いつか太陽に落ちてゆく日々 8





 幸村は走っていた。この城の中については不案内で、混乱している今どこへどう走ればどこにたどり着けるのかもわからない。
 探しているのはたった一人だった。
(三成殿…!!)
 遠呂智軍らしき兵士がこの合日新城を取り囲んでいる。
 兵たちは皆、生気がない。だというのに彼らは皆恐ろしいほど殺気立ち、明らかにここにいる全ての人間を根絶やしにしようという意志のもと、動いているようだった。
 すでに幸村も数人、出会い頭に斬っている。
身体がそう動くのは、間違いなく幸村に向けられた殺気の濃さによる。それが自分の全身に、張り付くように警告を叫ぶ。だから斬る。遠呂智軍の兵たちは皆、声もなく倒れ伏して、動かなくなった。
 一体どうしてこんなことに。一体何が起こっているのか。
 遠呂智は、倒れたはずだ。
(そうだ。私や、趙雲殿や、孫市殿で)
 劉備を救い出す為、諸葛亮や関羽などといった主だった蜀の人間はやむなく遠呂智軍についていた。長い間囚われていた趙雲はその理由を知らなかったし、蜀という国にとっては部外者の幸村や孫市が、それらを詳しく知るわけもない。
 とにかく趙雲たちの猛攻に、妲己は膝をついた。助け出すように見せかけて、手を差し伸べた諸葛亮はその瞬間まで妲己に裏切りを予感させなかった。
 そうやって、見事に妲己を捕え遠呂智の元へと案内させた。
 そうしてたどり着いた、古志城で。
 ―――孫市の火縄銃が火を噴いて、真正面から遠呂智を捉えた。遠呂智はそれを腕で防いだが左右から迫った槍は避けることが出来なかった。
 覚えている。この手に、確かに感じたあの手ごたえ。
(なのに何故、また遠呂智軍が…!)
 嫌な予感がする。

「おい」

 がむしゃらに走っていたところで、声をかけられた。振り返れば、そこには曹丕が一人。供もつけずにいた。手には、見慣れた朱塗りの槍。
「そ、それは…!」
「これの方がよかろう。趙子龍のものもある。ここに入った際に預けさせていたからな」
「あ、ありがとうございます。曹丕殿、一人ですか」
 放り投げられた槍を受け取ると、幸村は手に馴染むその感触に一つ安堵した。今まで手にしていたのは遠呂智軍から奪った刀一つきりで、心もとなかったのだ。
「甄を探している」
「いらっしゃらないのですか!」
「あれも弱い女ではない。ある程度は一人でも何とかするだろうが」
「女性一人では荷が重い。早く見つけて助け出さなければ」
「おまえは誰を探していた。三成か、趙子龍か」
 そう問いかける曹丕の、眼差しは鋭い。幸村に問いかけながら、すでに別のことを考えているように見えた。
「み…三成殿を」
「あれも姿がないな。大方、おまえを探して右往左往して窮地にでも陥っているのではないか」
 ありえん話ではない、と無表情に呟く曹丕に、思わず幸村はそのような、と苦笑した。ここに来てからこっち、一度も幸村は三成と会話を交わしていない。避けられているのは知っていたが、それに対してここまで自分が動揺するとも思わなかった。
 戦場で会った時はそうではなかったはずだ。

―――来い、幸村!

 あの時のことを思い出して、幸村は胸に抱えたきりの靄を思い出して項垂れる。が、今はそんなことをしている場合ではなかった。切り替えなければ。
「そ、そういえば…曹操殿は」
「父は心配いらん」
 間髪いれぬ即答と、表情一つ変えない姿にそれこそ幸村は返答に困ったが、心配していないのではなくて信頼しているだけだ、と思うことにした。どうも曹丕は目つきが鋭くて無表情で、冷たい印象だが。
「甄を探すついでだ。三成も探すとするか」
「は、はい」
 幸村は頷くと、淡々と前を歩く男のあとに従った。近くまで、怒号が聞こえている。肌に刺すような殺意を感じる。城の中にあって、ここはもう戦場だった。


「大丈夫ですか!」
「ええ」
 趙雲は甄姫の背後を守るようにして立った。
「私のことは気にしないでいいですわ。これくらい、一人でどうにでも出来ます」
 甄姫がいる、というのが趙雲の足枷になっている、と甄姫は考えているようだった。それに対し、趙雲が苦笑する。
「どうし…」
「私は、守るものがある方が強い、と言われたことがある」
「……」
「諸葛亮殿がそう言って、劉備殿が頷かれた。ならば、そうなのでしょう」
 自覚などこれっぽっちもなかったが、そう言って頷いた劉備は我が子を抱いてむせび泣いた。ありがとう、と何度も何度も礼を言われて、やはりこの人についていって良かった、と趙雲は強くそう思ったものだった。
 その言葉があるから、と笑う趙雲に甄姫もつられて微笑む。
 自信のある男の笑顔。
「我が君ほどではございませんけれど」
「はい?」
「なんでもありませんわ」
 意味ありげな含み笑いに、趙雲は首を傾げる。それにしても、頭のいい女性だ、と感心した。賢い女といえば、月英がそうだが、彼女の賢さとは違う。女であることを武器にしながら、それでもそれを弱みにはしようとしない。
 そういうところが、曹丕から溺愛される所以かもしれない。
 また一人を斬り捨てたところで、ふと視界に入ったのは、茜の色の髪―――。
 一人か、と思うと同時にその名を呼んだ。
「三成殿!」


「ったく、キリがねぇ!」
 そう吼えたのは夏侯淵だった。言いながら、得意の弓で遠呂智の兵を射抜く。ギャッという短い悲鳴とともに、射抜かれた兵は倒れた。
 すでに敵は完全にこの城を埋め尽くしている。
「城を捨てるか」
 忌々しいが、と呟いたのは曹孟徳だった。現在、当然のように全ての指揮権は彼のもとに戻っている。彼がこの城を捨てるといえば、そうするよりないし、実際そうするべき状況でもあった。
「ちっ、二度も孟徳に逃げをうたせるとは…」
「そのようなこと、気にしていても意味はない。夏侯淵、合図を出せるか」
「本気かよ…!くっそ、仕方ねぇ」
 城を失ったら蜀や呉、そしてあの織田信長らはどうするだろうか。一体どのような動きを見せるか。ここが機とばかりに攻め込むか。それとも遠呂智の軍勢が復活したという話に、警戒を強め動かないか。
(少なくとも、信長は動くであろうな)
 蜀も呉も、孟徳にとっては彼らの動向がわからない、という脅威はない。 しかし信長だけは、彼だけはどう動くか、その確証を得られなかった。
 似ている、などと言う者もいるが不気味さにおいては向こうの方が上だ。
「いいのか、孟徳」
「いずれ機を見て奪還すればよい。一つに拘っていては覇を唱えることなどできん」
 ここで合図を出し、城を捨てる。遠呂智に再び占拠されるならば、いっそ燃やしてしまった方が得策か。そこまで考えた時だった。
「夏侯惇よ。昨夜の報告だが」
「今そんな話か」
「真田幸村に関わる者が忍び込んでいたのだったな」
「そうだ」
「見たのは、誰だった」
「石田三成」
 正確な報告ではなかったがな、と夏侯惇は付け足した。
 夜更けに夏侯惇はたまたま部屋を抜けていた。厠へ行くためだったが、その帰りに思いつめた様子の三成に出くわした。
 その時に、聞いたのだった。
 この城は不用意に侵入を許すのですね、と皮肉られて、夏侯惇は眉を顰めた。意味するところがわからない、と問い返せば真田幸村直属の忍びがさっきまでここにいたのだという。
 忍び、と聞いて夏侯惇は無害そうな顔をしたあの男も、しっかりこちらを警戒していたということか、と逆に感心した。
「忍んできた目的はなんだ」
「知らん」
「そこまで追求しなかったのだな」
「正確な報告ではなかったと言ったはずだ、孟徳。何を考えている?」
 正直なところを言えば、夏侯惇は真田幸村には好感を持っている。関羽のような、それとどことなく似た槍だ。実直といえばいいのか。
「何もせん」
「何もなければ、だろう。孟徳」
 夏侯惇の言葉に、孟徳は深く笑んだだけだった。
 城を捨て遠呂智にこの城を明け渡せば、噂は素早く広まることだろう。遠呂智の復活という脅威。そして魏という国が、その遠呂智に攻め込まれ、城を失ったとなれば。
(少なくとも、諸葛亮はこれを好機と考えような)
 蜀の中でも遠呂智が現れた際、その驚異的な武に膝を屈した者は多かった。
 諸葛亮はそのうちの一人だ。しかも、かなり信頼されていた。
 内情に詳しいとなれば、遠呂智軍に対する脅威も減るだろう。少なくとも今、彼らのもとには劉備が戻り、諸葛亮たちもその場にいる。
 だからこそ、の切り札だった。
(私は、負けぬぞ。劉玄徳よ)



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