花に嵐 42




 和睦が成って、戦は終わった。
 しばらくは大きい戦もないだろう。どちらも消耗している。
 ―――三成を非難する声は大きく、弔い合戦に和睦などと、という声は日増しに強くなっていた。
 三成も特に弁明はしないから、声はただただ大きく広がるばかりだった。
「―――…なんだと?」
 それらの声も、今の三成には遠い雑音だ。
 戦が終わり、三成は事後処理に追われた。もともと三成の仕事は戦での武功を立てるものよりも、細々とした雑務の方が多いのだ。武士の時代に、それらの政務に追われる彼を酷く言う者もあったが、三成にとってそれらは昔からのことだ。今更そんなことに目くじらを立てる気もない。
「はい、里の近くで真田幸村を見た、という者が」
「…そうか。わかった」
 三成はあの滝でのことを思い出す。あの滝は例の里からは近い。滝に落ちた幸村が生きていたとしたら、その里にいる可能性は十分あった。だが、どうして上杉に戻らないのか―――。
―――お別れです。
 最後に聞いた言葉を思い起こし、三成は指先が冷えるのを感じた。それと同時に、幸村が生きているかもしれないという期待にいてもたってもいられなくなる。
 里へ視察だといって出てみようか。その里へはしょっちゅう足を運んでいたし、それがただ幸村を探したいだけの方便だとしても誰にも気づかれないだろう。
 自然と立ち上がった。最近ではすっかりその雑音が政務以外のことをさせる気力を奪っていて、そんな風に自分から、自分の為にどこかへ行こうなど考えもしなかった。
 和睦の席で、兼続たちが探すと言っていた。
 実際、捜索していることも聞いていた。里からは時折最近のことを聞けた。数人の武士が人を探して迷い込んできたとも聞いている。
 滝から落ちて、川下に流れていったとしたら、最初にその里でひとの目につくだろう。うまく里の誰かが彼を見つけたとしたら。だが、そうだとしたら今まで見つかっていないのはおかしい。
 まさか兼続がそんなところで罠を仕掛けてくるとも思えない。
 三成は半信半疑で外へ飛び出した。半信半疑だというのに、幸村がいるかもしれないという期待は次第に大きくなる。
 げんきんなものだ。ほんの少し前は怒りに狂い、幸村の名が出るごとに神経を張り詰めさせていたというのに。
「…幸村」
 自分の心は酷く素直だ。逢えるのならば、逢いたい。なんとしても。


 里へ着いた三成は、すぐにはずれにあるあばらやへ向かった。
 戦の前に、そこを使ったことがある。いるのではないかと思って戸をひいてみたが、人のいる気配はなく、最近ここに人がいたという気配もない。
 三成はさらにあちらこちらを回ってみた。里の者に出くわすたびに、幸村のことを問うたが、それらしい者を見たという答えは誰からも得られない。 里は小さい。こんなところに誰かがいれば、すぐに噂になり誰かしらが知っているものだ。だが、誰もかれもそんな人は知らないと申し訳なさそうに詫びるばかりだった。
「三成様」
 あてどもなく彷徨う三成を見かねたのか、里の男がやってくる。
「…どうした」
 三成の問いに、男は申し訳なさそうに長老の屋敷へ来てほしいと告げてきた。断る理由はない。もしかしたら何か知っているかもしれない。そう思い、三成は頷いた。
 長老の屋敷は里の中でも大きな部類だ。
 案内された先に、長老はいた。三成を待っていたのだろう。三成によくご無事で、と戦の事を労う言葉。だが三成が聞きたいのはそんな言葉ではない。
「…何か話があるのではないのか」
「…はい。先の戦はこの里の近くまで迫りましたが…近くの川もずいぶん荒れたものでございます」
 やはり何か知っているのか。思わず身を乗り出す三成の目の前に、見知ったものがつきつけられた。
「…これは…」
 鉢金―――それは、六文銭のあしらわれた鉢金だった。幸村がいつも戦につけてきたものだ。先の戦の時でももちろんつけていた。
「…三成様から、赤地に六文銭の方のことはよくよく聞き及んでおりました」
「…これを、どこで…」
 嫌な予感がする。心臓が高鳴った。嫌な汗が噴き出す。
「…近くの川で、倒れている方を見つけました。その方がつけておられたものでございます。一度、この里にも来ていただきましたゆえ、顔はよく存じております。里の者は皆、その方を川から引き上げました。奇跡的にも、生きておられましたからな」
 生きていた。ならばこんな風に不安を覚える必要はない。だというのに、酷く緊張した。長老の紡ぐ言葉の先を、こんなに待ち、恐怖に震えたことはない。
「……生きていたならば、…何故誰も知らぬ」
「………三日三晩、酷い熱にうなされておられました。三成様と同じご身分の方ともなれば、この事をどなたかに知らせる必要もある。ですが、全て断られた。出来ればここで無縁仏として」
「………嘘だ」
「里のはずれに、墓がございます」
 三成は強く拳を握り、恐ろしい形相で長老を睨んだ。三成の、元々鋭い切れ長の双眸が暗い強さを増す。長老は、しかしそんな三成を見ても態度を変えない。変えようがないのだろう。
「嘘をつくな…!か…兼続、が、言っていたのだ。あいつは兼続の札を持っていた。その札が、命を守ると。そうではないのか!?」
「…幾日か前に来られた方々にも、同じく墓を案内させていただきました」
 それこそが上杉の―――兼続のつかわした者たちだろう。彼らは墓に案内され、それをそのまま兼続に報告したと言うのか。
「嘘だ!」
「我らが、なんとか出来れば…どんなにか」
「嘘だ!信じぬ。俺は…俺は幸村が死んだなどと…!!」
 ひたすらに詫びる長老に三成は駄々っ子のように首を振った。そんなはずはない。そんなことあってたまるか。そんなことが現実などであるはずがない。
「…墓を、ご案内…」
「いらぬ」
「三成様」
「そのようなもの、偽のものだ。幸村がいるわけがない。幸村が死んだなどと、信じぬ!」
「三成様、どうか」
 長老は、再び鉢金を三成につきつけた。
「どうか、おおさめください」
 三成は、鉢金をひったくるようにつかむと酷い息苦しさに外へ飛び出した。まろぶように飛び出し、そのままひた走る。足元がおぼつかない。何度も泥に足をとられながら、どこへともなく走った。
 嘘だ。嘘だ。嘘だ!
 幸村が熱にうなされていた?そのまま回復しなかった?そんなことあるものか。幸村は冬でもいつも元気だった。鍛練しているからと笑っていた。だから、そんなことがあるわけがない。幸村が、誰にも知られないところでひっそり死ぬことなどあるわけがない。
 誰か、誰でもいいから嘘だと言ってくれ。
 だが、三成の望みが叶うことはなかった。夢中で走った先に、今までこの里で知らないものがあった。
―――村のはずれに墓を。
「嘘だ!!」
 叫ぶ三成に、ぽつりと水滴が落ちた。
 崩れ落ち、泥を掴み、繰り返し繰り返し、地を叩く。そうしている間にも、雨はぽつぽつと間隔を狭め、ついには大降りとなった。冷たい雨が全身を濡らす。だが、三成はそんなものに構っていられなかった。
 大降りの雨が、三成の絶叫をかき消す。
「嘘だ…っ!嘘だ、嘘だ、皆して俺を騙そうとしているのだ…!こんな、こんな墓まで作って…!」

―――お別れです。

 幸村の言葉が脳裏をかすめて、三成は泣き叫ぶしかなかった。



BACK / NEXT