育花雨ころに。 4
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幸村と連れだって外へ出た頃は晴れていたにも関わらず、雨は唐突に降り始めた。 三成と幸村は慌てて、近くにあったぼろ小屋へ飛びこんだ。 人が住んでいる気配はないが、どうもこうして雨に足止めをくらった者たちがよくここで雨宿りするらしい。人のいない小屋はそれでも、雨宿りするくらいにはちょうどいい程度の状態だった。 「ずいぶん酷い雨ですね」 見世物の一座を見物し、茶屋で多少腹を満たしてどこへともなく歩いていた矢先のことだった。雨が降るよ、とその見世物の一座に言われていたが、まさか本当に降るとは思えないくらいの晴れた空だったのだ。あちこちを旅して歩く者の言うことは聞いておくべきだった。そう思いながら、三成は舌打ちした。髪からしたたりおちる雨のしずくが、その雨の激しさを十分に物語っている。 「運が悪いな」 幸村と二人で城下をまわるのは楽しかった。三成にとっては久しぶりに、何のあてもない外出だったのだ。脳裏には多少、残してきた仕事のことがかすめたが、幸村が誘ってくれたのだから、そんなもの後回しだ。 出てくる、と左近に伝えればよかったですな、と言われた。何が良いものか。やや憤慨していたのだが、そんな気持ちはとっくにどこかへ消えてしまった。抱えている恋情について、それを誰かに話したことはない。だが、左近のあの反応はもしかしたらとっくに知れているのかもしれない。 だが幸村はそれに気付いた気配はない。いつも無防備にこちらに近づいてくるし、おそらくはそんなこと思いもよらないのだろう。 「でもこの小屋があったのは運が良かったですね」 そう言いながら、幸村は濡れた着物を素早く脱いだ。 同性同士なのだから何の不思議もない。三成もそれにならうべきだったが、とにかく意識してしまうのが良くなかった。 「どうされました?」 あからさまに視線を逸らした三成に気付いたのだろう。幸村はごく自然にどうしたのかと問うてくる。とはいえ、まさか特別に想っている相手が目の前で脱いだからだとはとても言えない。 「い、いや…川の水量が、気になったのだ」 「…最近雨続きですからね。三成殿の仰る通り、確かに水量が…」 外を気にするそぶりで、自然に視線を外したように見えただろうか。少なくとも幸村は三成の言葉に頷いていて、疑いもしていない。 幸村は火をおこそうとしている。三成はしばらくその場を動かずにいたが、ついに沈黙に耐えられなくなって、手伝うことにした。 小屋の中央まで歩み寄ろうとすれば、全身濡れそぼった身体が体温を奪われていたらしい。くしゃみが出て、幸村が顔を上げた。 「三成殿、そのままでは風邪を」 「…あ、あぁ」 どうすればいいんだ。悩んでもここでは誰の助けも得られない。寒さを訴える身体を無視して濡れた着物のまま、というのはあまりに不自然だ。三成は仕方なしに幸村と同じように上を脱いだ。 雨は容赦なく降り続けている。どうも通り雨ではなさそうだった。 ようやく火で暖がとれるようになったのはそれからどれくらい経った頃だったか。三成にとっては酷く長く感じられたが、そうではないのかもしれない。幸村はこの沈黙を苦痛とは思っていないだろうか。そもそも、今日一日、外へ出た間も、どうしても話題が弾むということはなかった。 見世物はなかなかの芸達者ばかりだった。楽しむことは出来たし、茶屋での団子も普段よりうまく感じられた。 だが、そうしている間、幸村から話題が振られるだけで、こちらからは特に面白い話題の一つもふることが出来なかったのだ。 幸村は、一緒にいて楽しいのだろうか。そんなことばかり、気にかかる。 「これは夜半すぎまで降りそうですね」 幸村の言葉に、三成はそうだな、とだけ頷いた。 いつもは、大抵周囲に誰かいる。それは左近だったり兼続だったり、秀吉やねねであることもある。そういう時、己の言葉の不自由さを多少苦く思うことはあったが、それをどうにかしたいとはおもわなかった。言葉はうまく操れないが、政務は何の差し支えもないし、むしろ誰よりもうまく指示を与え、動かすことが出来る。こと戦となると不得手ではあったが、その挽回をはかれる場は三成にとってどこにでも転がっている。 だが、幸村は違う。 幸村と共にいると、言葉をもっと、巧みに操ることが出来ればと思う。一言一言、発するたびに今の言葉でよかったのかと悩むことばかり。後悔することばかり。今の言葉は余計だったかもしれない。傷つけたかもしれない。嫌われたかもしれない。そんなことを思っては、自分の中にずっと隠し続けている感情に振り回されて嫌悪する。他人の顔色など窺いたくないのに、幸村の顔色ばかりは気になって仕方がない。 「…俺につきあってもらったばかりに、悪かった」 「私がお誘いしたのですよ、三成殿。見世物も、茶屋も」 「…だ、だが」 「私がそうしたくてお誘いしたのですから、むしろ三成殿はもっと憤慨されても良いはずですよ」 予想外の反応に、三成は慌てた。慌てて、勢いこんで訂正する。 「いや、幸村は悪くない。悪いのはこの天候だ。不安定この上ない」 「そうですね。…よく、降る雨です」 幸村はふと遠い目をして三成から視線を外した。一瞬、その眼差しに暗いものを見た気がして三成は困惑した。今の目は…。 「…雨は嫌いか?」 思わず問えば、視線が戻ってきた。その瞳に、はっきり弱いものを見た気がして三成は余計にどうすればいいかわからなかった。わからないまま、沈黙にも耐えられず、慌てて言葉を紡ぐ。 「俺は、好きなのだ」 「……そうなのですか」 「あ、あぁ。雨が降れば、作物はよく育つ。今年のような、ひっきりなしの雨では逆効果だが…その、」 らしくなくまくしたてて、さて次はどうするべきか。中途半端なところで言葉が途切れてしまった。だがその沈黙を掬いあげるように、幸村が続いた。 「…私は、雨にあまり良い思い出がないので」 「……そう、か」 「…いや、それこそ…雨に罪はありませんので。それに、雨があのまま降り続ければ…」 「何の話だ?」 「…いえ」 昔の話をしている。 何かを思い出している。 そう気がついて、三成は酷く焦った。これでも幸村のことはよく見ている。だから雨になると憂鬱そうにしていることを、知っている。だがそれに対して踏みこむにはあまりにも出逢ってから間もない。 聞けずに、ずっとずっと気になってきたことだ。 「雨がお好きというのは、珍しいですね」 「…そうか?」 話を逸らそうとしている。 気がついて、どうにかその話をもっと深く聞きだしたいと思っても、三成にはどうすることもできなかった。 聞かせてくれ、というのは簡単だ。だが、聞いてしまったところでその後の責任がとれるだろうか。話したくないことなのだろうから、触れてやらないのが一番いいはず。だけれども。 「……幸村」 「雨が降れば、予定もままならなくなりますから。あまりお好きだという方は…」 「幸村」 「…は、はい」 無理に聞きだすのは良くない。わかっている。だけれども、どうしても聞きたいのだ。幸村の口から、過去のこと。あまりに知らないことが多すぎて、そうやって遠い目をされてしまえば何も知らないことを悔しく思う。 「……何故、雨が嫌いになったのか。…教えてくれぬか」 「………深い意味など、ないのです」 「…しかし」 「大したことではありませぬ。昔から、外へ出られなくなるから雨があまり好きではなかった。それだけのことで…」 「…俺には話せぬか」 「…っ」 卑怯な問いだ。幸村の良心に訴えるやり方。三成の計算通り、幸村は息を呑んで黙り込んでしまった。俯いて、どう答えるべきか悩んでいるのだろう。 どうにも、うまくいかない。どうすれば何も気に病む必要などないのだと自分に言い聞かせられるだろうか。 ―――ただ。 間違いなく、幸村にはもっと深い意味で雨を嫌う理由があるのだ、と。それを知ってしまったから、もうそれを知らないふりは出来ない。 「……三成殿が、聞いても…私に失望するだけです」 「そのような事は断じてない!」 幸村はまだ迷っている。何とかして諦めてもらおうとしている。だがそんなことはきいてやれなかった。聞きたいというそれだけなのだが、それを聞くことが出来たら何かが変わる気がする。 「俺が幸村に失望することなどない」 特別なのだから。 そこまでは言えず、胸にしまう。卑怯だ。どこまでも卑怯で、情けない。 「…三成殿は…何故そこまで私を信頼できるのですか」 「…それは」 言ってしまえ。特別なのだ。幸村を大切に思っている。この気持ちが変わることはない。だからだ、と。 言いたくて、でも言えないまま、三成は口をつぐんだ。 「三成殿は、私のような者からすれば及びもしない考えをお持ちで…眩しい方だ、と思います。その三成殿が、私に目をかけて下さることはとても…嬉しいのです。ですが、何故そこまで」 「………」 「私はそこまでの人間ではありません。槍はそれ以外がうまく操れぬだけのこと。槍にすべてを賭けるしかなかったまでです。三成殿や兼続殿のような、先を見据えた展望など語れもしない」 「幸村…」 「私は、私の武をもってしか三成殿に報いることはできません。三成殿の目には、この真田幸村がどのように映っているのか…わからぬのです。私に出来ることなどほとんど何もない。私は、いつ三成殿から辛辣な言葉をいただくようになっても、仕方のない…」 「やめろ!」 幸村が珍しいほど多弁に、己を卑下するのを聞いていられなかった。思わず声を荒げてしまった己にしまったとは思うものの、どうしようもなかった。幸村自身の口から、それ以上の言葉は聞きたくなかったのだ。どうしても。 「俺は己を卑下するものの言い方が一番嫌いだ」 「……申し訳ありません…」 嫌な沈黙が残った。 どうすればいいかわからない。 だが、今のが幸村の本音に近い言葉なのだろう。幸村は、いつも不安の中にいる。己に自信もなく、三成や兼続たちのような才能もない、と言う。それが、いつ失望に繋がるか、と。 こんな時、兼続だったらうまく話してやれるのだろう。幸村の不安も、すっかり取り除けてしまうに違いない。 だがこの場に兼続はいない。幸村と、三成と、二人だけだ。雨は相変わらず止む気配もない。まだしばらくはここに足止めを食らうだろう。 「……俺は、あまり戦が得意ではない」 何とか、伝えなければ。その一念でぽつりぽつりと語りだす。 「俺を馬鹿にする奴は多い。武功の一つも立てられぬ癖に、政事には口を出して重用される俺を良く思わない。武功を立てることばかりにこだわって、秀吉様が天下をとられれば戦も減るというのに、だ」 何と続ければいいだろうか。わからない。幸村の顔も見ていられなかった。 「そんなことにこだわるのは、あまりにも器が小さいことだと、ずっと思っていた。俺はいつでも、武の力ばかりに頼って先を見ぬ奴が嫌いで…向こうも、嫌ってきたからな。わかりあうことなどなかった」 幼い頃から共に秀吉のもとで育ってきた者。清正も正則も、同じだった。どちらとも嫌いあった。今でも秀吉に呼ばれれば席を同じくするが、それ以外ではほとんど顔を合わせないようにしている。 「…俺の話などまともに聞いてくれるのは秀吉様くらいのものだ。力自慢の奴らには、俺のことなど何もわからない。そう思っていたが…幸村は、違った」 「…三成殿」 「わからないことを隠さぬし、それでも聞こうとしてくれた。兼続と俺は立場も似ているし、戦よりは政事の方が性に合っているのも同じ。だが幸村は…はじめて会った時には、どうせうまくいかぬだろうと思っていた」 そう。本当にそうだった。あの小田原での出会いの頃は、こうなるとは夢にも思わなかった。 「しかし幸村は…俺の言葉を聞いてくれる」 「信じるに足る、と思ったからです」 「…だから、俺も信じられると思った。幸村は他の誰とも違う。戦う姿に、こんなに胸が躍ったのもはじめてだった。幸村の槍さばきは誰も及びもつかないと思う」 あの時には、もうこの感情が根付いていたのだろうけれど。 それでも、まだその頃は知らなかった。だから、幸村の戦う姿に賞賛もしたし、今でもそれが色褪せて見えたことは一度もない。 「だから…幸村は、特別…なのだ」 「…三成殿」 「俺にとって、幸村は特別だ。…その時から、もうずっと、そうだ」 「…ありがとう、ございます」 伝わらない。 このままでは、きちんと伝わらない。 三成にとって、幸村がいかに特別で、どんな風に思っているか。 「…礼は、よせ」 「しかし」 「礼をされる必要などない」 「……」 「すまぬ」 「い、いえ」 言うべきか言わぬべきか。この雨が、幸村と二人きりでたくさんの話をする場を設けてくれた。この機会に言わなければ、もう二度とそんな機会に恵まれることはないかもしれない。 心臓が張り裂けそうだった。だが、このまま黙ってしまえば、それこそ幸村に誤解されたままだ。何も疑う余地のない、純粋な眼差しでこちらを見つめられる。その相手は、こんなに酷い感情でもって見ているのに、だ。 「…俺は、おまえを特別に、想っている」 「…三成殿?」 「俺の方が、よほど幸村に失望されるに違いないのだ。俺は…幸村を女へ向けるような劣情を、向けている」 そこまで言ったところで唐突に、雨の音が強くなった。 戸板に打ちつける雨音の激しさに今がどんな状況かを思い出した。雨の中、二人きりで雨宿りをしているのだ。 今しかないと思った。だが、誰も邪魔するような者のいないここを選んでしまった理由はなんだっただろう。ちらついた暗い影の正体を知りたいと思ったからだったか。請えば幸村があまりにも必死に己を卑下したからか。 違うと言いたくて、それを否定したくて、言い募れば募るほど、己の気持ちを吐露していくような状況になったからか。 礼を言われるいわれもなく、礼などされてしまってはあまりにもこの感情が不義の塊のように見えたからだったか。 「……すまぬ」 言ってしまってから、己の掌が酷く冷えているのに気がついた。 幸村の次の言葉を聞くのが怖い。どんな態度をとられるかと思うと、震えが走るほどだった。いっそ墓場まで持っていけばよかったのだ。 「…すまぬ。忘れてくれ」 だから、次の言葉を待たずにそう言った。 怖くて聞けない。聞きたくない。それに対する反応の一つだって、見るのが怖い。 頼むから、何も言わないでくれ。 そう思っていた三成に、幸村がぽつりと呟いた。 「……雨は、昔…逃げねば、と思った戦のことを、思い出すのです」 |
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お題ものです。「雨だれ 十題」より「静寂を裂く雨音」 お題提供「rewrite」 |