いつか太陽に落ちてゆく日々 10




 どれほど来ただろうか。遠呂智のつくったこの世界は、あらゆるものが途切れ途切れで何もない荒野が続くと思えば、唐突に人里が現れる。その日は関平と兼続の前に、人里は現れなかった。仕方なしに休むにちょうどいいだろう場所を選んでそこで野宿となった。
 疲れていないと思っていたが、どうやら関平はずいぶんと疲れていたらしい。あまり親しくない兼続に対する多少の気疲れもあった。
 ふと気がつくと、眠りこけていたらしい。関平の神経のどこかに誰かの気配を感じて目を醒ませば辺りはすでに暗く、夜の帳が下りていた。
 ぱちぱち、と炎が爆ぜる音がする。焚き火の番を、兼続がしているのだろうか。
「…そんなことが」
 誰かいるのか、と身体を起こそうかと思ったがやめた。
「とりあえず、伝えましたからねっ」
「ああ、ありがとう。夜が明けたら先を急ぐ」
「お礼はいつか返してくださいよっ」
 兼続の神妙な声に対し、その誰かは明るい―――女の声だった。
 こんな人里離れた場所で?と首を傾げる。兼続の知り合いであるようだったから、そちらの国の人々の誰かなのかもしれなかった。息を詰めて二人の様子を窺う関平は、自分ではうまく寝たふりをしているつもりだった。
「じゃ、おやすみおっはよう〜。じゃーぁねぇん」
 しかしそう思っていた関平に対し、寝そべったままの肩を、女が叩いていった。それに驚いて肩を震わせた途端、木々がざわっと揺れる。突風が吹いたような気がして、関平は思わず身硬くした。
「関平殿」
「…、か、兼続殿。今のは」
 呼ばれて起き上がる。驚いた様子がないことから、兼続にも寝たふりをしていたのがばれていたのかもしれない。
「知り合いだ」
 兼続は普段より緊張した面持ちでいるように見えた。それは、炎に照らされているからかそう見えるのか。ゆらゆらと揺れる炎に照らされた兼続の表情はどこか厳しいものだった。
「…少し先を急ぎたい。関平殿、少しの間、火の番を頼めるだろうか」
「は、はい。拙者が先に休ませていただき…」
「いいんだ。もともとまだ眠くなかった」
 何を聞いたのかは知らないが、兼続は関平と会話を交わしながら別のことを考えているようだった。
「関平殿。遠呂智は死んでいないようだ」
「…え!?」
「今、そういう報告を受けた。魏が攻められたそうだ。城が落ちたらしい」
「…な、なんと…。それでは、やはり遠呂智は」
「そういうことだな」
「そんな…」
 それではこうしている間も、遠呂智がまた襲ってくる可能性があるということだ。悠長な旅をしている場合ではない。立ち上がりたい気持ちを、関平はなんとかおさえた。夜の闇の中、がむしゃらに歩きまわったところでどうにかなるものではない。
(星彩は…)
 今頃どうしているだろう。
 唐突に離れ離れになった幼馴染みのことが思い出された。信長のところにいた頃も、ずっと気になっていた。趙雲率いる反乱軍にいるらしいと聞いたみとはある。趙雲がいるならば星彩も無事だろうと思うと、その場に自分がいないことが悔やまれた。
 星彩は趙雲のことを深く信頼している。彼女が武器をとった時、その鍛錬を行ったのがあの趙雲であれば、それはもちろん当然の結果である。
 しかし、関平の中ではどうにもならない越えられない壁でもあった。
 別に趙雲に対して嫉妬する気持ちがあるわけではない。ただ、星彩にとって特別である趙雲が羨ましいと思っていた。
「どうも私の友人は魏に行っていたらしい。趙雲殿も同行しているそうだ」
「ち、趙雲殿が!?」
「どうした?」
「えっ、あ、いえ。趙雲殿が…劉備殿のもとを離れるとは、と」
「おそらく私の友人に同行したのだろうな。しかし蜀の将が魏に乗り込むとは面白い御仁だな」
「……そうですね」
 趙雲というと、いつも劉備第一、という印象が強い。あとは星彩に対する優しい目とか。どちらかといえば趙雲は誰に対してだって穏やかな方なのだけれども、関平が星彩を見ている分だけ趙雲が目に入る。その向ける視線が、特別優しいようにも見えて―――…。
(ああ、逢いたいな…)
「関平殿は蜀の仲間のもとへ行きたいのだったな。すまないが、少しだけ私の用事を先に済ましたい。無事だとは言うのだが、どうにもな。悪い予感がする」
「予感ですか」
「うむ。…遠呂智軍は合肥新城に現れたというが、それ以外にはそういう話はないらしい。関平殿が逢いたいという相手も、おそらくは無事だろう」
 そのおそらく、が断定でないところがどうにも関平の決断を鈍らせた。それは兼続もわかっているのだろう。それ以上は黙り込んだ。
 寝たふりをして、関平が一人で考える時間をやった。


 幸村は静かだった。
 曹孟徳から言われた言葉は幸村にしてみれば事実無根、どうして、と叫び出したい内容だ。しかし幸村は何も崩さなかった。
 この男の前で、あまり取り乱すことはしたくなかった。
「たしかにくのいちは私の、真田に連なる忍びのもの。しかし、あれが遠呂智を呼んだなどと…曹操殿もずいぶんとかいかぶられたものですね」
 幸村自体は、遠呂智とは戦うだけで決して彼と会話を交わしたことなどない。せいぜい数回、妲己と戦いの上でいくつか言葉を交わした程度だ。
「違うと申すか」
「はい」
 幸村は真っ直ぐ射るように孟徳を見つめた。幸村からしてみればあまりにおかしな言いがかりだ。
「趙子龍から聞いた話によれば」
 しかし孟徳はまだ話を続ける気のようだった。
「蜀には劉備も諸葛亮も戻っているらしいな」
「……」
「劉備には通用したろうな、友に逢いたいと言えば、あの情の深い男のことだ。許すだろう。そもそもおまえは蜀の人間ではない」
 しかし問題は諸葛亮だ。
 言外にそう言いたいのだろう。幸村はそれを不思議な気持ちで聞いていた。曹丕と同じことを言っている。
 稀代の軍略家、として知られる男は、遠呂智を倒す直前までは遠呂智軍にいてその采配をふるっていた。妲己などは昔の仲間に対する遠慮のなさなどに心底信じきっていたほどだ。
 そうまで人の心の奥に入り込む。そういう人なのだ、諸葛亮という人間は。
「諸葛亮殿がどう思おうが、私の知るところではありません。しかし、もし私がここに来ることが諸葛亮殿の策で、その策に趙雲殿を使ったというならば、劉備殿が止めましょう。危険すぎます」
 そもそもここへ行こうとしたのは幸村で、趙雲に同行を求めたわけではない。
 自分の胸に残っているわだかまりを、趙雲に告げた。それだけのこと。
 魏の将は数多くいる。その中へ、たった一人幸村についていくと言った彼にどれほどの策があったというのか。あったのは、ただひたすらな好意だったとそう思う。
「ならば聞こう。石田三成に逢ってどうするつもりだった」
「聞きたいことがあったのです」
「それは何だ」
「…我らの志の誓いは…無に帰したのか、と」
「志」
 そこではじめて、曹丕が口を挟んだ。
「…大切なものを守りたい、という志です」
 しかしそれ以上曹丕が口を挟むことはなかった。またしばらくの沈黙があり、孟徳が口を開く。
「信じられなくなったか?」
「………」
「真田幸村。おまえの噂は聞いている。武将としての力も聞き及んでいる。あの趙子龍とやりあって互角とあれば、さぞ強かろう。しかし、弱いな」
「……」
「私の知る者も、そのような誓いを立てたという男がいる」
 孟徳はじっと幸村を射るように見つめている。幸村はその視線を逸らすことが出来なかった。
「誓いを立てたものの、離れ離れになった事もあった。敵の軍門に降り、倒すべき相手の下で戦うこともあった。しかしその男は、ついにその心までは折れなかった」
 幸村の背後で小さい舌打ちが聞こえた。おそらくは夏侯惇だろう。何のための舌打ちか、幸村にはわからない。
「わしはその男を心から欲しいと思ったものだがな。実に惜しい、真田幸村」
「………」
 幸村は孟徳の言葉に項垂れるばかりだった。
 心根が弱いと言われ、曹孟徳という人間が欲しいと思った人間の、その心の強さを引き合いに出されてしまえば、己という人間の狭量が目に見えるようだった。
 城内で三成を探す時だってそうだった。
 曹丕は素早い判断をくだした。あの時点では甄姫の居場所もわかっていなかったが、彼は決して取り乱しはしなかった。
 それなのに。
(私は…)
 この心の内に、怯えがある。
 敵になって対峙した時の恐怖がある。
 失うことに、臆病になりすぎている。
 そう、だからここに来た。そうして三成の口から、わかるように語ってくれればいい、と。
(…言葉にせぬと不安か、と…)
 まだ遠呂智などいなかった頃。世界が組み替えられていなかった頃。
言われた言葉があった。
 今も、そう思われているのかもしれない。こんなところまで来て、物言いたげな自分に対して、三成は一度だってまともに言葉を交わそうとしていない。
 そうなのだとしたら、なんと滑稽なことか。
 この思いのむなしさに、幸村はかたく双眸を閉じた。
 曹操の視線は感じていたが、俯いたきり、そのまま顔を上げることが出来なかった。
 今自分はどんな顔をしているのか。どんな酷い顔をして、ここにいるのか―――。
 それなのに、まだそれを確かめたいという気持ちが消えない自分に、心底嫌気がさす。



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孟徳、とかいているのに違和感。でも魏の将の前だと孟徳のがあってる気がするし。
そんなことより信じられないだろ…?10話なのに三幸がまともに会話してないんだぜ…?すいません。