育花雨ころに。7
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幸村の指は冷えていて、緊張が伝わってきた。その指に口付ければその緊張が幸村の身体全体に伝わっていくのもわかった。 幸村の指は自分のものと比べても明らかにもののふのものだった。女のような指をしているのはむしろ自分で、にも関わらずこれからやろうとしている事におかしくなる。背も幸村の方が高い。いつだって幸村を見上げる形になっていた。身体つき一つにしても、幸村の方がよほど均整のとれた肉付きなのだ。 だからこそわかる。幸村が本当に嫌がれば、三成などすぐに引き剥がせるだろう。少しでも暴れれば、三成はかなわない。これでも腕力には自信がある。刀や槍に比べて間合いの狭い鉄扇で戦うにしてもそれで不利を感じたことは一度もない。だが幸村に少しでも抵抗されれば、どれだけ腕力に自信があろうが三成は太刀打ちできない。何しろ、いまだにこの状況をそのまま受け入れてしまっていいものか。幸村が後悔するのではないか、そればかりを考えている。 しかし幸村は身じろぎはするものの、逃げようとはしなかった。 指先から手のひらへ、手のひらから腕へと口づけながら幸村を少しずつ引き寄せる。明らかにうろたえた気配はあるものの、やはり逃げない。戸惑ったまま、引き寄せられるままになっている。 「……っ」 腕をとらえ、そのまま素肌の出ている首筋へ、舐めるように舌が這う。幸村が息を呑むのがわかった。くすぐったいのもあるだろうが、やはりどうするべきかわからないのだろう。幸村は肩を竦めるようにしてそれに耐えている。背の高い幸村を屈ませるのは、三成にとってはなかなか自尊心の傷つく行為ではあったが、それならば幸村の方が万倍も我慢しているはずだ。 真正面から、などと言ったのは幸村からだった。 幸村は真面目だ。真っ直ぐだ。ひとから向けられた好意が、たとえどんな形であれ、それに真正面から向き合いたいなどと言う。 幸村は視線を逸らさなかった。それだけ覚悟があるように思えた。 知らないからそんなことをする。三成は淡泊そうに見えて独占欲も強いし、見返りだって欲しがる。 こんな風に身体を繋げようものなら、今まで抑えてきたたくさんのことも我慢がきかなくなってしまう。 強く引っ張るようにして屈めた幸村に深い口づけを交わした。口内に舌が入りこむに至って、幸村は僅かに抵抗した。抵抗といっても本当にわずかなもので、三成の肩を軽く押した程度のことだ。 「…っは…」 しかしそれだけでも、三成は幸村を離した。夜目にもわかる。幸村は今頬を赤く染めている。熱が、伝わってくるのだ。夜の少しひやりとした空気の中、異質な熱が。 それが、三成の劣情に火をつけた。 だが、どうにかそれを押し殺す。本当はそんな余裕どこにもない。本当は幸村がどれだけ嫌がろうとそのまま自分のものにしてしまいたい。だがどうにか堪えた。それは駄目だ。そんな風にしたいわけではない。 「…無理をせずとも…」 己の声が少しばかり掠れている事に、三成は苦笑した。欲情しているのがわかる。だが何とか、なんとか抑え込まなければ。 「………い、いえ…」 大丈夫です、と言う幸村はそれまでのまっすぐさと打って変わって、視線がそわそわとあちこちを彷徨っていた。おそらくこちらを見ることが出来ないのだろう。 「やせ我慢だな」 何故だか少しだけ余裕がある気がした。幸村に首をとられそうに感じられた少し前が信じられない。幸村はああ言っていたけれど、結局のところ今からされるだろうことは恐怖でしかないはずだ。怖いのだろうに。大丈夫なはずがない。 「………」 「やめろと言わねば、続けるぞ。…無理なら、早く…そう言ってくれ」 三成の言葉をどう受け止めたものか、幸村はまた闇夜に溶けるくらいの小さな声で大丈夫と繰り返した。 もう止めてほしいのか続けたいのか三成にもわからない。本当は触れたくて触れたくて仕方のなかった幸村の肌だ。女のもののようなきめの細かい肌でもない。戦場で幾度となく戦ってきたことのある男のそれだ。 わかっているのに、どうしようもない。 戦っている時の幸村の勇敢さなど今はすっかりなりをひそめていた。その腕をとり、己の位置と幸村とを入れ替えた。幸村の背に桜の幹が触れたのがわかった。 退路を断たれたような顔をする幸村に、少し背伸びしてまた口付けた。今度は容赦なく舌を差し込み、貪るように。 「…っぅ、」 時折漏れる声が、三成を煽る。幸村はされるがままだ。それが妙に嬉しかった。もっと、もっとほしい。熱にうかされたように、何度も何度も角度をかえて繰り返す。 どれだけそうしていたか、ついに幸村の膝が力を失った。桜の幹に背を預けてずるずると倒れるのを僅かに支えながら、覆いかぶさるようにして幸村の上に跨った。 「幸村」 上から覗かれていることに幸村は羞恥に身じろぐ。顔を隠すように両の腕を顔の前で交差させたが、三成はそれに不満を覚えた。恥じらう幸村も決して悪くはないが、幸村は言ったのだ。真正面から向き合いたい、と。 そして何度も止めた。忠告もした。 だからその腕を乱暴にとると、腕力に任せて外させた。途端に見えた幸村の紅潮した頬。耳まで赤く染めている。本人に自覚があるかどうかはわからないが、隠すもののなくなったその下にあった幸村の表情はどこか色めいて見えた。そんな様子の幸村に、こちらまで頬が赤く染まってしまう。 「…み、つな…り、どの」 この声。 この声に名を呼ばれるのが好きだ。 慕ってくれるのがはっきりわかる、その声。 今は三成の下で、次にどんなことになるかわからない恐怖と、恥ずかしさとで上擦っている。 これ以上を望んでいるのに、何故だかそれ以上は出来ない気がした。 「…幸村」 呼んで、そっと抱き寄せた。自分よりずっとしなやかな身体だ。今でもこれに欲情はする。だが、今は出来そうもなかった。 幸村も三成がそれ以上をしないことに気付いたのかもしれない。覚悟はしていたのだろうが、それでも安堵している気配が肩越しに伝わってくる。 「…すまん」 「…三成殿」 何か言いたげな様子の幸村だったが、ほんの少し前までの行為が後をひいているのかもしれない。何も言えないし、動くことも出来ないようだった。 そんな幸村をこれ以上、自分の感情の赴くままに身体を繋げるのはあまりにも性急な気がした。そもそも、幸村は三成と同じ感情を抱いているのではない。三成が抱くその感情から、逃げもしない。利用しようともしない。ただ、真正面から向かい合いたいと言っただけだった。 そんな幸村に、無理をさせたくない。 幸村がそこまでこちらに真摯に向かい合ってくれる。それだけで十分だ。こちらが本気だということは、一連の行動で嫌と言うほど理解してくれただろう。だから、あとは。 「これ以上は、いい」 「……」 「そんな事などあり得んが、幸村が俺を好いてくれる日が来たなら…もう容赦は出来んが」 今はそれだけでいい。 触れてみてよくわかった。理解出来た。幸村は他と違う。こちらの気持ちを真正面から、常に受け止めようとしてくれる。今までもずっとそうだったのだ。幸村からすれば、それにどんな理由があろうとも三成にとってはそれがただ嬉しかった。他と違う、と感じた。そこから今がある。 腰が抜けたようになっている幸村に手を貸してやりながら立ち上がった。 幸村とまた少し距離が狭まって、一瞬幸村が息を詰める。それに過剰な反応をすることなく、三成は幸村を呼んだ。 「…幸村」 「は、はい」 「…改めて、言おう。俺は、おまえを好いている。特別だ。もう、わかったと思うが」 「……はい」 「自然に、俺が幸村を好くようになったように、自然な形で俺を見てくれればいいと思う。が、無理強いはしない。…だから」 「………」 「自棄には、なるな。それが一番辛い」 「………は、い」 あの長篠の戦いでの敗北は、幸村から生きるに必要なものをことごとく奪っていった。そして出来た空洞を、ずっと抱えてきたのだろう。 普段ならば言えないような言葉が先ほどからすらすらと出てきた。一度たがを外してしまえば、もう怖いものなどないように思えた。隠す感情などどこにもない。全て晒してしまった以上、三成に残ったのは相手に対する想いばかりだ。 ―――今、笑えているだろうか。 いつもはもっと酷薄な笑みしか浮かべることが出来ない。やれ人の短所ばかりが目について、ついつい指摘してやりたくなる。 だからこうして、相手を想ってただ笑うなど、本当に…もしかしたら初めてなのかもしれない、と思うほどに。 「幸村」 「…三成、殿」 幸村は俯いていた。声が少し震えているような気がした。 相変わらず空は雲が覆っていて、月は見えない。人の来る気配もない。城の中から漏れる僅かな光を頼りに、幸村の表情を、今どんな顔をしているのかを探るように見つめた。 「……ありがとう、ございます…」 幸村の声が何故震えているのか、三成は詮索するのをやめた。空を仰ぎみる。 「雨は降らぬな」 どうせなら降ってくれてもいいものを。 三成の心はここしばらくの憂鬱が嘘のように晴れていた。今の空に映してやりたいほどだ。そうなったのは、幸村の行動だった。ずっと靄が続き、晴れ間の見えない毎日を、幸村が。 もっとちゃんと伝えられればいい。この感情を。しかし言葉にしてしまえば、それは形通りの言葉になってしまって、枠を超えられない。もっと、もっとずっと深くまで。 伝えたい。 そう思いながら、深く息を吸い込んだ。 |
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お題ものです。「雨だれ 十題」より「傘から出て濡れた肩」 お題提供「rewrite」 |