いつか太陽に落ちてゆく日々 36





「遠呂智様はねぇ、こっわいんだから!」
 とてもそうは思えない口調で、妲己が声高らかに言う。しかも本人を目の前にしてだ。とはいえ遠呂智は全く顔色一つ変えないし、かといって妲己も失言だったとは思っていない。
 当然だった。
「……」
「逃げ出そうなんて、思わない方がいいわよ?そんなことしたら、世界が元に戻っても、あんたの事追いかけちゃうんだから」
 にやりと笑う妲己に劉備は何も言わず、ただ項垂れるばかりだった。
 妲己は、思った以上の反応がないのがつまらないらしい。もっと恐怖におののく顔を見たいのに、とぼやくと肩を竦める。
 そして矛先をかえることにした。
「あんたの軍ってほんとに弱くてびっくりしちゃった!あんたが死んだと思ったら雪崩れでも起きたのかってくらいガタガタだったもの。ね、遠呂智様っ」
「…皆は…無事か?」
 劉備が何とか紡ぎ出した言葉に、妲己は目を細めた。ようやく反応が引き出せたと思ったら、他人の心配か。劉備がその顔を上げて、妲己のことを真っ直ぐ見つめられていたら、そんな表情をしていることに気がついただろう。
「無事かしらねぇ?」
「私のせいだ…」
「ちょっとォ!そこでじめじめしないでよね!これだから弱い奴等って嫌だなのよ」
「私は弱い…が、私以外の者は皆強い!強いのだ…!!」
 劉備は拳を握り締め、遠呂智から感じる強大な力に、立ち上がる気力を失いかけていたのを何とか奮い立たせた。自分が弱いのはわかっている。だが、劉備の力になろうとして集まってきてくれた人々の、何が弱いものか。
兄弟たちは強い。趙雲も馬超も、黄忠たちもだ。若い力だとて強く、そして聡明な頭脳で助けてくれる者たちもいる。それを弱いといわれてしまうのはあまりにも苦しかった。たとえ、自分が敵の手に落ちたせいで蜀の仲間たちが皆倒れたのだとしても。
「ならば、祈れ」
 今まで黙っていた遠呂智が、口を開いた。
「…祈る?」
 その言葉は、遠呂智の口から出るにはあまりにも不釣合いで、劉備は思わず顔を上げた。
「我も祈ろう。おまえが信じる者たちが、強者であることを」
「…そして倒すというのか」
「我は魔王。強者を求める」
「何故だ。何故おまえはこんな世界を創ってまで…強者を求める!」
 劉備の言葉に、遠呂智はしばらく考え、答えた。至極当たり前だというように。
「我を倒す者を求めている」
「…倒す、…?」
「我は我を倒せる者を待っている。我の中にいる、蛇が歓喜するほどの強者。総毛立つほどの武を持つ者。真に、我を倒せる者を」
「…それで、世界を創ったというのか。我々をこの世界に移動させて…!それて本当におまえの望む強者は現れるのか!」
 そんなことの為に、掲げていた仁の世への礎が全て台無しにされたことを思うと、劉備の怒りは自分では制御できないほどの強さを生んだ。
 その怒りに、いつだったかどこかでそんな風に思ったことがある気がしたが、今はそんなことはどうでもよかった。
「強いのだろう、おまえの信じる者とやらは」
「…倒されるのを望むというのか」
 もちろん、倒すだろう。こんな馬鹿げた世界は、誰かが打ち破る。
 だが、それを望むなどと言われてしまうと、劉備は言い様のないわだかまりか胸に広がるばかりだった。
「…間違えるな。強者に倒されることを望むのだ」
「おまえのそれは、武を競うというのとは違うのだな」
「……」
「何故その力を、こんな間違ったことに使おうとするのだ…?」
「間違った?」
 劉備の言葉に、さも驚いたように遠呂智が首を傾げる。ふざけている場面でもないのに、その様子は劉備の怒りを逆撫でるに十分だった。
「そうだ!」
「何が間違っている?」
「何もかもだ!!」
「…そうか…。おかしな話もあったものだ」
「なに!?」
「望むことは間違ったことなのか。妲己」
「そんなことないですっ」
「だそうだが」
「全ての人間が望む通りに生きてしまったらどうなる!!おまえは望べば変え得る力を持っているのだぞ!?」
「…持ってなどいない」
「ではこの世界はなんだ!?」
「この世界など、我の望む世界ではない。我の望むは、我を倒す強者の存在。それだけだ」
「死ぬのが望みだと言うか!」
「我が鎌を振るうと皆が倒れた。我が大地を轟かせれば、誰も立つことなど出来なかった。我の歩いた後に生きる者などおらず、我は常に生きた」
 その言葉は、実際に遠呂智の強さを見た劉備には重く感じられた。そう、確かに遠呂智は強かった。何もかもを壊し、何もかもを奪う。
「……」
「我を倒し、元の世界へ戻ればいい」
「……」
「我の中のいる、蛇を倒してな」
「…蛇?」
「我を、倒した時こそ始まりの時だ」
「どういう…」
「蛇の毒は強い」
「……」
「蛇の毒とは人の欲。我の身の内に留めた毒、我を滅ぼした後に世界を覆うだろう」
「…っ、貴様の言葉は難しくてわからん!何故わかるように話そうとしない!」
「わかるように話したところで、理解など出来ぬ」
「わからないだろう、そんなことは!」
「今、おまえがわかろうとなどしていない」
「…っ」
「ならば大人しく、撒餌にでもなってもらおう」
 そう言って、遠呂智が静かに笑った。

 そうして、捕虜として生活が始まった。とはいえ、劉備は何故か拘束されるわけでもなく、古志城の中を自由に動くことが出来た。城の外はいつも澱んだ雲が覆っていて、空が低い。
 城の外へ出ることはなかったが、城の中から外の状況は見ることが出来た。外に向けてつくられている砲門や、砦がいくつかある。さらに、城へ入るには橋があり、それを渡す必要があった。
 しかもどうやら、その橋を渡すのには中から操作をしないといけないらしい。
 たとえばここへ誰かが攻め寄せたとしても、中から操作をしてもらわなければどうすることも出来ない。
 だがもしかしたら、本物の強者というのが現れた時、遠呂智は自らその橋を渡すことがあるのかもしれなかった。
「よぅ、物憂い顔してるねぇ」
「…慶次殿か」
 城の中を自由に行き来できるのは、劉備以外にも数人いた。ただし、劉備の場合は城の外へ一歩たりとも出ることは出来ないが、彼等は違う。彼等は、客将として扱われていた。
「皆がどうしているかと思ってな」
「あんたを取り戻すために戦ってるぜ」
 さらりと外の情報をくれるのは慶次だけだった。政宗は大概何かを警戒して、あまり寄ってこない。呂布は、劉備のような人間には興味がないのだろう。だから、もっぱらここでの話し相手は慶次くらいのものだった。
「…そうか」
「まぁ、あんたが人質にとられてるからな。蜀の奴等は散り散りだが」
「……」
「だが、だいぶ前に趙雲、とかいう奴が城から脱走したって話だ。これから面白くなりそうじゃないかい?」
 趙雲の名に、彼が生きていたことを知って内心安堵した。ぎりぎりまで劉備を守ろうと戦ってくれていた彼だったが、先に劉備が倒れてしまったせいで、彼がどうしていたかがわからず気になっていた。
「趙雲が…そうか。慶次殿は遠呂智とは友だと聞いたが」
「あぁ」
「元いた仲間はどうするのだ?」
「戦うぜ」
 淀みなく言い切った慶次に、劉備は驚いて思わず息を呑んだ。いや、そういう気構えがなくては遠呂智につこうとは思わないだろう。
「…何故そんなにあっさり決めてしまえるのだ?」
「俺が味方すると決めた奴があいつらの敵だったってだけさ」
「わからぬ」
「生きるべくして生きるのさ。俺ァ、遠呂智ってやつを放っておけなかった。その気持ちに嘘がねぇから、あいつにつく」
「……」
「あんたの兄弟だって、そうなんじゃないかい?あんたの為にさ」
 それは、劉備が捕まっているが為に遠呂智軍に使われている身分の関羽や張飛のことを言いたいのだろう。きっと苦しんでいるはずだ。張飛はその力を正しいと思えるものの為に使えずに、くさっているかもしれない。
 関羽は、何もいわないだろう。だが心の奥底では苦しんでいるに違いない。
「…雲長や翼徳は、もしも私がそんな道を進もうとすれば止めてくれるはずだ」
 だからわざと話の矛先をかえた。慶次もそれに気づいただろうが、それについては言及しない。
「そうかい?だが例えばだがね。あんたらのうちの誰かがやられちまった時、残った奴はどうする?弔い合戦でもなんでもして、無念を晴らしてやろうとでも思うんじゃないのかい?その時、それが正しいかなんて判断、出来るかね」
 その言葉に、言い知れない既視感を覚えて劉備は思わず眉間に皺をつくった。慶次はそんな劉備に何も言わない。
「…俺が知ってる奴等は、一人が死んじまったら、ばらばらになっちまったよ。…敵同士だ」
「…それは…」
「どっちが正しかったかなんて俺は知らないがね」
 そうやって語る慶次の様子に、劉備は胸が詰まった。
「…その、慶次殿は…その二人が好きだったのだな」
「ははは、あんたも面白いねぇ。まぁ、片方は弟みたいな奴だし、片方は面白い奴でね…」
「…助けてはやらなかったのか?」
「…助けなかったな」
「なぜだ?」
「なんでだろうねえ。二人が戦うのは、見たくなかったのかもしれねぇが」
「ならば間違っているのは慶次殿だろう。君が助けてやるべきできないか。君が、その二人を救えるのなら、だが」
「………」
「慶次殿は強いのだ。だからこそ、君が助けることも出来たはず」
「……あんたは、真っ直ぐだねぇ」
「そうだろうか」
「ああ」
「…よく呆れられる」
「ははは、かもしれないねぇ」
 慶次は軽く笑って、背伸びをした。
 ただ、その顔は僅かばかり明るい。いつも明るい彼だったが、その顔に時折浮かぶように見えた影が、今はない気がした。
「だったら、遠呂智も止めてやらないと駄目かい?」
「…しないのだろう?」
「ああ」
「遠呂智は…助けは求めていないからな」
「ああ」
「…だが、遠呂智ではないその、仲間というのは、助けてやってくれ」
「出来たらな」
「あぁ」
 出来たら。
 慶次は軽く手を振ると、また歩き出した。どこへ向かうというあてもないのだろう。今はたまたま、劉備が目の前にいたから話をしにきたに過ぎない。
 だが、劉備はここに連れてこられてからずっと彼等を見ていて思うことがあった。
 呂布も、政宗も、そして慶次も。誰も彼もが強い。
 だが彼等と少しずつでも言葉を交わすにつれて、彼等が、恵まれたものを持っていても決して満足していないことを知る。
 ただの暴徒に見えた呂布も、ただただ小賢しいばかりの男に思えた政宗も、そして型に嵌らない慶次も。
 望みが、叶わない。だから、彼らは遠呂智に共感したのかもしれない。
「…なんだろうな、これは…」
 ここに諸葛亮がいれば、わかったかもしれない。
 だが、もうずっとここでは一人だ。慶次や政宗と話すうちに、少しずつでも外の状況は知ることが出来た。そして、元の世界での彼等の思いもまた。




 そして。
 趙雲たちが、古志城に詰め掛けた。諸葛亮の罠に嵌った妲己が彼等を連れてきた。激しい攻防の末、橋が渡された時。
「来い」
 唐突に目の前に現れた遠呂智に、劉備は真っ直ぐに言い放った。
「…私を人質にしても、意味などないぞ」
「そんなことはどうでもいい。おまえは、見るがいい」
「何?」
「次に誰が、この蛇を身に飼うか、知れ」
 ―――蛇。
 それは、はじめてここに連れてこられた時に聞いた話だった。
―――我を、倒した時こそ始まりの時だ。
「…何故だ」
「知りたいといったのは貴様だ」
「…わかった」
 そうして戦いが終わった。趙雲と、幸村と、二人の槍が遠呂智を突いた。
 倒れた遠呂智の向こう側、走り寄ってくる懐かしい仲間と、そして彼等と共に戦ってくれた武士たちを前に。
(蛇、)
 遠呂智の元にいたときに、何度かその名を聞いた。赤い鎧、焔のような槍さばき。政宗からも、慶次からも、その名を聞いた。
―――蛇の毒とは人の欲。
(…彼だ)
 再会に喜びあってしばらくして。
 劉備は趙雲の横にいた男に声をかけた。
「…皆を助けてくれたこと、礼を言う。名を聞かせてくれぬか?」

「真田幸村と申します」

 彼だ。
 何故だかはわからないが、劉備にはその確信があった。
 彼を中心に、蛇の輪が見える。
 この目はどうにかなってしまったのだろうか。そう思いながら。





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慶次も遠呂智も難しいったら。