いつか太陽に落ちてゆく日々 13

 三成は凄まじい勢いで廊下を駆け、そのまま趙雲にあてがわれた部屋へ飛び込んだ。
 部屋には趙雲の他に、確かに女の姿がある。
「幸村はどこだ!」
 三成の怒気をはらんだ声に趙雲が一瞬驚いたような表情で振り返る。しかし、すぐに表情を引き締めた。
「ここにはいませんよ」
「だから聞いている!」
 趙雲の腕の中には見覚えのある女がいた。傷ついた身体で、気を失っているのか。血の気がない。
「三成殿。見てわかる通り、ここには怪我人がいるのです。少し静かにしてもらえないだろうか」
 女は忍びだ。真田直属の者だが、元の世界では彼女は幸村のもとから離れている。理由など聞いたこともなかったが、この世界では幸村のもとに戻ってきていたのか。
「…っ」
「幸村殿なら、出ていきました」
 趙雲は、そっとくのいちの身体を横たわらせた。その腹部に出血がある。傷の手当ては済んでいるようだったが、血の気を失ったその顔色から、決して楽観視できる状態でもなさそうだった。
「彼女が、新たな情報を仕入れてきたのです。その情報を聞いて、出ていきました」
「…何故貴様は共にいかなかった」
「ここで私が幸村殿と共に行ったら彼女の命はないでしょう」
 趙雲の視線は真っ直ぐだ。真っ直ぐ三成を捉えている。気がつけば、くのいちは縋るように趙雲の手を握っていた。それがどういう意味かはわからない。が、たぶん趙雲は間違えられている。幸村と。わかっているだろうが、趙雲はその手を握り返してやっていた。
「だから、残りました。幸村殿のかわりに私が行こうかとも思いましたが、彼いわく、私でなければ、ということで」
「…どういう意味だ?」

「彼女のこの傷は、前田慶次によるものです」

「…前田…慶次…!?」

 幸村が趙雲の部屋に来ていた時のことだ。二人は今後どうするかを話していた。兼続が蜀に向かっているという。幸村は兼続にも逢いたいと思っていたというから、ならば蜀に戻らなければとそういう話になっていた。
 その時のことだ。唐突に人の気配がして、幸村も趙雲も敏感に振り返った。振り返った先にいたのは、くのいちで―――。
「くのいち!」
 幸村が手を伸ばせばくのいちはそのまま崩れるように倒れた。腹部の出血が二人の目をひく。
「手当てを」
 趙雲と幸村と、二人は素早く手当てを施した。されるがままだったくのいちは、今の状態が耐えられなかったのか何とか保っている意識の中で、少し苦く笑った。
「へへ…幸村様…失敗しちゃったよ〜…」
「くのいち」
「ねぇ…あのね、幸村様。おかしいよ、あの城…」
 傷は深い。が、くのいちの言葉は意外にもしっかりしていた。趙雲が思うほどには、致命傷には至っていないのかもしれない。少なくとも、彼女はそういう世界の人間なのだ。彼女は手当てを受けていても一度も痛いと言わない。触れれば柔らかい肌の感触はあったが、彼女の口から同情をひくような言葉は一切漏れなかった。
「誰もいないんだよ…。誰も、いなかった。でも…一人だけ、いたよ。玉座に」
「一人…?」
「…前田…慶次…」
 慶次の名が出た途端、幸村は立ち上がった。その一瞬で、幸村の表情が一変した。趙雲が驚くほど。
「幸村殿?」
「…ち、趙雲殿。私は行かなくては」
 行く先はわかっている。自分たちが逃げてきた、合肥新城だ。その城に、一人でいる。前田慶次―――。
 趙雲の記憶の中で、古志城での彼を思い出す。遠呂智が悪で、それ以外は全部善なのかと問われた。趙雲にとって、慶次の言いたいことはわからなかった。趙雲にとっては遠呂智は劉備を捕えている悪だ。それ以外ではない。
 たとえば、元の世界で劉備が死ぬことになったとしても、遠呂智ほどは憎まないだろうと思う。そこまで打倒を誓わないだろうと思う。
 遠呂智は、劉備の目指す大徳の世、その基盤すら奪っていったのではないか。それは悪ではないのか。
「…私は慶次殿に、問いたいことが…っ」
 幸村の様子から、慶次というのが幸村にとって大切な存在であることはわかる。そしてくのいちをこうまで痛めつけた相手が慶次であることも、幸村にとっては納得のいかないことなのだろう。その思いつめた様子に、趙雲はそう悟った。
 幸村が、三成に逢いたいと言った時と同じ顔だ。
「では、彼女は私が預かろう。ここに置いていくわけにも、連れていくことも出来ないだろう?」
「趙雲殿…ありがとうございます」
「ただ、約束してほしい。幸村殿」
 だから、引き止めることは出来ないだろうと思った。そういう、一度思い込んでしまったら止まれないところは趙雲にとっては共感できるところだ。
同じように、思い込んだら止まれないからこそ。
「はい」
「無理はしないでくれ」
「…はい」
 だから止めない。その言葉が、一番幸村にとって言ってほしいだろう言葉だと思った。
「趙雲殿」
「ん?」
「ありがとうございます…。何故でしょうね。趙雲殿ならわかってくれると、そう思いました」
「本当は止めたいんだ。それも、わかってくれるね?」
「はい。では…行きます」

 その話を聞いて、三成はやりきれなさに叫び出しそうになった。
 幸村をあっさり行かせてしまった趙雲に、そしてわかりあっている二人に。
 出会ってからまだ間もないはずの二人は、もうすっかり三成と幸村のような関係を飛び越えて。
 攻め込んできたはずの遠呂智軍が誰もいない城、その中心にたった一人でいる前田慶次。どう考えたって、そんなのは罠だ。その罠に、幸村がかかったのだ。くのいちに怪我を負わせた理由は?わざわざ生かして戻したのは何故だ。
「…幸村は無事なのか」
「…さぁ、わかりませんが…まだ、そう時間は経っていませんので」
「幸村は無事なのか!」
「三成殿?」
「おまえにはわかるのだろう!幸村の安否が!どこにいるのかも!」
「…それは…」
「俺にはわからん…!俺には、幸村のことなど何もわからん!!」
「三成殿」
「……俺、は…」
「あなたが、幸村殿と距離をとったのです。私にはそう見える。幸村殿が、あなたに逢う為にここに来ても、距離をとった。だから、今があるのです」
「…なに?」
「幸村殿が、あなたの思う通りにならないのは当然でしょう。あなたと幸村殿は別の人間だ。私と幸村殿だとて同じことです。あなたは私と幸村殿が似ていると言った。たぶんそうなのでしょう。あなたほど、幸村殿を思う人がそう思うのなら、そうなのでしょう。だが私も幸村殿も別の人間で、それはあなたも気づいているはず」
「何が言いたい!」

「何故あなたは幸村殿にきちんと向き合わないのですか」

「…貴様には、わからん」
「……」
 そうだ。この男にはわからない。向き合えない理由も、それが出来なくて苛立つ理由も、何もかも。
 いなくなればいい。何もかもなくなればいい。また遠呂智が出てきて、またこんな世界を引き裂いて、そうすれば。
―――そうすれば?
 その先に何があるというのか。その先に、どんな答えがあるというのか。
 何もない。何もないではないか。
 なのに、そんなものを望むだけ望んで。
 望む先に、何もないのに。
 何かあると期待するから、こんな風に苦しい。

 わかっているのに、どうして望むんだろう。

「三成殿。前田慶次とは一体どういう男なのですか」
「……知らん」
 問われて答えられるほどに、前田慶次のことなど知りはしない。交わした会話も一言二言、その程度でしかない。幸村や兼続はよく彼と話していたし、それを遠目に見ていることもあったが、三成はそう問われてもどう答えるべきかわからなかった。
「…幸村殿はよく知る男のようですが…私は彼と古志城で会った。あの時の彼の言葉が、私にはどうも理解ができない」
「…古志城?いったのか」
 古志城は、遠呂智がいた城だ。彼は総攻撃を仕掛ける以外は全てを妲己に任せて、普段は決して外に出てこなかった。三成は妲己のもとにいただけだったので、その城のありかを知ったのはだいぶ後のことだ。薄暗い、不気味な城だった。
「?ええ。遠呂智を倒すために」
「…なに?」
「どうしました?」
「…遠呂智は、俺たちが倒した」
「……え?」
話が。
「我々は…諸葛亮殿が巡らせた策で、妲己を捕えて、古志城へ案内させました」
「待て」
「…おかしい、ですね」
「どういうことだ」
 遠呂智倒したという事実。
 そうだ。そういえばここに来るまで、誰も何も疑問にすら思わなかった。
 趙雲たち反乱軍が、捕えられていた劉備を助け出したのは、曹魏が遠呂智を討ったからだと思っていた。だが、違う?
 趙雲が嘘を言っているとは思えない。そして、三成自身もあの時の遠呂智の最期を覚えている。それらが、間違いなはずはない。
 ではなんだ。これはどういうことだ。何故。
「遠呂智は…」

―――生きているのは教えてあげたじゃない

 ゾッとした。肌が粟立つのがわかる。
 妲己の言葉がそれを証明しているのではないか。
 遠呂智は―――。

 遠呂智は、何人、いる?


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三幸は進むどころか離れまして会話が…ないまま…(笑)。
とりあえず、三成に幸村の居場所はどこだと聞かれる趙雲、は書けたので満足なのであります。