七日だ、と三成が宣言し、睨みあいの続いていた戦に動きが見えた。 一日目。伊達軍へ徳川の忍びを使っての書状が届けられた。 二日目。動きなし。 三日目。また動きなし。それに際し、徳川軍がひそかに動いた。信之の軍を本陣から離して迂回させた。側面から伊達軍を急襲する任を帯びた信之は、家康と兼続の言葉の通りに布陣させる。 四日目。「兄とは別の側面から伊達軍を囲い込むのですね」 「そうだ」 三成に呼ばれ、緊張の面持ちのまま作戦を確認した。動くことはないはずだったが、早くに解決させる為にただ見ているだけの兵などいらぬという結論に達したらしい。 「三日後に動く」 「はい」 三成から聞かされた策に、幸村は頷く。徳川からは、忠勝などの猛将が伊達軍を挑発するために出るらしい。忠勝ほどの者に挑発され、伊達が動かぬはずがない、というのが兼続の言葉だった。伊達と上杉とは長く、景勝の代になってからずっと戦が続いている。その中で得た伊達政宗という人間の性格らしい。 「それで、三成殿は」 「俺は徳川の本陣にいる」 そこには兼続もいる。先に戻った兼続が、三成が来ることを告げているだろう。本陣もおそらく慌しくなっているはずだった。 「…わかりました」 「ああ、それからこれを持っていけ」 言われて示されたそれは、赤地に六文の旗印。 「…しかし」 この戦には、幸村は三成に従ってここへ来た。幸村は真田の兵など持っていないし、当然ここに連れてきてもいない。旗印を戦場で掲げるということは、真田がこの戦場に在る、ということを報せることになる。信之ですら真田の六文銭は掲げていないはずだった。 「兼続にも持っていかせた。信之のものだ」 「…三成殿、あなたは」 「この場で真田の武勇を轟かせろ。うまくいけば、秀吉様から真田家へ温情があるかもしれん」 「…温情…ですか。豊臣が、真田を踏み潰したというのに」 「幸村。それ以上言えば、叛意があると見るぞ」 「………」 幸村は押し黙った。しかしもう信之は動いていると、伝令から聞き及んでいる。真田の旗印を掲げて、この戦場に出陣するのだ。信之の心中はいかばかりか。考えると辛い。 だが躊躇っていては策に支障を来す。だからこそ先に信之を動かしたのかもしれない。 「…わかりました」 諦めにも似た感情が胸の内をよぎって、幸村は頷くことしか自分に出来る選択肢がないことを知る。 「幸村」 そんな幸村の名を呼ぶ三成に、億劫な気持ちでこたえた。 「…はい」 「俺は徳川の本陣にいる。わかったな」 「…はい」 そんなことは先ほど聞いた。二度も繰り返されるほどのことではない。だがそんな幸村の気持ちをよそに、三成は念を押すように言った。 「生きて戻れるな」 「…何を、突然」 「昔を思い出してみたまでだ」 「……」 覚えていたのか、と驚く。忘れるほど遠い昔の話でもなかったが、まるで遠い過去のことのようで。 それは三成も同じなのかもしれない。 懐かしむように続ける。 「共に戦った時のことだ。俺が今と同じように言い、おまえは頷いた」 「……」 「頷いてはくれんのか」 「……いえ。必ず…戻ります」 「ああ」 そう、「必ず戻ります」と告げて、三成は「ああ」と答えた。それと全く同じ遣り取り。あの時この言葉は、本当に幸村の身を案じた三成が噛んで含むように何度も繰り返した言葉だ。 「み、三成殿…」 「幸村」 「は、はい」 「期待している」 「……!」 幸村は言葉を詰まらせて、何も言えなかった。 うっすら微笑んだ顔が、本当に昔のようで懐かしさに胸がじわりと痛む。 どうしてこんな風に胸が痛むのか。昔に戻りたい?それもある。ただ、それだけではないような気がした。 膝の上で拳を握り、その痛みに耐える。 やり過ごせる痛みのはずだ。 そう内心で念じて幸村は俯いた。
戦が始まった。五日目のことだ。忠勝が兵を率い、前線へ踏み込む。広がる緑の濃い色は、これから馬と人と、それらの血とで踏み荒らされてどろどろになる。 予定通り、忠勝が伊達軍を挑発。 半蔵の偵察により、動く気配のなかった伊達軍内が慌しくなったという報せが入る。 「本当に動くのか」 三成の言葉に、近くにいた兼続が頷く。 「ああ、動く」 自信ありげな様子に三成は何も言わない。敵を知らねば戦で策を読みあうこともない。謙信の代では武田軍との度重なる戦。その後景勝の代になっては伊達軍との小競り合い。 その中で、兼続は伊達政宗という人のことをよく知ったというのだろう。 「こうまで判られていたのでは、相手にしづらいだろうな」 「三成、これは徳川殿の戦さ」 「…どうかな」 兼続との夜を徹して策を講じた際、知ったことだ。豊臣に潰された形となった真田家。その当主の息子である二人。何故生かしていたかは知らぬが、と。 伊達家が真田の兄弟を召抱えようと画策していたらしい。 しかし兄の信之は徳川の重鎮である忠勝の娘と文を遣り取りしており、踏みとどまっていたらしい。 その真田が、この戦で旗印を掲げて戦えば伊達の軍内でも多少の揺れは起こるだろう。それが波紋となって広がって、覆いつくしてくれればいい。 そう、だからこれはもう徳川だけの戦ではないし、元々は豊臣の威を知らしめる為でもあり、上杉がうまく生き抜くための戦でもある。 ―――そして、真田が豊臣に従ったことを知らしめる戦でもある。 七日。 必ず終わらせて見せる。 三成はじっと前を見据えた。 この本陣からは戦の状況はわからない。だが、勝てる戦だ。 三成はそう信じて、薄く笑った。
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