花に嵐 23




 少し前のことになる。
 真田と豊臣の戦があった頃。季節は春を迎えたばかりで、上杉領でもようやく雪が溶け始めていた頃だった。
 兼続はその戦の話を聞いて、愕然としたのだった。
(どういうことだ、三成)
 幸村への感情を、敏い兼続は気が付いていたし、またその事自体を三成も知っていた。幸村本人は気づいていなかったようだったが、そんな幸村への三成の態度は実に優しいもののように思えた。
 この乱世にあって、その感情を兼続は実に好ましく思っていた。二人とも兼続にとってはかけがえのない友人である。立場は違えども。
 だというのに、その二家の戦は兼続にとっては青天の霹靂とも言うべき事だった。
 力の差は歴然としていたし、その結果、真田昌幸が処断されたとも聞いた。
 昌幸を惜しむ声は上杉にも多い。
 そして、景勝がぽつりと呟いたのだ。
「…不義はなくならんものだな」
 その言葉が、兼続の中で何かをもたらした。
 それは、兼続にとっては転換期だったかもしれない。
 上杉は豊臣の手が届いていない土地にいたことも、謙信の代から続く不敗の逸話も、全てがからくりがうまくかみ合ったような感覚で兼続の中で動きだした。

「これでいいのかい?」

 唐突に声をかけられて、兼続は昔を思い出すのをそこでやめた。振り返れば慶次がいる。後ろには孫市はいない。牢にいる伊達政宗のところへ案内した帰りだろう。
「どうだった?」
「さぁな。えらく無口だったぜ」
 孫市が伊達の捕えられている上杉領を目指して来る事に、彼らは全く動じていなかった。むしろ予定通りだ。
 大阪ではいまや上杉の話題でもちきりだ。その為に、孫市を誘導する為にこうしてすべての手柄を上杉のものにしたのだ。その上で、豊臣の干渉を断った。それは、北の地でのいざこざ全てに口出しを封じた形になる。
 三成の命を救ったことも、伊達を捕えたことも。
「さっさと連れていってくれて助かった。危うく殴りかかりたくなったよ」
「…まぁ、戦だ」
 慶次の言葉に兼続は苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。どんな手段をとろうとも、勝つ為ならばそれ相応の不意をつかねばならない。それはわかる。手段としてそれはずいぶん効果的だっただろう。それが証拠に、前線で戦った真田隊は壊滅にも等しい損害があった。
 それはたぶん、幸村が三成のことを知ったからではないか。そう思うのだ。
「私は間違っているかな、慶次」
「間違ってようが貫くんじゃないのかい?」
「…まぁな」
 幸村のことも三成のことも、兼続にとっては友人だ。そして二人が戦で戦い、真田が負けた。群雄割拠の時勢の事だ。三成を責めても始まらない。だが、見逃してはいけないと思う。それが、間違った方法だと。
(…私はどうしたいのかな)
 迷わないことはない。謙信が枕もとに立ったことも何度もある。しかし兼続は一度歩み出した道を、違えようとは思わない。
「頼りにしているよ、慶次」
 そう言うと、兼続はまた「変わった」と評される目に戻った。

 幸村が三成の屋敷に戻ったのは夕暮れの頃だった。
 その訪問に、屋敷の者は多少困惑気味だったが左近の鶴の一声で中へ通された。自分の立場の悪さを実感して、幸村は苦く思う。
 三成との関係に変化があり、その想いを伝えた今となっても、幸村の周囲は何ら変わることはない。当たり前だ。
「悪かったな」
 左近の言葉に、幸村はいいえ、と首を振った。暇な身ですから、と続けようとしたがそれはやめた。何故暇なのか。突き詰めれば秀吉の怒りを買っているからという事になる。
 無口な幸村に左近も何かを察したのか、それ以上は何も言わなかった。
 すぐに屋敷の奥、三成の部屋へ通される。
 相変わらず傷はまだ痛むらしい三成の顔色は決して良くはない。
「幸村」
 しかしその三成の声は、まるで昔に戻ったような優しさだった。
 村で言われたことを思い出して、胸がずきりと痛む。

―――そういう方はお大事になさいませと申し上げましたが、ずいぶん困った顔をされまして。ああさては何かあったかと思うて案じておりましたが…真田様が直にここに来て下さるのであれば、もうそのような杞憂、必要ないというもの。

 三成が近くに来るように示すので、幸村は言われるままにすぐ傍に腰を下ろした。
「…村は豊作なようですよ」
 幸村の報告に、三成はそうか、と頷く。どこか安堵したような顔に、幸村もなんとなく安堵するような不思議な感覚があった。
「水害もなく、問題はなさそうでした」
「…村の者は何か言っていたか?」
「…そうですね、心配されていましたよ」
「………」
 自分のことを言われた、とは何故だか言う気になれず、幸村はそのまま押し黙った。その沈黙に、三成は不思議そうな顔をする。
「…どうした」
「………いえ」
 三成の困惑した表情に、幸村は自分の置かれている立場を考える。
 村でも思ったことだ。自分の抱えている感情に気がついてから、深く考えるようになった。三成のことを、間違いなく特別に想う気持ちはある。だがその奥底に、もっと暗い感情がないか。自分の抱える感情以上に、家の事だとか、裏切られた、という気持ちとか。
 わからなくなる。
 なんで、自分はここにいるのか、とか。
 このままここにいていいのか、とか。
 なんでそんなことを考えるのかわからない。ただ、自分は謹慎に近い身で、左近から頼まれて近くの村を見て回ってきた。村の者たちから報告を受け、それをここに伝えに来ている。
 秀吉の怒りはしばらく収まらないだろう、とは信之の言葉だった。
 それは幸村も直に感じている。誰に言われるまでもない。監視方として到着し、その為に連れてきた千の兵がほとんど壊滅状態だった。その千の兵は、豊臣の兵だったのだから。
 戦上手の真田と言われ、徳川と渡り合ってきた。
 だが、豊臣の数の力にはどうしようもなかった。徳川との戦の後で、疲弊していたというのもある。
 真田を攻めてきた豊臣は、その後すぐに徳川と同盟を組んだ。
(…駄目だ)
「…申し訳ありません。本日はこれで」
 幸村は自分の中の負の感情が高まるのを感じて、すぐに立ち上がろうとした。だが、三成がそんな幸村に待て、と声をかける。それは鋭い声だった。
「どうしたのだ、幸村」
 しかしどうしたと問われても言えるはずもなく。
 三成は立ち上がりかけた姿勢で固まる幸村を、ただただ不思議そうに見つめている。幸村はその顔を見つめることは出来なかった。
「なんでもありませぬ」
 ようやくそれだけ言うと、幸村はどうにか部屋を飛び出した。そんな幸村を不審な目で見る屋敷の者もいたが、それに構う余裕はない。
(わからない)
 どうしたいのか、どうすればいいのか。
(わからない、わからない…!)
 誰に聞けばいいのかもわからない。そもそもこれは、誰かに相談して解決できることではない。
 ただ一つだけわかるのは。

(許していない)

 自分が、あの戦のことを。





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なんか同じような話を書いている気が…(笑)