いつか太陽に落ちてゆく日々 25

 炎の燃える臭いと音がする。頬に感じる熱は、おそらく周囲で何もかもを燃やし尽くさんばかりの勢いの炎のもの。
 三成は、天守閣にいた。
「…兼続殿」
 知った声に振り返れば、そこには幸村と兼続がいた。二人は互いに武器を持ち、対峙している。逃げ場はない。そしてその場にいる二人は、二人とも逃げる気はないようだった。
 二人とも、悲しい目をしている。
「…終わらせよう。何もかも」
 兼続がそう言って、問答無用に宝剣を抜く。それを見て、幸村は静かな目で槍を構えた。
 目の前で起こっていることに、三成は意味がわからず困惑する。二人を止めようとしたが声が出ない。何故二人がこんなことになっているのか、意味がわからない。
(なんなのだ、これは!)
 そうしているうちに、兼続と幸村はついに刃を交えて戦いはじめた。兼続の猛攻は凄まじい。しかしそれを受け止める幸村も、決して負けてはいなかった。彼らには周囲の炎は見えていないのか。このままここで戦っていては危険だったが、そんなことは彼らにはどうでも良いようだった。
 三成の耳に、痛いほど響く刃のぶつかる音。息遣い。そして何もかもを飲み込もうとしている業火。
 そうしているうちに、三成の目の前で、幸村の槍が兼続を貫く。
「…ッ!!」
 言葉が出なかった。声が出せなかった。なのにまるで時が止まったように、血の臭いが辺りに充満する。兼続が何か言っている。幸村がそれに答えている。だが三成の耳にはそれは届かなかった。
 手を伸ばし、呼ぼうとする。だが二人は気づかない―――。

「三成殿」

 は、と気づけば目の前にいたのは張遼だった。
 三成はしばし夢と現の境を確認しようと周囲を見渡す。
 ここは業火にまかれた天守閣ではない。ここに、悲しい目をした兼続も幸村もいない。親友であるはずの彼らが互いに刃を向けるようなそんな光景はどこにもない。
 確認し、あれが夢だったことに安堵する。
 そうだ。ここは小田原城だ。合肥新城で慶次のところへ単身向かった幸村を追いかけ、趙雲と曹丕と三人のみでその足跡を追った。
 そうして、どういういきさつかはわからないが、慶次と戦う幸村と、そして慶次たちの前に倒れていた兼続と、関平を拾った。
 その後、容態の思わしくない関平を連れて、趙雲が蜀の劉備たちがいる江戸城へ向かった。そしてそれを見送った後、唐突に呂布が現れた。
 そうだ。その中のひとかけらだって、兼続と幸村が刃を交わすような光景はなかった。
 神妙な面持ちでずっと今までのことを反芻していた三成は、再び張遼の怪訝な顔に現実に引き戻された。
「どうされた?」
「…いや。それより、呂布はどうした?」
 呂布については張遼に任せていた。また暴れ出さないとも限らない。牢にでも入れたという話は聞いていたが、目を醒ましたという話はまだ聞いていなかった。
「まだ何も。今は貂蝉殿がついておられる」
「…あぁ」
 そういえば、と三成は苦笑した。貂蝉が呂布の目を覚まさせるためと言って遠呂智軍から離反したのを、三成と張遼は保護している。あの時は呂布を退けたのは張遼と三成と、ほぼ二人がかりだった。
 そう考えれば、呂布との対決はもう何回目になることか。
「呂布殿ははっきりとは言わぬが貂蝉殿を大切にされている。あの方にも牢に入ってもらっているのは心苦しいが」
「仕方あるまい。曹丕は呂布のせいでまだ目覚めぬのだ」
「あちらも甄姫殿が看ておられる」
 曹丕は小田原城に着くまで目を醒まさなかった。今もまだ昏睡状態にある。目立った外傷はないが、それは兼続や関平と同じような状況だった。
 それにしても。
 三成は趙雲に手当てを受けていた傷の部分を庇うようにして擦った。
「何故呂布が…」
「この曹魏に貂蝉殿がおられる事は、呂布殿も知っている。その為では?」
「……」
 ならばどうして、呂布の口から幸村の名が出たのか。

―――…真田幸村を連れてこい。でなければ、ここで死ね

 幸村と呂布にどんな関係が、などと考える必要はない。幸村と呂布に接点などない。だからこそ、おかしいのだ。
(…そうだ、幸村…)
 小田原城に着いた時、すでに曹操たちにこちらの状況は伝えられていた。
 曹丕が呂布の強襲に遭って昏睡状態。幸村は慶次の攻撃を受けて負傷。また、謙信や信長などと共に反乱軍として動いていたはずの兼続を保護。趙雲はその時兼続と共に保護した関平を連れて逃亡。趙雲については曹丕の客として扱われていたはずだから、「逃亡」として伝えるのはおかしかったが、考えてみれば蜀と魏だ。そう言いたくなる気持ちもわからないでもなかった。
 そして小田原城に戻ってすぐ、人垣の間を縫って飛び出してきた甄姫から幸村は平手を食らっていた。避けることも出来るだろうに、幸村はそれをあえて真っ向から受け止めて、痛みに堪える。
 甄姫は怒りに震えていた。曹丕がこんな形で戻ってくるなどと夢にも思っていなかっただろう。誰も呂布の強襲など予想できるはずがない。理不尽な怒りではあったが、幸村はその平手を受けて「申し訳ありません」とだけ言ってその場を辞した。
 それから、今まで顔を見ていない。
 報告だなんだと三成はあちこちに引きずりまわされていたし、今だってうたたねをしてしまう程には疲れが出ている。元々体調はよくなかったのだ。 あの傷から多少熱が出ている。
 しかしここで三成までがその場を辞して後処理を他人に任すなどと出来るはずもなく。
「…少し外す」
「承知」
 ふらりとその場から逃げ出して、一つため息をついた。
 幸村はどこにいるだろう、と考える。兼続にあてがわれた部屋か、それとも一人か。
 少し考えて、兼続のところへ向かった。

 それよりほんの少し前、曹丕がびくりと身体を震わせて目を醒ました。
 ゆっくりと周囲を見渡して、そこが小田原城であてがわれた己の部屋であることに気づく。
「我が君!」
 ずっとつきっきりだった甄姫が、枕元で今にも泣きそうな顔をしている。どうしてそんな顔をしているのか、との問いは言葉にはならなかった。自分が負傷したためだろう。
 曹丕はゆっくりと甄姫に視線を落とした。甄姫は強い女性だ。曹丕が彼女を戦場となった城から連れ出した時も、泣こうとしなかった。
 だから、曹丕は目の前の甄姫の様子に戸惑った。普段から刻まれている眉間の皺がさらに深くなる。
「…甄よ」
「はい」
 涙の為か少し掠れた声だった。だが、しっかりとした声だ。
「…手を」
 ゆらゆらと差し出された掌に飛びつくように甄姫はその手をとった。両の手で、強く曹丕の掌を握る。
「…我が君」
「………」
 その掌から伝わる熱に、曹丕はどこか安堵していた。
 だがその泣く姿に、脳裏によぎる光景が重なって曹丕の眉間の皺をさらに深くする。
「…泣くな」
「仕方がありませんわ。…安心してしまって…」
 その涙を浮かべる姿に、曹丕の腕に縋るような甄姫に。
 ―――夢が。
 夢で見た光景が、思い出される。
 自分の言葉で、甄姫に死を与える瞬間を。
 夢の中で、曹丕は甄姫に必要以上に冷たく当たっていた。今の曹丕からは考えられない。いくら甄姫が良くしてくれようとも、曹丕はすでに別の女性に情を向けていた。
(…馬鹿な)
 そんなことがあるはずがない。
 曹丕は自らにそう言い聞かせた。掌に感じる、甄姫の体温は心地よい。肌に触れる甄姫の指は細くて柔らかだ。その熱に、その感触に曹丕は安堵した。
 夢は所詮夢だ。
 現実になどならない。
 そう自分に言い聞かせるように、掌に力を込めた。


 兼続は予想以上に元気だった。もともと外傷はないのだ。考えてみれば関平だとて、趙雲にしたがってついていった。
 三成は、その様子をどことなく苦く思って不自然に笑った。
 脳裏によぎるのは、幸村の槍に貫かれた兼続の姿だ。その時の、寂しそうな目。辛そうな表情。何かから解放された、喜びすら浮かべる不自然な微笑みと。
 三成は首を振って、その光景を忘れようとする。だがそう簡単には離れてくれなかった。
 訪問者が三成だと知った兼続は、ふっと双眸を眇めた。
「三成か」
「…不服そうだな」
 その視線の意味がわからず、三成も不満もあらわに呟いてみれば、兼続は苦笑する。
「それはおまえの方だろう。どうせ幸村でも探すついでに寄ったのではないか?」
「………」
 図星だった。思わず言葉もなく黙りこめば、どうやら先ほどまでは幸村もここにいたらしい。後処理に追われてさえいなければ、と思うが。
「幸村ならば、くのいちのところにいる。容態は安定してきているようだがな」
 ああそうだった、と三成は思い出した。そもそもこの騒動もくのいちが負傷した状態で幸村のもとへ戻ってきたのが原因だったのだ。
 甄姫に看ていてもらっていたが、曹丕があの状態で戻ってきた今、彼女にくのいちを気にかける余裕はないだろう。あの夫婦も、大概自分たち以外が見えていない。
「兼続、何故あの場にいたのだ?」
 気を取り直して、三成は腕組みをしてそう問いかけた。自然、傷のある腕を庇うような体勢をとる。
「…この世界がなくならぬ事が気になってな。妲己の元にいた三成ならば詳しく知るかと思って訪ねた」
「…知るものか」
 三成が妲己のもとにいたのはさほど長い間ではない。信用されていたかどうかはともかくとして、曹丕を監視しろと言われていたくらいには、曹丕の方が胡散臭かった。
 とにかく、三成は遠呂智とは直接会話を交わしたことはない。その姿を見たのは、古志城に曹魏の軍と共に攻め寄せた、あの時くらいなものだ。
 兼続の思惑はずいぶん大きく外れていた。
「三成、おまえはこの状態がおかしいとは思わんのか?遠呂智は倒したはずだ。なのにまだ世界は平衡を保ち続け、元に戻る気配もない」
「…それのことだが兼続。遠呂智の最期はどうだった?」
「遠呂智?信長がとどめを刺した。追い詰めたのはもちろん謙信公だが」
 当たり前のように淀みなく、兼続は遠呂智の最期を思い浮かべていたようだった。この場で兼続がそんな嘘をつく必要もなく、またそんな風にも見えない。兼続は見た通りのことをそのまま口にしたのだろう。
「そうか。そちらは信長か」
「…そちらは、とはどういう意味だ?」
 三成の意味ありげな言葉に、兼続は不審そうに眉を顰める。
「趙雲の率いる反乱軍では幸村と趙雲がとどめを刺した。曹魏では張遼が」
「……言っている意味がわからん」
「遠呂智はあちこちで倒されている」
「…な?」
「後で幸村に聞いてみろ。遠呂智を倒したのは誰かと」
「……どういうことだ」
「さてな。呼び名の通り、頭が八つあって全部倒さねばならんのではないか」
 三成の言葉に、兼続は黙り込んでしまった。普通、唐突にこんなことを聞いて納得が出来るわけがない。
 が、兼続はなるほど、と神妙に頷いた。
「…そうなのかもしれんな」
「…兼続」
 兼続は何故だか酷く納得した様子だった。若干ながらその双眸にもいつものような力が戻ってきているような気がする。三成にしてみれば、半ば冗談のつもりだったのだが、兼続にとってはそれは冗談の範囲の話ではなかったようだ。
「まさか本気か?」
「まぁさすがに頭が八つあって全部倒すというのはどうかと思うがな。しかし残っておるのだろう。まだ何かが」
 その何かがわからないがな、と兼続は苦笑する。
 その姿を見て、三成は胸の内に妙な懐かしさが去来した。そうだ。考えてみれば兼続とこうして喋ったのはいつ以来だろうか。兼続が一計を案じたあの戦。その案を講じるために共に語らった、あの時以来だろうか。
「…兼続はそう考えるのか」
「…あぁ」
 一瞬遅れた肯定の言葉に、三成は僅かに違和感を覚えた。だが兼続はそれを追及させない。
「…本当は慶次に話を聞くつもりだった。三成は曹魏と共に遠呂智の元を離反したと聞いていたからな。慶次の方が、深くを知るかもしれんと」
「…そういえば、おまえにあの傾気者はどう見えた」
 慶次はこの世界に放り出されて、すぐに遠呂智のもとへ向かい、気づけば遠呂智を友だと言って憚らず、あらゆる人々の前に立ちはだかった。
 そして、まだ遠呂智の側にいるのだろう。
 幸村と対峙していた慶次を見た、三成からすれば一体何故あそこまで遠呂智に執着するのか、それがわからない。
「…そうだな。あいつはあいつなりの筋道があり、決して曲がってなどいないのだろう。遠呂智が生きているならば…わからんでもない」
「………」
「あいつは、たぶんまだ戦っているのだ。友の為に」

―――負けに味方するが真田の意地か。安い意地よ!

 ふと脳裏に、何かがよぎった。明らかに兼続の言葉に反応して、だ。
 瞬きをすれば、その光景が蘇る。見ていないのにまるで見たことのあるように鮮やかに。
 大阪城。そこに攻め込む大軍。そしてその旗印。幸村の姿。戦意を失わない、その目。
 見えた光景に、三成は身震いした。
「三成?」
「………すまん。なんでもない」
 三成は、ぐ、と傷の部分を握りこむ。痛みに神経が尖って、見えた光景は霧散した。
(…幸村)
 何故だろう。むしょうに幸村の顔を見たかった。幸村の顔を見て、幸村の腕をとって。
「慶次から、話が聞ければな…」
 兼続の言葉に、三成は確かになと思う。そうしてふと考える。
 慶次が、幸村に言っていた言葉を。

―――…いえ。…ただ…私に来てもらわねばならない、と。

 たとえば。
 たとえば、幸村をつかって、慶次をおびき寄せられれば…。
(…馬鹿な。ありえん…)
 だが考えれば考えるほど、そうすれば核心に迫ることが出来るかもしれない可能性に気がついて、三成はぞっとした。



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そろそろ風呂敷広げすぎですよという注意報が警報になっています…。