いつか太陽に落ちてゆく日々 20




 趙雲たちが劉備たちのいる江戸城についたのはあれから数日が経った頃だった。関平はだいぶ元気になってきている。とはいえ、やはりどことなく無理をしているのが伝わってきて、趙雲などはそれが逆に気になってしまうほどだった。
「おお、趙雲!よくぞ戻ってきた」
「殿!」
 江戸城は一部が燃えてしまった。あの日は雪が降っていたから、城が全焼することはなかったが、それでもまだこの城はあちこちが修復の真っ最中だった。劉備もその修繕作業に加わっていたらしい。
「それに関平か!よかった。心配していたのだぞ」
 趙雲の後ろに控えていた関平に、劉備は分け隔てなく声をかける。関平ははい、とだけ答えた。その言葉数の少なさに、劉備が僅かに眉を顰める。
 取り繕うように、趙雲が口を挟んだ。
「関平は少し疲れているようです。関羽殿はどちらに…」
「そうか。関羽は城の渡り廊下のあたりを修繕していたぞ」
「ありがとうございます。関羽殿のところへ行ってまいります」
「ああ、そうしてくれ。関平、よく休むのだぞ。趙雲もな」
 劉備が、趙雲たちの背中をじっと見つめている。その視線が趙雲の背に突き刺さるように感じられた。
 ―――あれから、数日かけて二人は徒歩で近くの村へ出た。そこで馬を見繕い、どうにかここまで駆けてきた。その間、関平は少しずついつもの明るさを取り戻していた。しかし今度は、江戸城が近づくにつれ、蜀の人々を目の当たりにするにつれ、元気がなくなってきていた。どうしてかはわからない。
「関平殿、大丈夫か?」
「はい。趙雲殿、ご心配をかけてすいません」
「いや、いいんだ。無理をする必要はない。先に休むか?」
 軽く関平の背を叩き、励ますように言うと、関平もぎこちなく笑った。城の内部は相変わらずあちこちがまだ手付かずの状態だった。考えてみればこの作業の最中に抜け出してしまったわけだ。趙雲は僅かながら申し訳ない気持ちになりつつ、関羽を探す。渡り廊下にたどり着けば、すぐに関羽の姿が見えた。
「関羽殿!」
 声をかければ、呼ばれた本人の巨体が立ち上がった。関羽が趙雲を、そして関平を目にすれば、酷く驚いた様子で歩み寄ってきた。
「おお…関平。無事だったか。趙雲も」
「父上」
 ようやく関平を関羽のもとに連れてこれた。そう思って安堵する。しかし、関平の顔色は相変わらず優れない。
「…どうした、関平」
「…いえっ!父上こそご無事で…」
「関羽殿、関平殿は疲れているのです。後でお話しますが、ここに来るまでに少し面倒なことが…」
「…そうか。関平、少し休むと良い。城の修繕もだいぶ進んだ」
「………」
 そうやって語る関羽から、視線を逸らす関平は明らかに様子がおかしかった。顔色も先ほどよりずっと悪い。一体何があったのか―――。

 その時だった。

「趙子龍が戻ってきたとはまことか」
 声高に趙雲の存在を確かめようとする声に振り返る。それは、もともとは遠呂智軍にいた伊達政宗だった。後ろには孫市がやれやれといった様子でついてきている。
「政宗殿」
 政宗は趙雲の周囲を見渡して、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「…なんじゃ、幸村はおらんのか」
「ええ。幸村殿は残られています」
「…何故連れてこなかった?」
 押し殺した声。政宗の表情は、趙雲からはよく見えない。ただ、その問いかける声に、酷く冷たいものを感じて違和感を覚える。
 政宗は、もともとは遠呂智軍に与していた。しかし孫市の策で、彼を生け捕ったのだ。それ以来行動を共にしている。気性の荒いところはあったが、こんなに冷たい声を出す人ではなかった。
「…いろいろと、事情が…」
「何の事情じゃ?」
「…政宗殿?」
 やはりおかしい。彼が何を知りたいのかよくわからず、趙雲は訝しむように政宗を覗き込んだ。途端、
「何の事情かと聞いておる!」
 風が巻き起こる。唐突に、渦を巻くような風が起こった。
「!?」
 その場にいる全員が、ただならぬ気配に一歩あとずさる。政宗を中心に、敵を前にするような態勢で。関羽も趙雲も、孫市もだ。
「政宗、どうしたんだ!」
「馬鹿め。誰が貴様に質問を許した、孫市。わしは今趙雲に聞いておる。幸村はどこだ!」
「…幸村殿はここにはおりません」
 何故だ。
 趙雲は警戒を強めた。なぜ政宗がこんなにも幸村を気にするのか。幸村に何かあるというのか。
 その途端だった。
 ご、という音がして、視界が青黒く塗りつぶされる。次に強い衝撃が趙雲たちを襲った。成す術なく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる瞬間。

―――関羽殿たちの無念、この趙子龍の槍が預かります!

 唐突に、覚えのない光景が脳裏をよぎった。怒りに我を忘れている劉備がいる。
(なんっ…だ!?)
 痛みに身体が悲鳴をあげるよりも、その一瞬に見えた光景に趙雲は目を瞠った。いつ、何の景色だ。何の光景だ。何故劉備はああも前後不覚になるほど怒りに狂っている?何故自分は「関羽殿たちの無念」などと口にしている?
 それに酷い困惑を覚えて、趙雲はそれこそ混乱したまま顔を上げる。周囲は皆倒れている。孫市も、関平も、関羽までもが。
 そしてその中心で、政宗だけが立ち尽くしている。ゆらゆらと見えるあれは何だ。政宗の身体を覆い尽くすような影か見える。あれはなんだ?
「…っごほ…っ」
 遅れて痛みがやってくる。咽た衝撃で余計に痛みが増した。
 政宗はしばらくただ立ち尽くしていたが、ぎり、と奥歯を噛み締めて頭を振った。何かを追い払うような動作。
 どういうことだ、と問う前に、趙雲は意識を失った。



 は、と幸村が顔を上げた。
 何かを感じた気がしたが、それが何なのかよくわからず、首を傾げる。
 兼続は相変わらず眠っていた。曹丕はその横で腕を組み、寝ているのか深く考えこんでいるのか―――とにかく、微動だにしない。
「曹丕」
「…なんだ」
「かわろう」
 三成と曹丕のごく短い会話が交わされて、曹丕は立ち上がった。張遼の援軍はまだ来ない。あと数日はかかるだろうと三成は言っている。その間に。兼続が目を醒ませばいいが。
 ようやく腕組みを解き、兼続のもとから立ち上がった曹丕は、幸村をじっと見つめた。真っ直ぐな視線を感じる。
「真田幸村」
 曹丕は睨むように幸村を見つめていた。
「何があったか、話を聞かせてもらおう」
「……」
 曹丕の鋭い視線に晒されて、幸村は考え込む。何を、どう説明すればいいのだろうか。
 難しい問題だった。
「……どこから説明すればよろしいですか?」
「何故ここに忍びを放った」
「遠呂智軍の動きを探るためです」
「それを何故我々に隠していた?」
「……」
 曹丕の問いは淀みがない。幸村の答えに対して、曹丕はすぐさま別の問いを返す。
「おまえは、この我が曹魏を疑ったのではないか。遠呂智といまだ手を結び、この騒ぎを自演したのだと」
 曹丕の言葉は淡々としている。怒りも何も、彼の言葉からは滲み出てこない。だからわからない。表情もほとんど変わらない。だが、幸村はどことなく曹丕の怒りを買ったことを理解した。
「そうだ、と言ったらどうされますか」
「別に何も問わん。おまえのその負った怪我が答えだ」
「………」
 肋骨のあたりの痛みはまだ完全にはひいていない。三成が持っていた薬はねねが作ったものだということだった。とにかく効くと言われて試してみたが、確かに痛みはだいぶ誤魔化せている。
 しかし怪我を負ったことは確かで、曹丕の言葉は「おまえが軽率な行動をするからだ」と言外にそう言っていた。
「我ら曹魏を甘く見てもらっては困る」
「…申し訳ありません」
 素直に頭を下げる幸村に、曹丕は別段面白くもなさそうにしている。曹丕にとっては当然のことを当然のように問い、その答えを導きだしたに過ぎない。だからその次の皮肉は、どちらかといえば三成に向けてのものだった。
「おまえらの友情とやらも脆いものだな」
 途端、三成の表情が険しくなる。
「曹丕」
「ふ…。おまえが気を悪くしてどうする。疑われたのは三成、おまえも一緒だ」
「………」
 幸村は何も言えなかった。そんなつもりはなかった、とは言えない。心のどこかで、幸村はそう思っていた気がしている。
 三成はずっと、幸村とまともに口をきこうとしなかった。理由は知らない。今もその名残があって、時折三成が視線を逸らす。
「まぁいい。話を戻す。前田慶次とおまえはどういう関係だ」
「…友人です。昔、窮地を救っていただきました」
「なるほど」
 慶次の話になると、三成はまた黙り込んだ。眠っている兼続の方を見つめ、じっと動かない。
「…慶次殿はもっと快活な方です。我々が縛られているものに縛られることなく自由で」
「その命の恩人は遠呂智についたというわけか。因果なものだ」
「…惚れた相手につく、とは良く慶次殿が言っております。しかし、遠呂智が現れて、慶次殿は変わられた」
「……ほう」
「だから、問いたかった。くのいちに怪我を負わせ、あの城に一人だという慶次殿に」
「答えは出たか」
 慶次はどの思いも同じものだと言った。兼続のもとに行き、上杉に仕官したことも、織田軍だったにも関わらず、馬防策から飛び出して幸村を救ったことも、だろう。
 そして、遠呂智についたことも。
「…いえ。…ただ…私に来てもらわねばならない、と」
「…おまえに?」
「はい」
「…ならばまた現れるな」
「………」
 そう、たぶんまた現れるだろう。自分の目の前に。それがいつ、どんな時に来るかがわからない。わからないが。
「真田幸村。次から単独での行動は禁じる。三成、おまえがついていろ」
「…いつから俺に命令するようになった、曹丕?」
「命令せずともついているつもりだろう。口に出して言ってやったまでのことだ」
「…っ曹丕!」
 三成が思わず声を荒げた。曹丕が何を言っているのか意味がわからず、幸村はもう一度、曹丕の言葉を思い返す。

―――命令せずともついているつもりだろう。

「…みつ、なりどの?」
「…ッ。あ、危なっかしいからついているだけだ!趙雲がいなくなった途端風が吹いたら飛んでいきそうな顔を、して…」
 幸村は己の頬が赤らむのがわかった。三成は己の表情を隠すように背を向ける。
(駄目だ)
 思い返せば、三成は趙雲が関平を連れて出ていった後すぐに声をかけてきた。それからずっと一緒にいる。崩れる城から逃げ出した後も三成がそばにいた。肋骨のあたりに怪我を負った幸村に、薬を差し出してきたのは三成だった。安静にしていろと無理やり眠るよう言われたことも。
 幸村に対して言葉にしないけれども、いつも、気を遣われている。
(…それなのに、私は…)
 目先のことばかりを気にして。
 幸村は拳を握った。自分があまりに未熟で、恥ずかしくなる。
「…ありがとうございます」
 泣きそうな顔で、幸村は笑った。
 それを三成は見ることはなかったが、それでも。
(この人のために)
 何かが出来ればいい。この身が役に立つことがあればいい。そして、三成が喜んでくれれば。
 もうそれだけで、幸せになれる。



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ついに20の大台ですorz