いつか太陽に落ちてゆく日々 12




 結局その日は野営となり、その翌日は遠呂智から離反した際に手に入れていた北条の城へ、曹丕たちが入った。
 ここは張遼が城を任されている。
 張遼も合肥新城での急襲の報せを受けていたのだろう。城内はものものしい戦の雰囲気に包まれている。
 曹操、曹丕の一行を受け入れて、張遼は恭しく礼をした。
 曹操はそれに頷く。
「殿、よくぞご無事で」
「張遼。おまえがいれば遠呂智など恐れるほどもない」
「ありがたきお言葉。…すぐに案内を」
 北条の城―――堅城小田原と謳われたあの城。
 幸村はちらりと三成を見た。この小田原を攻める、秀吉の天下を世に知らしめるその戦の際に、三成とは義の誓いを交わした。
 何か思うところがあるのではないかと期待したが、しかし三成は険しい表情を浮かべたまま、一度も幸村の方を見ようとしない。
 そうだ。たとえここがあの小田原城であっても、この世界は自分たちがいた世界とは別のところ。ならば、そうやって義の誓いを交わしたことも忘れてしまえることだろうか。
「張遼」
「これは、曹丕殿」
 曹操が夏侯惇たちと共に城内の者に案内されるのを見送ってから、曹丕がいつもの通りの様子で張遼に歩み寄る。
「どうだ、堅城は」
「知れば知るほどこの城は攻めるに難しい。妲己がここを拠点にしておりましたのも頷けるというもの」
 張遼は曹丕が遠呂智と同盟を組んだ際、最も耐え忍んだ将の一人だ。徐晃や張遼は、曹丕のすることに不満がなかったわけではなかったが、それでも信じてついてきた。
「そうか。しばらくはこの城が曹魏の拠点となろう」
「心得てございます」
 合肥新城があっさりと遠呂智軍の侵入を許したことは、曹操にとっても曹丕にとっても不名誉極まりない出来事だ。簡単に噂が流れれば、今が好機と攻め込む者もいるかもしれない。
 一度目は起こってしまったことだ。それに対して、世の中の噂を消し去ることは難しいが、それよりもあってはならないのは二度目の侵入である。
 そのことを鑑みて、この城が選ばれた。
「張遼。そこの二人は私の客分だ。蜀の趙子龍と真田幸村」
 ふと思い出したように曹丕が振り返る。流れ上、取り残されていた趙雲と幸村のもとへ歩み寄ると、城の主である張遼に二人を手短に紹介した。
「これは…よくぞ参られた」
 張遼が礼に則った挨拶をしてきたのに対して、趙雲も同じように返した。
「申し訳ない。成り行き上ついてきてしまったのだが」
「構わぬ。とにかく今は疲れをとられるがいい」
 魏の張遼といえば武勇に優れた将だ。趙雲としても、彼とまともに会話する機会などなかったから、どんな形であれ嬉しかったのだろう。ここにきてはじめて表情が明るい。
 そんな趙雲の様子を見て、幸村はほんの少し安堵した。
 趙雲の、そういう様子を見ていると、この旅についてきている理由を考えてしまう。だが、とてもではないが諸葛亮の仕組んだこととは思えない。曹丕と曹操の二人に同じことを問われ、そのどちらに対しても違うと真っ向から否定を繰り返した幸村だったが、心のどこかで多少不安があった。
 趙雲のことは信じている。諸葛亮の事も、信じていないわけではない。だが、どうにも幸村にとってはまだ日の浅い仲だった。頭のいい人であることはわかる。他の人間などよりよほど、全てを見通している人だということも。だからこそあらゆる人々が彼の行動や思考を深読みしようとするのだろうが。
(…趙雲殿は、ただ私についてきて下さったのだ。友として…)
 幸村は知らず知らずのうちに少し微笑んで趙雲を見ていた。
 どことなく興奮気味の趙雲は、妙ににこやかに幸村に話しかけてくる。張遼という人の噂は、幸村ももちろん聞いたことがある。だがその戦いぶりをその目で見たことはなかったが、趙雲がそのように言うということは、幸村たちの時代でいう本多忠勝のような人なのかもしれなかった。
(…そうだ。計算して、こんな表情など…)
 作れるものか。

 その日の夜。
 三成は怪我をした腕が熱を持っていることに気がついた。
 身体がだるいのにも、そこでようやく気がついた。
 さっさと身体を休めることにして、三成は用意させた床に転がるように横になる。
 そうやって、目を閉じると自然、脳裏に思い浮かべるのは幸村のことだ。
 たとえばこの小田原城へたどり着いた際、多少興奮している趙雲の話を聞く幸村の表情の穏やかなこととか。
(…どこまで、不安になればいいんだ)
 関が原で幸村のことを想っていた時、三成は信じることが出来た。どれだけ裏切りに遭おうとも、幸村は自分を裏切らない。あんなにも、幸村がここにいてくれればとそう思っていた。
 だからこそ、幸村が他の誰よりも、自分よりも、趙雲を頼るような素振りを見せられると焦燥感のようなものを感じて何かが磨り減っていくような気がする。
 自分の中にこれほどの独占欲があったのかと思うほど、三成はそんな幸村を見るのは嫌だった。嫌だから、なるべく見つめないようにしている。
 しばらくそんなことを考えて眠れずにいれば、廊下を歩く人の気配。どうやらこの部屋に向かっているようだった。
 誰だ、面倒だから寝たふりをするか、そう思った時だった。
 部屋の前でぴたりと止まった足音。しばし中の様子を窺うような気配の後、おそるおそるといった様子で声をかけられた。

「…三成殿」

「…っ!」
 思わず息を止めるほどに驚いて、横になっていたというのに一瞬で跳ね起きた。
「…ゆ、幸村か」
「はい。少し、いいですか」
 返答もそこそこに、三成はまろぶように立ち上がって襖を開けた。三成の勢いに、驚いたような様子で幸村が自分を見ている。そのことが妙に嬉しいような恥ずかしいような、複雑な気持ちになりながら、幸村を部屋に招きいれる。
「…傷の具合はいかがですか?」
「…あ、あぁ。大事無い」
 本当は、勢いあまって立ち上がった反動からか、それとも本格的に身体が熱を持ち始めたか、具合はよくなかったが、幸村には隠すことに決めた。
「そうですか」
 あっさりと頷いた幸村に、三成はふと首を傾げる。
(なんだ…?)
 今、一瞬何か妙な感じがしたような気がする。
「…それで」
「…その…まったく話をしていなかったと思いまして」
「…あぁ」
 それきり、幸村は黙り込んでしまった。三成としても、何をどう伝えるべきかわからずに黙り込む。
 何故幸村との会話を避けていたのかと聞かれてしまえば、答えなど一つしかない。三成にとって幸村という存在が大きすぎて、何とかしたくて、しかし幸村自身を三成の感情に巻き込んではいけないような気がしていて。
 どういう態度をとればいいかわからなかったのだ。
 そう考えていた時だった。

「…ふふ」

「…幸村?」
「…傷、痛むでしょう…?」
 唐突に笑い出した幸村を怪訝そうに見つめれば、その浮かべた表情に三成は思わず粟立った。
「…っおまえ」
「ねぇ、期待した?」
 幸村の浮かべた表情。それは、今までよく見ていたものだ。この世界に来てから、嫌というほど見ていた。
 あの女の笑う表情と同じものだ―――妲己。
「死んだのではなかったのか!」
「生きてるのは教えてあげたじゃない」
 しれっと言い切ったその言葉。
 そうだ。だから落ちたのだ。あの城が。
 だから出てきたのか。やはり生きていたということを、ただ報せるためだけの急襲だったというのか。
「幸村に何をした」
「なぁんにも。やぁね、そんな怖い顔しないでよ!幸村さんは、ここにはいないわよ」
「…な、に?」
「くのいちって子の報告を聞いてねぇ、飛び出していっちゃったのよ。ふふ」
「ど…どういうことだ…!」
ここにいないとはどういうことだ。合肥新城からここまで、ほぼ休みなしで来た。疲れていないわけがない。だというのに、この夜更けに飛び出す意味は。くのいちの報告とは何だ。

「死ににいったのよ」

「…何を、」
「ふふ…これ以上は教えてあげない。三成さん、頭いいんでしょ?自分で考えてよね」
 途端に、ふわりと幸村の姿が消えた。その場には妲己の姿もない。
「疲れちゃった。もう、遠呂智様も人使い荒いわよね」
 聞こえる声は周囲に反響する。三成は強く拳を握った。傷の痛みが急激に強くなった気がして眩暈がする。
 だがそれよりも。
 三成は立ち上がった。
(…くのいちの報告…)
 何の報告だ。何を調べさせていた。
 三成は歯軋りをしながら必死に冷静になろうと呻く。

―――死ににいったのよ

 そんな馬鹿なことがあるものか。
 三成は、そのまま部屋を飛び出した。
 目指すのは、趙雲に宛がわれた部屋だ。



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幸村と張遼で特殊賞賛とかがあるのでと思っていたら趙雲が張遼ファンに(爆)そして相変わらず会話のない三幸です。