いつか太陽に落ちてゆく日々 33




―――死にたがりが嫌いなだけじゃ。
 遠呂智の話をしていた時だった。政宗が不貞腐れた様子でそう言った。呂布には政宗の言いたいことがよくわからず、何の話だと問えば遠呂智が死にたがりだと言う。
 強者を求め、強者と戦い、己を越えるものを望む。
 それはすなわち自分を倒してくれる誰かを望むことだ、と政宗は歯軋りしながら言い捨てた。
 政宗の言い分に呂布はいまいち納得が出来なかった。
 強者との戦いは自分も望むところだ。いつもいつも、どんな戦に出ても呂布は煮え切らないものを感じている。戦いの中では呂布は常に己の存在意義を強く感じる。向けられる切っ先の鋭さに、その刃を向けてくる彼らから感じる殺気に、興奮する。そのままその殺気で、その刃で、この心臓を突いてみろとそう思うが、誰もそこまで届かない。かわりに、こちらの純粋な殺気も刃も、全て相手を蹂躙していく。気がつけば呂布が行く後には屍が転がっている。
 そこでようやく、俺は強いのだと認識する。そして誰も己にかなわないのだと知る。誰も彼も、呂布に対峙できる強さがない。一対一、身が削られるような闘志を感じる相手も、誰もいない。
「何故死に急ごうとするのか、理解が出来ん!」
「……だが遠呂智が老衰は想像出来ん」
 呂布の言葉に、政宗はぽかんと口をあけて言葉を失った。まずいことを言ったとは思わないが、政宗がそんな遠呂智を望んでいるとも思えない。
 そして遠呂智の姿は、すなわちそのまま自分にも重なるような気がしていた。
「己らしい死、というのを選びたいのだろう、あれは」
「知ったような事を言うではないか呂布」
「…貴様のそのこだわりはなんだ。他人のことなど放っておけ」
 遠呂智がどんな死を望もうが、政宗には関係のないことだ。もちろん、政宗が遠呂智を立てて世界を一つに統べるという未来を思い描いているのは知っている。しかし遠呂智がいる以上、ある程度の火種は常に残しておかねばならず、全てを制圧できる日など来ない。だが政宗は、それだとて自分たちの力で僅かばかりの被害で押さえ込むことが出来ると信じていた。
「……ワシの知る男に死にたがりがおった」
 苦虫を噛み潰したような顔で、政宗は元の世界でのことを思い出す。雨の中の戦。泥に塗れたその姿。負ける戦と知っていて、なお彼はそこから逃げ出そうとはしなかった。
「…むざむざと負けを選ぶ。とんだ意地もあったものよと笑ってやったら奴は…奴こそ笑いおった」
―――利根なる政宗様にはとくとご覧になるべし
 そう言い放った彼は、政宗を撤退させるに十分な働きをしてみせた。死を覚悟した人間の、命が足枷にならない人の強さを嫌というほど味わって。
 そうして、気がつけばその男の姿は政宗の羨望すら生んだ、と。
「ふん、面白い。そいつの名はなんという」
 呂布の好奇心に、政宗は苦く笑った。

「真田幸村じゃ」




 ―――目の前の呂布はただならぬ殺気を放っている。赤く光った瞳、その体格、全てが遠呂智を思わせるに十分だった。
 そしてその手には、ぐったりとしている甄姫の細腕があった。甄姫は、ひきずられるようにしている。元々白い肌が、まるで青ざめていて死んだ人間のそれのようだ。
「我が君…っ」
 見る間に曹丕の表情が怒りに歪んだ。
「その手を離せ」
 しかし曹丕の声など呂布には届いていないようだった。部屋の中をぐるりと見渡し、幸村と三成を見咎めると一歩一歩、踏みしめるように入ってくる。
 三成はその殺気が、明らかに自分に向いていることを察知した。
 そうだ。この殺気はあの戦場で感じた気配とよく似ている。息が詰まるような戦場の濃い気配。押し寄せる者たちは全て最終的に三成の首を狙ってやってくる。
(あの感覚だ)
 三成はじり、と狭まる間合いを感じながら寝台から立ち上がった。
「三成殿」
 幸村の声。前に出ようとする彼を、手で制した。
 こんな時にも、あんな仕打ちの後にも、幸村は三成を守ろうとする。
 それを、制した。この殺気に打ち勝てねば、関が原のあの戦場でも、勝利の芽など芽吹くこともないような気がして。
「…なんだ。あの時俺の策にはまった腹いせでもしにきたか、呂布」
 そう言って、三成は鉄扇を探し―――それがないことに気づく。
 そうだ。幸村に無理やり触れた時に置いてきた。手に馴染んだものがないことに一瞬、ほんの僅かだけれども不安を覚える。
 が、それもほんの一瞬だった。
「…真田、幸村」
 呂布の口からついて出た名に、三成の中で何かが切れたような感覚があった。
(何故だ)
 どうしていつもいつも、ああして赤い目をした奴は幸村の名を口にする?
 三成は苛立ちとともに幸村の前に立った。が、そうやって目の前に立った三成に呂布は視線をくれた途端、その闘気が膨れ上がる。
 なんだ、と思った瞬間には呂布の空いた右腕が恐ろしい勢いで三成目掛けて襲い掛かる。咄嗟に、首を狙われている、とわかった三成は先ほど幸村に駆けられていた曹丕の外套を掴むと、呂布の顔目掛けて投げつけた。
 視界が遮られたことで、呂布の動きがほんの一瞬怯む。その隙に、三成は寝台の上を転がるようにして移動した。それを追うように、呂布が外套を捨てると視線を向ける。
 片目の赤が、ぎらぎらと光っている。
 素早く逃げる三成に、呂布は鈍重な獣のような重圧感で追う。その左手には甄姫の腕を掴んだままだ。このまま引きずられていては、まともに呂布へ攻撃など出来ない。甄姫は恐怖に顔面蒼白になっている。三成に襲い掛かろうとするその動きに翻弄されながら、小さな悲鳴を上げていた。
 その口が、僅かに「我が君」という形で動く。助けを求めている。
 舌打ちしながら、三成は部屋を飛び出した。
「三成殿!」
 幸村の声がする。
 三成はその声に一瞬振り返り、だけれども立ち止まることはしなかった。
 呼ばれるたびに、じわりじわり、胸の奥に広がる暖かさはなんだ。彼がそう呼ぶたびに酷く安堵して、自分が、「石田三成」であるのだと感じられた。こんな状況でも、脳裏には時折己の首が飛ぶ瞬間がちらつく。それは、恐怖に苛まれてのものではない。もっと確かな記憶のようなもの。
 それを、幸村が呼ぶことで忘れられる。
「おい、三成」
「曹丕」
 気づけば三成に並走する形で曹丕が隣にいた。彼の眉間の皺は今までになく深い。視線は甄姫へと向けられていた。
「甄を人質にとられている。傷をつけるな」
「無理を言うな」
「おまえのその力とやらが俺のものであれば、無理でもなんでもないのだがな」
 歯噛みしながら、曹丕は背後を振り返る。ゆっくりと呂布は三成を追っている。何故彼が狙われているものか理由は曹丕にはわからない。
「おまえは何かしたのか、呂布に」
「おまえが襲われたから戦いはしたがそれだけだ!」
「それにしては敵意があからさまなのでな」
「……」
 指摘を受けて、そういえばと思い至る。幸村に対しても三成に対しても、一体何故そんな敵意を向けられるのか、理解が出来ない。
「本当に何もないのか」
 そう問い詰める曹丕は、何度も背後を振り返る。甄姫は相変わらず引きずられるようにしており、時には足を踏み外し本当に引きずられながら呂布に翻弄されていた。
 そんな曹丕をちらりと見て、はたと気づく。
「…呂布の妻の…貂蝉」
「なんだ」
「貂蝉だ。俺があの女を連れてきた時、呂布は追ってきた。その時に関係を疑われた。そのせいだ」
「なるほど。その綺麗な顔はいらぬ誤解まで生んだか」
「…妻の一人も繋ぎとめられぬ呂布が悪い」
「……ふん。まぁ、その場にいたのがあの真田幸村でも趙子龍でも同じだったろうがな」
 意味深に言って、曹丕は苛立ちを深く眉間に刻んで舌打ちした。
「何が言いたい」
「ああなってしまった男は性質が悪いというだけだ。よりにもよって遠呂智の力も得ているようだしな」
 助け出さなければならない。
「…広いところへ出なければ」
「甄を助ける」
 が、策は浮かばない。
「どうやって」
「どうやってでもだ。手段など問わん。こちらが妻を人質にされているならば、同じようにしてやるまで。貂蝉を連れてくる」
「なるほど…急げよ」
 三成の言葉を合図に、曹丕は地下牢へ向けて駆け出した。三成は背後を振り返りつつ、呂布を確認する。
 どれだけ離れていても、薄暗がりの廊下からあの片目の赤はよくわかる。 ぎらりぎらりと光っては不気味に揺れる。おそらくは、自分の片目もそうだろう。三成は歯軋りしながらその不快感をやり過ごした。
 曹丕が貂蝉を連れてくる。そこで話が通じさえすれば、対等な話も出来るはず。三成は走りに走って、城の外へ出た。途中何人もの人々とすれ違ったが、皆が皆、まず三成の赤目に驚いて目を瞠り、ついで三成を追う形でやってくる呂布に、そしてその息の詰まるような殺気に身動きがとれぬまま、二人が通り過ぎるのを見守っていた。
 そしてその異様さに気づく。城内がにわかに騒がしくなってきた頃、何事かと曹操が天守から眼下を見下ろす為に立ち上がり。
 ―――そこに、呂布と三成の対峙する姿を見た。




 兼続は夏侯惇の前を辞して城内を、幸村と三成の姿を求めて彷徨った。
 懐には、幸村の部屋で見つけた鉄線を隠している。幸村にあてがわれた部屋は少しばかり荒れていた。そしてそこに、三成が所持している鉄扇があった。持ち主はなんだかんだといっても己の武器を無造作に他人の部屋に置き忘れてくるような男ではない。だから兼続はそれを無意識に手にとって、人を呼ぶ前に己の懐に隠してしまった。
 そうしてしばらくすると、城内がにわかに騒がしくなり、周囲を行き交う人が増え、その慌しさから一人を呼び止めて確認すれば。
「呂布が暴れているのです。三成殿が追われて…」
 引き止めた男はそれだけ言うと、兼続から解放されて天守へ向けて走り出した。しばしその言葉を反芻していた兼続は、そこでようやく三成が武器を持っていないことを思い出す。
「これは…早く手助けしてやらねば」
 兼続はそうひとりごちて、走り出した。
 三成が呂布と戦うというならば、まず城外へ出るだろう。狭い場所ではまともに対峙も出来ないかもしれない。咄嗟に兼続は外を見下ろした。
「兼続殿!」
 その声に、振り返ればそこには幸村がいる。
「幸村!三成と一緒ではないのか」
「三成殿は呂布に追われて外へ…!」
 そう言う幸村の、首筋に鬱血の痕がある。しかし今はそれをどうこう言う時ではなかった。幸村自身も、非常事態に痛みや怪我のことなど忘れている。
 兼続は素早く懐から、三成の鉄扇を取り出した。ずしりと感じる重みを、幸村に託す。
「そうか。幸村、ちょうどいい。三成の鉄扇をおまえに預けよう。届けてくれ」
「兼続殿は」
「私は札を使う。動きを止めてみせるから、三成に加勢してやれ!私よりおまえの方が役に立つはずだ!」
「…兼続殿!わかりました!」
 そう言って頷くと、幸村は走り出す。
 いつだったかの京都でも、兼続は同じ背を見送った。三成の命を狙う郎党たちから無事に逃がす為、兼続や慶次、そして幸村が三成に加勢した。
 あの時の幸村が、あんな風に、三成のいる二条城に向けて一直線に駆けていった。
 幸村は、あの頃から何も変わらない。
 ならぱ三成はどうだろう。あの頃、三成は幸村をどう思っていただろう。
 そんな二人のことを思っていると、唐突に兼続はずきり、と胸が痛むのを感じた。
 思わず小さく呻いて、胸を押さえる。
 鼻腔を灰と炎の熱が、一瞬通りすぎたような気がする。血の臭いが、したような。
(…何故、こんなに)
 この感情はなんだろう。
 兼続は痛む胸を押さえて、その感情に苦しむ。
 何かを失ってしまった喪失感。何かを裏切っている罪悪感。これから起こる終焉への期待。そういった、今の兼続にはわからない薄暗い感情が渦巻く。
「―――…っ」
 兼続の記憶の中、業火の只中に立つ男がいる。
 赤い鎧。焔を宿すような槍。額に見えるのは、命を惜しむことはないという三途の川の渡し賃。

―――いいえ…友の誓い、忘れはいたしませぬ。

 そう言ったのは。

―――慶次に見させられておる夢じゃ。慶次は報せたいのよ。貴様に。

(慶次…遠呂智…)
 慶次が報せたいと言っていたのは何だ。政宗の言葉を信じるならそれは遠呂智だという。遠呂智についてを報せたい、と。
「…幸村」
 記憶にちらちらと、業火に焼かれる城が見える。そしてこちらを、視線を逸らさずまっすぐ見つめてくるその男は、かつては兼続の友だった男で。
「こんなのは、嘘だろう…!?慶次!」
 叫んで兼続は痛みを振り切るようにして走り出した。



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あれ、VS呂布が終わらんかった(爆)