ゆきのひのはなし 4 三成編




 雪が降った。幸村や兼続たちが足どめをくらっている。さてそれからだいぶ経った。まだ雪は積もっているが、三成の体調はだいぶ持ち直してきた。
 無論、清正や正則は三成より早く治っているのだが。
 幸村たちが大阪入りしているにも関わらず、あまり一緒にいる事が出来なかった事は三成にとっては手痛い損失だった。
 幸村たちが来たらまず兼続とは政務について、夜明かししてまで話し合いたいことがあった。
 そして幸村とは、もっといろいろいろんな話をしたいと思っていた。
「三成殿、お加減はいかがですか?」
 無論、一緒にいなかったわけではないのだ。幸村が途中ねねから変わって看病してくれていた。だが体調が悪い時では満足に話すことも出来ない。幸村の好みそうな店があるのだと連れていく事も出来ないのだから。いっそ次の機会を待つのこそが正攻法だろうが、この時三成は無理をしたかった。
「…あぁ、大丈夫だ。幸村、少し外へ…」
「駄目ですよ」
 しかしそんな三成の気持ちをまるきり無視して、幸村はぴしゃりと言い放つ。なかなかに今の三成には衝撃的だった。
「しかし、こう屋内にばかりいては…」
「駄目ですよ、三成殿は早く元気になっていただいて政務についていかなければ」
 幸村は笑顔で言い放つ。しかし今の三成はどうしても外へ行きたかったし、出来るなら幸村と二人きりで邪魔の入らないところまで行きたかった。
 だがこのままでは幸村は意地でもここを動かないだろう。
 見晴らしのいい丘も、美味しい茶と団子を出してくれる店も、全部幸村の喜ぶ顔が見たいからこそ外へ行きたいと言うのだ。しかし、そうとは言えずに三成は黙りこむしかなかった。
「………」
 こんな時、兼続だったらあっさり自分の思っていることを伝えるだろう。しかもさも楽しげに語るに違いない。正則も基本的にはまっすぐだし、清正は言葉を選ぶにしても伝えるべき事は伝えられる。だが三成は違う。言いたいこともなかなか言い出せない。特に、相手の顔色をうかがってしまう時などはその傾向が強い。本心を曝け出す時、とでもいうべきか。
「…私も、三成殿に茶の湯の心得など教えていただきたかったのですが」
「え?」
 一人で勝手に沈んでいる間に、幸村がぼそりと呟く。思わずその言葉に慌てた。
「私はあまりそういった方面に強くありませんので、三成殿にいろいろと教わりたかったのです。元気になられたら、教えていただけますか」
「あ…あぁ、勿論だ!」
「よかった。ありがとうございます」
 微笑む幸村に三成は何なら今すぐにでも、と言いだしてしまいそうだった。だが今までの流れからして、今日は何を提案しても駄目だと言われる気がする。
「…しかし俺は人に教えたことはないからな」
「そうなのですか?」
「あぁ」
「三成殿ほどの方なら、たくさんの方に教えてらっしゃるものとばかり」
「馬鹿なことを言うな。俺はあまり他人に好かれぬ性質だからな…」
「三成殿は誤解されていますね」
「…いや…」
「三成殿の言葉に耐えられぬのは、皆心のどこかにやましい事があるからでしょう」
「……俺はそんな大層なものではない」
「三成殿」
「な、なんだ」
「あなたはいつでも真っ直ぐで純粋な方です。ですから私はあなたに教わりたいと思ったのです」
「…ゆ…幸村、それは…」
 こういう時の幸村にはかなわない。三成が焦るくらいに真っ直ぐにこちらを射抜いて、爆弾のようなことをさらりと言ってのける。妙に眩しい気すらする。心拍数があがって、頭がぐらぐらする。実際これだけ真っ直ぐに、照れるようなことを言われて動揺しない人間なんているだろうか。
 悔しいくらい、幸村に振り回されているのだと知る瞬間だ。
 眺めの良い丘に辿りついた時に、今度幸村を連れてこよう、とか。ここがうまいんだ、と清正や正則に聞かされて、ならば幸村も喜ぶかもしれない、とか。そんな事を考えてははっとする。
 卑怯じゃないだろうか。
 こうして振り回されていると自覚するようになって改めて思うのだ。ああ自分は、幸村が女にもてる理由もよくわかる、と。
 好きだ、としみじみ思う。とてもじゃないが言えない言葉ではあるが。
「…おまえは他にもそんな風なのか?」
「は?」
「いや…その、すまん。何でもない」
 しまった、と思ったが遅かった。幸村は何事か考えている。言わねばよかったと思ったがつい口をついて出てしまった言葉はもう取り返しがつかない。
「………」
 自分にだけこうならいいのに、と思う。だがそうではないのだろう事もわかる。
 幸村はごく自然にそう言うのだろうから。
「何か気に障りましたか?」
「いや、違うのだ。気にしないでくれ」
「しかし…」
「…気にするなと言っている!」
 思わず苛立って声を荒げた。しまった、と思ったがもう遅い。後悔の波が連続で襲ってきた。やってしまった、と思い三成はしばし黙りこんだ。幸村も黙りこんでいる。せっかく少し前までいい雰囲気だったのに。
 いつもこうだ。いつも、いらぬ言葉や短気で。
 あまりに空気を重く感じて、三成はいてもたってもいられなくなって立ち上がった。部屋を出ていこうとすると、幸村が待ってください、と口を開く。
「………」
「どちらへ?」
「…どこでもいいだろう」
「…私がお邪魔でしたら、私が出ていきます。三成殿は病人なのですから」
 幸村の言葉に、三成はぐっと息を詰めた。
 ああ。そうじゃないんだ、と言いたい。だが言えない。じっと黙っていると、幸村が立ち上がった。放っておけば幸村はこのまま出ていってしまうだろう。
 放っておいて、また後悔する。
「ゆっ…幸村!」
「は、…はい」
「…っ、ここにいてくれ」
「え?」
「ここにいてくれ。頼む」
「しかし…」
「い、いてほしい…のだ」
「…いいのですか?」
「あ、当たり前だ。今のは…その、俺が…悪い」
「…?」
「俺が…癇癪を起こしただけだ。俺は…その」
 どう言えばうまく伝わるかわからない。どの言葉をどう繋げて声にのせればいいのだろう。普段普通にしている事が、こんな時はめちゃくちゃになってうまく言葉にならない。たどたどしくなって、どうにもならない。
「…ゆ、幸村に…その、ああ言ってもらえるのが嬉しい、のだ。だが、俺だけに言うのではないだろう、と…その…勝手に…思ってだな」
 誰かもわからない相手に嫉妬して、勝手に苛立っただけだ。
 と、そこまでは言えずに黙り込んだ。幸村はしばらく黙り込んでいたが、わかりました、と頷くと再び座り込む。
「三成殿」
「あ、あぁ」
「…ありがとうございます」
「…?」
「安心しました」
「……」
 ふ、と。
 笑った幸村の表情が、本当に安堵したように見えて、三成はついほんの少し前まで出ていこうとしていた身体の向きをかえ、慌てて座った。幸村の正面に。先ほどよりぐっと近づいて、その手をとる。
「み、みつなりどの?」
 突然の行動に驚いた様子の幸村に、三成は頭の中がぐるぐるするのを感じた。
 幸村の一つ一つ。彼の言葉に心拍数が高まり、その場にいなければ何につけ幸村を連想し、幸村が自分の事で感情を動かすのを見ると、どうにも今だ、今言ってしまえ!と。
 言えない、言わない、言えるはずない、と決めている言葉が胸の内から口を滑りだしてきそうになる。
「…っ、お、俺は…!」
 言いたい。怖い。伝えたい。かなうはずもない事が叶うと信じたい。幸村なら受け入れてくれるのではないか、とか。そんな事まで考えてしまう。幸村の本心から、自分の感情が報われなければ意味もないのに。
「俺、は…」
 だけど伝えたい。こんな風に突き動かされる事などそうそうないから、だからこそ。
 気がつけば酷く強く幸村の手を握り締めていた。しかし幸村は痛いとも言わない。ただじっと、三成の言葉を待っている。
(言わねば)
 待ってくれている、と思った瞬間に、どっと胸の中で今までせきとめていたはずの言葉も感情も、全てが溢れだした。
「俺は幸村のことが――…」



BACK