いつか太陽に落ちてゆく日々 37




 大地が揺れた。その場にいた全員が、その衝撃をまともに食らって倒れる―――が、一人だけ。
 三成だけが、立ち続けていた。その衝撃に耐える姿は一種威容だ。
「貴様」
 三成の声は怒りに震えている。正面からそれに立ち向かう慶次は、その綺麗な顔が般若のように歪むのを見て迫力があると感心して見ていた。
 兼続は、二人の死角となる位置にいた。呂布の動きを止めるため、機を窺っていたからだ。だがここで、思わぬ闖入者にあの場にいた全員、そして兼続までもがその唐突な登場に空気を呑まれていた。
(慶次)
 兼続は慶次の姿に拳を握った。妙な緊張感に身を包まれる。
 聞きたいことがたくさんある。言ってやりたいこともだ。だが、兼続はそうしなかった。
「よぅ大将。やっぱりアンタ、呑まれたな」
「何を」
「欲に呑まれた」
「…欲、だと?」
 三成はその口調の端々から、怒りを露にしていて一触即発だ。慶次は今三成をどうこうするつもりはないが、彼が襲い掛かってきた時、戦いを避ける方法はとらないだろう。
 兼続はそう思い、じっと二人のやり取りを影から見つめた。これでは盗み聞きにも等しかったが、あの状態の三成を前にして、はじめて慶次が何かを語ろうとしているように見えた。
(やはり慶次は何か知っている)
 政宗が、夢の中で言っていた。慶次は兼続に報せたいのだと。
 ―――遠呂智のことを。
 あの夢が嘘ではなく、本当なのだと確信するのは今しかない。
 合肥新城で再会した時、慶次は何も語ろうとしなかった。関平の攻撃をただ受け止めて、薙ぎ払い。何度慶次の名を呼んでも、慶次は兼続に答えようとしなかった。
 何をしようとしているのか。何を望んでそこにいるのか。
 何故その目の色が変わってしまったのか。どうして遠呂智の力を使えるようになっているのか。どうして。
 仲間の声に、こたえようともしないのか。
「蛇の毒は人の毒って言ってね。…あんた、俺と同じで蛇の力、あるんだろ?」
 蛇の力―――それは遠呂智の力のことだろう。その言葉に、目に見えて三成が動揺するのがわかった。
「…俺は…っ」
「その目が赤いのが証拠だ」
「それは貴様も同じではないか!」
「あぁ、俺ァ進んで力を望んだからさ」
「……っ、望んだ、だと…!?」
 一体何故だ、という言外の問いを、慶次は聞き入れなかった。答える気のない様子だ。
 完全に敵意を剥きだしにしている三成と違い、慶次はいつものような態度のままだ。いつものように、その場の空気に呑まれることはない。
「まぁいいさ。今は大将に用はねぇ。悪いが退いてくれねぇかい」
「呂布を助けに来たと言っていたな」
「あぁ。このままじゃあ、呂布が処刑でもされちまいそうだったからなぁ。また牢にでも入れられちまったら、助け出すのも骨だ」
「渡すと思うのか」
「呂布は貂蝉といられれば、何もいわねぇよ」
「貴様の言うことなど信じられるものか」
「ははっ、そりゃあそうだな」
 三成の剥きだしの敵意に、慶次は居心地悪そうに頭を掻く。
「だが本当のことさ。呂布は、貂蝉がいりゃあ平気だ。あんたが、幸村がいりゃ平気なようにな」
「…な、に…を、言っている…!!」
「ははは、図星かい?顔が赤いぜ大将!」
 言われて、三成は片手で顔を覆った。痛いほど図星をつかれたせいで、はっきりと顔に出てしまったらしい。その動揺の為か、八つ当たりのような怒りが膨れ上がる。
「ふ、ふざけるな…!!」
「本当のことだろ?」
「…っ、貴様になど…何がわかる…!」
 慶次に見透かされたことが悔しいのか、三成は滲むように叫んだ。人が人を想う感情など、その人にしかその重みはわからない。三成にとって幸村がどれほどの比重を占めているか。そんなことは慶次にはわからない。
 わからないけれども、それが重いことだけは誰が見ても明らかだった。そんなものは、元の世界にいた頃からもどかしく思うほどに感じていたことだが。
「なぁ、あんた」
「…なんだ!」
「なんであの時、負けちまったのさ」
 その口調が、がらりと変わった。低い声で問う。慶次のそんな様子に戸惑いながら、三成は眉を顰める。
「…あの、時…?」
「―――関が原で」
 慶次の言葉に、三成は双眸を見開き、見る間に青ざめた。この反応を示すということは、彼は知っているのだ。関が原で―――負けることを。
 兼続は、二人の遣り取りを影で見守るだけだったが、それでもその言葉に心臓が高鳴るのを感じた。
「俺は…負けたのか」
「……勝つんじゃなかったのかい?」
「…っ」
 言葉を詰まらせている三成に、慶次は諦観を込めた口調で、呟く。
「その力、持った奴はな。戻りたくない奴なのさ」
「…何」
「この世界で、望む未来を掴めるかもしれない。そうやってこの世界に、未来を見出しちまった奴が得る力だ」
「…俺が…この世界に?」
「違うかい?」
 慶次の言葉に三成は眩暈を感じて数歩よろめいた。
 確かに、遠呂智が現れる直前まで、三成は戦に負けそうになっていた。島津軍は動かない。相次ぐ裏切り。その合戦場にいる、全ての人間が自分の首目掛けてやってくる。
 だからあの時、遠呂智が現れ世界が歪み、全てが変わってしまった時に。自分に救いの手が差し伸べられたように感じた。
 だけれども。
 この世界に希望を感じる、など。
「そんな…ことが…」
 三成の声は震えていた。怒りの為のものではない。驚き、そして自分の深層心理に触れてのものだ。自覚はなかった。けれど、恐れを抱いていたのもまた事実。
 負けるかもしれない現実に、負けるしかない現実に、晒されて。
「そんな…馬鹿なことが…っ」
「馬鹿かどうか。見てもらおうか」
 ざ、と風が吹いた。突風だ。そしてその風に煽られて、見えるのは。
 戦の気配。多くの人々が倒れ、血と泥に塗れ、旗印があちこちで散乱している。遠くでは、鉄砲の音が響いている。
 ―――関が原だ。
 兼続はその幻術のようなものに己も巻き込まれたことに気がついたが、抜け出す術がなかった。
 そこは、兼続が知らないはずの場所。兼続はこの時、長谷堂城におり、伊達・最上の連合軍を迎え撃っていたところだ。知らないはずのその光景。だが、兼続はこの光景を、いつだったか酷く望んでいた気がする。三成がどうなったのか、それを知りたいと強く願ったことがあったような気がする。
「殿、逃げてください」
 聞こえた声は、久しぶりに見た左近のものだった。
 彼の表情は険しい。
「…わかった。左近、城で逢おう」
 三成の声に、苦いものがまざっている。負け戦。左近が本陣を離れようとしていた。その隙に、三成を逃がす。左近にとってそれは、退路のない戦いだった。
 三成は逃げて逃げて逃げて、泥に塗れてそれでも逃げた。だがどれほど逃げた頃だったか。ついに見つかり、処刑される。見つかった頃には三成は決して恥じることのない強い眼差しで、処刑の日を迎え―――。
「―――ッ」
 その瞬間をその目で見て、兼続はぞっとした。自分の中で、何か大切なものがなくなってしまったような錯覚。そして。
 見える光景が、切り替わる。冬の空。雪の降るその城が、炎に包まれている。
 幸村がそこに立っている。
 振り返れば、先ほどの衝撃で幸村は倒れている。ということは、今その業火に焼かれる城の中にいるのは―――それは幻術の幸村ということか。
 そして、その光景は兼続の記憶に鮮やかに残っているものだった。ほんのつい先ほど、その光景を見た気がして。
 外は雪。しかし城の中の業火はおさまるところを知らない。燃えていくその城の中で、聞こえるのは。
「ここでともに死んでもらおう…」
 兼続の、自身の声。
「兼続殿!なぜこのような…秀忠はどこに!」
「私に言える言葉など何もない」
 向かい合うのは、幸村と、そして兼続だった。二人はすでに戦うしかない。互いの道はすでに分かたれて久しい。どうしようもない戦いの気配があった。

「…こんなものを見せて、何を知れと言うんだ」

 ふと、その幻術に待ったをかけたのは三成だった。予想していたよりも冷静な声音で。
 慶次は、しばし黙っていたが口を開いた。
「変えてぇと思わなかったかい?」
「………」
「自分の運命、どうにかして自分の都合のいい方へ」
「俺は遠呂智ではない」
「そうさ。あんたは遠呂智じゃあねぇ。だがあんたの中で、戻りたくないと思ったことはなかったかい」
「…だからなんだと言うのだ!!」
「それが欲だ。それがこの世界を繋ぎとめている」
「…な、に?」
「遠呂智がいなくなって、それでもこの世界がなくならない。戻れない理由だ」
「…俺のせい…だと?」
「あんたのせいだけじゃあないさ…。俺もそうだ。呂布もそうだろ」
 赤目なのは、と呟くと慶次は笑った。
「この赤の目は、遠呂智の…蛇の力を得た証拠だ。遠呂智は、この世界なら、この歪んじまった世界でなら、望みが叶うと知っていて創った。だから、この目はこの世界に希望を持った者にだけ与えられる、証みたいなもんだ」
 ―――だから。
 だから遠呂智が倒れてもなくならない。歪みはおさまらない。
 そこに、この世界を望む者がいる。この世界を望み、元に戻るのを拒む者がいる。こだわりは人それぞれで、誰がどんな理由でその世界を紡いでいるのか。
 それを全て知ることはできないが。
 そういった人間が、この世界を紡いでいる。
「…それは…ならば、他にもいるということか」
「あぁ、いるだろうねぇ。俺やアンタみたいなのが」
 同じように、こうして遠呂智の力を得てしまう者がいるのか。兼続はふと政宗のことを思い出した。彼に限ってそんなことはないような気がする。が、あの不思議な夢を思うと、彼もまたそんな力を得ているのではないか。そんな気がしていた。
「だから、結局倒せていねぇのさ。遠呂智を。奴の中にあった、蛇の力を」
 蛇の毒とは、人の欲。
 遠呂智の身体の中にあり、その力であり、この世界を歪めて創り上げるまでに至った、強大な力。強大な。
 欲の力。
「…貴様は何故こんな話を俺にしにきた…」
 力ない声で、三成が言う。己の負ける姿も、首を刎ねられる姿も見た。兼続と幸村が殺しあう光景すら見た。
 己が、その深層心理で元の世界に戻りたくないと思っていることまで自覚させられて。
「…とりあえず、呂布の奴を渡してもらおう。貂蝉もだ」
「…それでどうなる」
「呂布の奴は貂蝉に任せるさ。呂布は、…あいつァ案外いい奴だからな。俺や政宗が言っていた奴のことを覚えていて、関わっちまっただけだ。あんたが貂蝉を助けてたこともあったしな」
 呂布に対して、そんな評価をする人間が今までいただろうか。ひたすらに己の武を信じ、裏切りにつぐ裏切りを繰り返し、ついには自分が裏切られた男。
 暴れればただの暴徒と化してしまうような男が、政宗や慶次、そして遠呂智たちと交わした会話の中に、おそらく多く出たであろう一人の名前を覚えていた、などと。
「…伊達政宗?」
 何故彼が、という三成の疑問に慶次はさも当然のように答えた。
「あぁ。あいつは幸村が死ぬところを知っている」
「―――…死ぬ、ところ」
 あっさりと答えられたそれは、三成には聞きたくない答えだった。
「そうさ。政宗は幸村の、死ぬ運命の先のところから来た」
 ―――雨の降る日だった。
 空には暗雲がたれこめ、息も詰まる思いだった。篭城する豊臣方の武将たちの中、幸村は決して政宗の言葉を受け入れず、信念を曲げず。家康に、「ついに犬にすることが出来なかった」と言わしめた。
 その姿は、政宗の目にこれでもかと焼きついた。己の信念を貫き通す。それは、政宗のような一国の主には出来ないことだ。それはあまりにも愚かで、理解の出来ないことで、だけれども。
 政宗の中にあった、燻り続けていた炎を呼び起こした。
 だから知っている。幸村の死ぬ運命も、三成も、兼続も、そして慶次も。それぞれの死を。
「だから、呂布は本当は関係がなかったのさ。俺たちとのつきあいが、話をややこしくしちまっただけで。だから、許してやんな」
「……好きにしろ」
「悪いな」
 慶次の言葉には嘘がないように思えた。それは三成もなのだろう。あっさりとそう言うと慶次が呂布を連れていくのを許す。歩み寄ってくる慶次の姿を、三成は真正面から見つめていた。ごく近くなったところで、ぽつりと問う。
「…一つ、教えろ」
「なんだい」
「…おまえ…おまえも、人の死を見るのか。夢で…」
 そんなことか、というように慶次は頷く。
「見たさ。知らん奴の、死ぬ姿まで」
「…そうか」
「あんたも、見てるだろ?」
「……遠呂智の力のせいか」
「そうだねぇ。まぁ、そういうこったろうな。副作用みたいなもんじゃないかい。俺たちが、望むから世界が戻らないんだろうからなぁ」
 因果なもんだね、と呟くと慶次は肩を竦めた。そして、倒れたきりの呂布と貂蝉を両肩に抱えあげる。巨体の呂布も軽々と持ち上げる様は、そんな時でもなければ感嘆の声をあげるところだが。
 そうして、じゃあな、と言って慶次はその場を去ろうとする。三成は何も言わない。他の誰もその場で目覚めていない。兼続は、慌てて立ち上がった。

「慶次!!」

 声に、慶次が振り返る。懐かしそうに笑う姿に、兼続は歯噛みした。そして、叫ぶ。
「おまえの望みはなんだ!」
 しかしその問いに、慶次は答えなかった。笑ったきり、また踵を返す。
「慶次!!」
 しかし慶次は立ち止まらなかった。三成と兼続は並んで立ち尽くして、ただ呆然とするしかなかった。
 追いかけようかと思ったが、その背中が完全に拒絶しているように思えた。
―――蛇の毒とは人の欲。
 では、遠呂智の力を、蛇の力を得た慶次の望むものとは何だ。この世界に、何を望む?
 生きるべくして生きるというのが信条の彼が、一体何を望んだというのか。
―――友の為に戦うも義、だろ?…兼続よ。
 合肥新城でそう言っていたことを思い出す。はっきりと言えないのか。言いたくないのか。慶次の望むことがわからない。
(わかっていたつもりだったのだがな…)
 いや、違うか。
 元の世界にいた時から、慶次の真意など気づいていなかったかもしれない。
 わかっているつもりだった。でも、何も知らなかった。
 だからわからない。こんな時、慶次が何を望むのか。
 そんな、簡単な答えが。





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40話だって軽く超えるぜ…!orz