愚にもつかない

 陣営の中、今後どのように兵を展開させるか。
 そんな小難しいことばかりを考えていた三成の意識に、ふと何かが伝ってきた。
 夜もいい加減更けている。明日は合戦。しかし感じた何かは、たしかに誰かの戦いの気配だった。この時間にそんなことをしていそうな男を、三成は一人しか知らない。
 足音を忍ばせて、その伝ってくる熱を探る。そっと覗き見れば、そこにはやはり真田幸村がいた。一人、槍を振るっている。
 そういえばはじめて顔を見た時も、そんな風にたった一人で槍を握り、見えない相手と戦っていた。
 幸村の、赤備えの鎧にあわせたような赤い槍。
 あの槍の強さは、誰もが知るところだ。明日、おそらく敵は真田幸村の名と、その強さに恐れ慄くのだろう。その強さの先をあの槍の矛先が、常に閃かせる。
 鍛えられ磨き上げられた技というのは美しいものだという。真田幸村のそれも、よく似ていた。
 決して優雅といったものからは縁遠いのだけれども、隅々までが彼の覚悟に彩られているのだ。
 あの時。
 北条攻めの前の陣営内。
 たった一人、槍を振るい、そして「義」の言葉を発したあの男。
 その槍の先にいるのは誰なのか、何を思って一人、そうして槍を振るうのか。
 しばしそうして見つめていると、幸村は思い切りよく槍を振り回した。空を切るような風の音。一瞬その風にたなびく陣幕。そしてその動力を利用して、幸村自身が反転する。そしてそのまま、構えなおしてさらに一突き。
小さなかけ声と共に。
「…おい」
 もう少し見ていたいと思う気持ちと、休ませるべきだという理性がぶつかって、その場は理性が勝利した。抑えた声で呼べば、彼はハッと身体をこわばらせて振り返る。
「何をしている。明日は合戦だぞ」
「…申し訳ありません。どうにも落ち着かなくて」
 困ったように言う幸村の、瞳にまだ熱がこもっている。僅かに上がった息が、やけに熱いもののように見えた。
「落ち着かないのはわかる。だが幸村、おまえには明日は頑張ってもらうのだ。身体を休ませることを考えろ。兵とはどのようなところでも眠れるふてぶてしさも必要だぞ」
「三成殿は、まだ休まれないのですか」
「…俺はまだやることがある」
「しかし明日は合戦、三成殿も休まれるべきでは」
「…いいか幸村。俺は秀吉様の軍師で、この戦いは豊臣の戦いでもある。軍師のすべき事はいかに勝つか。そしてそれは合戦よりも、その前に費やされる。おまえは豊臣の将として戦うのだ。俺の考えた軍略で、勝つことがおまえのすべきことだ」
 わかるか、と問えば、幸村は酷く神妙な顔をして頷いた。実に真っ直ぐな男だと思う。
 聞けば長篠で地獄を見たという。本人はその時のことを語ろうとしないが、豊臣の軍勢には、あらゆるところから話は伝わってくるものだ。
 そんな地獄を見たというわりに、この男の瞳は妙に澄んでいる。思い込んだら一直線で、酷く恥ずかしい気持ちにさせられることもしょっちゅうだ。
「…申し訳ございませぬ。私は三成殿の邪魔をしてしまったのですね」
「……いや、そうでもない、が」
 普段ならこういう男は相容れない。あまりにも真っ直ぐすぎて、自分の軍略の外にいる。
 北条攻めの時もそうだった。真田幸村率いる隊は、難しい配置から攻め込むことになった。それも何もかも吹き飛ばす勢いで、戦った。真田幸村の赤いあの鎧。赤備えを見た時に、味方の兵士たちの士気はいやがおうにも高まった。
 いつもなら、この男は使えると、利を考えて真っ先にそう考える。
 しかし三成はその時、そうは考えなかった。もちろん、頼もしく思ったのだけれども。
「見ていて気持ちが良かった」
 己の心が昂ぶった。もともと勝てる戦だったのだ。しかし彼一人がそこにいる、というその事実が、まるで自分の心に炎を灯したように感じられた。
 あれは失ってはいけないものだ。
 常に冷静であろうとする自分を突き動かして、進めようとする。
「…ありがとうございます」
「……いや…。とにかく、もう休め。なんなら私が子守唄でも歌ってやろうか」
「三成殿の子守唄は、兵法とか軍略とか難しい内容なのでしょうね」
「よくわかっているじゃないか」
 言うと、幸村は笑った。曲がったところのない、純粋な笑顔だ。自分には、出来ない。
 この男は、自分にないものばかりを持っている。
 人の心を自然と掴む技。人の心に炎を灯す技。そして。
「明日は、三成殿の為に」
「悪くない。が、今は豊臣の為に、だ。幸村」
「はい」
 信じられるか?この男が、自分の心を掴んでいる。
 他人など、使える駒だと思っていたはずの自分に、信じる心を呼び覚ます。

 走っていく幸村の背を見つめながら、三成はぼそりと呟いた。

「我ながら、愚にもつかない」


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