いつか太陽に落ちてゆく日々 45




 曹丕が目の前に現れて、甄姫が飛びついた。
 彼が現れたちょうど後ろには、何もない空間に光の渦があった。白い光が、その渦の中をうごめいている。
「甄…」
「我が君…!!」
「心配をかけた」
 抱きついて、離れようとしない甄姫の髪を撫で、背を撫で、それからようやく曹丕は三成と趙雲を見た。甄姫にかける声とは全く違う、普段通りの言葉。
「ずいぶん時間がかかったな」
「…は?」
 唐突な言葉に、趙雲は思わず素っ頓狂な声をあげる。が、曹丕には通じている話なので、細かい説明はしようとしない。
「甄の笛の音は聞こえるというのに、扉が開かんでは意味がない」
「…扉」
 その光の渦のことか、と趙雲が訝しむようにそれを見つめていると、曹丕は呆然としている三成に言った。
「三成、行け。そこからいける」
「…曹丕」
「趙雲、おまえもだ。先導してやれ」
「…曹丕殿?」
「ぐずぐずしていると、死ぬぞ」
「…おまえ、」
「皆が笑って暮らせる世、だろう?あの男がいなくて、おまえは笑えるのか」
「…無理だ」
「だろうな。早く行け」
 三成は頷くと、曹丕が出てきたその光の渦へ飛び込んだ。趙雲もそれに続く。
 二人が通り抜けた途端、光の渦は勢いをなくし、ついに消えた。
 しばらくその跡を見つめていた曹丕だったが、甄姫が震えているのに気がついた。こんな風になっている甄姫を見たのははじめてだったかもしれない。
 必死に抱きつく甄姫に、微笑んだ。誰にも見られることのない笑みだったが―――その笑顔は、普段よりもずっと優しかった。





 強い風が巻き起こり、視界を奪われる。息が出来ない。
 風から顔を背ければ。
 遠くに、戦の気配。
 すでに始まっているらしい。多くの屍が転がっている。―――そして。
「…三成殿、あれを!」
 趙雲が声をあげた。指差す先に、幸村がいる。倒れている幸村は動かない。
「幸村…!」
 三成が慌てて一歩踏み込もうとした。が、近くに見える、馬坊柵とその内側にいる鉄砲隊。それらがいまだに何かを狙っていて、慌てて趙雲がその腕を掴んで止めた。
「待ってください!」
「…っ、離せ!」
「駄目です、このままでは危ない!」
 三成は舌打ちした。だがこのまま幸村を放っておくわけにもいかない。それよりも早く幸村の元に駆け寄りたい。三成は鉄扇を開いた。そして、それを勢いよく振り下ろす。途端、その鉄扇から強い光が放たれる。
「馬坊柵ごと使えなくしてやる。援護しろ」
 三成が走り出す。今度は止められなかった。いや、止めようと思わなかった。周囲をきちんと見れている。三成の横に並び、趙雲も走った。気がつけば、その手に槍が握られている。
 一気に間合いを詰める。三段階に分けられた鉄砲隊は、それぞれが素早く動く。すぐにまた発射の態勢となるのを、三成の一閃がそれをおさえた。趙雲は、その間に槍を勢いよく繰り出す。
 渾身の力で、馬坊柵を打ち破った。丸太で作られたそれらがばらばらと音をたてて崩れる。
 それに身を隠していた鉄砲隊は、泡を食って逃げ出した。
 しかしもちろんそれで終わりではない。今度はその奥に控えていた本隊が、これでもかと押し寄せてくる。三成と趙雲はまずい、と舌打ちしてすぐさま幸村が倒れる方へ走り出した。
 走る勢いもそのままに、三成は手を伸ばして幸村の腕をとった。途端に幸村の重さで動きが鈍くなる三成に、趙雲が盾となった。矢のように飛び込んでくる敵を、趙雲の槍が薙ぎ払う。
「三成殿、早く!」
「わかっている!」
 すぐに幸村を担ぎなおして、三成は走り出した。手がふさがった状態では趙雲を手助けるわけにもいかない。趙雲一人ではなかなか向かってくる敵全てを倒すことは難しい。次第に囲まれ―――。
 ち、と趙雲が舌打ちした。それは三成も同じだ。
「……」
 囲む敵の間合いが狭くなる。じりじりと三人との距離を狭める。万事休す―――そう思った瞬間だった。
 敵の刀が、槍が、趙雲たちを貫く、と覚悟した瞬間だった。
 ゴ、と地響きがした。地面に雷のような光が一瞬走り、途端見える範囲全ての人間が、その衝撃に吹っ飛ばされる。
―――遠呂智の力だった。
「…三成殿…」
「なんだ」
「いえ。助かりました」
 肩で息をする二人は、ようやく一息をつくことが出来た。相変わらず幸村は身じろぎ一つしない。
「幸村殿」
「幸村!」
 趙雲が呼んでも、三成が呼んでも、反応しない。
 まるで死んでいるように。
「幸村…っ」
 何度も何度も、三成が幸村を呼ぶ。そのたびに、二人の間に嫌な予感がした。いや、本当はちゃんと確認をすればいい。その心臓が動いているか。息があるか。だが、それをするのが恐ろしい。
「………」
 趙雲は、意を決して、幸村のもとに跪いた。息を確認し、心臓の音を確かめ―――。
「三成殿」
「やめろ」
「………」
「やめろ。…やめろ」
 三成は聞こうとしない。
 曹丕の代わりになるならば―――。
 妲己はそう言ったのだったか。
 だとしたら、この結果は当然なのか。行く前から決まっていたのではないか。あの場に、曹丕が戻ってきた瞬間から。
「やめろ…幸村、幸村…!!」
 三成の頬を、とめどなく零れていくのは大粒の涙だった。
 声が嗄れるのではと思うほど、三成が絶叫している。趙雲は、俯くしか出来なかった。
「認めるか…!!こんな、こんな終わり方を認められるものか。俺はまだ、伝えていない。ちゃんと、謝ってもいない。幸村…!!」
 声があまりにも悲痛で。
 趙雲が顔を上げる。空は気がつけば晴れていた。太陽が西に傾いている。大きな太陽が、滲んでいるように見える。
 この空は、こんなにも晴れているのに。西に傾いた太陽が、あんなにも明るいのに。
 どうして、こんなに寂しいのか。
「…そういう顔、ずっと見たかったわ。三成さん」
「…妲己…!」
「酷い顔」
 三成の様子を見て笑ったのは、妲己だった。唐突に現れたその存在に、三成も趙雲も警戒を強める。
「何故こんなことをした」
「…遠呂智様を返してもらうためよ」
 妲己はいつものような人の悪い笑みを浮かべることはなかった。ただ無表情に、三成を、幸村を、そして趙雲を見つめる。
「…遠呂智を…?」
「この世界は遠呂智様の思いで出来た世界。遠呂智様が、望みを叶える為に創った世界。…だから、返してほしいのよ」
「………」
「このままじゃ、また遠呂智様が生まれてしまうから」
「………なにを」
「人の思いで、遠呂智様は生まれるの。終わりなんてないの。この世界がここにある限り、続く。蛇の毒―――人の欲で」
「だから、返して」
 しかしその言葉に、三成はすぐに首を横に振った。
「…断る」
 はっきりとした拒絶。理由は、すぐに知れた。
「…幸村さんが死んでるから?」
「そうだ」
「そう」
「遠呂智の力なら、どうにか出来る。…違うか」
「どうかなぁ」
「出来るはずだ…!」
 強い光が、周囲を覆う。
 太陽の、茜の色まで覆うように、その光が全てを覆い尽くした。




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次回でラストです。