震動が、あった。 幸村がハッとして顔を上げる。立ち上がって三成を追いかけたい。しかし、兼続がそうはさせてくれなかった。 「兼続殿、大丈夫ですか」 「…すまん。大丈夫だ」 強い力を込めた手から、震えが伝わってくる。一体どうしたというのか。関平も、目を醒ました後から様子がおかしいと趙雲が言っていた。兼続と関平は同じところで倒れていた。同じ思いをしたのだろう。 しかし、幸村は自分が焦れているのがわかった。何とかして、追いかけたい。 「曹丕殿が心配です。私も行かねば」 「駄目だ」 「…え?」 「駄目だ。幸村はここにいてくれ」 予想外の言葉に、幸村は困惑した。兼続の言葉には迷いがなかった。行ってはいけないという事だけははっきりと意思表示している。 「ど、どういう意味ですか?」 「…すまない」 「兼続殿!」 兼続は相変わらず幸村の肩を掴んで離さない。兼続が先ほどまで意識不明だったこともある。幸村はその手を振り解くことは出来なかった。 「しかし」 「…すまない。まだ混乱しているのだ。すまない…」 「……兼続殿」 兼続は頭を抱えている。肩を掴む手は自然と緩んだ。しかし、そうなっても幸村にはそれを振りほどけなかった。 一体何がどうなっているのか。 幸村はもう一度、顔を上げた。三成が走っていった方を見つめて、唇を噛んだ。 三成は呂布からの攻撃を受けずに避けた。鉄戟が三成のいた場所に振り下ろされて、地面が抉れる。三成は一瞬ひやりとした。 呂布はかわされるたびに鉄戟を振り上げ、また振り下ろす。力は衰えることがない。円を描くように逃げながら、三成は一度も攻撃を繰り出さなかった。 「…どうした。死ぬ気になったか雑魚が!」 呂布の言葉に空気が震動する。呂布が鉄戟をぐるりと回転させて、また地面へたたきつける。 その途端、三成がにやりと笑った。 「!?」 呂布がその異変に気づいた時には遅かった。三成の鉄扇が、音を立てて開かれる。途端にドン、という音と共に呂布の身体が衝撃に吹き飛ぶ。そしてそれに連動するように、周囲に円を描いていた罠が作動した。 三成が逃げながら設置していた罠が作動していた。呂布はもろにそれを食らいながら、まだ倒れない。煙幕が薄れて呂布の姿が鮮明に見えた時も、まだ彼は立ち続けている。 さすが人中の呂布、と三成が舌打ちをした。が、呂布はそのまま何も言わずに倒れた。鈍い音。ぴくりとも動かない呂布に、三成はしばし警戒を続けていたが、動く気配がない。そっと近寄れば、完全に意識を失っていた。 あれだけの罠、あれだけの火薬の前に、命を失っていないあたりが呂布の恐ろしさだ。三成は一つ大きくため息をついた。 そして、倒れた呂布の首筋に見える、青い鱗のようなものを覗き込む。 間近で見れば、やはりそれは蛇の鱗のようだった。まだらの模様がついている。その一枚一枚が別の色でもあり同じ色のようにも見える。 「…どういうことだ」 そう呟いたときだった。
「三成殿ー!」 遠くから、馬の近づいてくる音。大軍だ。三成はようやく一つ生きた心地で息を吐き出した。 馬上に見えるそれは、張遼。背後にはたくさんの兵を従えている。 「ご無事か!」 「俺はな。曹丕が呂布にやられた」 「なんですと!」 ああ、と頷く。そういえば貂蝉の逃亡を手助けした際、三成と張遼は同じ軍にいた。その時のやり取りで、張遼が呂布の部下だった過去があることを思い出した。 「曹丕殿を!」 部下にそう指示を出して、張遼は倒れている呂布のもとに立ち尽くした。 「…突然襲ってきた」 「…呂布殿。一体何故…」 「首が見えるか。呂布とは昔からあのような鱗があったのか」 「…鱗?…これは」 「俺には遠呂智のものに見える」 「…そうですな。私にもそのように」 「………」 三成は、その鱗をよく見るために呂布の身体に手を伸ばした。顎をあげて、その鱗に触れる。 ―――所詮俺は、ここまでの器だったな…。 「!?」 妙な映像が見えた気がして、三成は慌てた。なんだ今のは。自分の声だった。言ったことのない言葉を呟いて、倒れた。 「…三成殿?」 様子がおかしいことに、張遼が訝しむ。三成はなんでもない、と首を振った。そしてもう一度、その指を伸ばす。 ―――俺の力を皆のために尽くそう!皆の力を俺に結集してくれ! 「…っ」 次に見えたのは全く違う場面だった。三成は幸村の言葉を思い出す。 ―――その姿が、あまりに堂々とされていたので。何故だか酷く嬉しかったのです。 (これだ) 三成は咄嗟に理解した。幸村が見た、「三成の演説」はこれだ。兵を前に、皆の注目を浴び、三成は自信に満ちた声で、言葉で、態度で、演説を繰り広げる。 一体これはいつのことだ。何の為にこんなものが見えるのか。三成はわからないまま、その光景をもう一度見ようとした。 途端。 ―――負けに味方するが真田の意地か。安い意地よ! ―――幸村愚鈍なれば、言葉にて返答あたわず。利根なる政宗様には、我が槍をご覧なるべし! 大阪城。葵の紋がひしめいている。幸村は戦っている。誰もいない。そのそばには、兼続も、三成もいない。たった一人。死んだ目をして戦っている。 「…ッ!?」 三成が息を呑む。これはなんだ。どういう光景だ。いつこの光景が実現する?大阪城に、何故徳川が攻め込んでいる? 三成は叫び出しそうになった。徳川本陣へ猛攻をかける幸村。家康がその勢いにおののいている。だが圧倒的な数の前に、かなわない。少しずつ傷を負い、疲れ果て。 その瞬間だった。ずるり、と何かが三成の中に入り込むような感覚があった。その違和感に、三成はびくり、と身体を震わす。 見れば、呂布の首筋に浮かんでいた鱗は消えている。 「…み、三成殿。今、何を…」 「………わからん」 (今…身体の中に、何かが、) しかし首筋に触れても、鱗のようにはなっていないようだった。張遼も不審そうにこちらを見ているが、なにも言わない。気のせい、だろうか。 「…とにかく、呂布を捕縛せよ」 「承知」 張遼が頷き、素早くその場に人を呼んだ。その様子はやや複雑そうだったが、それでも張遼は今は曹魏の人間だった。少なくとも、今は。 「曹丕はどうだ」 「目覚められません」 曹丕の周囲にはたくさんの兵が群がっていた。息はあるが意識は戻らない。兼続と同じ状態だ。 「回復にはしばらくかかる。こちらは怪我人が多い。怪我人の回収を済ませたら早々に撤退だ」 「はっ」 三成は迅速に指示を出しながら、考える。 あれは、一体何の光景だっただろうか。倒れる瞬間。兵の前での演説。まるで同一人物とは思えないほどに、様子が違った。 (…一体、あれは) 例えばもし、それがあの関が原での光景ならば。 (…あの劣勢で?) だとしたら、自分は死ぬのか。あんな風に、呟いて死ぬのか。たった一人。 (…そんなもの、変えてやる。俺が、この力で) 見つけました、という声が遠くで聞こえる。兵たちに連れられてやってきたのは兼続と幸村だった。兼続は兵と幸村に支えられてやっと歩いている状態だ。 (幸村) ぐ、と拳を握った。一瞬、趙雲に手当てを受けた傷がひきつれるような痛みを訴えたが、三成は気にしなかった。 「三成殿、ご無事で…」 心底良かった、という顔で笑う幸村に、三成は微笑んだ。 ああ、この笑顔。三成のことを、心底信頼しているその無防備な笑顔。 (喰ってしまいたい) 三成はその笑顔の下で、そんなことを考えていた。 そして、そんな三成のことを、さも恐ろしいものでも見たように。 兼続は眉間に皺を寄せていた。
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