いつか太陽に落ちてゆく日々 34 |
曹丕が地下牢へたどり着けば、牢の格子は破壊され、壁の一部も壊れているような有様だった。これを呂布がやったのかと思うと、さすがにぞっとする。だが曹丕はそんな事はおくびにも出さず、牢の中に倒れている貂蝉を見つけてその顔を覗き込む。 青白い顔で意識を失っている貂蝉を、曹丕はやや乱暴に頬を叩いて覚醒を促した。すると、僅かに眉を寄せて不快をあらわにする。 曹丕はもう一度、頬を叩いて覚醒を促す。 数度それを繰り返すと、ようやく貂蝉の長い睫毛が震えて、どことなく濡れたように見えるその双眸が開かれる。 「…奉先…さま…」 どことなく虚ろな瞳が、周囲を確認するようにせわしなく動く。 頼りない声音で呼ばれたのは、当然ながら夫の名で、周囲にその人がいないことにようやく気づいた貂蝉は、目の前に別の男がいることに一瞬、酷く驚いたようだった。 「…曹丕様」 「動けるか」 「は…はい…」 どことなく夢見心地のような表情で、貂蝉が頷く。その表情を見れば見るほど、不安を感じるような美貌の持ち主だった。 「おまえの夫が暴れている。我が妻の甄を人質にしているのだ。手を貸せ」 「…奉先様が…!?」 「甄に傷をつけるような事があれば、私は呂布を許さん。何としてでもその首を刎ねる」 曹丕の言葉はしんと冷えた地下牢において、さらに凍てついた声音で告げられた。自然、貂蝉の表情が厳しいものになる。 当然の話だ。ここは曹魏の拠点となった場所であり、呂布も貂蝉も曹魏とは関係のない身。しかも呂布は捕えられていたのだから。 貂蝉は、強く何かを祈るように、双眸を閉じた。どことなく蒼白な顔色と、長い睫毛がそうしていると強調された。甄姫の美貌とは異なるそれこそが、呂布が求めるものなのかもしれない。曹丕が貂蝉から感じるのは、常に悲しみや自分ではどうにもならないことへの苛立ちのように見える。 それらがうまく合わさって、影を作り、その美貌に色を呼ぶ。 「わかりました。私が必ず、奉先様をお止めいたします」 そう言った貂蝉の双眸には、強い意志が見えた。 幸村がようやく城の外へ出た時には、三成と呂布は互いににらみ合いを続けていた。幸いにもまだ戦いは始まっていない。しかしこのまま出ていけば呂布をいたずらに刺激してしまう。幸村は何とか踏みとどまった。 呂布は相変わらず甄姫を離しておらず、三成の傍には曹丕がいない。甄姫はそれでもまだ気丈に意識を保ち続けてはいるものの、遠目から見ても震えているのがわかった。 助けなければいけない。二人とも。 幸村は呂布の視界から死角になる位置で、機会を待った。とはいえそんなに時間はない。 焦れる幸村に、二人の会話が聞こえた。 「貴様に一つ聞きたいことがある」 三成の声に、呂布は返事をしなかった。が、聞く意思はあるのか、僅かに反応する。 「なぜ幸村の名を口にする?」 その問いに、幸村ははっとした。それは幸村自身も疑問に感じていたことだ。呂布と幸村とは、数度刃を交えたことはあっても、それ以上のことはなかった。呂布の強さは圧倒的で、幸村一人では相手にならない。彼の強さは、それこそ本多忠勝こそが相応しい、と思うほどだった。 にも関わらず、曹丕の部屋でまず最初に呂布が反応したのは幸村だったのだ。 赤い片目に真正面から睨まれて。あの瞬間、三成が幸村の前に立つ前に、既視感を覚えた。赤い片目。赤目になった慶次。その慶次が言っていたことを、思い出す。 ―――あんたに来てもらわなきゃなんねぇところがある。 そう言った慶次に、あの時幸村は結局何も言うことは出来なかった。何故とも何処へとも。聞いておくべきではなかったのか。唐突にそんなことを思う。 「……負けに味方する」 「…何?」 「そう聞いた」 「何の話だ」 「違うのか」 呂布の言葉は三成にとって予想外のものだったらしい。眉間の皺を深めて、言葉の意味を吟味するように、呟いた。 「負けに味方する…?」 途端に、何を思ったのか三成の顔色が悪くなり、その立ち姿に、力が失われていく。幸村には、それがよくわかった。 「…どういう意味だ、それは…!」 「…政宗が言っていた」 政宗といえば孫市の策に敗れるまで遠呂智軍にいた。その過程で、呂布との会話に幸村が話題になり、その上で負けに味方すると評されていた、と。 今の幸村にはそうとしか思えない。 が、三成は何か思うところがあるのか、酷く動揺していた。その姿に、幸村は不安を煽られる。 「…では俺は負けるのか」 (…三成、殿?) 弱弱しい声。絶望に震える言葉。 ―――そして。 「そんなことを…認められるものか…!」 吼えるように、三成が叫ぶ。その声に、身を切られるような気持ちにさせられて、幸村は拳を握り締めた。 「幸村はそんな男ではない。俺は負けん。誰が相手でもだ!」 「奉先様!」 まさに三成が戦いを挑もうという一瞬。 「なんだ、負けちまったのかい、呂布よ」 その声に、その場の誰もが目を見開き、そしてその声の主の名を呼ぶ。 |
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久々の慶次。 |