ここのところ天候がおかしい。一日置きに空気が春になったり冬になったり、そうと思えば夏になったり。 この天候のおかげで、兵の多くが体調を崩している。 さすがに慶次はそんなことであっさり倒れたりできる体質ではないので、事なきを得ているが、兼続はどう見ても体調を崩していた。 「おいおい、んな根を詰めるなって」 「いいや、ここで詰めねばいつ詰めるのだ」 顔色の悪い兼続は、そう言ってはっきりと無理をしている。 しかし厄介なことに目は死んでいない。 気持ちだけが逸っていて、だが身体はついてきていないわけだ。 こうなってしまうといっそ早く心身ともに病人になってくれんかな、と慶次あたりは思うのだが、また兼続を必要としている者はとても多くて、彼のやる気を漲らせるには十分なのだった。 (この御仁は頼られるのが大好きだからねぇ) はてどうしたものか、とうなって、兼続と仲の良い誰かの助言だったら聞き入れてくれないものか、と思案を巡らす。 しかし例えば幸村や三成、それに左近だなんだと考えて、これぞという人物に思い当たらずに慶次は思わず笑った。 それぞれ個性の強い面子ではある。しかし兼続はまた独特の個性で目立っている。普通に相手をしてこの男に勝てる者がいるのか、と思うのだ。曲げることを知らない考え方が特に。 だからこそこんなに必要とされてしまっているのだろうが。 「兼続殿、少しよろしいでしょうか」 「なんだ?」 「勧進の巫女がお会いしたいと…」 巫女?勧進? 家臣の平伏する姿を見ながら、ふと心当たりのある女性を思い出す。 華やかでするりするりとあらゆるものをすり抜けて生きていく―――。 「出雲の阿国?」 「慶次殿、お知り合いですか!」 驚いたように声を上げる家臣に、慶次は苦笑した。 まぁちょっとした美女だ。しかも大舞台慣れしていて、華やかだ。 女といえばたとえば秀吉公の正妻のねねなども、あれはあれで美人だ。言葉にするのが難しいが、それとはまた別の、いわば高嶺の花というやつだろうか。 「ああ、いやまぁちょっとな。そうか、ちょうどいい。兼続、舞を見せてもらおうぜ」 彼女のことを思い出して、慶次はちょうどいいとばかりに身体を起こした。 「ん?いやしかしそんな時間は」 「んなもん、そいつにやらせときゃいいんだって!」 は!?と家臣が慌てるのをよそに、兼続の体調が悪いのを重々承知の上で無理に引きずり出す。 「おい慶次!」 「早くしろよ、出雲の阿国といったらなかなかつかまらなくて有名だぜ。それが来てるなんて幸運じゃねぇか」 無理やりに腕をつかんで阿国が控えている広間へ向かう。足音も高らかに。 広間で阿国は、三つ指ついて兼続たちの到着に対した。 そうしていても、彼女の華やかさは失われていない。人に見られるということを隅々まで理解している者の立ち居振る舞いだ。 兼続もそんな阿国に気が引き締まったのか、ごほんと咳払いを一つして、上座についた。 「よく来てくださった。出雲大社の阿国殿と申されましたか」 「へぇ。出雲の阿国いいますぅ」 鈴の鳴るような声で頷く。 細い体だが舞台映えするその姿は、今は平伏していて顔は見えなかった。 「頭を上げてください。阿国殿は勧進巡業されているとか」 「よろしゅうお願いします」 「…そうだな、舞を見せていただければ兵の士気も…」 ゆるゆると顔を上げた阿国はやはりにこりと微笑んだ。とらえどころのない不思議な笑みを浮かべている。兼続にとっては特に珍しい相手だろう。 少しいつもと勝手の違うことにたじろいでいる気配がする。 後ろで控えながら、そんな兼続の気配に影ながら笑った。 その途端、それを視界の端で捉えたのか、阿国が兼続の言葉を遮って口を開く。 「ま、直江様おっしゃりましたか?なんや、可哀想なお人どすなぁ」 「は?」 突然の可哀想発言に、兼続は目を丸くした。阿国は相変わらず花のような笑顔を浮かべている。完璧に近い。 「うちの舞は皆様のお心の慰みに、心に花を、そう思うて舞うものどす。花を愛でる時、直江様はそないな顔で愛ではるのでっしゃろか?それでは花も咲き甲斐のないことですわぁ」 顔色が悪い、とここで指摘されて、兼続は酷く動揺したようだった。 「……その、ここのところの天候で調子を崩し…まさか見てすぐ看破されてしまうとは」 「いややわぁ。花より白いお顔なさって。舞わせていただけるのは嬉しゅうございますけれども、うちの舞はもっとお身体大切になさってから見ていただけませんやろか」 「…気を遣わせてしまって、申し訳ない。その、できれば数日滞在していただけないだろうか。もちろん、勧進には十分な…」 「よろしおすえ。慶次様、領内案内していただけます?」 笑顔がこちらに向けられる。この調子も相変わらずだ。 「ん、ああ。いいぜ」 「ああん、嬉しおすわぁ。直江様、たまにはお花を眺めて、緑に心を落ち着かせて、お休みなさいまし」 「あ、あぁ」 にこり。阿国が微笑んで、それにつられたように兼続も微笑む。 どことなくぎこちなさもあったが。 こうして、慶次の思惑通り、兼続を無理やり寝込ませることに成功したのだった。
約束通り、城下を練り歩きながら、慶次はあのやり取りを思い出して苦笑する。 「さすがだねぇ」 「いややわぁ、そのおつもりやったくせに。慶次様のいけず」 「さすが、見破ってたかい」 「あのお方、可哀想なお人どすなぁ。もっと素直に生きられたらよろしおすわ」 阿国の目には、兼続はどうやら「可哀想」らしい。どこがどう可哀想なのかは彼女の感覚の問題で、説明を求めてものらりくらりとかわされてしまうだろう。 「それが出来ないのがあの男さ」 嬉しそうに語る慶次に目を細めて、阿国が口を開く。 「慶次様の見込んだ方どすなぁ」 「ん?」 「目がいきいきされてますわぁ。あのお方も、傾いてはるなぁ」 「そう思うかい?」 「慶次様のような真っ直ぐな意味とはちゃいますのよ。でも心根にそういうものがございますわ。退屈せんのとちゃいますか?」 「ははっ、そうなんだなぁこれが」 「可哀想なお人やわぁ」 適当に店をひやかしながら、慶次と阿国が歩けば、それだけで目立つ。今でも十分二人は人の目をひいていた。傾気者と有名な慶次と踊り巫女。大輪の花だ。 ここに兼続がいたら、さぞや面白いだろうに、なんて思う。 「ん」 「慶次殿に見込まれてしまうなんて、ほんま可哀想なお人。持って生まれたものなんでっしゃろなぁ」 「面白いこと言うねぇ」 「うふふ。でも間違ってはないのと違います?うち、慶次様のことだったら何でもお見通しですえ」 「そいつぁどうも。そうか、俺に見込まれたら可哀想、か」 苦笑しながら阿国に似合いの簪をみつくろう。そういえば出かけの間際、何か買ってやれよ、と兼続に言われていたのだった。 まったく、そういうとこばかり目がいって。静かに寝てろってんだ。 なんだかよくわからないけれど、彼女がそこにいるとそれだけでたくさんのものが鮮明になってくる。花の色も鮮やかに、人の命も美しく。 生きることの花をうむ。 その後の宴で、阿国の舞は大盛況だった。兵士たちはもうやめろというくらいに阿国の舞を熱望し、何度でも彼女は舞ってみせた。ちりん、と小さな鈴の音。衣が擦れる僅かな音。そういうものに皆、酔っていた。 「兼続様?」 その阿国が舞台の上で兼続の名を呼んだ。ひらりと舞いながら、彼女が足取り乱さず舞台を降りる。舞の音楽はまだ続いている。彼女の足が刻む舞も。 それがひらりひらりと兼続が座している席までたどり着くと、にこり、と微笑んで手を伸ばす。 「え?」 「お心軽く、花を愛でるならばまずご自分から。お殿様より今宵は無礼講とうかがってますえ」 「え、いや、そうだが」 「いけいけ、見せてくれや兼続!」 「いや、しかし私はあまり舞などは」 「いややわぁてんごいわはって。戦場に立つよりずっと易しいどすえ」 兵士たちもすっかり盛り上がっている。方々からはやし立てられて、すでに兼続がここで辞するのも場の雰囲気に影響を及ぼすほどだ。 仕方ない、と兼続は笑うと立ち上がった。 「しかし本当にわからないのだが」 「形にこだわるからそう思うのどす。なぁんも、難しいことなんかあらしまへん」 阿国の細くて長い指が兼続を先導する。 「いやいや難しいな。そんなに軽い足取りは」 「真似などしないでおくれやす。兼続様には兼続様の、ウチにはウチの。ねぇ慶次様」 「ああ、そうだなぁ」 「面白い人だな、あなたは」 「阿国、ですえ。兼続様」 「ああ、阿国殿」 舞台の上、笑いながら自分の髪にさしてあった簪を、戯れに兼続の髪にさす。途端に似合わない、とはやしたてられるが、それに腹を立てる気にもならなかった。 「なんだか久しぶりだな」 清々しい笑顔を向ける兼続に、阿国が肩を竦めて微笑む。 「兼続様、慶次様のことお好きどすか?」 突然の質問に、しかし兼続はまったく怯まない。 「ああ、大好きだ。あいつは面白い」 「では他のお方は?お殿様は?」 「もちろん好きだ!敬愛している。今は亡き謙信公も、尊敬していた。ああ、それに聞いてくれ。最近面白い奴らと知り合ったのだ。石田三成と真田幸村と言うのだが、三成の方はいつも眉間に皺を寄せていてな、そうだな、今度奴のところにも行ってくれないかな。性格はきついがいい奴だ。損な性分なんだ。幸村は、なんだか放っておけなくてな。あれはまた恐ろしいほど素直な奴だ。二人とも、全然違うのだが、面白い。大好きだ」 饒舌に自分の周囲の人を語り出す。きっとずっと誰かに語りたかったのだろう。自分の友や敬愛する人の話。阿国は楽しそうに聞いている。 「そうどすかぁ。お二人はいい男でっしゃろか?」 「ん、ああ保証する。いい男だ」 「では今度、寄らせていただきますえ」 「なんだ、いい男のところでなければ駄目なのか?」 大口を開けて笑う兼続はだいぶ酒がまわっているようだった。突然舞いの舞台に立たされたせいもあるかもしれない。 「強いお人でもよろしおすなぁ。お声のよろしいお人も」 「移り気なのだな」 「ウチは花でいたいんどす。皆様の心の花。心根の美しい、生き様の美しい、そういう人の心に残る花に。兼続様は残していただけますでっしゃろか?」 「ああ、勿論だ。大輪の花ではないか!」 「あんじょうおおきに。嬉しおすわぁ」 「私はどうだろうか?」 「どうでっしゃろ。慶次様がきっと、知ってらっしゃいますえ」 「慶次が?」 そうやって。 傾気者の心を確かに掴む、何かを持っている。 阿国が去ってからも、しばらくは彼女の話題で城内はもちきりだった。 また見たいとか、綺麗だったとか好きだとか、そういう話でいつも彼女の話をしている時、それぞれが楽しそうにしている。 「慶次、おまえは凄い人と知り合いだったのだな」 「ははっ。まぁたまたまな。ずいぶん気に入ったようじゃねぇか兼続」 「ああ!彼女の言葉は不思議だな。何かふわふわした気持ちになるよ」 「ああいうの、高嶺の花って言うんだろうねぇ」 「なるほどな。そうかもしれん。また会いたいものだ」 いい笑顔だ。 体調の悪さも吹き飛ばして、難しいことも全て抱え込んでもなお笑う。 傾いている。この男は本当に。 「そうだ、慶次。阿国殿に言われたぞ。同じに思っていると」 「は?」 「阿国殿と慶次が、私のことを同じように思っているとか」 「あー…ははは。いやぁアンタ面白くて大好きだぜ?」 「ああ、それは私もだ。面白い」 ともすれば暗くなりがちなこの乱世。 あちこちで生き死にの算段をしている奴らばかりで、もちろん自分たちもそうだ。 だけど少し気持ちをかえれば、なんて楽しい面白い。 これだからやめられない。
世界はこんなに美しいから、生きるのをやめられない。
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