いつか太陽に落ちてゆく日々 43




 慶次はまだそこにぼんやりとしていた。趙雲がこの場を去ってからどれほど経過しただろうか。よくわからない。
 慶次にとって、この世界に来てからというもの、時が経つことに対しての思い入れが薄くなっていた。
 そういったことを、全て超越してしまったこの世界にいるからかもしれない。
 慶次がその死に様を知っている人が、生きてこの世で戦っているからかもしれない。
 ふと、馬蹄の音に気づいて、慶次は顔を上げた。
 そこには見覚えのある、赤毛の馬が一頭。
「…なんだ、あんたこっちに来たのかい」
―――政宗だった。
 供はいない。たった一人でここまで来たようだ。殿様が何をしているんだ、と苦笑すれば、政宗こそ呆れたように口を開く。
「おぬしこそ、何をしておる」
「俺ァ、呂布を保護してきた帰りだ。ああ、あと趙雲だったか?あいつを見送った後だな」
「…そうか」
 そこまで聞いてない、と言わんばかりの政宗だったが、立ち上がろうともしない慶次に、政宗の方が馬を下りた。呂布が目を醒まさないのを覗き込み、困惑気味に肩を竦めた。ただ眠っているだけだというのに、貂蝉を守るようにして眠っている。政宗も、貂蝉が逃亡した後の呂布を知っていたから、それはそれでよかったと思ったようだった。
 口許に、ほんの少し笑みが浮かんでいる。
「どうした、こんなところまで」
「見届けに来ただけじゃ」
「あんた、いいのかい?下手すると、あんたの知ってるあんたは、いなくなっちまうかもしれねぇぜ」
「…ワシはどうあっても、うまく立ち回る」
 慶次が何を言わんとしているのか、それは政宗にはお見通しのようだった。二人は二人とも、遠呂智の元にいたのだ。
 不遜な笑みを浮かべる政宗に、慶次も抑えた笑みを浮かべる。
「へえ。そいつぁ楽しみだ」
「それに、勝手に決めつけてもらっては困る」
「うん?」
「世界かどうなるかなど、決まったことではない」
「ああ、そうだなぁ」
「貴様らの、都合のいいようになるかわかったものではない」
 そうやって話していれば―――また別の方向から、馬蹄が聞こえてくる。
 慶次は耳を澄まし、そしてその音がする方をじっと見つめる。
「…おや?」
「…なんじゃ」
 目を凝らした慶次が、次に現れた人物に気づいて思わず苦笑する。
「ははは、また面白い奴がきちまったな」
「…?」
「兼続が来るぜ」
「なにっ!」
 思わず身構えた政宗の目に、しばらくしてようやく兼続の姿が見えた。向こうもこちらに気づいたらしい。酷く驚いた顔をしていた。
「…っ慶次!それに山犬!!」
「貴様兼続!!」
「何故こんなところにいる!」
 一触即発、という雰囲気の中で、慶次は全く己の調子を崩さずに答えた。
「一休み中でね」
「ワシはたまたまじゃ!!」
「たまたまでこんなところまで来るものか。何かあるのだろうが」
「う、うるさいっ!」
 いつものように怒鳴り散らして、政宗はふいとそっぽを向いてしまった。兼続は一つため息を落とす。そして、慶次に向き直った。
「…慶次、おまえも」
「言ったろ?一休み中だ」
「…教えてくれても良いのではないか。何を思って、その力を得たのかくらい」
「…何を思って、か」
「そうだ」
 頷く兼続に苦笑する。慶次は首を振った。
 もともと、教えてやるつもりなど毛頭ないのだ。つまらない意地だったが、それでも。
「なんだと思うね?」
「慶次」
 質問に質問で返してやれば、兼続が今にも説教を始めそうな顔で真っ直ぐにこちらを射抜く。
 が、どうあっても答える気はなかった。一つ伸びをして、慶次は口を開く。
「好きに考えてくれていいぜ」
「……好きに、か」
「ああ」
 その答えに、兼続は酷く落胆したようだった。目に見えて落胆する兼続に、悪いとは思ってもそれをどうこうするつもりは一切ない。
「結局教えてはくれないのだな」
「案外恥ずかしいもんでな」
 茶化すように言う。だが、兼続はその言葉に何かを決意したようだった。
「そうか…わかった」
「おう」
「では、教えてもらうまで死んでも二人から離れぬと決めた」
「…は?」
「根競べだ」
「…兼続」
「教えてくれるまで、動かん」
 兼続はそう言ったきり、どっかりと胡坐をかいてその場に根を張った。政宗は馬鹿め、と呟いたきりだったが、慶次は大笑いしている。
「よし、その根競べのったぜ」
 身を乗り出し、兼続と同じように胡坐をかいて、慶次は笑った。
 そう。その目だ。
 兼続の、しっかりと前を見据えるその瞳。はじめて会った時は面白い奴だと思ったものだ。話すうちに、ずいぶん真っ直ぐ正面から見つめてくる男だと。いつだって視線を逸らそうとしない。そんな姿に、この男についていこうと決めた。
―――そうして。
 関が原の戦いが起こり、三成が死ぬとその瞳からはその力は消えうせた。真っ直ぐ人の目を見ることもなくなった。迷い続ける目は次第に曇り、淀み。
 そんなものを、慶次は見たくなかったのだ。
 だから。
 遠呂智がはじめてこの世界を創った時、そして遠目に見て、謙信と共に戦う兼続の瞳が真っ直ぐなことに、慶次は酷く安堵した。この世界にいる限り、兼続は大丈夫だと。
 そして遠呂智のもとへ向かった。こんな粋なことをするのはどんな奴かと。
 そう思い、近寄った奴は酷く強大な力を内に秘めていた。そんな彼を見て、こういう奴がこの世界を創ったのか、と。そう思ったのだ。
 人の運命を捻じ曲げて、一つの世界に放り込む。
 一見するとただの悪で、彼が己から名乗るように、魔王そのもののようにも見える。
 だが、違った。
 彼の望みは死ぬことだった。強い者と戦って、朽ちる。
 そういう望みを持った男が、この世界を創った。慶次の好んだ、真っ直ぐな兼続の双眸を取り戻した。どんな因果で。わからないけれども。
 そんな望みを、叶えてやる気はなかった。政宗も同じように思っていた。おそらくは、呂布も。強者との戦いを求めるだけの呂布も、また遠呂智という男の中身を知っていた気がする。
「慶次、政宗」
「なんだい」
「な、なんじゃ」
 兼続が二人を呼ぶ。静かな声だった。
「久しぶりに、話す」
「…あぁ、そうだね」
「……」
「懐かしいな。…とても、懐かしい」
 昔を懐かしむように兼続は笑う。
「先ほど、幸村とも話した。幸村がいつものように話してくれるのが嬉しくて、やはり…元の世界に戻りたいと思った」
「兼続」
「慶次、おまえはどうだ。政宗、おまえも」
「………」
「この世界に来て、新しい出会いもあった。謙信公と共に、再び戦うことも出来た。それは私にとって望外の喜びだ。だが…やはり、日々培った絆や、関係は、そう簡単になくせるものではない」
 兼続の言葉は酷く落ち着いていた。落ち着いている時の兼続の口調は、力強い。この口調で、多くの人が安堵する。道を切り開くような強さがあるのだ。
「どんな運命があっても、だ」
 この世界に望みを持った。
 遠呂智の力は蛇の力。人の欲の力。望むものがあるからこそ、その力を得る。この世界は―――もともと、そうやって生まれたのだ。
(言わないさ)
 誰にも言わない。
 望んだのは、それこそ。
―――皆が笑って暮らせる世。たぶん、言ってしまえばそんな、くだらなく聞こえるくらい簡単で、でも難しいことだった。




 夏侯淵がうとうとし始めた頃、目を醒ましたのは長政だった。周囲を見渡し、甘寧と張遼が目覚めていないのを見て、自分がどんな目に遭ったのだったかを思い出す。
(そうか…某は)
 そして自分の近くに市がいないことを不思議に思って、むくりと起き上がった。どうやらずっとついていてくれたらしい夏侯淵は、うたたねから起き上がる気配はなさそうだ。胡坐をかいたまま、腕を組んで眠ってしまっている。なかなかいいいびきを掻いているが、残った二人がそれで起きる気配はない。長政はそっと夏侯淵に、ありがとう、と囁くと足音を忍ばせて部屋を出た。
(…あれからどれほど経ったのだろう)
 甘寧と市の話をしていたところを、昏倒している張遼を発見した。そこは、幸村に割り当てられた部屋の前で、自分たちが騒ぐと部屋の中から、三成が出てきたのだ。
 ―――赤い、目をして。
 思わず遠呂智を連想してしまった。それは長政だけではなく、甘寧もだったようで彼に至っては己の武器を取り出しもした。
 その瞬間だった。地が揺れ、亀裂が走ったように思えた。あとは何かあったかわからない。
 昏倒している間、多くの夢を見た。
「………」
 それは自分の死ぬ夢であったり、市が死ぬ夢であったり…娘の死ぬ夢であったりした。
 打ち付けられたところが多少痛む。肺のあたりをおさえながら、長政はなんとか部屋へたどり着こうとした。 
 が、笛の音色がして足を止めた。
 それは時折聴こえてくる笛だった。少し前に、それが誰のものだか確認しようと甘寧に誘われて、付き合ったことがある。結局それは曹丕の妻の甄姫のものだった。
 甄姫が笛を吹き、曹丕が何事か書簡に目を通している。時折曹丕が顔を上げ、甄姫を見守っている。そういう構図に、長政は曹丕は愛妻家なのだな、と呟き、甘寧はつまんねぇと不貞腐れて戻っていったことがある。
 ただ今聴こえてくるその音色は恐ろしく寂しいものだった。笛の音が時折不自然に揺れる。泣いているのではないか、そう思って、長政は進む方向を変えた。笛の音は、曹丕と甄姫の部屋からしている。だから、自然とそちらの方へ。
「あれ…長政殿じゃないですかぁ〜?」
 明るい声に振り返れば、くのいちがそこにいた。くのいちといえば、前田慶次から受けた傷で重傷だったはずだ。しかし声は明るい。
「…もう大丈夫なのか?」
「にゅ〜、あんまり。お市様がいたら怒られちゃいそうですぅ〜」
「…そうだ、市は…」
「寝てますよう」
 ずっと張り詰めていた糸が切れたように、寝ている。
 寝ている、と聞いて長政はほんの少し安堵した。こうなる前に甘寧が言っていた通り、最近市は酷く元の世界のことを気にしていて、あまり眠れていないようだった。
 それは長政が隣にいても同じで。
 ―――たぶん、嗅ぎ取っていたのかもしれない。死の臭いを。
「……そうか」
 安堵が表情に出ていたのかもしれない。少し笑ったくのいちが、長政を覗き込みながら言う。
「…お市様がどんな風になってても、長政様は責めないであげてくださいねぇ」
「ん?何かあったのか」
「それは自分の目でご確認くださいっ」
「…わかった」
「それで、今は何してらっしゃるんでー?」
 少しばかり無理やりな話題転換があって、長政は途切れず聴こえてくる笛の音に耳を澄ます。
 相変わらずその音色は、泣きたくなるようなものだった。
「…曹丕殿はどうされたのかと思ったのだ」
「ん〜?」
「笛の音色が酷く哀しい。曹丕殿がいる時にこんな音色はさせていなかった」
「さっすが長政様〜」
 曹丕の所在について何も言わないくのいちに、長政の中で不安が膨れ上がった。
「………いないのか?」
 その問いに、くのいちは頷く。一瞬二人の間に、重い沈黙が流れた。が、それを払拭するようにくのいちが顔を上げる。
「幸村様が助けますっ」
「…え?」
 一体自分が昏倒している間に何が起こったのか。どんなことがあったのか。長政はわからないままだ。三成の片目が遠呂智のそれのように赤く光っていたこと。そして謎の力に吹っ飛ばされ昏倒しているうちに、曹丕がいなくなり、幸村が助けに行った、ということだろうか。
「…うちのご主人様は〜自分の命の引き換えに、とかそういう条件、簡単に呑んじゃう人なんですよぅ?」
「…それは」
「やぁってらんないですよねぇ〜。あたし、助けられないじゃないですか」
 頬を膨らまして、くのいちは怒っている。が、本当に怒っているそれとは違うような気がした。
「…でも助けるのだろう?」
「当然!…っても、あたしじゃあないんですけど」
 くのいちは瞼を閉じて、少し悔しそうに笑った。握り締めている拳が震えている。
「……」
「あんな顔だけの男に、頼らないといけないなんてほんっっと嫌なんですけど!!」
「……」
「でも、あの人に助けられるのが、一番幸村様が救われるなら、それでいいです」
 でも本当は、自分が助けたいんだ、と。
 幸村の忍びとして、ずっとついていたのだろう。幸村の危機にはいつだって駆けつけた。
 理由はわからないが、それが出来ない悔しさにくのいちは震えていた。その気持ちはよくわかる。
 長政も元の世界でそうだった。市と娘たちだけはどうにかして守らなければならない。だけど離れたくない。しかしその二つの望みは並び立つものではなくて。
「…そうか」
 ―――悔しかった。自分の器の小ささに。
 そして刃を向けた相手の強大さに、打ちひしがれた。
「…お市様は、長政様にしか助けられませんからねっ」
「…そうだろうか」
「そうですよ!」
「だから、助けてあげてくださいね。…こっちは平気ですから」
「あぁ…そうだな。…わかった」
 だからあっちへ行って、と。
 くのいちの言葉に、長政は頷いた。そして、踵を返す。耳にはまだあの音色が響いて止まない。あまりに哀しい音色だから、つい引き寄せられてしまったけれど、あの音色が求めているのは一人だけ。あの音色が変わるのも、一人だけ。
 ―――だから。
(曹丕殿は、ずいぶん幸せな男だ)
 そう思いながら、長政は市が眠る部屋へと向かった。





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