いつか太陽に落ちてゆく日々 22




 震動が、あった。
 幸村がハッとして顔を上げる。立ち上がって三成を追いかけたい。しかし、兼続がそうはさせてくれなかった。
「兼続殿、大丈夫ですか」
「…すまん。大丈夫だ」
 強い力を込めた手から、震えが伝わってくる。一体どうしたというのか。関平も、目を醒ました後から様子がおかしいと趙雲が言っていた。兼続と関平は同じところで倒れていた。同じ思いをしたのだろう。
 しかし、幸村は自分が焦れているのがわかった。何とかして、追いかけたい。
「曹丕殿が心配です。私も行かねば」
「駄目だ」
「…え?」
「駄目だ。幸村はここにいてくれ」
 予想外の言葉に、幸村は困惑した。兼続の言葉には迷いがなかった。行ってはいけないという事だけははっきりと意思表示している。
「ど、どういう意味ですか?」
「…すまない」
「兼続殿!」
 兼続は相変わらず幸村の肩を掴んで離さない。兼続が先ほどまで意識不明だったこともある。幸村はその手を振り解くことは出来なかった。
「しかし」
「…すまない。まだ混乱しているのだ。すまない…」
「……兼続殿」
 兼続は頭を抱えている。肩を掴む手は自然と緩んだ。しかし、そうなっても幸村にはそれを振りほどけなかった。
 一体何がどうなっているのか。
 幸村はもう一度、顔を上げた。三成が走っていった方を見つめて、唇を噛んだ。


 三成は呂布からの攻撃を受けずに避けた。鉄戟が三成のいた場所に振り下ろされて、地面が抉れる。三成は一瞬ひやりとした。
 呂布はかわされるたびに鉄戟を振り上げ、また振り下ろす。力は衰えることがない。円を描くように逃げながら、三成は一度も攻撃を繰り出さなかった。
「…どうした。死ぬ気になったか雑魚が!」
 呂布の言葉に空気が震動する。呂布が鉄戟をぐるりと回転させて、また地面へたたきつける。
 その途端、三成がにやりと笑った。
「!?」
 呂布がその異変に気づいた時には遅かった。三成の鉄扇が、音を立てて開かれる。途端にドン、という音と共に呂布の身体が衝撃に吹き飛ぶ。そしてそれに連動するように、周囲に円を描いていた罠が作動した。
 三成が逃げながら設置していた罠が作動していた。呂布はもろにそれを食らいながら、まだ倒れない。煙幕が薄れて呂布の姿が鮮明に見えた時も、まだ彼は立ち続けている。
 さすが人中の呂布、と三成が舌打ちをした。が、呂布はそのまま何も言わずに倒れた。鈍い音。ぴくりとも動かない呂布に、三成はしばし警戒を続けていたが、動く気配がない。そっと近寄れば、完全に意識を失っていた。
 あれだけの罠、あれだけの火薬の前に、命を失っていないあたりが呂布の恐ろしさだ。三成は一つ大きくため息をついた。
 そして、倒れた呂布の首筋に見える、青い鱗のようなものを覗き込む。
 間近で見れば、やはりそれは蛇の鱗のようだった。まだらの模様がついている。その一枚一枚が別の色でもあり同じ色のようにも見える。
「…どういうことだ」
 そう呟いたときだった。

「三成殿ー!」

 遠くから、馬の近づいてくる音。大軍だ。三成はようやく一つ生きた心地で息を吐き出した。
 馬上に見えるそれは、張遼。背後にはたくさんの兵を従えている。
「ご無事か!」
「俺はな。曹丕が呂布にやられた」
「なんですと!」
 ああ、と頷く。そういえば貂蝉の逃亡を手助けした際、三成と張遼は同じ軍にいた。その時のやり取りで、張遼が呂布の部下だった過去があることを思い出した。
「曹丕殿を!」
 部下にそう指示を出して、張遼は倒れている呂布のもとに立ち尽くした。
「…突然襲ってきた」
「…呂布殿。一体何故…」
「首が見えるか。呂布とは昔からあのような鱗があったのか」
「…鱗?…これは」
「俺には遠呂智のものに見える」
「…そうですな。私にもそのように」
「………」
 三成は、その鱗をよく見るために呂布の身体に手を伸ばした。顎をあげて、その鱗に触れる。

―――所詮俺は、ここまでの器だったな…。

「!?」
 妙な映像が見えた気がして、三成は慌てた。なんだ今のは。自分の声だった。言ったことのない言葉を呟いて、倒れた。
「…三成殿?」
 様子がおかしいことに、張遼が訝しむ。三成はなんでもない、と首を振った。そしてもう一度、その指を伸ばす。

―――俺の力を皆のために尽くそう!皆の力を俺に結集してくれ!

「…っ」
 次に見えたのは全く違う場面だった。三成は幸村の言葉を思い出す。

―――その姿が、あまりに堂々とされていたので。何故だか酷く嬉しかったのです。

(これだ)
 三成は咄嗟に理解した。幸村が見た、「三成の演説」はこれだ。兵を前に、皆の注目を浴び、三成は自信に満ちた声で、言葉で、態度で、演説を繰り広げる。
 一体これはいつのことだ。何の為にこんなものが見えるのか。三成はわからないまま、その光景をもう一度見ようとした。
 途端。

―――負けに味方するが真田の意地か。安い意地よ!
―――幸村愚鈍なれば、言葉にて返答あたわず。利根なる政宗様には、我が槍をご覧なるべし!

 大阪城。葵の紋がひしめいている。幸村は戦っている。誰もいない。そのそばには、兼続も、三成もいない。たった一人。死んだ目をして戦っている。
「…ッ!?」
 三成が息を呑む。これはなんだ。どういう光景だ。いつこの光景が実現する?大阪城に、何故徳川が攻め込んでいる?
 三成は叫び出しそうになった。徳川本陣へ猛攻をかける幸村。家康がその勢いにおののいている。だが圧倒的な数の前に、かなわない。少しずつ傷を負い、疲れ果て。
 その瞬間だった。ずるり、と何かが三成の中に入り込むような感覚があった。その違和感に、三成はびくり、と身体を震わす。
 見れば、呂布の首筋に浮かんでいた鱗は消えている。
「…み、三成殿。今、何を…」
「………わからん」
(今…身体の中に、何かが、)
 しかし首筋に触れても、鱗のようにはなっていないようだった。張遼も不審そうにこちらを見ているが、なにも言わない。気のせい、だろうか。
「…とにかく、呂布を捕縛せよ」
「承知」
 張遼が頷き、素早くその場に人を呼んだ。その様子はやや複雑そうだったが、それでも張遼は今は曹魏の人間だった。少なくとも、今は。
「曹丕はどうだ」
「目覚められません」
 曹丕の周囲にはたくさんの兵が群がっていた。息はあるが意識は戻らない。兼続と同じ状態だ。
「回復にはしばらくかかる。こちらは怪我人が多い。怪我人の回収を済ませたら早々に撤退だ」
「はっ」
 三成は迅速に指示を出しながら、考える。
 あれは、一体何の光景だっただろうか。倒れる瞬間。兵の前での演説。まるで同一人物とは思えないほどに、様子が違った。
(…一体、あれは)
 例えばもし、それがあの関が原での光景ならば。
(…あの劣勢で?)
 だとしたら、自分は死ぬのか。あんな風に、呟いて死ぬのか。たった一人。
(…そんなもの、変えてやる。俺が、この力で)
 見つけました、という声が遠くで聞こえる。兵たちに連れられてやってきたのは兼続と幸村だった。兼続は兵と幸村に支えられてやっと歩いている状態だ。
(幸村)
 ぐ、と拳を握った。一瞬、趙雲に手当てを受けた傷がひきつれるような痛みを訴えたが、三成は気にしなかった。
「三成殿、ご無事で…」
 心底良かった、という顔で笑う幸村に、三成は微笑んだ。
 ああ、この笑顔。三成のことを、心底信頼しているその無防備な笑顔。
(喰ってしまいたい)
 三成はその笑顔の下で、そんなことを考えていた。

 そして、そんな三成のことを、さも恐ろしいものでも見たように。
 兼続は眉間に皺を寄せていた。




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怪我人続出してますよ。