いつか太陽に落ちてゆく日々 18




 三成は鋭い眼光で慶次を睨んでいる。
 幸村は痛みを堪えながら、ただ三成を見ていた。
 三成は冷笑を浮かべて慶次から視線をそらさない。
「無様だな。いつから人間であることまでやめた?」
 慶次の瞳の色は瞬きのたびに色を変えた。赤であったり青であったり、いつもの色であったり。その有様はあまりにも人らしさを超えていた。
「さぁ、やめたつもりはないがねぇ」
 三成はゆっくりと歩み寄ってくる。その間、慶次は動かない。慶次もまた、三成の姿をただじっと見ていた。
 そうして、三成がゆっくりと慶次と幸村の間に割り込んだ。背に庇われるような体勢になって、幸村は痛みを忘れてその背中を見つめる。その背に見える、大一大万大吉の文字。
「まず言っておく」
 張りのある声。その声音の奥に広がる、憤りのようなもの。
 三成にとってこの場の惨状は怒りを覚える以外にないだろう。幸村は、その僅かな憤りの色に、その場に似つかわしくない歪んだ感情を覚えていた。南中での戦で出くわした時、三成は「来い」と言った。幸村は困惑したままではあったが、三成の交戦の構えに槍を構えるほかなかった。
 ずっと、不安だったことがある。
 三成にとって、兼続と幸村と、そして三成と。三人であの小田原で交わした誓いはないものになってしまったのか、ということだ。
 だけれども。
 この場で傷つき倒れる友人たちの姿に、三成は少なからず怒りを覚えてくれた。それがどんな意味でもいい。不甲斐ないといわれるでもいい。幸村にとって、三成の僅かな感情すらももう動かないのだとしたら。そんなことを想像するだけで恐ろしかった。
 だから。
 その、ほんの僅かな怒りの色に喜んでいる自分がいる。
「貴様はこの場では間違いなく俺の敵だ」
 そう言うと、三成は色鮮やかな己の鉄扇を鋭く慶次に突きつけた。
「容赦はせんぞ」
「…よしな。あんたじゃ俺にゃ勝てねぇよ」
 対する慶次の声音は、まるで張りがなかった。何かを諦めたような声音だ。いつもどんな苦境に立とうと笑っているような男が、自らその苦境に足を踏み入れるのも、惚れた相手の為ならば厭わないこの男が。
 その様子は、幸村だけでなく三成にも違和感を覚えさせるに十分だった。
「さて、どうだろうな」
 途端、再び爆破音が響く。しかもそれは続け様だ。城が揺れている。ぱらぱら、と天井部分から細かい瓦礫が落ちてくる。
城が崩れる―――。
「…なるほどな。さすが石田三成だね」
「貴様と違って勝つための計算ならばいくらでもするということだ。わかったならば、退け」
 三成の声音は落ち着いている。怒りは滲んでいても、慶次をこの場でどうこうしようという気はないようだった。
「…大将、あんたに言っておかなきゃなんねぇことがある」
「早く退け」
「アンタは、後悔するぜ」
「…戯言はいらん。俺の言うことが聞こえなかったか?」
 三成の鋭い眼光が慶次を射抜く。慶次はもうそれ以上を言うことはなかった。身を翻し、歩き出す。その場を去る中で、気絶している兼続たちをちらりと見遣った。
 しかし慶次は何も言わず、その唇が、僅かに言葉をかたどるように動いたが、音として発されることはなかった。
 だから、この時慶次が本当は何と言おうとしたのか。気づく者はいなかった。

 城の崩壊音が聞こえている。早く逃げなければと思うかたわらで、幸村は金縛りにあったように動けなくなっていた。
「…三成殿」
 名を呼べば、三成が振り返る。鋭い視線に息を呑んだ。まともに視線が絡むのも本当に久しぶりで、幸村は身体が震えそうになる。
「怪我をしたのか」
「…あ、いえ、その」
 思わず慌てた幸村に、三成は小さくため息をこぼす。
「言葉を濁すということは怪我をしたのだな。動けるのか」
「は、はい」
 見透かされている。しかしそれは、幸村にとっては不快なものではなかった。むしろそうやって言わずとも理解されたことが、本当にあの頃のようで嬉しさすら感じる。
「ならばもう少し我慢しろ。手加減をしたつもりだが爆薬の量を間違えた」
 三成の口からそんなことを言われるとは思わず、幸村は思わず心底驚いた顔をしてしまう。いつも計算通りのその人が、まさかそんな風に間違えたことを自ら公言しようとは。
 そんな幸村のその顔を真正面から見てしまった三成は、ばつが悪そうに俯く。
「…おまえのせいだぞ、幸村」
「え」
 心臓がどくりと音を立てた。どういう意味ですか、と問う前に、広間の入り口に誰かが立った。
「三成殿、幸村殿!」
 逆光になっていてよくわからなかったが、その声は趙雲のものだった。
 慌てている。
「急ぎましょう。このままでは本当に城が崩壊しそうだ」
「当然だ。支柱を中心に爆薬を仕掛けたのだからな。それより怪我人が多い。曹丕はどこだ」
「曹丕殿ならばすぐに来ます。幸村殿、怪我を?」
「あ、あぁ…その…」
 また口ごもっている間に、今度は曹丕がやってきた。彼は焦るということがないのか、ゆったりとした様子で歩いている。曹魏の人々が見たら首ねっこをつかまえて引きずっていきそうなほど、いつもの調子を崩そうとしない。
「無事か」
 しかし、慣れた様子で三成は声をあげた。
「遅いぞ曹丕。幸村を連れて城外へ出ろ。急げ」
「まったく慌しいことだ」
 やれやれ、といった様子の曹丕はちらりと幸村を見る。腹のあたりを庇うようにしているところから、怪我をしていることを悟られたようだった。しかし何も言わず、曹丕は行くぞとだけ言って道を示す。
 幸村は少しだけ振り返る。趙雲と三成は兼続たちのもとへ駆け寄っていた。
「大丈夫ですか…っ、か、関平殿?」
 驚いた様子の趙雲に、三成が顔を上げる。
「知り合いか」
「ええ、関羽殿のご子息です。何故このようなところに…」
 関羽、と言われて三成は合点がいった様子で頷いた。三成は一時は遠呂智軍にいた。関羽もあからさまに渋々ではあったが遠呂智軍にいたことがある。他の誰よりも腰は重かったが。
「知らん。とにかく担いでいくぞ」
「そちらの方は三成殿にお任せします。急ぎましょう」
 趙雲が頷き、意識の回復のない関平を肩に担いだ。
「兼続、生きているか!」
 三成の声に、しかし返事はない。完全に意識を失っている。回復には時がかかりそうだった。
 何故この場にこの二人がいたのかについては、とにかく本人たちに聞かねばわからないことだ。そういった疑問は後回しにして、今は崩壊寸前の城から逃げることを優先させた。


 慌しく城から逃げ出して、少ししてからだった。合肥新城の一部が揺れて、崩れる音がする。それぞれは黙ってその様子を眺めたが、今はそれどころではない。
 城の上空には相変わらず不気味な雲が光を帯びて居座っている。見れば見るほど遠呂智が現れた時と似ている。本当に、一体何が起きているのか。

―――あんたに来てもらわなきゃなんねぇところがある

 幸村はそう言った慶次のことを思い出す。
 一体どういう意味だったのか。なぜ幸村でなければいけないのかがわからない。慶次は説明する気はなさそうだった。
 わからないだらけでどうしようもない。
 だがしかし、わかっているのは、どうしようもないほどの慶次らしくなさ。そしてあの瞳の色が入れ替わるように変色する現象。
 揺らぎがあるように見えた。重なって見えた遠呂智の姿。 
 それだけだった。
 一体何が慶次の身にあったのか。それを知る者はいない。


 関平が意識を回復したのは陽もだいぶ落ちてからだった。
 予想外の顔ぶれに、関平は一瞬何が起こったのかわからなかったようで、しばらく挙動不審に周囲を窺っていたが、趙雲の姿にようやく思い出したらしい。
「ち、趙雲殿」
「関平殿。心配したぞ。怪我はないか」
 問えば、一瞬の後に関平が頷く。
「拙者は大丈夫です。…兼続殿が、庇ってくださいましたので」
「そうか。同行していた方がそのような方でよかった。しかし無事だったのだな。星彩が喜ぶ」
「……星彩」
 関平は何か思い出したくないことを思い出した様子で、僅かにその双眸を眇めて俯いてしまった。
「顔色が…良くないな。まだ少し安静にしているといい」
「はい。申し訳ありません」
「気にするな。ここで会えて嬉しいよ。今、向こうで曹丕殿が魚を焼いている。出来たら一番にもらってこよう」
 出来たら一度くらいその姿を拝んできたらいい、と思ったが趙雲はそれを口にはしなかった。関平は彼らしくなく落ち込んだ様子だ。
「…趙雲殿」
「ん?」
「…星彩は無事ですか?」
「あぁ。大丈夫だ。私も彼女に助け出されたくらいだ。みんな無事だよ。殿も、関羽殿もだ」
 趙雲の言葉に、関平は心底安堵したようだった。
「…よかったです」
「ああ。ともかく、もう少し安静に」
「はい」
 頷くと、関平は趙雲の言葉の通りにころりと寝返りを打つ。
 それにあわせるように、関平のそばの焚き火がぱちりと音を立てた。

 別の焚き火のそばでは曹丕が一人、魚を焼いている。とはいっても木の枝に刺したものを火であぶっているだけだから、特別目立って何かしているわけでもないのだが。
 趙雲が戻ってきたのを見遣って、いつもの調子で問われた。 
「どうだ」
「目を醒ましました。が、だいぶ顔色が悪いのです。怪我はないようですが、精神的に何かあったのかもしれません」
「そうか」
「その魚、関平殿にいただいても良いですか」
「ふ、この曹子桓の手で焼いてやった魚だぞ」
(…不安だ)
 思わず内心でそうぼやく。曹丕は普段あまりそういうことをしない立場だから、楽しくて仕方がない様子で焚き火の前から動かない。あの曹魏の、いわゆる天子と言われるような人がそれでいいのだろうかと思うが、趙雲はとりあえず黙っておいた。関平を放っておくのも気がひける。少人数でここまで駆けてきたせいで、人手は足りていない。
(しかし、あれが直江兼続殿、か)
 幸村本人からよく聞くもう一人。聞いた話では清廉潔白、とにかく不義を憎む人で、上杉謙信という男のもとで義についてを叩き込まれた人だという。
 人と話すことを好み、時には場違いなほどの明朗さで相手を驚かすこともあるとか。
 しかし今のところ、まだ兼続が目を醒ます気配はない。運び出す際の話では、兼続は外傷はなさそうだということだった。では前田慶次にやられたわけではないのか。その場に居合わせなかったから、趙雲にはわからない。
 あの時、ひた走りに走って城の上空にあやしい光が見えた瞬間、三成はすでに冷静さを欠いていたように思う。馬をつぶしかねない速さでここまでたどりついた事もあわせて。
 どうするのかと問いかけた曹丕に、三成は一瞬の迷いもなく「爆破する」と言い出した。
 城の支柱何本かに爆薬を仕掛ける。慶次が本当に一人でいるというならば、まずはこの爆破で少しの脅しにもなるはずだ。
 早口に捲くし立てて、三成は素早く爆薬を仕掛けた。予定通りには事は進んだが、やはり多少悪い方向に流れを持っていかれている気がするのは気のせいだろうか。
 趙雲はちらりと曹丕を見た。
 この胸騒ぎが一体何の為のものなのか、まだいまいちつかめずにいるままに。
「持っていけ」
「…ありがとうございます」
 曹丕から魚を受け取って、趙雲はもう一度、己の懐にずっと隠したままの諸葛亮の錦袋の存在を確かめた。





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曹丕はなんか手持ち無沙汰だったりしたら自分でやんないかしら、という妄想(笑)。