花に嵐 40
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三成はひたすら呆然とする以外に何も出来なかった。 今何が起きたのか、起こってしまったことを自分の中で把握することが出来ない。どれほどそうしていたか。誰かが走ってくるのに気がついた。気がついたが、反応することは出来ない。 「殿!」 左近だ。 どうやら戦場から離れてしまった自分を探していたようだった。左近が自分の頭の上で何か言っている。秀頼様は正則に任せてきたとか、戦況は一進一退ですとか。 「…殿!」 しかし何を言われても反応が出来なかった。気がつけば指先から震えが駆け昇ってくる。水際特有の澄んだ空気と、冷たい飛沫のせいかと左近はその震えに結論をつけようとしたようだった。寒いんですかと問われる。が、反応は出来ない。無理やり立ち上がらされても、三成の視線はいつまでも滝の向こう側に向けられていた。 届かなかった。 伸ばした腕は、幸村の掌すら掴めなかった。 雨のせいで水量の増している滝は、それでも近くの里の男たちが夏になれば度胸試しに飛び込むこともある。ただ、事故があってからはそういったことは遠のいてしまっていた。 ―――そうだ。 「…生きている」 元々は度胸試しに使われたりもする滝だった。だから落ちたからといって死んだとは限らない。事故は一度あっただけで、それからその滝が使われていないだけで。 左近の手を振り払い、三成はよろよろと歩き出す。 「殿、誰が生きてるんです?」 左近の声にも三成は返事らしい返事が出来なかった。おぼつかない足取りで、滝壺へ向かおうとして、当然ながら引き止められる。 「殿」 ―――お別れです。 なんでそんな結論に達したのだ。どうして幸村は。 「幸村がどうかしましたか」 「……届かなかった」 三成は自分でも驚くくらい、薄暗い声音で呟いた。届かなかった。指先すら触れあわなかった。心も。 同じ想いだと思っていたのに、こんなにすれ違っていて、それを自分は同じように想ってくれているなどと勘違いをした。 最初から、幸村はそのことを何度も告げていたのに、すれ違うことに苛立って気づけなかった。 「殿、落ち付いて下さい。幸村が落ちたんですか」 左近の声は冷静だった。その冷静さが、また三成の感情を苛立つように掠めていく。 幸村の隊を狙うと決めたのは三成の独断だった。上杉軍の前線に立つ真田の六文銭。あれが、自分を誘いこむように風に吹かれていた。 「……幸村を探す」 「それは死んでいるのを確認するためですか」 「…ッ、左近、貴様…っ」 「殿、誰が味方で誰が敵かわかりますか。左近は殿の味方です。幸村は今は敵です。ならば当然でしょう」 「……っ、ぁ…」 息が出来ない。頭が痛い。視界がぐらぐらと揺れる。左近に改めて言われて、そんなことはわかっていると叫びたくても叫べなかった。身体も心も、今起こっていることを理解しようとしてくれない。 「殿、あなたは豊臣軍の総大将です。秀頼様の名代です。秀吉様があの世で嘆くような事は…」 泣いている暇はない。 左近の言葉に三成は自分の立場をようやく思い出す。そうだ。秀吉の弔い合戦と称して秀頼まで担ぎ出した。まだ年若い子供を戦場に送りだして、士気をあげることに専念した。戦の中での小さな失態はそのまま敗北にもつながる。 そうまでしたのだから、三成は秀頼を何としても無事なまま帰還させねばならない。 戦って、勝たねばならない。 「…左近、全軍に伝令だ。真田幸村、討ちとったと」 「―――はっ」 先に戻れ、と左近に指示すると、三成は一歩ずつ、滝から離れようと足を運んだ。だが一歩行くたびに、滝壺に落ちた幸村の残像が浮かんでは消えていく。 落ちる直前、幸村はこうなってから初めてというほどたくさんのことを語った。 きっと今まで言いたくても言えなかったことを。自分の中でわだかまり、言葉にすらなっていなかった思いを、感情に任せて吐き出した。だからきっと、あの時の言葉こそが幸村の本心だ。 ―――何も出来ない男で、申し訳ありません。 (違う。幸村は…何も出来ないはずがない) 何もなくて、己のような男が幸村を好いたりするはずがない。人と常に一線をひく。そんな自分が、幸村を特別に感じるようになって、それなのに。 ―――…あなたが、裏切ったのではないのですか。 ―――私のこの気持ちは本物なのに、また裏切られる気がするのです。 裏切った。 そうなのか。 手に入れようとした、その手段を間違えたのか。ならば何故そんな間違いをしたのか。 (…間違えたのは…そもそも) この感情全てが間違いだったと言うのだろうか。 ならば何も知らず何にも出逢わずこの感情の渦も知らず、ただ他人と一線を引いて、それ以上近寄らせないように生きていればよかったのか。 本当は、手に入れて、手放さないつもりだった。いつも傍にいるように、この時勢で出来る限り、共に在れるように。 ―――あなたの期待にも、信頼にも、恋情にも、こたえられない。 完全な拒絶の言葉だった。そんな風に拒絶するなら、どうして一度でも同じ想いだと告げたのか。 何故その気持ちが本物なのに、なんて言うのか。 なんで、別れを告げて、落ちる必要があった? 相変わらず何かが麻痺した中を、三成はふらふらと歩いた。色も音もない。そんな世界のただ中を歩いている気がする。雨の多くなってきたこの季節。周囲の木々は重々しく緑をたたえているはずなのに、まるでそれが目に入らない。死んだような灰の色だ。 だが、幸村のことを思い出すたび、三成の脳裏にはあの赤備えが鮮やかによみがえった。 昔、まだ幸村と知り合ったばかりの頃、幸村に言った言葉がある。 ―――言葉に頼るな。 言葉などなくてもわかるのだと思っていた。その気持ちが本物ならば、相手には伝わるのだと、そう信じていた。幸村が必死に見えたからそう言ったのだ。兼続などには何度も伝えなくては伝わらないと言われたけれども。 今、その兼続の言葉の意味をはっきりと知った。 ちゃんと伝えなくてはいけなかったのだろう。それが出来なかったから、幸村ならばわかってくれると勝手な思い込みで、独りよがりの信頼と期待をぶつけたから、今こんなことになったのだ。 幸村がいなければ、この世界に色など戻らない。 「…幸村」 呟いて、その名が引き起こす嵐のような感情に、三成は歯を食いしばって耐えるしかなかった。 |
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