いつか太陽に落ちてゆく日々 3




 世界が歪んで、どことも知れない世界が出来た。
 やがて王は倒された。
 しかし世界は歪んだまま。

 まるで誰かが戻りたくないと叫んでいるよう。


 魏の人々に幸村は趙雲とは違う、微妙な温度差で迎えられた。そしてそれは趙雲にもわかった。趙雲が蜀の五虎大将の一人であり、その彼が連れてきた男である。趙雲が、ひいては蜀が何を考えているのかを探られているのはわかったが、幸村も趙雲も言えることなど大してない。
「そうか、劉玄徳も息災か」
 そう言って笑ったのは曹孟徳。劉備が捕えられたとは聞いていたという彼は、曹丕の父親で一言であらわせば英雄だ。何がどう、と言葉で表現できるわけではないが、それでもこの男がそこにいるだけで英雄であることは窺い知れた。
 周囲についている人間が、彼を盛り立てる。
 人を惹きつけるものを持っている。
「少し離れたところで見ている間、噂はいろいろ聞いた。今頃蜀の連中は宴でもしているか」
「今後について語らっております」
「今後か…」
 それは魏も同じだろう。世界は歪んだまま戻るのか戻らないのか。誰一人としてそれを知らず、この世界にいることに焦燥を覚える人間も多い。
「それはこの魏も同じこと」
「だからこそ、私はここにいるのです」
 その場で孟徳と話しているのは趙雲だけだった。彼の後ろには夏侯惇が控えている。殺気じみた気配が先ほどからずっと、彼から漂っていて神経が磨り減りそうだった。戦いに来たわけではないのだと言っても彼にはわかってもらえそうにない。
「あの真田幸村という男か」
「彼は私の親友です。その彼が、ここに親友がいるというので逢いにきた。それだけのこと。それ以上、他意はありません」
 ほとんどこの言葉は夏侯惇に向けているものだ。だからその殺気をおさえろ、と思うが全く趙雲の望みが叶う気配はない。
 孟徳はといえば、慣れたもので全く居心地の悪さを感じさせない佇まいだ。
 彼にしてみれば、夏侯惇のそれなどそよ風の一つくらいに感じているのかもしれない。
「他意があったらとっくに首など繋がっていない」
 孟徳がぽつりと呟く。
 思わず趙雲は冷や汗をかいたが、そんな内心など彼らには見せずに答えた。
 ここに幸村がいなくてよかった。そう思いながら。
「ならばわかっていただいているととってもよろしいですね」
「貴殿は子桓が連れてきた客分だ。好きにするがいい」
―――幸村が夏侯淵の案内で部屋を出てからすぐ、一人残った趙雲のもとに曹孟徳が現れた。連れているのは夏侯惇一人。
 趙雲が一人になるのを待っていたという彼は、当然ながら現在の蜀の状況を確認したかったが為にここに訪れた。
 とはいえ、趙雲に語ることなどない。
 この敵地のど真ん中で単騎、曹操ならびに曹丕を討ち取ったところで返り討ちに遭うのは自明だ。そんなことはしないし、出来ない。
 孟徳もそれはわかっているのだろう。
 昔それに近いことはしたことがあったが、それもこれも特別な状況だったからだ。今もそうではあるが、あの時は考えるより動いていた。そういう時は理性というものが吹き飛んでいるから強い。振り返ることをしないから恐れない。
 だが、今は。
(まだしばらく、互いの国がぶつかりあうことはない)
 なぜならば、三国以外のものが多く混在しているからだ。織田信長、武田信玄、上杉謙信。彼らは彼らで思うところもあるのだろうが、彼らとて同じだろう。
 王は消えた。世界は戻らない。取り残された民はどうすればいい?
 彼らは今どうしているだろうか。これからどうするつもりだろうか。
 少なくとも。
 たとえどれだけ消耗し、疲れきっていたとしても、誰も絶望はしていないということはわかる。
 手段はどうあれ、どの国も皆それぞれに遠呂智に立ち向かったのだから。
 元凶が消えた世界。
 何故まだ元に戻らないのか、本当は遠呂智は消えていないのか。
 どちらにせよ、機が熟せばまたすぐに始まる。
 戦の火種はいつだって燻っていて、消えたりはしないのだ。



「この世界はどうなるのでしょうね」
 夏侯淵の案内について歩きながら、幸村がぽつりと呟く。それは誰もが聞きたいことだ。
 聞かれた側の夏侯淵ですら、その話題に興味は尽きない。
「さぁなぁ。どうなっちまってるやら、遠呂智の奴にしかわかんねぇんじゃねぇか?」
「ならば今となっては誰に聞いてもわかりませんね」
「蜀には諸葛亮がいるじゃねぇか。お抱えの軍師様が。あいつならわかるんじゃねぇのか?」
「不用意なことを語る人ではないので、聞き出すのは難しいかと」
「ああ、なんか大事なこととか言わなそうだもんなぁあいつ。何をどこまで見えててわかってんだか知らねぇけど」
「私も武でしかお役に立てない身。あの人の考えることはわかりませぬ」
 そして、三成のことさえも。
 久しぶりに再会した彼は、明らかに困惑した様子だった。幸村の言葉など一つも聞こうとしなかった。
 この再会が、迷惑だったことは、わかった。
「俺はまぁ、このままでも悪かねぇと思うんだけどな」
「…何故です?」
「だってよ、今回のことでいろんなことがわかったもんな。曹丕の奴が、手段を選ばないが頭のいい奴だってのはよくわかった。最初は何考えてやがるって思ったもんだぜ」
 魏は一時期遠呂智軍と同盟を組んでいた。同盟とはいっても結果的に属国のように扱われていたともいえる。呉や徳川軍ほど酷い扱いではなかったが、曹丕に対して爆発的に不満が渦巻いていた。
 それはこの夏侯淵にしても同じことだ。
「だけどちゃんと魏のこと考えての行動だったわけだよなぁ。なんつうか…魏は大丈夫だっつうか…うーん、わかるか?」
「わかります」
「だからよ、なんつうかこの世界も悪かねぇっつうか…。あ、惇兄には今の言うなよ!」
 そうやって笑う夏侯淵は、迷いのない顔をしている。
 この男はそうやって、この世界に順応して希望だって見出せる。
 世界は戻らなくて、あるべきではなかった世界にとどまり続けていても、立ち止まってばかりいられない。こんな世界だからこそ立ち止まらずに行かなければならない。
 知っている。わかっている。
 幸村だとて、遠呂智がいる間はそう思っていた。倒される瞬間まではそう思っていた。
「わかりました。真田幸村、誓って誰にも言いますまい」
「おぅ、いやぁそこまでしてくんなくてもいいんだけどよ!まぁいいや、気に入ったぜ!」
 強い力で背中を叩かれて、幸村は数歩よろめきながら笑った。
 目標があって、目的があって、その間は動いていられた。終わると思っていたからだ。難しいことなど一つもなく、ただ単純に、元に戻ると思っていた。
 だからこそ。
(…慶次殿に言われたのだったな)

―――戦う理由を他人に預けきってっと、後でつらいぜ?

 今ならわかる。
 だからこそ、三成がいないのが怖い。三成が向ける視線の先が、幸村や兼続とともに交わした義の世ではないのではないかと感じることが怖い。
 信じ切れない自分が、一番怖い。



 戦続きのこの地で、久々に見た群生している花に三成は目を細めた。白い花弁が目に眩しい。
 曹丕はもともとここを知っていたのだろう。物怖じせずに歩をすすめ、美しく咲き誇っている花の中でも特に美しいものを選び、手にとる。
 最初はその一本だけかと思ったが、どうやら気に入ったものを選んで全て持って帰ろうとしているようだった。
「…何をしている?」
「花を選んでいる」
 その花はおそらく甄姫の手に渡るのだろう。曹丕の妻である甄姫は驚くほど美しい女だ。そして驚くほど曹丕に惚れこんでいる。
 こういう夫婦は秀吉とねねでも見ていたから、目新しいわけではない。
 ただ、感情を表に表すことの少ない曹丕が彼女に何かがあると僅かに心を乱される。
「おまえもやったらどうだ」
「…誰にだ」
「自分の胸に聞いてみろ」
「………」
 感づかれている。
 三成が幸村を特別に想っていること。
 それはもちろん、曹丕の視点からすれば三成の様子があからさまにおかしいことからもうかがえる。特に曹丕は聡い人間だ。
 気づかないわけがない。
(女じゃないんだぞ…)
 女に花をやるのは別におかしな話ではない。女はそういうものを好む。
 だが三成が想うのは男で真田幸村で。
(ありえないだろう、普通に)
 そもそも避けるように接しているのに。わざわざここまで来た幸村に、押し込めるように部屋へ案内してそのまま。後のことは女官たちに任せて自分は知らぬとばかりに曹丕を連れて逃げ出した。
 別段曹丕を連れる必要はなかったが、適当な言い訳を思いつける自信はこれっぽっちもなかった。だから誘った。
 今頃幸村はどうしているだろうか。やはりかわってしまったと、そう思っているだろうか。
「長居は無用だ。そろそろ戻る」
「………」
 白い花を束ねて、曹丕は馬を繋いでいる木のもとへ戻っていく。こちらの様子など気にかける素振りもない。くそ、と小さく呟くと三成は曹丕の背を睨んだ。
 その手に白い花。なんとも珍しい取り合わせだが彼の青に染められた色の中、唯一白いそれが目をひく。
 三成は髪を乱暴に掻いて、群生している花の中に突っ込んだ。
 曹丕のように一本一本を選ぶ余裕などあるはずもない。適当に目についたそれを選ぶと、一本だけ。
 持ち帰ってどうするつもりなのかは、まだ考えていないのだけれども。



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三国の人ほんと難しい…。おかしいとこあったらすいませんorz