか?」
 しばらく二人で笑いあっていれば、幸村の雪玉を頭にくらった兼続がそのまま雪の中へ倒れた。大の字になって倒れ、そのまま立ち上がらない。いくら寒さに強いとはいえ、そんな風に倒れ込んだままでいれば体温はすぐ奪われる。思わず覗きこむように様子を探れば、近寄った足を兼続が引っ張った。ただでさえ地面の上とは違い、積もった雪の上のこと、あっという間に均衡を崩して幸村も倒れ込んだ。兼続のすぐ隣だ。
「あはははは!私の勝ちだな!」
 大きな声で笑う兼続に、幸村は雪まみれのまま顔を上げた。さすがに水っぽい雪だけあって、触れた雪は重く感じる。
 幸村の体温に雪はすぐに冷たい水になったが、それは兼続も同じだ。何をやっているのやら、と思わず苦笑すれば兼続も同じように笑った。
 そうして、兼続がずっとこちらを見つめてくるのに気がついた幸村が首を傾げる。
「どうしたのですか?」
「雪の中で見る景色が違うなと思ったのだ」
「……こちらの雪と米沢の雪とでは、だいぶ違うんでしたね」
「それに幸村がいるしな」
「………」
 さらりと言ってのけると、兼続は身体を反転させた。仰向けに倒れていたのを腹這いになって、頬杖をつく。一見普通の動作だが、二人がいるのは雪の中だ。寒いはずだが、やや我慢大会のような様相だった。
「雪で行き来が出来なくなると、やはり寂しい」
「そうですね」
「だからこそ、春になると喜びもひとしおだがな」
 冬になると兼続は米沢から出られなくなる。それについては三成がぼやいていた事があった。三成の政務の話などを、外の視点から見てはっきりとものを言える兼続は、やはり三成にとって特別な相手だ。もっとたくさん話したいことがあっても雪が邪魔をする。だからこそ寂しい、という言葉に幸村は素直に頷いた。
「では兼続殿は春が好きなのですか?」
「そうだなぁ。だが冬が長いからこそ、春も夏も秋も冬も、美しさが違うと感じるよ」
 頬杖をつきながら、兼続の視線は周囲の雪を眺めている。愛しむものを眺めているようで、その表情に幸村は目を奪われた。
「…たとえば春はどんな感じですか?」
「春は、やはり白以外の色が全て瑞々しい」
「夏は?」
「何もかもが生気に溢れていて眩しい」
「秋は?」
「穏やかな空と、目に優しい色合いの景色が穏やかな気持ちにさせてくれる」
「冬は?」
「一面の白は神秘的なほど静かで美しいぞ」
「…さすが兼続殿」
 思わず、といった様子で感嘆の声をあげれば、兼続は笑った。
「はは、何ならもっといろいろ言ってみようか?例えば」
「例えば?」
「そうだな、幸村のどこが好きかとか」
「……私ですか」
 しかしそこでどうせ嘘でしょうとは思えないのが兼続が兼続たる所以というべきか。深く聞き出すのはやめた方がいいかと思っていた幸村だったが、兼続の方からつっこんできた。
「ああ。いろいろ言えるぞ?まずはどこからいこうか?」
「…いえ、その」
「遠慮せずともいいぞ!」
「遠慮ではなく…その」
「はは、これだけ寒い中にいて顔が赤いぞ。風邪をひいたか?」
 わかっているだろうにそう言う事を言うのか、と幸村は少しばかり眩暈がした。確かに頬は熱い。だがそれは、兼続のせいだ。寒さのせいでも何でもない。
「……兼続殿」
「なんだ?」
「私も、あなたのどこが好きかたくさん言えますからね」
 幸村の言葉は精一杯の兼続に対する対抗だった。寒さの為とは到底思えない顔の赤さを目の当たりにしながら、さらに幸村からの予想外の反撃に少し驚いた兼続は、ぽかんと幸村を見つめた。
 どれくらいそうしていたかわからない。
「…はは…!これだから幸村は怖いな!」
「兼続殿の方がよっぽどですよ」
 やれやれとため息をつくと、頬杖をやめて、兼続がその姿勢のまま身を乗り出してくる。
「しかしそうか、なら聞かせてもらおうかな?」
 幸村は改めて実感した。しみじみとだ。
「……兼続殿は」
「なんだ?」
「案外、意地悪だと言われませんか?」
「そうだなぁ、よく慶次あたりには言われる。なぜわかった?」
「いいえ。いいですよ、聞きますか?今ここで」
 兼続の、真っ直ぐな感情表現も、誰に対しても態度を変えないところも、いつも自信に満ちて堂々としているところも、幸村にとっては兼続でなければ出来ないものだ、と思う。兼続らしい。
 その上でこうして少し意地悪を言うのも、たぶん親しくしているからこその表現なのだろう。幸村にしてみれば、憧れもするし、困ったりもする。

「何をしておる」

 は、と顔を上げれば、呆れた様子の政宗が仁王立ちして二人を見下ろしていた。
 途端に兼続がはぁ、とため息をつく。
「空気を読め、政宗」
「空気を読んで声をかけたのじゃ馬鹿め。おぬしら二人とも倒れる気か!」
「こんな程度で風邪をひくほど柔ではないぞ?」
「幸村は顔が赤いがな…」
「……はは」
 その赤い頬が意味するところを、幸村は深く弁明しなかった。
 兼続と幸村は、政宗に無理やり引っ張り上げられると、暖めてあった政宗の為にあてがわれた部屋で火に当たる。
 ぶつぶつ言う政宗に兼続と幸村は顔を見合わせて、それから思いだしたように、二人は二人して呟いた。
「そういえば寒いかもしれんな」
「そうですね」
 当たり前じゃ馬鹿め、と叱られて、それから二人は笑いだした。





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