いつか太陽に落ちてゆく日々 23




 趙雲が目を醒ますと、目の前に劉備の安堵した笑顔が飛び込んできた。
「おお、よかった」
「さすが趙雲殿。もう少し回復しないのではと思っていたのですけど」
 劉備の隣でこれもまた安堵した様子で笑ったのは月英だった。水を飲むかといわれて、とりあえず頷く。月英は微笑んだ。趙雲は周囲を見渡す。まだ少し荒れた様子の城。そうだ、ここは江戸城だ。そうやって、ゆるゆると記憶を取り戻す。
「…関平は…」
「関平殿でしたら、星彩が見ております。あちらは関羽殿もまだ目を醒まさず…」
 月英の答えに、劉備も眉間に皺を寄せた。
「…では孫市殿は」
「姜維が見ておりますよ」
 遠くからの声に、は、と顔を上げれば、いつの間にやら諸葛亮がその場にいた。
「軍師殿」
「趙雲殿、話すことは出来ますか」
 穏やかな声音の中に、気遣いの色が見えた。おそらくまだ誰も目覚めていないのだろう。そして思ったよりも自分も無事に見えないのかもしれない。
「…ええ」
「そうですか。それはよかった。先ほど一度関平殿が目覚めましたが、話の出来る状況ではなかったので…あの場に、星彩がいてくれて助かりました」
「星彩が?」
「ええ」
 諸葛亮の話では、関平は一度だけ目を醒ましたが、酷く混乱していた。
 彼はずっと、敵は、父上は、とそればかりを叫んでいたという。関平は斬馬刀を振り回す力を持つ。その彼が暴れ出しては、なかなか止める者もいなかっただろう。

―――関平、私を見て。
 混乱している関平の腕を掴んで、振り回されるに任せた状態で星彩は存外落ち着いていた。真摯に関平を見つめるその瞳に、彼の動きが止まった。
―――大丈夫。みんないる。
 静かな声。そう言いながら、星彩は関平の腕を撫でるようにして力をほぐしていた。興奮冷めやらぬ様子の関平だったが、そうやって星彩のぬくもりを感じて安心したのか、そのままもたれかかって眠ってしまった。手を離してくれない、と星彩は言っていたがさして迷惑そうでもなく。
 今も手を繋いだままでいる。

「…そうですか。…ここに星彩がいてよかった」
 趙雲などは、関平の想いを知っている。また、星彩の気持ちもだ。星彩に関しては趙雲に少しばかり特別な態度をとることがあったが、それも自分を兄のように慕ってきているだけで。
 だから星彩が関平を助けたことも、関平が星彩の言葉に安心したのにも、兄の立場として安堵した。
「それで、お話とは…」
「いくつかあります。まずは曹魏はいかがでした?」
「…ええ、よくしていただきました」
「それはよかった。蜀の五虎大将が曹魏に赴くというのも、なかなかない事です。その目で曹魏を見てこられたのは大変、今後に役立ちましょう」
「………」
 諸葛亮の言葉に、趙雲は思わず苦笑した。この人の中では、もう遠呂智など過去のものなのか。それとも大局を見た上で、このずっと先のことを言っているのか。
「それから二つ目。何がありました?」
「…何が、とは」
「あの渡り廊下でです。駆けつけた時には政宗殿以外皆倒れていた」
 あの時のことを振り返ってみても、趙雲には適切な言葉が浮かんでこない。ただ、あの力は遠呂智のものだった、というそれだけだ。
「何がありました?」
 何と言えばいいのかわからず、趙雲は口ごもった後に顔を上げた。すると諸葛亮の口から、思わぬ言葉が出てくる。
「政宗殿は何も言いません。私の聞きたいことは。ただ、あなたには話すことがあるそうです。今は彼自ら牢に入っておりますよ」
「ろ、牢に!?」
 思わず素っ頓狂な声を上げて、酷く動揺した。あの自尊心の高い男が自らそんな場所に入ろうとするなどと。よほど気にしてのことなのか。
「ええ。自らを罰すると」
「そんな…」
「何がありました?」
 もう一度、同じように問われた。もう誤魔化すわけにもいかない。
「…よくわかりません。ただ、唐突に全員が吹っ飛ばされた、としか」
「……」
 黙り込む諸葛亮のかわりに、聞いていただけの劉備が口を開いた。
「政宗殿は乱心したのか?」
「…少し興奮気味ではありましたが」
 それ以外に、何と言えばいいだろう。何故だか幸村のことをしきりに気にしていたこと、そのことで興奮し、遠呂智の技で攻撃を受けたこと、それらは口にしずらかった。
 隠すつもりはないが、それでも。
「そうですか」
 あの時、政宗は真田幸村はどこだ、と言っていた。一緒に戻ってきたわけではないことを知らないのだろうと思ったが、彼の目はそんなことを言いたいわけではない、と言っていた。
 あの目はまるで、獲物はどこだと言われているようだった。
(…幸村殿)
 おかしな事だ。まるで幸村が中心になって一連の事件が起こっているような気がする。幸村が曹魏を訪れて数日のうちに合肥新城は遠呂智軍の攻撃に晒され、幸村の忍びが前田慶次にやられ。彼がそこに行くことをわかっていたように、兼続たちがそこで倒れていた。
(考えすぎだ)
 だが、蜀の仲間がいるこの地で、唯一遠呂智軍にいた政宗があの時のように幸村はどこだ、などと言い出す様を見ていると。
「趙雲殿。政宗殿と話をしていただけませんか」
「…あ、あぁ、はい」
「何かがわかるかもしれません…。政宗殿は、私には話したくないようですので」
「そうなのですか?」
「話したくないので自ら牢に移ったのでしょう。先ほど様子を窺ったところ、今は自責の念にかられているので話せない、と言われてしまいました。しかし趙雲殿は呼ばれた。だから、あなたにしか話さないつもりかもしれません」
「…何故…」
「それを、聞いてほしいのです」
「…わかりました」
 おそらくは幸村のことが話題にのぼるだろう。そう思うと、趙雲は酷く緊張した。一体何が起こっているのか。この世界から、遠呂智が消えていないことが原因なのか。
「…そうだ。軍師殿。少しおかしな話がありました」
「どのような?」

「曹魏は、張遼殿が遠呂智にとどめを刺したそうです」

 劉備はその意味がわからず、首をかしげている。が、月英と諸葛亮は、二人とも凍りついたように動かなかった。
 そう、わかっているはずだ。
「…それは大変に興味深い」
 蜀の面々は、少なくとも趙雲と行動を共にした者は、誰が遠呂智にとどめを刺したのかを知っている。
 そうだ。孫市が作った遠呂智の隙。その一瞬の隙をついて、幸村と趙雲と、二人が同時に両脇から槍を繰り出した。この手にその時の感触だって残っている。
 だが、曹魏では張遼がとどめを刺したという。
 それでは、孫呉の人々は?あれもおそらく、別の誰かがとどめを刺したというのかもしれない。
「どうした?どういうことだ?」
「殿、あとで詳しくお話いたします」
 劉備は諸葛亮の言葉にやや不服そうに頷いた。劉備はあの場にいなかったのだから仕方がない。
「…政宗殿のところへいってまいります」
「よろしくお願いします」
 寝台から立ち上がれば、まだ少し視界が回るような感覚があった。身体にあの感覚が残っている。吹き飛ばされた時、そして地面に叩きつけられた時、趙雲の脳裏には見たことのない光景が広がっていた。
 怒りに狂う劉備を抑えようと自分は必死だった。食い下がり、無謀に前線へ飛び出そうとする劉備を制して。
 劉備の目は荒んでいて、仁の為に、と言っていつも笑っている彼らしくなかった。あれは一体、なんだったのか。
 月英に気遣われ、大丈夫かと問われたが趙雲は頷いた。

 政宗が入った牢へは、伊達軍の面々が通してくれた。
 そこは以前、自分が閉じ込められていた牢とよく似ている。この城も、上田城も、同じく幸村たちのいた時代、その国のものだ。設計部分が似ているのかもしれない。
「…政宗殿」
「来たか、趙子龍」
 政宗は武器などは一切携帯していなかった。本当の意味で牢に入ったとでも言うのか。趙雲はそんなところに目をやって、視線を逸らした。
「…一体」
「…………ワシはワシの中で、唯一恥じるところがある」
「え?」
「貴様らは知らんだろうがな。幸村や孫市あたりは、噂にも聞いたことがあろう」
 政宗の語りが唐突すぎて何を言いたいのかわからず、趙雲は格子ごしにじっと政宗を見つめるのみだった。
「ワシはな。それを失うた時からずっと、今まで一度だとて誰にもそれそのものを見せたことはない。…が、話を短く済ませる為に貴様だけには見せる」
 緊張が走った。何を見せるというのか、その意味がわからない。わからないが、政宗からただならぬ緊張感が伝わってきた。一体それが何のためなのか趙雲にはわからない。
 政宗が拳を握り、意を決したように顔を上げた。
「見よ」
 立ち上がり、格子に近づき、そして。
 政宗がおもむろに眼帯を引きちぎった。
「…ッ!?」
 そしてその、隠されている右の目の中を、趙雲は目の当たりにした。
 隻眼の将は、趙雲たちの知る中でも夏侯惇がそうだ。彼自身は戦で弓矢が貫通したせいでそうなった。
 趙雲は特に誰にも聞かなかったが、政宗自身もそうなのだろうと思っていた。
 だから、夏侯惇がそうであるように、政宗も、その右目は空洞なのだろう、と。

 しかし。
「…どう、いう」
「ワシの目は病で失ったものじゃ。いろいろあった。だから潰してあった。だが遠呂智が倒されてから、この右目に異変があった。見えるか、この、血の色」
 赤い、血の色をした瞳がぎょろりと動く。まるで別の生き物のように。そこだけ、別の次元の別の生き物のように。
 趙雲はそれ以上の言葉を失って、しばし呆然とそれに見入っていた。
 何が起こっているのかと問われても、趙雲には答えようがない。確実に、巻き込まれていく感覚はあった。
 遠呂智が出現した時のような、抗いようのない強大な力。目に見えないそれが、自分を渦中に放り込むような。
 政宗の赤く光る瞳を見つめて、趙雲はそれだけを考えていた。



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