育花雨ころに。9




 初めてそれに気がついた時にはずいぶん驚いた。
 それから、何故だかとても嬉しかったのを覚えている。
「兼続」
「うん?」
 朝から酒を呑みたい気持ちになったのは初めてのことだった。
 口八丁手八丁で酒を手に入れて、三成の部屋へ向かった。普段ならばこういう時、自分一人でやるかそれとも酒に造詣の深い者のところへ向かう。三成は逆で、どちらかというと酒は苦手としている男だ。
 だけれども、どうしても三成と呑みたかった。無論、予想していた通りに嫌がられてしまったのだけれども。
 それでも、兼続はそれで嫌な気分にはならなかった。むしろ何としてでも三成と呑みたいという気持ちにさせられた。
「大丈夫かいアンタ」
 慶次がやれやれとようやく自分を引きずるのをやめた。
「大丈夫だとも」
 ただ嬉しかったのだ。どうしてかはわからない。自分自身には友人同士のこと。その上、二人がぎくしゃくしたのは三成の恋情のせいだ。幸村はどんな気持ちでそれを聞いただろうか。三成はどんな気持ちで告白したのだろうか。どちらにせよ、どちらの感情もさぞ揺さぶられたのだろう。
 だけどたとえば。
 その事で泣く三成も、その事で悩む幸村も、兼続はどちらも好きだった。 どちらも良い友人だと思う。
「嬉しい事があったので呑もうと思ったのだ」
 昨夜、あの後どうなったかはわからない。だからまず最初に酒を用意した。もしかしたら落ち込んでいるかもしれない。だとしたら酒でも呑め、それで忘れろと言うつもりだった。
 だが三成はどこかすっきりした様子だった。幸村を三成が特別だと想うようになったのがいつからかはわからない。だが、三成は幸村に特別優しかった。いつもならすぐさま飛び出す言葉の暴力も、彼の前ではなりを潜める。三成の言葉の飾らなさは兼続もよく知っている。三成を相手にしていて、言葉の選択が悪すぎると思うこともよくあったが、本当に何故だか、幸村の前ではそれがずいぶん和らぐ。どこか気を遣っているのが手にとるようにわかるのだ。
 それに気付けば、なるほどと思う。
 幸村は三成の傍にあまりいなかった種類の男だ。武で語れ、という言葉こそが似合う武士だ。だが三成を軽んじることもない。
 三成がそれを不思議に思い、気にかけ、目で追いかけるようになるのもわかる。幸村は最初から、三成をひたすら信頼しようとしていたのだ。
 それがわかるから、三成も優しかった。
「そりゃあよかったじゃねぇか」
「ああ」
 二人のことについては、二人に任せるしかない。難儀なことだと思ったが、三成に言われなければ手助けをするつもりはなかった。もどかしく思うこともあったし、三成の性格だ。自分の感情に気付くのだって時がかかり、やきもきさせられた。
 そして幸村も。
 出逢った頃はどことなく頼りないと思うところがあった。戦については抜群の勘を持っている。慶次と比べても遜色ない勘だ。そういうのは、鍛えてどうにかなるものではない。持って生まれた才能というのは大きい。そんな幸村だったからだろうか。こちらに引け目があるように思えた。難しいことはわかりません、が幸村の口癖に感じられることもあった。何につけても頷いてくれる幸村を、兼続は少し危機感を持って見つめるようになっていたが、三成はそれに気付いていないようだった。
 恋は盲目とはよくいったものだ。三成にとって幸村のような者を気にかけることははじめてだっただろう。だからこそ己の感情に振り回されて、幸村自身を見ているのに気づけない。
 それとも気づいていたのだろうか。
「しかし酒は置いてきてしまったな」
「なんならとりに戻るかい?」
 その危うさから、幸村に目がいくようになったのかもしれない。
 二人はそれぞれ全く違う個と個だ。三成からすれば武士と呼ぶにふさわしい男が自分を認めてくれるそれはとても嬉しいことだろう。にも関わらずどこか不安定で、均衡を保てていないところが。
「いや、やめておこう」
 兼続は肩を竦めた。慶次もやれやれと腰をおろす。
「二人にしておいてやろうではないか」
 二人がこれからどうなるかは神のみぞ知るところだ。さすがに毘沙門天でも愛染明王でも、専門外に過ぎるというところで、神頼みしたところで兼続にもどうなるかわからない。
 幸村の危うさと、三成の盲目と。
 それらが、どんな結果を生むのかを楽しみに過ごすことが出来そうだった。
(いや、違うか…)
 三成の盲目は、幸村が覆した。彼自身でその危うさを曝け出した。三成はそれを受けて、あれだけ衝撃を受けていた。
 あの危うさは過去の記憶に直結している。明るい笑顔の裏に、真摯な態度でこちらの教えを請うてくる姿に、勇猛果敢に戦場を駆ける時に、本当に時折見えるそれを、たぶん三成は今まで意識してこなかった。
 己の感情に振り回されて、三成は何度も後悔しただろう。その感情自身にも。それを言ってしまったことにも。
 だが、兼続は言ったことは正解だったと思っている。
 三成は他人の欠点に優しくない。政務の面で迷惑をかけられるのを特に嫌い、他人に仕事を任せることが出来ない。その上、基本攻撃的だ。正直者というのはとかく生きずらい世の中だが、三成のそれは誰にも治せずここまで来た。
 それが、幸村を好いて特定の人物にだけとはいえ優しい面を見せるようになり、幸村が曝け出した危うさを前に、強い言葉で否定もしなければ攻撃的にもならなかった。
 昨夜、何があったか兼続は知らない。見ていることもできたが、そんな悪趣味は自分にはなかったし、奇妙な信頼感があった。二人に対して。
「とりあえずもう少し寝るとするか!」
「なんだい、まだ昼だぜ?」
「眠い時は寝るに限るな」
「ま、いいけどな」
 二人はたぶん真摯に互いのことを考えたろうと思う。そうであってほしい。
 うまくいってほしい、と思う。はたしてそれが、一体どういう形で「うまくいく」かはわからない。だが兼続は二人を、二人の関係を少し離れた位置で見てきた。
 三成が幸村を視線で追いかけ続けるように、幸村も、ずっと三成を見ていたことを知っている。その感情が、危うさから生じてどう長じるか、それを知りたい。
 兼続の記憶にある二人の視線の追いかけっこに、何度苦笑させられたか知らないので。
 だから、うまくいったら、二人をこれでもかとからかって、笑って、よかったなと言ってやりたいと思っている。



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お題ものです。「雨だれ 十題」より「想い出すのは、」
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