ゆきのひのはなし 2 清正編




 大阪を襲った大寒波による大雪は、大阪にいる彼らの具合を芋づる式に崩していまだ居座っている。
 たまたま大阪へ入っていた幸村や兼続、政宗たちが陣頭指揮をとって雪かきをして家屋の倒壊を防いだはいいが、さて体調を崩したそれぞれの具合は相変わらずのままだった。
「ごめんねぇ…」
 普段から元気がとりえのねねまでもが倒れてしまっている現状、幸村はねねに強く頼まれて三成たちの看病をする事になった。ねねの具合が悪くなったのもどうもあの三人の体調不良をうつされた為のようだ。幸村がこれを断れるわけもない。
 薬湯を持って三人が寝かされている部屋へ入れば、幸村はまず眉間に皺を寄せた。
「…清正殿」
 熱があがっている三成と正則が気になったらしい。起き上がっていた彼は、幸村が来たのを知るとしまったという顔をした。普段あまり表情を崩さない清正だが、こういう反応をするのは実に珍しい。
「具合が悪いのでは?」
「あ、あぁ…」
 かすれた声は体調不良によるものだ。清正は戻ってください、という幸村の声に大人しく従った。
 幸村が清正と入れ替わりで正則と三成の様子を確認する。熱が出ているようだが今はとにかく眠っている。熱が出てしまったら汗をかかせて熱がひくのを待つしかない。よく眠っているようだし、と幸村は清正へ振り返った。
「飲めますか?」
 幸村が薬湯を示して問う。頷いた清正の顔色は決して良くはなかった。
「お二人が心配なのもわかりますが、今は清正殿も自分のことを考えねば」
「………すまん」
 小さな声で呻くように謝る清正に、幸村は頷いた。
 相変わらず外はしんしんと雪が積もっている。これはまた明日雪かきだな、などと考えながら、清正が薬湯を飲み終わるのを待った。
「…幸村」
「はい」
「おねね様は…」
 ねねはといえば、三人の風邪がうつった様子だ。熱への対処方法はよく知ってるよと気丈に笑っていたが、あれは相当辛そうだった。とはいえ、それを清正に伝えるわけにはいかない。
「お元気ですよ」
「…そうか」
 清正のねねに対する崇拝にも似たような眼差しを見ている以上、真実は伝えられない。すぐばれる嘘かもしれないが今はとりあえず黙っておいた。
「あの方も具合が悪くなってしまっては、大変ですから。私がかわりにきました。清正殿には申し訳なかったでしょうか」
 少しだけ意地悪にそう笑えば、清正はふと幸村を見つめてきた。
「…いや。…すまん、助かる…」
 相変わらずぼそぼそと小さな声だ。あまり声が出せないのだろう。咽喉を酷くやられている清正にこれ以上喋らせるのも酷だ。幸村は空になった薬湯の入っていた湯のみを受け取ると、眠るように言った。
 幸村はそのまま静かに清正の横にいる。
「………」
 幸村はそこからは見えないだろうに外を見ているような素振りだった。雪が積もって周囲の音は静かすぎるほど静かだ。時折隣から正則や三成の寝苦しそうな寝息が聞こえてくる。
 そのたびに、幸村が少し身を乗り出して確認する。が、とにかく今は三成も正則も眠っているようだ。
 暇じゃないのか、と声をかけようとしてやめた。眠れと言われてそうしないでは駄々をこねる子供のようだ。幸村は清正よりも年下で、だというのに時折酷く大人びているようにも思える。あまりわがままを言わないからかもしれない。
 それに、ねねに変わって幸村がここに来た理由も、清正は薄々感じていた。
(おねね様まで具合が悪くなったんだろうな)
 うつしてしまっただろうか、と考えるといてもたってもいられなかったが、清正が今暴れても仕方のない事だ。今はとにかくこの状態から一刻も早く脱することだ。
「…眠れませんか?」
 は、と気づけば幸村が静かにそう問いかけてきた。
 ぐるぐると考え事をしていたからだが、清正は少し考えて頷く。
「私のつまらない話でも聞いていただけますか?」
 一体何を話しだすつもりだろうと少しばかり期待と緊張に胸を膨らませていれば、幸村が語り出したのは昔の体験談だった。
「私は昔からあまり体調を崩すことが少なかったのですが」
 そう言って語りだしたのは、本当に小さな頃の話だった。その時も今のように、幸村の兄が倒れて寝込んでしまった。無論心配はしたが、信玄からも心配されるのを見るにつけ悔しかった、と。
 特別な言葉をかけられる兄。心配されるのを見て、自分も具合が悪くなればと真冬に川に飛び込んだりもしたし、寒空の中、外でじっとしていた事もあるという。
 だが幸村の予想に反して体調を崩すことはなく。
「悔しかったんです。あの時は…思えば若気の至りというか。とにかく、恥ずかしい話ですが」
 昔を懐かしむ幸村に清正はただじっとその声を聞いていた。
 自分がそこにいたら、馬鹿やめろ、とすぐにやめさせただろう。そして実際、幸村の周囲の者もすぐやめさせたらしい。
「ですが私も意地になってしまって、人目を盗んではすぐに外へ飛び出して無茶をして。まぁ、何度やっても同じことでしたが」
 小さな頃の幸村が、今よりずっと元気で子供相応の視野の狭さと一直線なところがあったというのを知って、清正は思わず痛む咽喉をこらえて少し笑った。
「そのうち、信玄公にも叱られてしまいました」
 幸村の言葉で語られる武田信玄は、威厳があるにも関わらず不思議な調子の人だった。
 子供の幸村に視線をあわせて、拳骨で頭を叩かれた。それがまた子供心にかなり痛かったのだ、と。
 心配してほしいのかと問われて頷いた幸村に、信玄は怖いくらい豪快に笑って、強く強く、言い聞かせたのだという。

 幸村は悪い子だから、呪いをかけようかねぇ?

 そしてその呪いというのが、幸村がいつまでも健康でいるように、というものだという。
「不思議とそれから本当に一度も具合を悪くした事がありません」
 幸村の言葉に、ふと清正は気づく。きっとそれ自体が幸村にとっては特別な言葉だったのだろう事。
 だからこそ、幸村は体調を崩したりは出来ないのだろう。実際、健康なのだろうが。これだけ周囲に具合の悪い者が多いと、どれだけ気をつかっていてもどこかしら悪くしそうだったが。
 その呪いをかけて、その言葉がいつまでも幸村の中に根付いている。信玄に対してそれをどことなく悔しく思う自分の心に、清正はふと内心首を傾げた。そしてそれから、咽喉は痛いが口を開く。
「…幸村」
「あ、うるさかったですか?」
 違う、と首をふって、それから手招きした。あまり大きな声は出せないし、すぐそこで眠っている二人に万が一聞かれるのも少し怖かった。
 手招きに応じて幸村が耳を寄せてくる。
「おまえが、もし体調崩したりしたら…心配だ」
 言葉が足らなかった気がしたが、それ以上は言うのをやめた。恥ずかしかったのもある。
 それに、意味合いはいくつかあったから。
 幸村が倒れたら、まず三成が騒ぐだろう。普段他人を見下しているような態度の彼は、何故だか幸村相手にはずいぶん優しい上に必死だ。そして当然ながらくのいちが心配する。そして甲斐姫も。ねねもそうだろうし、兼続や政宗といった面々も心配するだろう。左近もか。それに最近では自分たちも。
 大騒ぎになるに違いない。おちおち眠ってもいられないくらいかもしれない。
 それにそうして、心配される幸村を見つめていたら。
(…何だか、嫌な気分になりそうだ)
 それは、そう、小さな頃の幸村と同じような心理状況かもしれない。小さな頃の幸村が、信玄から特別に心配してもらいたかったように。
 自分こそ心配するんだ、と。
 そんなところで一番を争ったところで意味はない。わかってはいるのだけれど。
 小さな頃の幸村にもし出会う事があったのなら、それこそ信玄に変わって馬鹿なことはやめろと言って聞かせていたかもしれない。
 自分が世話焼きなのはある程度知っている。幸村に対してもきっとそうだろうとも思う。だが、ふと首を傾げて不思議に思った。
「…ありがとうございます」
 心配をする必要のない奴に対してまでそんな事を考えることは少なくて、だからこそ不思議だった。
 なんでこんな風に、考えるのだろう?と。
 考えるうちにとろとろと眠気に襲われて、清正はそのまま幸村の声を聞きながら眠りについた。
 たぶんこの眠りでは、幼い幸村に会って、無理をする幸村を引き留めるような。そんな都合のいい夢を見る気がする。
 そうしたらなんて言おうか。そんなことを考えながら、最後に清正は幸村の掌のあたたかさを頬に感じた気がした。





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