花に嵐 22




 城の中がぎすぎすしている。
 家康は秀吉からの文を受けて大阪に来ていた。前回の戦での非を咎めるという雰囲気ではない文が届き、断る理由もないとこの時期に大阪の地を踏むことになっていた。
 呼ばれた理由は、なんとなく察している。
 前回の戦で、三成は伊達の別動隊に狙撃された。大将である家康を狙わず、いつもいざこざが起こる上杉の将である兼続でもなく、石田三成を狙ったのには意味があるのか。それ自体も、上杉に伊達政宗が捕縛され、豊臣に差し出されることもない今、知る術はない。
 上杉の動きが迅速だった事もまた気になる。無論、あそこで兼続が三成の応急処置をし、景勝が援軍を率いてきたからこそ伊達を捕縛することが出来た。それによって、この戦は徳川の勝利となった。上辺だけでは。
 しかし実際のところ、徳川はただ兵を失い、ただ兵糧を使い、ただ布陣して睨みあっていただけというのが家康自身も感じるところだった。
 だからこそ、家康は秘密裏に伊達の別動隊の捜索へ力を注いだ。
 あれが誰の手による狙撃だったのか。伊達は騎馬鉄砲隊を有している。鉄砲の上手もいるだろう。だがあの狙撃は正確だった。家康が放った別動隊の捜索をうまくまいて、逃げる事が出来たのも、狙いに寸分の違いもなかったからに相違ない。
 考えながら広い大阪城を天主に向けて歩き続けた。
「おう、家康殿」
「これは秀吉殿」
 が、天主につく前に秀吉と出くわした。秀吉は一人だ。周囲には誰もいない。外を眺めていたらしい。特別大きなこの城の、この高みから眺める城下というのは格別のものだろう。それは常々思っていたことだ。
 家康は隣に立ち、その眺めを見下ろした。秋の気配は木々の紅葉だけでなく、空気のしっとりとした冷たさにも感じられた。
「どうされましたかな」
「家康殿、別動隊は捕えられたか?」
 秀吉の言葉に、家康はやはりなと思いつつ首を横に振る。実際、逃げられていた。
 秀吉は家康の答えに、長い沈黙を続けた。
「だいぶ追い詰めたのですが、ついに逃げられたと報告を受けております」
 徳川の忍びは優秀だ。その忍びの追跡を逃れる機転。あの狙撃の腕。
 伊達の鉄砲の上手がここまで出来るとは思えない。
 そもそも伊達が鉄砲を重用し始めたのは最近のことだ。何でも新しいものが好きだという政宗の代になってからのこと。まだそう年月を重ねていない。
「秀吉殿」
 そこから結び付く結論がある。
 伊達の鉄砲好きに呼応した鉄砲の上手。
「ひとつ、お聞きしたいのだが」
「……なんじゃろうか」
 秀吉の声はどことなく低く呻くようだった。

「雑賀は今、どうしておられる?」

 秀吉からの返答はなかった。だがそれこそが、家康への返答だった。


 上杉の所領は北にあり、冬の到来も早い。夏が終われば秋が来るが、その秋はあっという間に通りすぎる。
 その短い秋の間は、上杉にとっては収穫の時である。雪に覆われる土地の為、民は皆素早い冬支度がなされていた。冬が来れば雪が積もる以外、何も来ない土地になる。
 戦も来ない。
 その時期に山を越えて戦を仕掛けるなど、死にに来るようなものだ。
 だからこそその時期に現れた人物に、上杉の一同はあまり良い顔はしなかった。
「よく来た」
 そう言って声をかけたのは上杉景勝だった。だがそれ以上は何も言わない。歓迎されていないのは訪れた方もわかっているのだろう。居心地悪そうな愛想笑いを浮かべるだけだった。
「しかし残念だが会わせるわけにはいかない」
 景勝の声はずいぶんと落ち着いていた。突然現れたその男に対して、何も心の動かされることがないような。
「景勝様」
 そこへようやく、兼続が姿を見せた。
 景勝は兼続に頷き、その場を任せるという素振りを見せた。場の主導権は、どうやら兼続に移ったようだ。
「よくも無事に来られたものだ」
 景勝と違い、兼続は実に表情豊かにそう言った。声にも張りがある。
 そしてその声に、言葉に、男は感じたままを率直に口にする。
「…あんた、変わったな」
「貴方ほどではないさ。雑賀孫市殿」
 にこり。微笑む兼続の瞳に、孫市は野心を見た気がして眉間の皺を深めた。
 あまりここには来たくなかった、と吐き捨てるように言えば、兼続はだろうなと頷く。
 何を言っても大して動揺しなそうなこの男に、孫市は何を言う気も失せて黙りこんだ。
「まぁ、ゆっくりしていくといい。何大丈夫だ。貴方はここへ、親友の前田慶次に会いに来た。そうだろう?」
「…そうだ」
「慶次は今では上杉のれっきとした家臣だ。景勝様の信頼も厚い。だから景勝様へお目通りした」
「……」
「よく出来た筋書きだねぇ」
 そう言ったのは、今まで姿を見せていなかった慶次のものだった。振り返ればすぐそこにいて、面白そうにしている。
 慶次もまた、兼続に出会って変わった。
「ああ慶次か。では任せたぞ」
「ああ」
 頷くと、慶次はすぐに孫市を引き連れて景勝の前を辞した。孫市はそもそもここへ来るまでも徳川の忍びをまいてようようここへたどり着いた経緯があり、すでに疲れ果てている。だが疲れただのなんだの言っている余裕はなかった。ああ嫌だなと思いつつも慶次の後をついていくしかない。
「おまえ、政治に関わるの嫌なんじゃなかったか?」
「嫌だね」
「ならどうして」
「面白いからさ」
 ああ、そうだろう。
 兼続の目には野心があった。天下を狙う前の秀吉にも感じたものだ。だからわかる。そして家臣の身でそれを考える兼続という人物が、慶次にとってさぞ面白い相手であるのも、わかる。
 慶次のあとに続きながら、孫市はため息をついた。何をしているのやら。
「じゃあこうして案内してくれるのも、面白いからか?」
「ま、そういうことだな」
 笑った慶次が、指し示す先。
 地下の牢に続く道だった。おそらくその先に、いるのだ。
 伊達政宗。
(あいつ、何やってんだろうなぁ…)
 溜息をつきながら、孫市は一歩。慶次より前へ歩み出て、彼のいるはずの牢を目指した。


 文が届いた、という報告に信之はただ頷いた。今の信之に届くのは稲からのものか。そう思ったが違うらしい。
「その、」
 屋敷の者がどことなく言いづらそうにしていれば、唐突に聞こえた声。
「こちらですか?」
 明るくて綺麗な声。そしてその姿に、信之は目を丸くした。屋敷の者も信之の前へ歩み出た女の姿にやや呆然としている。相手は、信之の姿を見つけるとぱっと明るい表情を作り、しかしすぐに恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「さ、真田信之様」
「はい」
 思わず「はい」としか答えられずに続く言葉を待った。
「父、忠勝の書状をお持ちしました!」
 勢いに任せたような様子で信之の手にそれを押し付けると、稲はすぐに回れ右をして逃げ出しそうだった。慌てた信之が声をかける。
「稲殿!」
「は、はいっ!」
 少しゆっくりしていって下さい、と告げれば稲は頬を赤らめたまま振り向いて頷いた。
 戦場ではない場所で、はじめて逢ったその女性に、はたしてどう接するべきかわからないまま、信之は困ったまま頭を掻いた。
 困ったまま屋敷の者に案内される稲の眺め、そして忠勝の書状に視線を落とす。慌ててそれを読んでみれば。
 それは、屋敷への招待の内容だった。



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