魏の人々の集まるところに三成がいる。 それは遠呂智と戦っている最中にわかったことだった。 三成が何をどう感じたかは知らない。少なくとも、彼と邂逅した時三成は確かに妲己や、遠呂智軍と同盟を組んでいる魏の人々と共にいた。 秀吉とも共にあらず、兼続のことも知らんというように。 馬に跨り、遠路はるばると大陸を走り、ようやくたどり着いたその時にまず出会ったのは三成と行動を共にしていた曹丕という男だった。 場所は川辺で、太陽はすっかり西に姿を隠していた。空には闇が、そして星が姿を見せていた。 「さっそく戦の準備か?」 冷えた声で訪れた彼らを眺めていた彼には、供はいない。確かこの男は魏をまとめて遠呂智軍から離反したはずで、彼が頂点に立っているはず。そう思っていた幸村は、その無防備な様子に驚きを隠せなかった。 自然、その問いに対しては趙雲が答える。 「ここに、幸村殿の馴染みがいるから来たのです。戦ならば、もっとわかりやすく参りますよ」 「そうか。確かにそうだろうな」 曹丕は幸村をちらりと見遣り、それから踵を返した。 「曹丕殿」 その後ろ姿に趙雲が声をかける。 「曹魏の人間に討ち取られるかもしれぬがそれでよければ、来るがいい」 「戦に疲弊しているのは、どの軍も同じではございませんか、曹丕殿」 ここでいたずらに趙雲や幸村を討てば、蜀の人間はすぐさま動き出すだろう。疲弊していようがなんだろうが、それは間違いがない。 いつかどこかでそういう場面に出くわしたことがあるような気がしたが、趙雲はその疑問は口にはしなかった。 これはたぶん、幸村が感じているのと同じこと。 「…ふん。少しは大局を見るようになったか…」 曹丕は鼻で笑うと、二人を案内するように歩き出した。彼こそ、今この場で趙雲や幸村が命を狙えばあっさり討ち取られる。それほど彼は無防備に背をさらしていた。 長い髪、深い青の外套が揺れている。 「幸村殿」 「は、はい」 趙雲に呼ばれて幸村は馬の手綱をひきながら歩いた。 どうしてこんなところにいたのですか、とは何故だか聞くことが出来なかった。何故こんなところに一人で。 無用心に過ぎる。魏の人々は彼に対して放任すぎるのでは―――そう思っていた時だった。「曹丕!」 その声に、幸村の心臓がどくりと跳ね上がった。 「何をして…、…」 「客人を案内していた」 三成だった。 彼が曹丕を探してここまで来た。 「おまえの客だ、三成」 それだけ言うと、曹丕は三成の脇をすり抜けて戻っていく。彼の目指す先はどうやら宴の真っ最中の広間らしい。彼がそこへ真っ直ぐ向かうかどうかはともかく、曹丕は振り向かなかった。 残された三人のうちに、最初に動いたのは三成だった。 「…疲れただろう。今日は休め」 「…三成殿、お元気そうで…」 「……こっちだ」 ぎこちない雰囲気を感じて、趙雲は後ろに控えて眉間に皺を寄せる。 (ずいぶん、危うい) 友だという話だった。戦の前に、義を誓ったのだという。似たようなことが劉備や関羽、張飛にもあり、一度それで盛り上がったことがある。 そういう関係を羨ましいと思っていた趙雲は、幸村にはそう誓える仲間がいるのだと思って嬉しかった。 その時の友の名は、それぞれ直江兼続と石田三成。 最終的には遠呂智から離反し、曹魏の復活を宣言した彼ら。今となっては手下のように従っていた頃から、あのように来る日の為に力を蓄えていたのだろうことはわかる。 だがそれは、終わったからこそわかるのだ。 あの南蛮の地で、幸村は酷く困惑していた。三成が妲己の軍にいる。それは幸村には相当な衝撃だったらしい。 全てが終わった今でも、あの衝撃は続いているのか。 三成の案内で部屋に通されて、三成が消えてもなお幸村は黙りこくっていた。 歪みは修復されていない。 たとえばそれは、人の関係も? 翌日、昼を過ぎた頃に部屋にやってきたのは三成でも曹丕でもなく夏侯淵だった。 「あらら、ほんとにいやがる」 第一声からしてどことなく気の抜けた彼は、案外戦場でもそのままであることが多い。戦であっても昂ぶることをせず、自分を把握できる男だ。 「夏侯淵殿」 「あんた、趙子龍、だったよな?まさか曹丕の言うことが本当だったとはなぁ」 「曹丕殿が?」 「蜀から趙雲と真田幸村が来たってな、宴の真っ最中に言うもんだから。そんなことあるわけねぇだろって笑い飛ばしちまった。こりゃ悪いことしたな」 「…事前に報せもせずに申し訳ありませんでした」 そう言ったのは幸村だった。意外に声はしっかりしている。あまり眠れていないことは、趙雲だけが知ることだ。 「ん、いやいやいいっていいって。そんなことされても宴の興が冷めるってもんだしなぁ。で、何しにきたんだ?」 「…人に逢いに」 「ああ!あれか、あの女みたいな顔した」 「はい」 確かに女のような綺麗な顔立ちではあるな、と思う。だが冷たすぎて趙雲などはどことなく作り物っぽさを感じる。それは彼を近くで見知っていないからだろうか。 南蛮での戦の際、幸村の知り合いならば、と皮肉半分に誘ったがあっさりと断られた。その時の僅かなやり取りでも、三成という男は冷たいという印象を拭い去ることは出来なかった。 「や、だけどあいつ今日朝からいないぜ?曹丕とどっかつるんでいっちまったが」 「…そうですか」 明らかに落胆した声音の幸村に、夏侯淵の方が多少驚いたようだった。 まさか知らないとは思わなかったのか。 「なんだよなんだよ。白状な奴だなぁあの男は!曹丕とは馬があうみたいだがなぁ」 「戻られるのはいつかわかりませんか、夏侯淵殿」 自然と趙雲がそう問えば、夏侯淵はこれまた困ったように頭を掻いた。 「何の用で出かけたのか知らんからなぁ…。遠呂智はいなくなったけどよ、 世界は元に戻らねぇし、戦続きでどこもかしこも疲れちまってるし。戦しなくていい以上、知り合いが来てるの無視してまで出てっちまうってのもよくわからんぞ。おまえら本当は敵同士だったとかはないのか?」 「夏侯淵殿。幸村殿と三成殿は、元の世界では親友であったのですよ」 夏侯淵から出た言葉に思わずむっとして、当人を差し置いて趙雲が咎めるように言う。しかしそれくらいで怯む男ではなかった。 「へぇー。じゃあなんだ。なんか気まずいのか。まぁそういうのよくわかんないからな。悪いけど。ここらへん案内くらいは出来るけどしてやろうか?」 「―――そうですね、お願いします」 夏侯淵の唐突な言葉に対し、そう答えた幸村に多少なりとも驚いて、趙雲は思わず幸村をまじまじと見つめてしまった。 勿論、こうまで無視されてそれが辛くないはずがない。 義で繋がった仲だというならば、それは趙雲が想像するところの劉備と関羽と張飛のような、そういう関係であると信じていた。 離れ離れになろうとも必ず一つに戻り、一つの道を信じていく。 だけどそれは例えば、この世界が歪んだように。その誓いすらゆがめてしまったのだろうか。 だとしたら、あとは何を倒せば元に戻る?
馬を走らせある程度はなれたところで、唐突に曹丕が馬の手綱をひいた。 馬が一声嘶き、脚を止める。 それに気づいて三成もしぶしぶながら同じく馬を引きとめ、戻った。 「何だ、唐突に」 「それはこちらの科白だ」 「…ふん」 三成は曹丕を前にしてはじめて見せる表情を浮かべていた。昨夜からこうだ。真田幸村と、趙雲と。その二人を部屋へ案内した、とそう言った三成の顔は酷く困ったように歪んでいた。 今もそうだ。 なるほど三成にとって、真田幸村という男は間違いなく特別なのだろう。 いつもは冷たい表情と、自信に満ちた皮肉な笑みばかり浮かべていた男がこの動揺ぶり。 「どうするつもりだ」 「…わからん。ただ、整理がついていない」 遠呂智は倒した。世界を歪めた王は消えたが、世界そのものは消えなかった。 これからどうするのか、どうするべきか。道が決まっていない。 ただ、そんな時に幸村が来るとは思わなかった。 だから、混乱している。 そして心の片隅で、今目の前にいるこの男の天下―――覇道がどのような結果を生むのか。それを見てみたい気持ちもある。 曹丕という男に興味があるのもまた事実。そして。 元の世界で自分が何をしようとしていたかを覚えているから。 関ヶ原。合戦。裏切り―――。 人が、自分の思う通りに動かない焦燥を知っている。負けるかもしれない恐怖を味わった。 そんな中、自分は確かに心の底から叫び出しそうだった。 幸村、幸村、幸村。 助けてくれ、と。 そうして、あの澄み切った真っ直ぐな眼差しで言ってくれ。 『あなたは間違ってなどいません。私はあなたを信じています』 そう言ってくれさえすれば。 こんな苦境、簡単に乗り越えてみせるのに。 そう思っていた。だからあの関ヶ原で、遠呂智が世界を歪めた時にまるで見透かされているようだとすら思った。 遠呂智という存在が自分の醜さをこれでもかとたたき付けた。だからこそ妲己に近寄り魏と行動を共にした。 だから。 ―――来い、幸村! あの時の言葉には、いろいろな意味が含まれた。 自分が特別な想いを抱いているこの男を、越えなければならない。幸村に守られてばかりいたくなかった。むしろ逆に幸村を守れるほどになりたかった。 だが三成はもとより戦よりも別の場所に才を発揮していた。 それを幸村が真っ直ぐに賞賛されることも、嬉しい。だがそれだけではだめだ。だから。 だけれども、この言葉に従ってくれればいいともおもった。 遠呂智軍に幸村がいるなどと想像にも及ばないことだが、それでも三成の、この声に頷いてくれればいい。 信じてほしかった。 だから。 「…どちらにせよ、このままというわけにもいかないだろう。いつ曹魏の人間が奴らを討ち取ろうと動いても、私は止めるつもりはない」 「…曹丕」 「我が覇道の先に、蜀はない。呉もない。ましてや」 遠い先の世に生きる者も、ない。 曹丕は笑っている。彼はいつでも冷えた声音で、どこか熱い眼差しで何かを見ている。 「…私は後悔をしない。そのように生きている。振り返りもしないが、俯くこともない」 天下を、覇道を狙う人々は皆そうなのか。 「貴様は、後悔が多そうだな」 「……」 幸村に悲しい顔などしてほしくない。自分のことを考えてほしい。信じてほしい。 そして。 あいしていてほしい。 最後の一つが、これまでの人生で一番の後悔だ。
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