花に嵐 21




 戦が終わり、季節が移ろいはじめたのをそれぞれ肌で感じながら、それでも三成はまだ完全には傷は癒えてはいなかった。
 焦る気持ちはあれども、傷を治さねば戦にも出れない。
 こうして休んでいたとしても、三成にまわされる仕事が多いことには変わらないのだ。
 なにせ三成の仕事というのは、どちらかといえば戦の武功ではなく、日々の生活に関することの方が多い。田畑の様子を見てまわり、税について取り決め、川が増水するというならばそれらに対する不安を取り除く必要がある。
「最近、行けておらぬ」
 床についたままの三成に言われて、左近はそうですなぁ、と肩を竦めた。
 とはいっても左近もそこまでは手が回らない。三成が抱えていた仕事の大半を肩代わりすることになった左近は、最近は普段の三成よりよほど働きものだという評判になるほどだ。
「そうですな」
 三成にしてみれば戦での傷は不名誉にもほどがあった。これをきっかけに、上杉家の横行が目立つようになったと考える者も多い。
 先の戦で、すべての手柄は上杉家に持っていかれた。銃弾に撃たれた重傷の三成を助けた兼続。逃げる伊達軍を追い詰めた上杉景勝。そしてその身柄は、現在も上杉家にとどまっている。
 兼続が、公の、秀吉の前で伊達政宗の処遇はこちらに任せていただきたい、と申し出た。
 表向きは、東北の大地は豊臣家の手による武力の行使が行われておらず、いまだに血気盛んな者が多いこと。そして伊達家がそれらを取りまとめていたこと。今ここで伊達政宗を豊臣家に引き渡し、豊臣家が伊達政宗を処断すれば、東北の地は豊臣の統治をよしとしない者たちが一斉に蜂起するだろうこと。
 それらを、上杉が一手に引き受ける。だから政宗の身柄は渡さないし、東北のことについては任せてもらいたい、と。
 その話を、激昂する秀吉に冷静に言い張った兼続は、実に株をあげたものだ。もちろん、その中には兼続を危険視する声もある。
 上杉家は謙信の時代、私利私欲による戦を禁じていた。しかし求められれば応じて兵をあげていたので、兵は皆鍛えあげられていた。
 その謙信の教えを、一番に受けてきた兼続。そしてその跡目を継いだ景勝。彼らがまさか謙信の教えを裏切るような真似はしないだろう。だが、それでも危険視する声はあとを絶たない。
「正直それどころじゃないってのが本音ですがね」
「………」
 三成にも、兼続を警戒する気持ちがないわけではない。
 戦の時の兼続の言葉も忘れたわけではない。

―――これ以上、不義な行いを続ければ、上杉が敵となろう。

 あの時、兼続の目は真剣だった。脅しで言ったわけではないことはわかった。一瞬とはいえ、嫌な汗をかいたのも覚えている。
 実質、今回の功績があってから豊臣は東北の地への実質的な口出しが難しくなっている。ここにきて、天下統一への大きな問題が出来たと言ってもいい。秀吉の機嫌はすこぶる悪いと評判だ。
「…幸村はどうしている」
「どうもこうも、戦での不手際で最近は城への出入りも許されておりませんよ」
 そしてそのとばっちりを受けているのは真田だった。戦での幸村の失態。借りた兵の大部分が傷を負い、死んだ者も多い。秀吉の怒りを恐れてか、屋敷へ顔を出す者も少ないらしい。
「そうか…そうだったな」
 幸村がなぜそんな失態をしたのか、三成は知らない。幸村とは想いを通じ合わせたあの時以来、逢っていない。大きな声では言えないが、逢いたい気持ちは日に日に強くなっていた。
(幸村も同じ気持ちだろうか…)
 そもそも、あの時ああして気持ちを通い合わせたことすら、夢だったのではないか。逢わずにいるとそんなことすら考えてしまう。
 ただでさえ、政務で気を紛らわすことが出来ない。三成は何かあった時、必ず政務に勤しむことで逃げてきた。今はそれが出来ない。だから余計に、幸村のことばかり。何かにつけて思い出す。
「まぁ、幸村にはこちらからひとつお願いしておきましたよ」
「なに?」
 左近の言葉に眉を顰めれば、左近がにやりと笑った。
「村の様子ですよ。殿の名代って言うと大げさですがね」


 幸村は左近の使いだという男から頼まれて、三成がよく足を運んでいたという村へ入った。村は穏やかだ。村の者の話では、三成が気を配ってくれるようになってから、特に水害などが減ったという。夏の前の雨も、土砂崩れに至らず、皆安心して過ごすことが出来たらしい。
「三成様はお怪我されていると聞きました。お加減はいかがかご存じありませぬか」
 村の長という老人の言葉に、幸村は命に別状はないとだけ答えた。
 実際のところ、あの時にしか顔を見ていないから、詳しいことを知らないだけなのだ。
「…このあと、様子をうかがいます。あなた方のことは伝えておきましょう」
 幸村の言葉に老人は嬉しそうに微笑んだ。よろしくお願いいたします、と目を細めて言うその様子に、幸村はしみじみと実感した。
(好かれていらっしゃるのだな…)
 おそらく三成のおかげで、村の暮らしはずいぶん楽になったのだろう。田畑に実る作物も豊作のようだ。水害があったり、何かがあれば村はどことなく荒んだものになる。だがそれが見当たらないということは。
 そしてそれを実感しながら、幸村は何故だか自分の手柄のようにそれを喜んだ。自然、口許が綻ぶ。
「真田様は三成様のご友人でいらっしゃるとか」
「…はい」
「よく三成様はこちらで茶を飲まれていかれるのです。その際に、よくお話を聞かせていただきました」
「…私のですか?」
「左様でございます。素晴らしい武士だとあの三成様が珍しく褒めていらっしゃった」
 老人には特に悪気はないだろう。ただ改めてそう言われると、幸村は酷く恥ずかしいような気持ちになって、顔が赤らむ。
「そういう方はお大事になさいませと申し上げましたが、ずいぶん困った顔をされまして。ああさては何かあったかと思うて案じておりましたが…真田様が直にここに来て下さるのであれば、もうそのような杞憂、必要ないというもの」
「………」
 それがいつ頃の話なのか、気になったものの幸村にはそれを聞くのはなんとなく憚られて、何も言えなかった。
 豊臣が突然に攻め込んできたあの戦のことを思えば、憎しみに近い感情が胸に広がる。にも関わらず、こうして三成のことを聞くと、何故だか酷く複雑な気持ちになるのだ。
 戦のあと、確かめた感情は嘘ではない。
 あの戦で、三成に何かあるかもしれないと思った途端に何もかもがおかしくなった。焦る気持ちと失うかもしれない恐怖に震えた。あの瞬間、自分は武士ではなかったと思う。
「…真田様?」
「は、はい」
「三成様にお伝え下さい。貴方様が仰られた通り、真田様は良い方ですと」
「……」
 老人の言葉に幸村はやはり何も言えず。
 そうして他から聞く言葉に、幸村は惑うばかりだ。
 あんなにも確かに思ったのに。三成が死ぬかもしれないと思った途端、何も考えられなくなるほど我を失ったのに。そしてその時の気持ちを、三成に告げたのに。
 村の中を案内されながら、考える。
(…本当に、私は三成殿と同じ気持ちなのだろうか)
 それを告げた時、三成は信じられないという顔をしていた。そしてとても喜んでいた。だけれども。
 この胸の奥、あの戦の事でわだかまっている感情も、確かに本物なのだ。



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