いつか太陽に落ちてゆく日々 21




 兼続が振り返った先、そこに遠呂智がいた。
「ずいぶんと悠長なことよ」
 それだけではない。その場には、政宗も慶次も、そして妲己もいた。
 呂布は彼らより少し離れたところで興味なさそうにしている。
 場所はおそらく古志城の玉座の間だろう。
「…おまえは焦っているな」
「…焦りもするわ」
 その場で話しているのは遠呂智と、そして政宗だけだった。食って掛かっているのは政宗一人で、他はあまり口を挟もうとしていない。遠呂智に絡みつくようにして身体を預けている妲己がそこへ割り込んだ。
「政宗サンは遠呂智様のこと、大好きだもんねぇ〜」
「話をややこしくするでないわ。妲己、貴様も軍師を名乗るならばもっと別の意味で話もあろう」
「んも〜政宗サンはどうしたいわけ?」
「どうもこうも…。裏切りだ離反だと一度は反乱軍など及びもつかんほどの勢力であったろうが」
「ふぅん。政宗サンはその勢力図を元に戻したいのね」
「…戦続きでは兵が荒む。死にやすくなる。反乱軍ならばいくらでも死ねばよいが、我らの軍だとていつかは潰れる」
 政宗は遠呂智軍にいる。しかしその場にいる政宗は、この軍の中にあって唯一雑兵たちの事にも目を向けている将のようだった。
 妲己に言わせれば、いくらでも駒は作り出せるというが、伊達軍はそうもいかない。政宗が伊達家を背負っているせいで、彼らは全て遠呂智軍に与している。だから政宗が動かす軍は、いつだって遠呂智軍の者ではない。人の気配のしない、青白い肌の者たちではない。
「ですって。遠呂智様」
 肩を竦めた妲己に促されて、遠呂智が口を開く。
「政宗よ」
「なんじゃ」
 どうせ現状の打破になるような事は言わないだろう。そういう顔で政宗は遠呂智の言葉を聞く。
「戦のない日々というのは、どういうものだ?」
 しかし実際に遠呂智の口から出た言葉は、政宗にとってはそれ以上だった。
「…なんじゃと?」
「それでは我は、何のために息をするのかわからん」
 遠呂智の言葉に、その場は凍りついたように静まり返った。妲己だけは遠呂智の言葉を待っていたとばかりに微笑んで、再び彼の首に絡みつく。
 それ以上、遠呂智は何も言わなかった。
 怒りに任せた政宗が身を翻し、広間から飛び出した。彼の足音だけが高らかに響く。
「あ〜ぁ。政宗サン怒っちゃったぁ」
 妲己はころころと音をたてて笑う。慶次は何も言わなかった。呂布も何もいわない。ただ、その場にいる誰も彼もが、理解はしていた。
 遠呂智は。
 息をするように戦いを求めていることを。この世界が、いつまででも争いあい憎みあい殺しあう。そういう世界であり続けることを望む。兵がどれだけ疲弊しようとも、その先にあるものを求めている。そうやって、その空気でなければ生きていけないのだ。
「ねぇ、慶次さん。次の戦でワシは出ん!とか言い出さないかなぁ、あの人?」
「…そんなこたぁ、しないと思うがね…」
 慶次は苦笑気味に肩を竦めた。慶次にとって、政宗とのつきあいが長いわけではない。他の面々よりは同じ時代を生きていて、その名前を知っていて、そして会話を交わしたことだってある、というだけだ。
 戦だってした。
 あの長谷堂を、兼続と共に戦った。追い上げてくる伊達軍と最上軍から、上杉の兵士を守る為に。
 あの時、伊達政宗とは実に凄い奴だと思ったものだった。
 その勢いの凄まじさ、ここぞという時を見逃さない流れを見る力。それらが、彼にはあった。
 その彼が、遠呂智についた。自らの意志でそうした人間は、案外と少ない。
 本当に、純粋な意味で、遠呂智についた者など何人いたものか。所詮最初から張子の虎で、いつでもいつだって瓦解するのがわかりきっていた。今だってそうだ。
 慶次が政宗を追いかけて消えた方へ歩いていけば、どことなく臍を曲げた様子の背中を見つけた。広場を前に、段差に腰をかけて頬杖をついている。 睨むように前を真っ直ぐ見つめているが、おそらくは何も見ていないのだろう。
 慶次は何も言わず、その横へ腰かける。政宗は変わらず前を見据えたまま、口を開いた。
「残るならわしらしかおらぬだろうとは思っておった」
「まぁな」
 遠呂智の作ったこの世界は、単純に言えば天下二分された状態だ。反乱軍と、遠呂智軍と。簡単に分けるならば今はそういう状態だ。反乱軍の中でも、誰が束ねているかと言い出せばキリがなく細分化が出来る。
 曹丕率いる魏軍。趙雲率いる一部蜀の面々。信長が率いる軍。信玄、謙信といった面々もいる。孫呉の人々も、孫策が率いている。
「あやつ…遠呂智の望みなど、わしだとてわかっておる。だが、そうするわけにはいかぬ」
「…政宗は優しいねぇ」
「馬鹿め。わしは死にたがりが嫌いなだけよ」
「…あぁ」
 吐き捨てるように、政宗はそう言い放つ。あの時代、戦は終息に向かっていた。だからこそ、武士としての死に様を求める人も、いた。
「気に入らん。あの真田幸村もじゃ。わしがつかってやればあのような無謀もなかろうに」
「…ありゃ、そういう性分なんだろうさ」
 一度だけ、政宗はこの世界で幸村と遭遇している。その時政宗は、無我夢中で叫んだ。
―――わしにひれふせ、幸村!
 とはいえ、彼を捕えることも出来なかったのだが。
「おぬしもな」
「ははは、そうかい?」
「そういう輩は、全てわしの元へ来ればいい。死んで楽になろうなどと」
「…楽じゃねぇ奴も、いるかもしれねぇぜ」
「…遠呂智か?」
「…あいつは…たぶん、一人になりてぇんだろうな」
「人が一人で生きていけるはずがなかろうが」
 政宗は納得いかない様子で舌打ちした。途端、政宗の上へ影がおりてきた。頭上から、低い声が彼らの会話へ割って入る。

「人か?」

「…っ呂布か。なんじゃやぶからぼうに」
 いつの間にか、呂布が追いついてきていた。
「ふん。思ったことをそのまま言ったまでよ」
 呂布は面白くなさそうにしている。
「いきり立つでないわ呂布。貴様の妻が三成に連れ去られたからというて」
 政宗が、不機嫌の原因に思い当たってからかってやれば、あからさまに呂布の表情が険悪になった。いざそうなると、まるで般若のように見える。
 ただでさえ大きい図体の男だ。何者にも負けないという自負のある彼はいつだって威風堂々としている。そういう男の怒る様子は、面白いほど様になった。
「……その話をここでするな」
「存外、妻がなくては己を見失うような輩は外では弁慶気取りよ」
「貴様」
「怒るな。貴様の妻は貴様を思ってそうしたことじゃ。器の小さい者は自分の理解の範疇を超える者に冷たい。貴様の妻はそういう意味で普通の人間じゃ。責めるな」
「……ふん。もう済んだことだ」
 呂布の声にほんの僅か、張りがなかった。それまでずっと黙っていた慶次が立ち上がり、己の二又矛をぐるりと回した。
「呂布よ、一つ力比べしようぜ」
「…貴様とか」
「おうよ。暇してんだろ?楽しませてくれよ!」
「ふ、貴様如きに俺を倒せるとは思えんがな」
 その言葉を合図に、慶次は広場へと歩み出す。呂布もそれに従った。お互いともに図体のでかさは負けず劣らずだ。見た目ではいい勝負。また勝敗のつかない事を始めたか、と思ったが政宗は何も言わなかった。庭へ続く段差に腰かけて、頬杖をついたまま二人を眺める。
「ようもまぁ、似た者同士で揃ったものよ」
 政宗は考える。最終的に、全世界が敵にまわったとしても、おそらく慶次と呂布は遠呂智のもとを離れることはしないだろう。呂布は力を試したい。慶次は遠呂智に惚れ込んだとぬかしている。おそらく遠呂智を一人に出来ないだろう。
 だとすれば、この二人は間違いない。遠呂智のそばから離れない。
 呂布は特に、妻の貂蝉が己のもとを離れても、遠呂智軍から離反はしなかった。呂布は難しいことを好まない。己の思いをそのままに体現する。溺愛している妻から離れられてもこの場にいるということは、彼には彼なりの貫きたい道があるのだろう。
(まぁ、あれだけの暴れ者じゃ。今更手のひら返そうとも出来まいが)
 あれもまた自滅の星を背負っているな、と政宗は冷静にそう思う。呂布という男には道が一本しかない。それ以外に背負える道がない。力を振るうことが彼にとって彼が彼である為に必要なことだ。
(せっかく、遠呂智が違う道を選ばせてやっているものを)
 遠呂智がこの世界を作った時、政宗は確信した。
 彼は―――あの、不気味な人型のようなものは、この世界にいる全ての人々の生きるはずだった運命を覆しにきたのだ、と。
 そう思った。それまで生きてきた人生などいくらでもやり直しがきくのだと、まるでそういいたいかのように。
(…泰平の世だの義の世だのと言っても、所詮誰かに天下をとられるのは気に食わん、か)
 どうにかしなければならない。どうするのが彼にとって一番いいことなのか。

「…のぅ、兼続」

 ぴくり、とずっと彼らの背後でただ見ているだけだった兼続が肩を揺らした。
(…どういう…ことだ)
 兼続は一度もこんな場所には来たことがない。話しかけられるはずがない。
 だが、兼続が驚いているのに対して、政宗は当然のように立ち上がった。
 視線が合う。
「…まさむ…」
「貴様は起きて伝えろ」
「何、」
「危険が迫っておるぞ」
 どういう意味だ、と突っかかりそうになって、兼続はどうにか己を制止した。
「…いや、待て。政宗、ここは何だ」
 その問いに、政宗は一つため息をこぼした。
「夢じゃ」
「夢!?私は夢を見ているのか」
「そうじゃ。慶次に見させられておる夢じゃ。慶次は報せたいのよ。貴様に」
 広場の中央では、呂布と慶次が己の武器を手にやりあっている。時折、空気が震動するような音が聞こえて、そのたびに視線を奪われた。
「…何を」
「遠呂智をじゃ」
「…慶次が私に?」
 何故。
 すると、政宗は酷薄な笑みを浮かべた。そしてその口から、とんでもない言葉が吐かれる。
「貴様は、見たか。幸村が死ぬのを」
「なっ…!馬鹿なことを言うな!」
「では三成が死ぬのは?」
「ふざけるな!!政宗貴様、」
「全てわしは見たぞ」
 酷薄な笑み。しかしそれは嘘を言う目ではなかった。嫌な笑みを浮かべているのに、その目はただ真実を告げている目だった。
「な…」
「三成が死ぬのも、幸村が死ぬのも、貴様が死ぬのもじゃ」
 彼が見たというそれは。
 兼続にはわからなかった。しかしすぐに理解する。そうだ。兼続が斬ったはずの人間が生き返っているこの世界。死んだことなど知らない様子で暮らす彼ら。彼らが死んだことを知っている人々。そう、その話を持ちかけられた時、兼続は最初に答えている。

―――遠呂智には我々の摂理は通用しない。だから、生き返ったと思える者たちは皆生きている時代からここに来たのだ。

 そうだ。自分でそう口にした。あの時の上杉の領民がおびえているのがわかったから、諭すように。
 そうだ。見目形が変わっていないからといって、目の前の彼が自分の知る人間ではない可能性があるのだ。だから。
「…ならば我々は死ぬのか」
「そうならぬ為の遠呂智じゃ。誰もわかろうとはせんがな」
 ふと。
 政宗の表情に兼続は声を失った。
「…まさ、」
「もう、行け。兼続。今すぐ。間に合わなくなる。目覚めろ」
 兼続はどうにか政宗に声をかけようとした。が、間に合わない。慶次と呂布の武器が、激しい音を立てた。途端、圧力のようなものを感じる。そこに立っていようとしても出来ない。風が、兼続の身体を吹き飛ばした。
 なんで。
 なんでそんなに、辛そうな顔をしているのだ。どうしてあんな風に、政宗の思いまで伝わってきたのだ。わからないまま、兼続はその場から強制的に排除された。
 


「…っき、むら!」
 しんと静まり返っていたその場で、唐突に兼続が掠れた声をあげた。
「兼続殿!?」
 突然覚醒した兼続に、幸村は慌てて詰め寄る。兼続の手が、幸村の肩を掴んだ。何かの力が働いているのではないかというほどの強い力に、幸村は面食らう。
「急げ、危ない。この場に、誰か離れていないか。誰、か」
「え…か、兼続殿?」
「幸村!」
「…曹丕殿、が」
「急げ。何か、来る」
 幸村は痛みも怪我も忘れて立ち上がろうとした。が、兼続の力が強くて動けない。少し前に、曹丕は三成と幸村にこの場を譲って離れた。
 何があったかは知らない。が、兼続はいつもどこかしら不思議なことをする人だったから、その場の誰も疑わなかった。
「俺が行こう」
「み、三成殿!」
 おもむろに三成が立ち上がり、走り出した。
 三成は走り出してすぐ、嫌な気配が立ちこめていることに気がついた。空気が重い。この感覚を知っている。覚えている。三成は自然と緊張した。
 ―――そして。
「曹丕!」
 彼らの目の前に、巨体が現れた。
 咄嗟に曹丕が構える。が、彼の双剣などあっさり吹き飛ばされて、無防備になる。三成が咄嗟に鉄扇を構えた。が、その瞬間に腕に痛みが走る。
「…ッ」
 その瞬間まで忘れていたが、三成は合肥新城での遠呂智軍の攻撃を食らって、怪我をしていた。しまった、と思った時にはもう遅かった。
 ドン、という音がして、曹丕の身体が宙に浮く。その一瞬、地面が青黒く光った。その男を中心に、光は瞬きの間に消える。それには見覚えがあった。
「曹丕!」
 成す術なく地面に叩きつけられた曹丕は、そのまま動かない。
 慌てて曹丕のもとへ駆け寄って、叫んだ。
「…ッ、呂布!」
 貴様、と声をあげた時だった。
「…真田幸村はどこだ」
「な…」
「真田幸村を出せ」
 なぜこの男からその名が出る。なぜだ。三成は混乱する頭で必死に考える。わからない。よく見れば、呂布の首筋に青い痣のようなものが見えた。目をこらせばそれは、鱗のようにも見える。
(遠呂智…!?)
 思い起こすのは慶次の瞳の色。赤から青へ、瞬きのたびにかわるその瞳の色が、まるで遠呂智のようだった。彼を連想させる人外ぶりだった。呂布もそうなのか。

―――…いえ。…ただ…私に来てもらわねばならない、と。

 慶次が言っていた、と幸村が話していたことを思い出す。慶次もだ。慶次も幸村を。
(なんなのだ、これは…!)
 ぎり、と歯軋りした。わからないことだらけだ。
「ふざけるな。貴様何をしにきた!」
 呂布は、ちらりと曹丕と三成を見下ろした。首に浮かぶ鱗のような青い部分が異様だった。
「貴様には関係ない」
「……!な、にを…!」
「…真田幸村を連れてこい。でなければ、ここで死ね」
 呂布がゆらりと鉄戟を構えた。三成は立ち上がる。鉄扇を構えた。趙雲に手当てを受けたきりだった怪我の部位は痛みを訴え続けている。しかし三成に、もうそれに構う余裕はなかった。



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