いつか太陽に落ちてゆく日々 17




 幸村がその城にたどり着いた時、すでに異変に気がついた。
(空が…)
 怪しい光を放つ雲が空を覆っている。その様子はまさに遠呂智が世界を作り変えた時と似ていた。その雲は、城の上空にとどまっている。この時幸村ははっきりと感じるほどの風を受けていたが、空に浮かぶ雲は微動だにしていなかった。その雲だけが、まるで何かを待つように。
 乗ってきた馬も、城に近づくのを嫌がっている。あまりにも暴れるので、幸村は仕方なしに飛び降りると、手綱を放した。
 馬は慌てふためくようにそこから飛び出していく。
 動物の様子。あの雲の色、動き。それら全てが遠呂智が現れた時の状況とよく似ていた。
 くのいちは重傷だ。よくあの傷で小田原城までもったものだと、そう思う。
 あの時あの場で意識を失っていなければ、くのいちはおそらく行くなとも言ったはずだ。報告をしたのは、それが彼女にとって仕事だったからだ。わかっていても、幸村はその場に留まっていられなかった。
 慶次は幸村にとっては命の恩人だ。彼にあの地獄で拾い上げてもらったからこそ、三成や兼続たちと出会うことが出来た。友を得ることが出来た。その為に生きる意味を見出せた。
 しかし慶次にはそんな風では後が辛いぜと言われて。
 慶次は幸村にとっては眩しすぎるほど眩しい存在だ。彼の生き方には迷いがない。いつだって彼は迷わず生きる道を決められる。その強さを持っている。
 だからこそ。

―――俺の生き方は昔も今も変わりゃしねえさ。

 それが本当なのか。それを彼自身に問いたいのだ。
 幸村は、辺りを窺いながら歩を進めた。確かにくのいちの言う通り、誰もいない。しんと静まり返った城内は、ひんやりとした空気に包まれている。 風が木々を揺らす音。幸村の鎧が音を立てる。石畳の廊下を歩けば幸村の足取りだけがやけに響く。
 遠呂智軍のいた気配はどこにもなかった。消えてなくなった。そういう表現が一番似合っている。
 慶次がいるのは玉座だと、くのいちは言っていた。
 次第に緊張が身体を硬くした。慶次とはこうなってから一度しか会っていない。それも戦いの合間のほんの一瞬。あの時、孫市は苦笑していた。趙雲ははじめて見ただろう慶次にほんの僅か憤っていた。幸村は、困惑するしかなかった。
 ならばどうして彼の目は、あんなに孤独だったのか。疲れていたのか。笑っている陰に、後悔のようなものが見えたのか。
 幸村が、静かに静かに、広間にたどり着く。ゆっくりと視線を辿り、その奥に。

「…か、ねつぐ殿!?」

 幸村は慌てて石畳を蹴った。兼続は誰かを庇うようにして倒れている。庇われているのは知った人ではなかったが、まだ年若い男だった。
「兼続殿!」
 彼らのもとに膝をつき、意識を失っている二人の息を確かめる。絶え絶えではあったが、二人ともまだ生きている。幸村は安堵して―――その玉座にどっかりと構えている男の前に、立ちはだかった。
「慶次殿」
「待ってたぜ」
「どういうことですか。これは…」
 幸村は怒りのあまり声が震えるのを感じた。槍の柄を握る手が痛い。痺れるほどに力を込めてそれを握っていた。そうしないと話を聞く前に暴れ出しそうだ。
 その反面、そこで玉座に座する慶次は、まるでそこに遠呂智が戻ってきたような奇妙な既視感を覚えさせた。
「悪いな。話さなきゃなんねぇ事があって、黙っててもらう為だ」
「…慶次殿はやはり変わられた」
 しかし身体の中で怒りが熱を持っていても、口にした言葉も声も、自身が驚くほどに冷たかった。
「何にも、変わっちゃねぇさ」
「何故ですか!慶次殿は兼続殿と親しくしていたではないですか!あの時の言葉は…」
「嘘じゃねぇ。あの時の兼続は面白いと思ったさ。一世一代の大傾気だとも思った。あの時の気持ちは嘘じゃねぇ。だけどな、幸村」
「………」
「今の、この気持ちだって嘘じゃねぇのさ」
―――遠呂智のもとにつくことが。
「それが慶次殿の義であると言うならば、私が止めてみせる」
 静かに、幸村は槍を構えた。しかし慶次は構えようとしない。いつもならば笑い飛ばして面白いと言い放つ男が、今ばかりはそんな素振りはなかった。
(この人は…遠呂智に、何を持っていかれたのだ)
 ちり、と胸が痛んだ。笑っているのに笑っていないように見える。いつもと変わりない存在感を放っているのに、孤独に見える。
 ふと、その姿にあの時、幸村たちの前に倒れた遠呂智の姿が重なって見えた気がして。
 幸村は、一瞬にして間合いを詰めた。慶次と幸村はそれぞれそんなに懐に飛び込むのに得手な武器ではない。わかっているから幸村は間合いを詰めた。
 力を込めて、突きを繰り出す。うなるように槍の先が慶次へ伸びる。慶次はそれより一歩早く身体をそらした。
 そのまま、武器を持っていない手で拳を握り、振り返る反動で幸村の腹のあたりに強い一撃を食らわす。その手に相当な衝撃が響いた。幸村の鎧が硬い音を立てている。
 息を止めかけた幸村は、その手を押しのけた。今度はその返す刃で慶次の二又矛がぶん、とうなりをあげる。
 あんなものをまともに食らえば、骨の一本や二本は軽く駄目になる。
 幸村は、まだ身体の奥に響く慶次の拳の衝撃に耐えながら、咄嗟にしゃがんだ。柔らかい屈伸運動のような動きでしゃがみこんだ幸村は、屈んだ瞬間に軸足をつかい、ぐるりと回転してみせる。手にしていた槍は慶次の足をひろうように地面のすれすれを薙ぐように動いた。
 その動きは趙雲の槍さばきに良く似ている。
 体勢を崩した慶次が尻もちをつきそうになる瞬間、幸村は回転の反動のまま立ち上がり、とどめとばかりに追撃した。
 幸村の槍が、今度こそ慶次をとらえた。
 しかし、その槍が慶次の身体を貫通することはなく。
 一瞬手前で、槍をひく。寸止めしようとする。その瞬間だった。

―――ありがとう、慶次殿

 自分の声が脳裏を駆ける。わけがわからず、幸村は脳裏に浮かんだその光景に意識を奪われる。その瞬間。

 慶次の身体を中心に、赤黒い空間が生まれる。ご、と音がしたと思った時には幸村の身体は空に浮いた。次の瞬間、強烈な衝撃を受けて、したたかに身体を壁に打ち付ける。
 ごほ、と幸村が咳き込んだ。途端、嫌な感覚がして血を吐く。
 吹き飛ばされた。手もつかわず。武器もつかわず。まるで遠呂智のように。
(…なん…だ、今の…は)
 朦朧とする意識の中で、幸村は慶次がよろりと起き上がるのを見た。ぶれる視界。霞む輪郭。その中で、慶次が遠呂智に見える。どういうことだ。どうしてこんなに遠呂智を感じる?
 幸村は立ち上がろうとする。が、どうも本当に骨が何本かやられたような気がする。吐き出した血もさることながら、とにかく胸部が酷く痛んだ。息をするのが辛い。
 慶次が、幸村の姿をみとめた。ゆっくり歩を進めてくる。一歩一歩、慶次が近づいてくるたびに幸村の脳裏にはあらゆる光景が浮かんでは消えていく。

―――真田丸の門が開いた…。兼続殿が呼んでいるのか…。
―――申し上げます!関が原にて西軍敗北!
―――幸村、俺もおまえたちに教えられたことがある。
―――何も終わっちゃいないさ。
―――幸村…すまぬ…。私は最低だな…。
―――幸村…月並みな言い方だが…諦めんな。
―――負けに味方するが真田の意地か。安い意地よ!
―――生きるべくして、生きるがいいのさ
―――ただ、見ていられなかった

―――義の世を作る、これからの戦のために!

(みつなり、どの…!)
 立たねば、と歯を食いしばり、傷む身体を引きずるように立ち上がる。
 頭の中ではあらゆる光景が脳裏を駆け抜けていく。
「幸村」
 慶次が名を呼ぶ。答えられる余裕はなかった。
「あんたに来てもらわなきゃなんねぇところがある」
 何故とも何処へとも、問う力がなかった。
 ただ、近づいてくる慶次の目が。
 ぶれる視界の中で、爛々と輝くその色が。
 瞬きするたびに入れ替わる。赤に染まり青に染まり。
 まるで本物の遠呂智のようだ。
 なんとか立ち上がった幸村だったが、それ以上動ける気がしない。だけれども、脳裏を駆け巡るその光景の中、胸が締め付けられるほどの活力を生む姿がある。
(…三成、殿)
 衆人の前、三成は演説している。目立ってそういう場に立つことの少ない人が、全ての人の前に立ち、凛々しい姿で声高に訴える。

―――数の支配は終わる!力の支配は終わる!皆の者、今、戦国は終わる!

(三成殿、みつなりどの…!)
 ほとんど祈るようにその姿を呼んだ。声に出来ていたかはわからない。その名を呼ぶたびに滲むように自覚する感情がある。それが言葉になる前に。

 ドォン、という爆破音がして、城が揺れた。
 慶次がほんの一瞬、その爆破に気をとられた。その瞬間。
 石畳を震動が伝ってくる。しかしそこに、知っている足音が聞こえた。
 かつん、と響く足音と。

「好き放題はそこまでだ。傾気者」

 その姿に、幸村はその一瞬前まで見えていた光景をまざまざと思い出して心が震えた。
「…三成、殿…」
 ああ。
 声に出して、名を呼んで、そうして今度こそ自覚する。
(そう、だ。だから来た。だから、三成殿に逢いに)

『私は、あなたのことが―――』





BACK / NEXT

シナリオコレクション大活躍…(爆)。