いつか太陽に落ちてゆく日々 24

 政宗と趙雲は、互いに見つめあったきりしばし言葉もなく黙り込んだ。趙雲は目の前につきつけられた現実を受け入れる為。政宗は、彼が現実を受け入れて会話が成立するのを、ただ待った。
(あれだけこの目が元のようになればよいと思っていたものが)
 趙雲は遠慮なしにこの右目を見つめてくる。当然だ。趙雲は政宗が独眼竜と呼ばれるようになった原因を知らない。だからこそ遠慮など何もない。
 政宗にはそれがいたたまれない。かといって自分から見せたものを隠すのは自尊心がそれを許さなかった。
 だがしかし、自分が奇妙に緊張していることはわかる。指先が今までになく冷えている。
 ようやく趙雲が口を開いた。
「…何故、誰にも言わなかったのです」
 その目が遠呂智のように赤い瞳を得たこと。だが政宗にしてみれば、趙雲の質問は愚問以外のなにものでもなかった。だが、本心は隠して別の言葉を用意する。
「何かに利用されるのは真っ平じゃ。とくにあの軍師にはな」
「…軍師殿、ですか」
 この目が赤に染まり、昔のように光を取り戻したにせよ、この右目については他人には一切明かさない。今だとて、こういう状況でなければ見せてやる気もない。孫市や幸村のように、知っている者ならばわかるだろう。それがすなわち、どれほど切羽詰った状況か。
「この目が出来てから、ワシは毎日夢を見た。あらゆる夢…。人の死ぬ夢じゃ」
「…人の」
「教えてやるぞ。劉備の死ぬ様も、関羽の死ぬ様も、幸村も」
 言われて、趙雲は一瞬怒りを覚えたようだった。それはそうだろう。趙雲は彼らの死ぬ姿を知らない時代から、遠呂智に切り取られてここへ来た。
「……何故、そんな」
「遠呂智の力じゃ」
 そうだ。そんなものは遠呂智の力以外にない。直々に聞いたのだ。大阪の陣を知らない幸村も、関が原の勝敗を知らない兼続も、己がどこで倒れたかも知らない信玄も、信長も。
 何故、皆が生きているかと聞けば、遠呂智はただひっそりと笑った。笑って言ったのだ。

―――ではどう生きる?

 それきり何も言わず、遠呂智は政宗をじっと凝視していた。その時に思ったのだ。遠呂智は、この世界にいる全ての人々の生を何もない白紙へ戻した。
 そしてどう生きるのか、それを知りたかったのかもしれない。
 人は戦わずには生きられない。大なり小なり、争いは常にあり、それらがなくなる日など来ない。結局そうやって、常に争いに身を置き生きて死ぬ。
遠呂智はそれを知っている。
「どうしてそんなものが。遠呂智は我々が倒したはずです」
「倒せておらんかったということじゃ」
「…あれで倒せていないと言うならば、どうしろというのですか」
 趙雲は変わらず政宗をじっと見つめている。一度も視線を逸らそうとしない。こういうところが、幸村と似ている気がした。孫市の策によって政宗がこの趙雲率いる反乱軍に身を投じてから、趙雲と幸村は自然と二人でいる事が多いように感じられた。反応もよく似ていて。
 何の巡り合わせなのだろうか、と思った。
「遠呂智は…あれは、ワシらの生きる世界のものではない」
「ええ」
「名などない世界のものだったのじゃ。生まれたばかり、何も知らぬ。戦いのみしか知らぬ。その中の、高揚感でしか生きられぬ。それが、蛇の名を冠した」
 遠呂智。古くからある書物の中に出てくるその名。はじめてその名を聞いた時、政宗は蛇を連想し、ならば竜に勝てるものではないだろうと逢いにいった。そして目の当たりにした、遠呂智という名の魔王は。
 魔王と呼ばれるに相応しい人外の肌。色の違う両の目。彼はあらゆることが出来た。遠呂智軍を無尽蔵に呼び出すことも出来たし、自らの身体を宙に浮かすことだって出来た。
 不可能などないように見えた。だが、彼の求めるものは一つ。
「…蛇」
「名に縛られたのじゃ。己を象るために。それゆえに、奴はその蛇を倒す者の手にかからねばならぬ」
 そう、たった一つだ。
 遠呂智が望むもの。彼の傍にいて、政宗にはそれがよくわかった。
「…なぜワシが遠呂智の力を有したか、わかるか」
「いえ…」
「この世界がどうして出来たか、わかるか」
「…遠呂智が創ったのでしょう?」
「どうやって創った?」
「それはわかりませんが」
 趙雲は困惑している。それはそうだろう。まっとうな理由など、政宗にもわからない。ただ、政宗の中で何かが訴える。政宗の中に潜んでいた、遠呂智の感覚が。
「この世界は遠呂智が創った。遠呂智が望んだ世界じゃ。ワシらはそこで望まれて呼び込まれた。遠呂智を倒すため。完全な死を与えるため」
「…遠呂智は、私と幸村殿が倒しました。しかし、魏軍では張遼殿が倒されたといいます。完全な死とはどういう意味ですか?何度も殺すと、そういうことですか?」
「遠呂智は信長にも倒されておる。孫呉の一族にもじゃ。何度も倒すだけでいいのならいくらでも倒せばよい。…が、そうではない」
 政宗は何かに思いを馳せるように、双眸を閉じた。その瞼の裏に、焔が見える。赤く燃えているあの焔。そうだ。政宗が一度見た。あの大阪で。天守へは行かせない、とばかりに槍を構えるあの男。あの姿。あの。
「…この世界は…遠呂智が創ったものじゃ。遠呂智が願い、望んだ世界。望み叶った世界じゃ…わかるか?この世界がなくなり、元に戻ればよいと願わぬ者がいる。それが…この世界から遠呂智が消えても世界を繋いでおる。だから遠呂智は死んでいない。望む者がいる限り」
「…あなたのように?」
 趙雲の言葉に、政宗は押し黙った。しかしすぐに笑い飛ばす。
「…馬鹿め。ワシは天下もとろうという伊達政宗じゃぞ」
「…その瞳が赤く染まったのが、証拠のような気がします」
「………」
「その瞳は、遠呂智のものだ。そしてあの力も、遠呂智のものです。違いますか」
 政宗は見ている。三成が関が原で負け、長谷堂城から上杉軍が逃げる様を。そして追い詰めた兼続と慶次をこの手にかけたことも。そして、幸村が一人残り、意地を通そうというところも。
 彼らは政宗の天下にはそぐわない。理想を追い求めすぎて、政宗からすれば地に足のついていないようにしか見えない。
 だが。
 綺麗事だとわかっていても、それを信じる彼らを羨ましいと思う心もどこかにあって、その彼らの死を悼む心もどこかにあり。
 だがそんなことは、死んでも口にする気はなかった。
「…ワシは遠呂智が死ぬことを一番望まぬ者だったからのぅ」
「…望まない?何故です」
「ワシは死にたがりが嫌いなだけじゃ」
 負けるとわかっている戦に出る男がいた。安い意地だと笑ったこともある。だが相手はただ真摯に言葉を返し、槍を向けてきた。退く気など毛頭ないことはその目を見ればわかった。だが、声をかけずにはいられなかった。
 少しでもその心に、揺らぎが生まれてくれればと。
「…私も、好きではない。死を見る前に、生を見てくれなければ守るものも守れない」
 趙雲の言葉にはどことなく力がなかった。おそらくは遠呂智のあの力で何かを見たのだろう。それが、彼の心を曇らせている。
「…政宗殿。何故、私をここへ呼ばれた?理由を聞きたい」
「見当がついておるのではないか」
「…幸村殿、でしょうか」
 そう。あの時、政宗が趙雲たちの元へ足早に向かった時、その名を口にした。興奮していたかと言われればそうかもしれない。
「…そうじゃ」
 何度でも何度でも、政宗の脳裏に鮮やかに蘇る。赤地に映える六文銭。焔のような目をして対峙するその姿。
 あの時、何故こんなくだらない意地を通そうというのか。政宗にはわからなかった。伊達家に身を寄せていれば、そんな風に死ににいかなくてもよかったものを。
「幸村でなくば、遠呂智は倒せぬ。…奴の持つ、あの槍でなくば」
「…槍?」
「そうじゃ」
 焔を纏う、あの槍。

「炎槍素箋鳴」

 大蛇を倒すその名を持った、あの槍だ。


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