天上の




 
なんなんだ、こいつ。
 最初に感じたのは暑苦しくて、単純思考。俺や秀吉様が導いてやらねば道も歩けぬような愚かな人間のうちの一人。
 そう考えて、出来るだけ近づかないようにしようと思った。
 向こうはどうやら一方的に友を名乗るつもりのようだったが、くだらない。
 そんな遊びにつきあってやる暇はない。こちらにも選ぶ権利はあるはずだ。
 しかし存外そいつが強いのだと知り、俺は少し驚いた。秀吉様は幸村をずいぶん買っていたが、俺はあまり信頼を置く気にはならなかった。
 小田原攻めの後、秀吉様がにやにやと笑って言った。
「どうじゃ、ワシの言う通りじゃろ」
「………予想外、ではありました」
「うむ。あれは大切にせい」
 左近のような強さとは違う。左近の武人としての強さも身に染みてよく知っている。殿は打ち込みが弱いと言われて手合わせしたこともある。不本意ながら勝てたことは一度もない。
 だが左近や他の武将たちから感じるような強さとは違う。
 そう、最初はあまり強そうに思えなかったのだから。
 能ある鷹、ということか? しかし演じてそうしている風にも思えない。
 普段の彼はどちらかというと大人しい。一人で槍を振るって鍛錬に余念はないが、それゆえにあまり誰かと何かを語り合っているようには思えない。
「三成!」
 小田原攻めが終わり、しばしの安息が訪れた。豊臣の天下。政務を忙しくこなしていたある日、兼続に呼び止められて振り返れば、どうやら庭で手合わせをするらしい。
「三成もどうだ?」
「…いや、俺は」
 そんな時間は、と言おうとして黙った。
「相手は幸村だ」
 その言葉に。
 一度打ち合ってみるのもいいかもしれないと思ったのだ。兼続は慶次を連れてこなかったことを惜しいと笑っていた。
「おや、殿もですか?」
 左近がいつものようににやりと笑うのをちらりと睨む。
 どうやら左近が最初にやりあうようだ。幸村も左近も武器はそれぞれ刃を潰したようなものではない。それぞれが一番よく手に馴染んだ武器だ。
 まずは礼をかわし、二人はその場で武器を構える。二人ともいつものような鎧ではなく、鍛錬の時に使うような胴着に身を包んでいる。
 どうやらおねね様や秀吉様も観戦しているらしかった。予想外に物見高い人間が多い。それだけ注目されているということか。
 二人はしばらく動かずにいたが、僅かに風が木々を揺らした。瞬間それが合図になって二人が地を蹴る。
 間合いの長さにまず幸村の槍の先端が左近の心の臓めがけて飛び込み、それを大振りの刀で受け止めると左近がそのまま力任せに押し込む。
 横に薙ごうと勢いに任せて刀を振るえば、そのまま幸村は一回くるりと勢いを殺さず宙を舞う。地に足をつけた瞬間、左近が間合いを詰めた。幸村の首に手をかけようとした瞬間、その手を叩いて横に受け流す。さらに左近の足を引っ掛けた。平衡感覚を保ちきれず、左近が受身の姿勢で転がる。
 そこを幸村が上段から槍を突き刺すように飛び込んできた。
 一瞬ゾクリと粟立つような感覚を受けたが、左近はそれをあっさりかわして立ち上がる。武器は転がった時に手放している。さすがに大振りすぎる刀を持ったままでは幸村の攻撃がかわせなかった。
 左近はさて、と肩を竦めた。幸村の背後に左近の刀は地面に突き刺さった状態で放置されている。位置的に分が悪い。
 さあ、どうする?
 幸村は槍を構えたまま隙がない。
 しかし左近は諦めた気配はなかった。兼続がふむ、と腕組みをしてこちらに耳打ちしてくる。
「どう思う」
「フン。左近は不利だな。武器が良くない」
「間合いの長い槍と、大刀だからな…。いくら左近が豪腕でも、あれを素早く振り回すのは難しい」
 そうしてぼそぼそと二人で喋っていると、幸村がふ、と構えをといた。突然振り返り、左近の刀をとると、二人の位置の真ん中に刀を横たえる。
「…挑発か?」
「いいえ。この方が見ている方々も満足されると思いました」
「…成程ね」
 左近がちらりと周囲を見渡す。別段御前試合というわけでもないが、すでにその趣きがあった。もちろん見ている側としては動きのある方が面白いだろうが、それにしても。
「じゃ、行くぜ」
「受けてたちましょう」
 その瞬間、まず左近が駆けた。己の武器をつかむと、その遠心力を利用してそのまま幸村まで突進するように駆け込む。大刀がブン、と音を立てた。
 幸村がそれをすんでのところで頭を低くしてかわすと、下段から突きが繰り出された。速い。突きの後は敵を一掃するように薙ぎ払う。その動作に入る一瞬、隙が出来た。一連の動作としては隙の少ない攻撃だったが、突きから薙ぎ払いに転じる瞬間に生じる本当に一瞬のものだ。
 その一瞬を左近は見逃さず、大刀の腹の部分を幸村に叩きこんだ。
 鈍い音がして幸村が吹っ飛ぶ。あれは昔俺もやられたことがある。全身に衝撃が走って何をされたかわからなくなるのだ。しかも痛みは後からついてくる。
 俺はあれをはじめて受けた時は一瞬気絶した、はずだ。
 しかし幸村は、それを受けてなお踏ん張った。体勢を立て直し、どうにか持ち直す。
 だが無傷とはいかなかったようで、どろりと額のあたりから血が零れた。
「大丈夫かい?」
 左近の言葉に幸村は笑った。
 その笑みに、鳥肌が立った。
 なんだ、いまの。
「無論です」
 こちらの気など知らず、幸村ははっきりした声でそう言うとまた槍を構えた。しかし切れた部分から流れ出した血のせいで、視界がうまく利かないようだ。
「次で仕舞いにするか」
 左近は余裕ある様子で構えた。
 幸村の額は打ち付けられた右側に傷を負ったようだった。左近は右目の側を狙うだろう。卑怯と言われるだろうが、それこそが策というものだ。
 予想通り、また二人が打ち合いを始めた。先程より打ち合う速度が上がっている。
 幸村の槍は生き物のように左近にめがけて繰り出される。左近はそれを防ぎながら、少しずつ後退した。
 打ち合う音に紛れ、左近の苦い表情が見える。攻撃に転じられない。
 幸村に隙がないわけではない。だとしたら攻撃が予想以上に重いのか。
 じりじりと後退してくる左近は、少しずつ俺や兼続がいる廊下側へ押しやられていた。
 真正面に見える、幸村の。
 右目が赤く見えた。

 それは兼続も同じだったのか、一瞬息を呑むのがわかった。
 なんだ、こいつ。
 明らかに左近の一撃から攻撃の速度が上がっている。隙がなくなり、左近を追い詰めている。
 今までが手を抜いていたのか? いや、それも違う。
「そこまでだよ!」
 誰もが幸村の気迫に呑まれかけていた時だった。
 試合に待ったがかかる。それはおねね様によるものだった。
 途端に、ぴたりと幸村の攻撃の手が止まる。
「勝負は左近の勝ち。いいよね、幸村?」
「―――はい」
 おねね様の采配に、周囲がざわついた。たしかに決定的一打は左近が与えていたし、左近自体は無傷だ。しかしその一瞬前までの気迫が、全ての者に違和感を与えていたのも事実だ。
 左近は困ったように苦く笑うと、すまんな、と言った。
 幸村は笑って答える。
「いいえ、左近殿。またお願いいたします」
「ああ、決着つけようぜ。俺としてもこの勝ちは不本意だ」
 実際本当に不本意なのだろう。やれやれといった様子で笑う左近に僅かに同情する。しかしおねね様はそういう機微に目もくれず、大声で幸村を呼んだ。
「ほら、幸村! おいで、血止めするよ」
「え、いえ、そんな、私は平気ですので…!」
「何が平気なんだい!?そんなに血を流して平気なわけがないでしょ!」
「ほ、本当です。これくらいなら日常的に…」
「余計悪い!」
 やけに遠慮する幸村に、懇願するような視線を向けられた。
「み、三成殿ッ、助けてください!」
 本当に、少し前までの恐ろしい気迫の真田幸村はどこへ消えたのだ。
 俺は拍子抜けしながら、幸村に助け舟を出してやることにした。
「…おねね様、幸村には刺激が強いですよ。俺が手当てします」
「あれま、三成が?…出来るのかい?」
「…失礼な。俺に出来ないことがあるとでも?」
「そこまで言うなら任せるよ。頼んだよ、三成?」
「心得ています」
「あ、あのお二人とも…本当に平気ですので」
「うるさい。行くぞ」
「か、かねつぐどの!」
「ははは、別にとって喰われるわけでもあるまい。頑張れよ」
 兼続の笑い声を背に、幸村をひきずるように廊下を抜けた。
「あ、あの、すいません本当に手を煩わせてしま…」
「いいから、少し黙っていろ」
「す、すいません…」
 謝り癖でもあるのか、と思わず眉間に皺が寄った。
 そこまで恐縮されてしまうと悪いことをしたような気分だ。
 あの時助けを必要としたのだろうに。
 俺の部屋にいれて、座らせるとすぐに薬箱を取り出した。
「……その額のはちまき、とるぞ」
「え、あ、はい」
 慌てる幸村より先に、結び目を緩める。そうすることで傷の部分がようやくあらわになった。血がやけに出ていたので深いのかと思ったがそうでもないようだ。
 手際よく、とは残念ながらいかない。なにせこういうことはあまり得手ではないのだ。出来なくはない、が、下手だ。しかしああやって啖呵を切ってきた以上、あまり不恰好な状態で幸村を放り出すわけにもいかない。
 まず傷口の周囲の血を拭い。
 相当しみると噂の塗り薬をべたりと塗りつけてやる。一瞬幸村の表情が歪んだ。
「…すまない」
「いえ、平気です」
 平気じゃないだろう、と思うのだが幸村はそれ以上言わない。
「…効く薬だ。沁みるので、あまり好まれないが」
「良薬とはそういうものです。ありがとうございます」
 やせ我慢をしている風でもない。それだけ荒々しく戦場を駆け抜けているということだろうか。
「……先程の仕合、凄かったな」
「左近殿ですね。強かったです」
「……いや、おまえの…」
 気迫が。
 血が視界を覆っている。その状態で幸村の攻撃はさらに強く速く重くなった。迷いのない一撃に左近は手を出せなかった。しかしそれについて幸村は何も言わない。
「私ももっと鍛錬を積まないと」
「………」
「おまえが凄かった」
「え?」
「気圧された」
「…そ、それは…その、すいません。ありがとうございます」
 もたもたしているせいで、なかなか処置が終わらない。幸村はじっとしている。先程まで見えたあの瞳は今は閉じられている。へんな感じがした。たとえば、ここで一瞬でも殺気をうかがわせれば、また変わるのか。
 普段抑えている焔のようなものが、一気に噴き上げるように。
「幸村」
「はい」
「もういいぞ」
 言うと、幸村がそっと目を開いた。すでに普通の色に戻った瞳。あの瞬間の気迫の抜けた、何の毒もない双眸。
 しかし俺は、なんだか心の臓が痛くて眉間に皺を寄せた。
 妙に早く脈打ち始めた自分のそれに、俺は首を傾げる。制御不能だ。
「ありがとうございます、三成殿」
「ああ、たいしたことではない」
 幸村は俺の答えに苦笑したようだった。
 しかし俺はそれどころではなかった。どうにか自分のこの心の臓の動きを正常に戻さねば、息をするのも苦しい。
 そこに外から声がした。兼続だ。どうやらおねね様につかわされたらしい。
「幸村、三成、終わったか?」
「はい!」
「兼続…」
「ほう、うまく出来ているではないか」
 感心したような口ぶりに、心ここにあらずの状態で、当たり前だ、と思う。
 しかし口にすることは出来なかった。
 おかしい。
「いい薬をつけていただきましたので、もう大丈夫です」
「そうか、それは良かった」
一体どうしてしまったのだ。
「三成、どうした」
「…いや、別に」
 なんだったのだろう。
 幸村から目が離せない。あの戦っていた姿、気迫のこもった赤く光る片目。
 双眸を閉じた時に見えた精悍な顔つき。そして開いた時の、制御不能なこの脈は。
 俺は首を傾げた。本当に、おかしい。
 こういう時はどうするべきだった?
「秀吉様が呼んでいる。行くぞ」
「はい」
 ついていこうとして、ふと畳の上に幸村の鉢巻があるのに気がついた。
 返すべきはわかっていたが、なんとなく俺はそれを懐にしまった。
 まるで、大切なもののように。




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続きを書くかも。左近との打ち合いシーンで一生懸命以前見たジェット先生主演映画「SPRIT」を思い出していました(笑)