戦の終わりは予想外なものだった。
伊達軍は多くの死者を出した。しかし政宗を筆頭に、主だった将の首を討ち取った報告は一切なかった。まんまと逃げられた。そういう形になっている。
徳川軍は、伊達軍と特にやりあった真田の兄弟が率いた兵が、いくらかの損害を受けたものの、徳川本隊に目立った損害はなかった。
信之の隊も、予想された程度の損害だった。だが、酷かったのは幸村が率いた隊だ。
引き連れた兵の、半分が命を散らせた。
(理由など…)
幸村は何も言うべき言葉がなかった。
あの時。大将である政宗を前にして、幸村はおかしなほど動揺した。政宗のたった一言でだ。
―――石田三成、討ち取ってやるぞ!
たったそれだけだった。
後になって思い返せば、その動揺ぶりといったら、きっと端から見ていたら笑えるほどだっただろう。無様な戦をした。
兵にまともな指示が出来ず、ましてや単騎で徳川本陣へ戻ろうとまでした。それを止めてくれたのは兄、信之だった。
「幸村、何をしている!」
兵に動揺が伝わってしまうほど、幸村は戦意を失っていた。だからあの乱戦の中、幸村のところまでたどり着いた兄が叱咤したのだ。
「戦の真っ只中に他事を考える阿呆がどこにいる、前を見ろ!」
信之は、普段は無口で多くを語らない人だ。
しかしその時の信之は、幸村の異変を強く感じていたのだろう。戦場での興奮もあったかもしれない。叱咤する声音は厳しく、ようやく幸村も現実にたちかえる。
「…あ、兄上」
「死ぬ気か!?」
―――生きて戻れるな。
三成の言葉が唐突に思い出された。
政宗の言葉の真意はわからない。ただ、その言葉の意味だけははっきりとわかった。
「兄上!伊達軍には別働隊がおります。本陣が危ない!」
伊達軍の狙いが徳川本陣だ、ということではないか。あの時の政宗の言葉がはったりだとはとても思えない。そうでなければ、こんな数の力に押されて潰されるだけの戦を、政宗が選ぶわけがない。
「まさか、大将自ら囮にでもなったというのか」
しかしそれを否定できるだけの材料はない。伊達家は政宗が家督を継いでから、唐突に天下獲りへ名乗りをあげてきた。父親の代の頃は抑えるだけが精一杯だった近隣のいざこざを、政宗が一手に引き受けて、勢いで奥州一帯を平らげた。
その大将が編み出す策は、今までの策略というものを覆すことも多かった。
しかしそれを理解して、知ったとして、今の二人に出来ることはただ目の前の敵を蹴散らすことばかりだ。
「幸村、急ぎこの戦を終わらせるぞ」
「はい」
あの時、兄信之がいなければ、幸村は兵の指揮をとることも出来ず、そのまま敗走していただろう。
それをどうにか持ちこたえることが出来たのは信之の存在があったからだ。
年の近い兄弟で、仲も決して悪くはない二人だが、こんな時幸村には兄が大きく見える。
誇らしさとともに、自分の弱さが身に染みた。
(…私は)
戦は終わった。
勝敗のはっきりしない戦だった。
前線にいて、そう感じるのだから本当に決するべきものがうやむやになってしまったように思える。
兵をまとめ、徳川本陣へ戻ってさらに強く感じる。
(…おかしい)
本陣は酷く慌しかった。戦が終わったからだけではない。
「これは、二人ともよう無事であったな」
家康が二人を迎える。しかしその顔に色濃くうつる、焦燥。そして血の気配。
「伊達軍には、別働隊がおりましたか」
信之の言葉に、家康はわずかに表情を引き締めた。そして、重く頷く。
幸村は、槍を握る手のひらが震えているのに気がついた。左の手でその震えを抑えようと己の腕を掴む。
「鉄砲隊が控えていたようだ」
家康と信之の言葉を、幸村は俯いたまま聞く。
「どなたか負傷されたのですか」
「…ああ、石田殿がな」
さあ、と血の気がひいたのがわかった。
それでどうなったのか、と幸村は問うことが出来なかった。代弁するように信之が問う。
「なんと。容態は…」
「肩のあたりを撃たれた。今は手当てをしている」
その場へ走っていくことは出来なかった。足が、縫いとめられたように動かなかった。たとえばそれで、三成の命が風前の灯火だったとしたら。手当ての甲斐もなく、なんて事になったら。
「しかしお若い人のこと。なんとかなろう」
「…そうですか。それで、鉄砲隊は…」
「今追っている隊がいるが、おそらく逃げられたな」
戦に出る以上、万が一がないと考えるのはおかしな事だ。そして父の仇である人が、負傷したという報告にこんなにも動転する自分は。
(思えば…あの時も戦うことが出来なかった)
豊臣に攻め込まれたあの時の戦。
父が処断される事となったあの時も、三成を前にして幸村は戦うことが出来なかった。友と思っていた人と戦うことになって、そしてそれがこの戦乱の世の中で当然のことだとしても。
(今もそうだ…こんなにも、動揺して、無様な戦を…)
三成が。
自分に刃を向けた時。
負傷した時。
そしてそれを知った時。
こんなにも動揺する。心に隙が出来る。簡単に戦意が殺がれる。
すべての事に共通しているのは「石田三成」だ。
(私は…三成殿のこと、を)
そこまで考えて、幸村はそれ以上を言葉にするのをやめた。
自覚しなければいけない事だ。だけれども、今の幸村には重かった。
―――俺は、幸村が欲しかった。それだけだ。
少し前に言われた言葉がまざまざと思い返される。
それにどう答えることもできなかった自分も。
どうしたらいいのかわからない。わからないまま、幸村はその場に立ち尽くすだけだった。
|