いつか太陽に落ちてゆく日々 14




 幸村は馬を駆けさせながら、最後に慶次を見た時のことを思い出した。
 遠呂智の居城・古志城は不気味で、上空は常に淀んでいた。周囲は隔絶された世界で、遠呂智がいるにふさわしい場所に思えた。
 そしてそこに、慶次がいることの違和感は、幸村にとっては計り知れないものだった。
 幸村が知る慶次は、自分の惚れた者にしか仕えない男で。
 また、御家だなんだといった事にしがみつく男でもなかった。
 だからこそ、長篠で幸村は助け出されたのだ。織田軍の火縄銃が戦場を飛び交う中、松風は怯まなかったし、慶次自身も怯まなかった。
 泥にまみれ、地に伏して、「逃げなければ」と思った時の恐怖と、死に対して最も臆病になった瞬間、幸村は助け出された。
 何故と問えば生きようと言われ。
 だからこそ、信じられない。
 慶次が遠呂智につく違和感。
 慶次が、遠呂智軍の攻め込んだ城にたった一人残り、くのいちを攻撃したことも。
 一体何があったのか、何故今、そんなことになっているのか。
 幸村は歯を食いしばり、馬を更に走らせた。
 幸村が行くことは、罠に飛び込むようなものだ。くのいちを攻撃し、しかし生かして逃がしたこと。罠以外のなんだというのか。
 慶次は生きているぞと伝えたかったのか。
(…それでも)
 元の世界にいた頃は、彼に淀んだ空気などなかった。
 この世界に来て、遠呂智と出会った彼は何故ああも変わってしまったのか。
 慶次自身は何も変わってなどいないと言っていたけれど。
 それでも、わかる。
 幸村にとって慶次は命の恩人だ。
 誰かに寄りかかって生きていると辛いと言ったのも彼だ。
 そう言った彼は、幸村にとっては眩しすぎるほど眩しい存在だった。
 眩しくて、直視できないような。
 だからこそ、信じられないし信じたくない。
 慶次が、そんなことをするのが、ただ信じられない。



 兼続たちが合肥新城にたどり着いた時、城は静まり返っていた。遠呂智の気配もなければ、人間の気配もない。人のいない城とはこうも荒んで見えるものか、と兼続は半ば感心したようにそれを眺めた。
「静かですね…」
 関平が周囲を窺いながら呟く。くのいちから曹魏の拠点となっていた合肥新城が遠呂智の残存勢力に襲われたと聞いた。幸村が趙雲を連れてその城を訪れていた事、彼らも含めて、主だった将は皆曹操の城を捨てる合図に従った。だから、城に来ても幸村たちには会えないだろうことは予想していた。
 しかし、攻め込まれた城がもぬけの殻であることは予想していなかった。
 空城の計、というやつかとも思うが、そういう気配もない。あるのは、ただただ人に捨てられた城、という寂れた気配のみ。
「…入ってみよう」
「危険ではないですか」
 関平の危惧も当然のことだ。これが計略であるとすれば、確かに危険だ。
「いや…罠にしては、おかしい。曹魏の連中は誰もいないというのに、誘い込むような真似をしたところで、ひっかかる者もいないさ」
「魏の人々が囚われているということもないのでしょうか」
「わからん。とにかく行ってみよう。手がかりの一つも転がっているかもしれない」
 城には人の倒れている気配もない。
 ただ、そこで争いがあったことだけはわかる。周囲のものが破壊され、平時であれば綺麗に飾られているのだろう花が石畳の上に散らばって踏みにじられた跡がある。
 兼続には潜んでいくつもりは毛頭なかった。何故だかわからないが、潜む必要はないと思ったのだ。
 どうせ遠呂智がいたならば、潜んでいくことなど無意味だ。あの人でないものは、こちらの動きなどとうに知っていて、いつでもそれをただ眺めていた。そう思う。
(待っていた、のだろうか)
 兼続は思う。そんな風に、倒される為に誰かを待つ。
 そんな時、待つ側の人間の気持ちはいかほどのものだろう。
 待つ。
 倒される為に。

―――すまない、幸村。

「―――…」
「兼続殿?」
 唐突に立ち止まった兼続を振り返った関平は、兼続の様子に目を丸くして驚く。
「ど、どうされましたか」
 頭を押さえ、痛みに耐えるようにその場に膝をついてしまった兼続の顔色は悪い。それまで全くそんな様子もなかったというのに、それは唐突だった。
 今まで気分が悪かったのか、と関平が問うても兼続は答えない。
 ただ、兼続の脳裏に唐突に閃くように浮かんで消えていった記憶。…記憶、だろうか。何かの断片のような。
 辺りは業火に包まれて、その場にいたのは…。
(なんだ、これは…)
 幸村がいた。
 何故だろう。何故こんな記憶があるのか。業火の中で、彼と対峙しているなんて、そんな記憶どこから出てきた?
「…すまない、関平殿。大丈夫だ」
「兼続殿はこちらで休まれていた方がよいのでは」
「…いや…」
「しかし顔色が」
 確かに嫌な汗も掻いている。それはわかる。
「拙者が見てまいります。兼続殿はこちらで」
「…あぁ、わかった」
 関平の言葉の強さに、兼続は不承不承に頷くしかなかった。
 石畳の廊下に改めて腰を下ろせばそこから芯が冷えるようだったが、逆に兼続にはそれが気持ちいい気がする。
「では」
「あまり無茶はするなよ」
「はい」
 兼続の言葉に頷いて、関平は足早に先の部屋へ消えていった。
 残された兼続は、そんな彼の背を眺めたきり、考える。
 彼には行きたい場所があるという。蜀の面々が揃うところに、趙雲という男がいて、幸村がそこにいる、と。そう思っていたから関平の同行には頷いた。彼自身が逢いたいと思う人も、おそらくは同じ国の人であろうからだ。
 道々、馬上で軽く話をしていた中で、関平の中に微妙な立ち位置で趙雲がいることはわかった。
 たぶん、関平が想う相手にとって特別な人間で。
 自分はその立場にはなれなくて、それを気にしている。
(人、というのは…)
 そんなものだな、と兼続は苦笑する。遠呂智が現れる前、趙雲の立場にいたのは自分だったな、と思う。三成は幸村のことを好いていて、わかりやすく幸村の周囲のものに嫉妬していた。
 表向き決してそんなことを口に出さなかったが、三成は兼続にも時々そういう視線を向けてきた。
 理由は、わかっている。
―――幸村が相談事をする相手が大抵兼続だったからだ。
 それは至極当然の選択だろうと思う。三成には相談できる雰囲気はあまりない。慶次と幸村も仲が良かったが、幸村は慶次に相談をしようとはしなかったし、左近も然り。そうなると彼の周囲にいて、相談が出来る相手などもう兼続くらいしかいないのだ。
 幸村の相談は多岐に渡ったが、それでも一番多かったのはやはり三成のことだったように思う。
 三成が幸村をどう想っていようが、結局三人は仲が良かった。時にそこに左近や慶次が入り、それでも。
(…試されているように、全員離れ離れとは)
 幸村は趙雲と共に。兼続は謙信の元へ。三成は曹魏、いやもとを正せば妲己の下。左近は信長の助けを得て呉の人々のところへと。
 そして、慶次は遠呂智のもとへ。
―――友のため戦うも義、か。
 しかし違和感が付きまとう。
 兼続は知っている。幸村が、兼続や三成を、その志を守ると言うたびに慶次が微妙な表情を浮かべていたことを。そして幸村を茶化すように、言っていたことを。
―――誰かに戦う理由を預けてると、辛いぜ
(ならば慶次。おまえも)

 辛かっただろう?

 幸村の立場に己が立った。その心境はどうだったのだ。
 問いたい事は山ほどある。あの時あの五丈原で出会い頭に聞けた言葉だけでは到底知りえないことを。





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おろちの慶次とか稲姫とか、無双2で幸村にあんなこと言ってたわりに今どうなのよ!って人多かったなぁと思うんですよ(笑)。