花に嵐 30
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幸村と逢った日から、三成はどうにか政務に復帰していた。 傷口からの痛みはまだ続いているが、とにかく何かしていないとどうにも心の靄が晴れない。 左近には止められたが、豊臣の現状を、一刻も早く把握したかったという事もある。 「酷い状況だ」 左近に対し、そう呟けば彼は肩を竦めた。 三成は三成自身が撃たれた直後の城内の様子を知らない。あの緊迫感に包まれた状況を知っていれば、今くらいの淀んだ空気はどうという事もなかった。 だが、それについては左近は触れなかった。言っても意味のない事だったからだ。 「殿の顔の方がよっぽど酷いですがね」 茶化すようにそう言えば、途端に恐ろしい眼光で睨みつけられた。 実際青白い幽鬼のような顔色だ。 政務に復帰すると言いだしたのはあの雪の日からだ。秀吉の見送りの為、ほとんどの家臣たちの意識が逸れている間に、三成はまんまと屋敷を抜け出した。どうもその時に、何かがあったようなのだが、一体何があったのかは左近は直接聞けていない。 元々政務に対しては黙々とこなす人だった。放っておけばいつまでも仕事をしている。周囲の者が何かと声をかけて、ようやく一息入れたりする。今はそれがさらに酷かった。 三成の元にわざわざやってきて、彼の身体を気にかけてくれる人は皆、遠のいている。 (この様子、上杉討伐について聞いたってところかね) それは左近もあの雪の日に聞かされた。 手ごわい相手だ、戦わずに済むなら回避したい相手だと言ってみたが、秀吉には取り合ってはもらえなかった。 もう秀吉の中では決定した事で、誰が何と言おうとも変更はあり得ないのだろう。三成にとっては、またしても友と刃を交えることになるわけだが。 (…真田討伐の時には、ずいぶん元気だったんだがね) 真田は話し合いや勧告することで従属するような事はないのは予想できた。 実際、戦の前に降伏せよとの勧告も出したが、それは無視された。 あの時、三成は幸村を手に入れる為の戦だと意気揚揚としていた。幸村の気持ちなど考えもしなかったのだろうが。 「殿」 「なんだ」 再び政務に取り掛かりはじめた三成に、左近は改めて声をかけた。少しばかり煩そうな返答だったが、気にせず続ける。 「上杉討伐の話は、聞かれましたか」 「……あぁ」 歯切れ悪く三成が頷く。 「上杉討伐の前に、出来ればかたをつけたい事があるんですよ」 「なんだ?」 「伊達の別動隊です」 「…あれは、だいぶ捜索の手も緩めているはずだが」 「ええ。大殿の一声で」 「…どういうことだ?」 「その上、伊達を追い詰めるのもやめています。勿論これは、上杉が割って入ってきたからというのもあるんですがね」 伊達政宗は上杉景勝の手によって捕縛された。その時の秀吉の怒りは恐ろしいもので、その場にいた武勇に優れる武将たちは皆、身を縮ませてその嵐がおさまるのを待ったのだ。 別動隊を何としても捕えよという言葉に、どの武将たちもそれに従った。 だが、ある時にその捜索に待ったをかけたのが秀吉本人だった。今もまだ、捜索は続けている。だが、いまだに見つかっていない。 「…別動隊…か」 「伊達の別動隊って言ってますがね。ここだけの話ですが、左近はひとつ心当たりがあるんです」 「…本当か?何故それを、秀吉様に言わんのだ」 「たぶん、大殿もご存じですよ」 「………何?」 当初は大掛かりな捜索が行われていた。それが鶴の一声で規模は縮小された。今もまだ捜索は続くが、良い報告はない。 だから左近は察したのだ。誰が三成の狙撃をしたのか。伊達の別動隊という言葉に惑わされているが、その相手は。 「……まさか」 続いた沈黙の中、三成がその可能性に気がついた。元々、隠してもいないのかもしれない。伊達は鉄砲隊を多く有している。だからそれが一瞬の目くらましになったけれども、実際のところ。 導き出された答えに、三成は眉間の皺を深くした。 「…雑賀衆、か」 「ご明答。まぁ、大殿に聞いても答えちゃくれませんがね」 雑賀衆の頭領である雑賀孫市は、秀吉とは懇意にしていたはずだ。昔はよく子供のように戯れにお互いの武器を向けていた事もあった。 にも関わらず、秀吉を裏切ったということなのか。 「…雑賀衆は…金次第だったな。伊達がどれ程出したというのだ」 「そりゃわかりません。…ですが、殿。お忘れですか。昔、大殿は織田軍として雑賀の里を焼いたんですよ」 「………」 ぞくりとした。 それはまだ信長が存命で、信長の天下が次第に冗談ではなくなってきた頃の話だ。三成自身も詳しいところは知らない。だが、確かに雑賀の里は焼かれた。里の人々は逃げ遅れた者は女子供構わず殺された。 戦乱の世の常だと言っても、納得するには代償は大き過ぎた。 そして歴史は繰り返されている。 三成によって、真田が。 「…だからこそ、さっさと決着をつけなきゃなりません。雑賀衆もですが」 左近の言葉に、三成はその整った顔を能面のように白くして、黙りこくった。 三成と幸村の関係が多少進展しているのは、傍から見ていてもわかった。 だが傍から見ているからこそ、幸村の底の知れない暗闇も垣間見えた気がしていた。 「…幸村は、俺を裏切ったりはしない」 その言葉は、まるで暗示のようだった。 もしくは祈りのようでもあった。 願望が、口をついて出てしまったようでもあり。 左近はそれを、何とも言えない気持ちで見つめた。秀吉も、三成も、同じ顔をしている。 「…出てくる」 「どちらへ」 「………」 三成は何も言わなかった。言わないまま外へ出ていったが、止める気はなかった。
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