いつか太陽に落ちてゆく日々 40




 兼続は、出る前にと甘寧のところへ向かった。まだ目覚めていないらしい。顔を覗かせた兼続に、それを番するように看ていた夏侯淵が「おっ」と声をあげた。
「どうした」
「ああ。少し調べたいことがあって、ここを離れようと思うのだ」
「へぇ。今度はどこへ行くんだ?」
 実に気負いのない夏侯淵の言葉に、兼続は頷く。
「伊達政宗という男を知っているか?彼が蜀の面々といるはずだ。奴に会う」
「ああ〜、あの小さいやつか!知ってるぜ。遠呂智軍にいたなぁ。そうかぁ、あいつ蜀にいるのか」
「そうらしい」
「そんで?これから行くんだろ。ここには何しに来たんだ?」
「ああ。実は渡されていたものがあったのだ」
 そう言って、兼続が出したのは路銀の入った袋だった。
 これを渡してきたのは凌統だ。凌統は、遠呂智との戦いの中で、信長と合流した呉の武将だ。阿国に気に入られてよく一緒にいる。
 そんな彼から、兼続たちが出立する時に、お願いをされていたのだ。
「凌統殿というのは、おそらく甘寧殿と親しい人だと思うのだが。彼が目を醒ましたら、この路銀を渡してほしい。それから、『俺は元気だ』と言っていたと伝えてくれないか」
「ああ、呉の凌統か。なんだなんだ、信長んとこにでもいるのかい」
「ああ」
「へぇ。まぁわかったぜ。伝えよう」
「頼む」
 そう言って、兼続は夏侯淵に路銀の入った袋を渡して踵を返した。路銀に関しては、おそらく自分たちに対する餞別のようなものだったのだろうが、使う予定はない。ならば、いつか戻るだろう甘寧に渡しておいた方が確実に彼の手元に返る。そう考えてのことだった。
 甘寧も長政も張遼も、まだ起き上がる気配はない。一度目は特に、あれを食らうとすぐに起き上がれない。聞けば兼続などは関平に比べてだいぶ遅れて目を醒ましたという。となれば、彼らも時間がかかるだろう。
 見る夢は人それぞれではあるだろうが―――兼続が見たのは、戦の夢だった。戦の中で、自分が命を落とすこともあり、また元気に戦っている時もあり。
 あれらはどういう意味なのか。
 見た光景は、どれにも兼続がいて、だがどれも知らない光景だった。
 それが―――自分が辿るかもしれない未来の姿なのだとしたら。
 あれらが全て、一つの道の中にあるとは到底思えない。だとすれば、炎の中で立ち尽くすのも、戦の中で幸村にかけられる言葉も、笑っている慶次も―――。あれの中の、どれか一つが自分の中の未来になる。そういうことなのか。
(ならば…)
 まだ未来は定まっていないのではないか。兼続は三成の未来を知らない。 家康との一戦で、負けることだとて、この世界で他人の口から聞いたことだ。
 その目で確認していないし、体験していない未来。
(ならば…まだ、希望はある)
 確信して、兼続は厩へ向かった。


 趙雲はひたすらに馬を走らせていた。
 その道中で、何とも奇妙な光景に出くわす。
「…あれは」
 それは、前田慶次だった。その肩には、大柄の男―――見間違えていなければ、呂布だ。そしてもう片方の肩には、細身の女性。淡い桃色の服を身に纏った女を抱えていた。
 向こうも趙雲の存在に気がついたらしい。
「よう」
 気さくに声をかけられて、趙雲は思わず馬を止めた。馬上から、思わずその奇妙な光景を眺める。
「…どうなされた?」
「ああ、ちょいとな。回収してきた」
「か、回収?」
 どさり、と呂布と貂蝉をそれぞれ、肩から下ろす。二人はそうされても全く目を醒ます気配がなかった。そんな二人―――特に呂布を見つめてこの異常事態に驚かない人間がいたら見てみたいものだ。それくらいに、趙雲は驚いていた。
「ああ。あんたはどうした?」
「…戻るところです」
 幸村たちのもとへ、とは言わず。ただ、言わずともわかったのだろう。
「そうかい」
 特にそれ以上を問わず、慶次は頷いた。そんな彼に、趙雲はようやく馬を下りる。
「…一つ、聞きたいことが」
「なんだい」
 慶次の目は赤い。その片目は時折青に変わることもあり、しかし趙雲はそれについては触れようとは思わなかった。それは、政宗の時に見た衝撃の方が強かったからかもしれない。
「あなたにとっての悪とは、なんだ?」
「あん?」
「あなたは覚えていないかもしれないが…私があなたと戦った時、古志城で言われた。単純な目で世の中を見ているなら目を覚ませと」
「あぁ…言ったかねぇ。そんなこと」
 自分の記憶を手繰って、慶次は目を細める。慶次が忘れていたとしても、趙雲は忘れたことはなかった。あの言葉は、趙雲にとっては理解しがたい言葉だったのだ。
 趙雲―――蜀の面々にとっては、劉備の不在は大きい痛手だった。劉備という存在が、蜀の面々を引っ張っていたのだ。だからこそ、遠呂智に捕えられているという以上、蜀の面々にとって、遠呂智は悪以外の何者でもない。だから余計に。
「あなたにとっての悪とは何なのか。それを知りたい」
「…あんたにとっちゃあ、この呂布なんかはどうだい。悪か?」
 顎で示された呂布は、いまだに目を醒まさない。その姿を見つめて、何ともいえない気分を味わいながら答えた。
「…彼は、私が知るだけでも何人も、恩ある人々を裏切っている。かつては、都が混乱している際に董卓という男が帝を―――宮廷を専横してしまった。その男の、養子だった。彼一人がいる為に、連合して戦った我々は苦戦を強いられたことがある」
「なるほど。それで悪か」
「…違うか?」
 慶次の言葉に、趙雲は眉を顰める。
「俺ァ、遠呂智のところにいて、こいつとも一緒にいたが。悪い奴じゃあなかったね。どっちかっていや、純粋な奴だった。戦いたいから遠呂智につく。強い奴は遠呂智の元にいりゃ必ず現れるからな。…何でも奴は真っ直ぐすぎる。まぁ、難しいことを小難しく考えるのは苦手なんだろうさ」
 純粋。
 そういった言葉が、こうも似合わない男もそういない。
 だが、趙雲にとってはそうでも、慶次にとってはそれが一番、呂布を表すのに適した言葉なのだろう。しごく当然のことを言ったまでだという風情の慶次に、趙雲は何も言えなかった。
「………」
「一つの側面でしか見なけりゃ、そりゃあ白黒はつけやすいだろうさ。ただ、あんたは自分が理想とする殿様がいるせいで、考えることをやめちまってないか?」
「………私は」
「いや、悪ぃな。説教するつもりはねぇんだ」
 慶次は頭を掻いて、らしからぬことをしたと笑った。趙雲はそんな彼を見つめて、こういう男だからこそ、遠呂智についたのかもしれないと思う。
「…遠呂智は、あなたのような人が傍にいてよかったのかもしれないな」
「何?」
「友だったのでしょう、遠呂智とは」
「ああ…まぁな」
「ならば、あの時の言葉も理解できる。申し訳なかった」
 友なればこそ。
 遠呂智という者に対して、理解は深かったのかもしれない。他の誰も、そんな評価を下せない相手に、そう言ってのけるだけの男だからこそ。
「……あんたは、真っ直ぐだねぇ」
「そうだろうか?」
 首を傾げる趙雲に、慶次は苦笑する。
「ああ。…なぁ、あんた」
「?」
「これから幸村んとこに行くんだろう?大将…石田三成をな、その気にさせてやってくれないかい」
「その気、とは」
「戦う気にさせてやってくれねぇか」
「…私が?」
 何をどうやってそんな気にさせろと言うのか。そもそもそんな話が出るとは、今の曹魏は一体どんな状況にあるのか。
「あの大将は…今何も信じられないでいるのさ。自分の、好きな奴すらな」
「…好きな、というのは…下世話な話、幸村殿のことか?」
 幸村の名が簡単に出たことに、慶次は思わず、といった様子で身を乗り出した。そしておかしそうに笑い出す。
「なんだ、あんたにまで知られてるのかい。あの大将は」
「南中での戦の時に、幸村殿と私が似ていると言っていた。それに、幸村殿があなたのところへ単身で向かった時も、ずいぶん当たられたのだ。その時に、そうではないかと…」
「ははは。隠せない御仁だねぇ」
 やはりそうだったのか、と妙に納得する趙雲は、思わず慶次の笑う声につれて苦笑した。
 そうだ。三成とはほとんど会話らしい会話をしていない。にも関わらず、あっさり看破出来てしまうほど、三成は幸村に対して特別な態度で接している。
「不思議な話だが。私と幸村殿は妙に近いところがあって…彼がどのように戦うか、わかることがある」
 特にそれは戦の時に発揮されるものだ。その槍がどう動くか、彼がどんな策を用いるか。またその陣形は。そんなことが、なんとなくわかる。その事でずいぶん言われたことがあった。
「ははぁ、それで嫉妬でもさせちまったか」
「…言われてみれば、そうなのかもしれない」
「あんたも、とんだとばっちりだね」
「…だが、それで私に戦う気にさせるとは…幸村殿に頼むべきでは?」
 たとえそういう三成の想いがあって、嫉妬させたのだとしても、それで三成を戦う気にさせるというのは何かが違うのではないだろうか。そう思う。 が、そう問えば慶次は真剣な眼差しで頷いた。
「それは、伝えてきた」
「…そうか」
「頼むぜ、俺の望みはそれだけだ」
 そうやって言う慶次の表情はどことなく穏やかで、だが寂しげだ。その望みは、決して慶次本人に関係のあるものとは思えない。が、本当にそう思っているのだろう。
「……そうすることで、あなたも何かを得るのか?」
「―――…あぁ」
 その問いに対する答えに、その眼差しの真摯さに、趙雲は頷いた。
「わかった。難しい話だが、やってみよう」
 趙雲は再び馬に跨った。相変わらず呂布と貂蝉は起き上がる気配はない。 そうしていると、二人は寄り添うようにして眠っているように見えた。
 慶次は、呂布を純粋な奴だと言う。
 それはおそらく、劉備や、それ以外の誰もが思いもつかないところだろう。
 この世界で、彼はそんな風に評価される相手を知ったのか。そう思うと、ほんの少しばかり、呂布のことが羨ましい気がする。
「では、御免」
「おう、頼んだぜ」
 馬の腹を蹴ると、一つ嘶いて走り出す。
 僅かに振り返れば、慶次は相変わらずそこにいた。
 呂布たちを見守っているように見えて、彼という人に興味がわいたが、今はもう立ち止まらなかった。




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