幸村たちの前に現れた慶次は、変わらず右の目が赤く光っていた。 他の者と違うのは、その赤目が青に変わることもあることだ。 「…何をしにきた」 そう問いかけたのは呂布だった。三成につきつけられた鉄扇などまるでないもののように。 「あんたを助けに来てやったのさ」 慶次は苦笑して肩を竦める。呂布にはまるきりそんな発想がなかったようで、大きくその双眸を見開いた。 「…おかしな話かい?」 その様子がおかしいらしい慶次は、ははは、と笑う。その声が実に彼らしいもので、だがあまりにも場違いで。 「どういうことですか、慶次殿…!」 「説明の必要があるかい?俺がここにきた理由は、話したぜ」 慶次はどことなく寂しげだ。それは、あの古志城で刃を交えた時と同じように。 あの時も、慶次はどことなく寂しげにみえた。 ―――俺の生き方は昔も今も変わりゃしねえさ。 言われてみれば確かに、彼はいつだって勝ち負けなど関係なく、自分が惚れた相手へ助太刀した。長篠で織田軍を飛び出して幸村を助けたことも、あんたは面白いと言って兼続に味方した時も。 だが、その次が遠呂智なのか、と。 そうして困惑している幸村をよそに、話は進んでいた。 慶次に気をとられているうちに、取り戻した甄姫を己の後ろに庇うようにして立って、曹丕が苛立ちを露に問う。 「また遠呂智の残党でも連れてきたか、前田慶次」 「そう睨みなさんな。俺ァ一人だ」 「あの時合肥新城を攻めたのは何故だ」「幸村がいたからな」 そう言って、慶次が笑った。
諸葛亮が詰めている部屋へひょっこりと顔を出したのは、劉備だった。 「趙雲はもう行ったか?」 「ええ」 頷いて、諸葛亮は主を迎え入れる。部屋にいた月英もそれにならった。 劉備は用意された席につくと、一つ小さなため息をつく。 「嫌なものだな」 「殿は何もされておりません。気に病むことなどないのですよ」 そう言って安心させるような静かな微笑みを浮かべる諸葛亮のそばで、月英は少しばかり諦めたような笑顔を浮かべる。 この人はいつだって主に負担をかけないように、政事の暗い部分を全て引き受けようとする。今だってそうだ。 だが月英は何も言わない。 「曹魏が攻め込まれたという情報を、趙雲殿からいただきました」 その諸葛亮の言葉に、劉備はさほど驚いた様子はなかった。まるであらかじめ知っていたことのように、その報告を受け、そうか、と呟きもう一つため息をつく。 「趙雲が無事でよかった」 心底そう思っているのだろう劉備の言葉に、諸葛亮は頷く。 「彼は強い。関羽殿とも、張飛殿とも違った強さをお持ちです。大丈夫だと思いましたよ。それに、錦袋を渡してありますので」 「錦袋?」 「ええ、僭越ながら、困った時に開いて見ていただくようになっています」 その内容におおいに興味を持ったらしい劉備が、身を乗り出してくる。 「何が入っているのだ?」 「私の策が」 「いつどんな目に遭うかもわからんのにか?凄いな」 どんな策がその中に秘められているのかは、諸葛亮は一言も言おうとしなかった。月英にも言おうとしない。いつだったか聞いた時には、笑われてしまいそうですからと言って教えてもらうことは出来なかった。 「趙雲殿はなかなかあれをあけようとしないでしょう。そういう、本当に進退窮まった時にやるべきことなど、どんな場合でも大してかわりはないものです」 「…そうか。それを聞いて安心した。…幸村殿には悪いことをしたが…」 幸村の名を出して、劉備は再び物憂い顔になる。劉備にはどうしても、趙雲と幸村のことが気にかかるようだった。 「殿、幸村殿は望んで曹魏へ向かわれました。我々はそれを止める筋ではないので行かせた。それだけです」 「…結果はそうだが、知っていて言わなかったというのは…やはり」 「殿が言うことが出来なかったのは、私がお止めしたからです。気に病むことはないのです」 強い口調で劉備が思い悩む前に、諸葛亮がそれを阻止する。その様子に、苦笑したのは諭されている劉備の方だった。 「…それでおまえが全て背負うというのか?月英を見ろ」 「…と、殿」 「月英、すまないな」 唐突に自分に話の矛先が向いて、月英は酷く驚いた。内心を見透かされたのかと思って、少しばかり慌てたが、劉備の本当にすまなそうな顔の前、月英は今までわだかまっていたことも水に流してしまおうか、と思う。 こういう人だから、諸葛亮は全てを捧げてこの人を善政の象徴にしようとするのだろう。後ろ暗い部分は全て自分が受け止めようとする。 「いいえ。殿がお健やかに過ごしていただけるのならば、それで良いのです。孔明様が望むことを、私がどうこう言えるわけがありません」 「ありがとう、月英」 劉備が微笑む。その笑顔を見ていると、月英の中でもやもやしたものが少し解き放たれた気がした。 この人がいないが為に、蜀の面々は散り散りになり、人質にとられたが為に、関羽や張飛、そして諸葛亮が遠呂智のもとに降っていた。 月英は覚えている。諸葛亮が戦いを挑んできた時のことを。あの時の、信じていたものが足下から掬われて、なくなっていくような感覚を。必死に自分を誤魔化して、信じていると言ったとしても、そうやってなんとか作った足場すら、ひどく不安定で。 あの時、夫である諸葛亮が月英に刃を向けたことを、いろいろな人々から問い立たされた。 何とか気丈に振舞った月英に、趙雲はずいぶん気をつかってくれた。 それが嬉しかった。特に趙雲は、ともすれば暗く沈みがちな蜀の面々を気遣ってか、いろいろ声をかけてくれた。 「…おそらく、殿が聞いたことが全容ではないはずです。全てが彼に起因するというのは、多少強引に過ぎましょう」 「…そうだな」 劉備たちはそんな月英をよそに、話を続けた。 「おそらく、他にもたくさんいるでしょう。そこかしこで起こっているかもしれない。ただ、一つ大きな渦があると、そこに皆が巻き込まれるようになっているのかもしれません」 「…ああ、遠呂智が現れた時も、そんな感じだったな」 「ええ。あの空が全てを覆い尽くしたように」 「これから、我々にも起こるだろうか」 「起こるでしょう。ただ、我々は知っていることがありますから」 それだけで、多少対処が変わってきます、とそう言って諸葛亮は二人を安心させるように、落ち着いた笑みを見せた。一体どうなるかわからないけれども。確かに波紋は広がっている。だが自分たちには他よりもわかっていることがある、と。 「そうだ、曹操の奴にこのことを教えて恩でも売ってやろうか」 「殿らしくないことを仰る」 少しばかりいたずらっぽく笑う劉備に、諸葛亮は率直な意見を述べる。劉備は少しもそれが嫌ではなかったらしい。 「困っているだろうからな。…それを恩と思うかは、わからんが」 「悪くない案ですね。…ちょうど、こちらにホウ徳殿がいらっしゃいます。彼に託してみましょうか」 月英は二人の会話を聞きながら、出ていく時の幸村を思い出した。 孫市などが気をつけろよ、と言っていたのに笑って頷いていた。あの時の彼はこれから起こるだろうことなど一つも知らず、ただ、別れ別れになっていた親友たちに逢いにいくのだと嬉しそうだったのだけれども。 (今頃、どうなっているのかしら…) 一度は共に戦った人だ。月英や趙雲たちの意見に紆余曲折あって同意してくれた。他人事だと放ってしまえるはずがない。 皆が皆、無事に。 笑って暮らせればいいのに、と月英は夫の背を眺めながら、そう思った。
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